(八)闇きに松どもを灯して

 一旦帰宅してから、日没を待ち、小学校へ戻ってきた。いままで龍がかよっていた、どの小学校よりも、セキュリティーは甘めのように感じる。あたりに街灯がまったくない、暗くて静かな敷地内へと足を踏み入れた。くる人がくれば、ここには得体のしれない、なにものかの気配を感じることだろう。どこからともなく現れた火の玉が近づいてきて、龍の足元を照らしながら飛び続けていた。先導される形で、龍はグラウンドへと歩みを進める。



 一列に並んだ灯りが煌々と輝き、その中央では彩が主導し、精霊たちに指示を出していた。水女神みずはのめが、木精くくのちの朽ちた枝木を癒している。龍の姿を視界に捉えた彩は、深くえぐられた土神はにやすならす手を止めた。移植ゴテを近場に置いてから立ち上がる。その様子は、傍目はためから見れば、砂遊びをしている、単なる子供にしか見えなかった。



「……遅いよ」「すみません」



 こうべを垂れる龍のもとへ駆け寄り、彩は龍の手首をつかんで半袖をたくし上げる。その腕には包帯が、申し訳程度に巻かれていた。彩は龍の横顔にたずねる。

「平気?」「……はい。おかげさまで」



「そう、ならよかった。まあ、素戔嗚尊すさのおのみことの血を継いでいるなら、大怪我を心配することはないと思ったけど」立ち去り際、首だけを龍のほうに向けて、彩は校舎を指さした。「じゃあ、さっそくで悪いんだけど、あっちのほうを手伝ってくれる?」



 移植ゴテを手に取った彩は、いそいそと作業に戻っていった。その様子を見守るように、火の玉が彩の手元を照らしている。龍は火の玉へと視線を動かす。

「あの……この光は?」「ああ。あたしの神社いえから持ってきた狐松明きつねたいまつ

 なるほど。いわゆる狐火きつねびのことか、と龍は納得する。実物を見たのは初めてだが、出羽国でわのくに(現在の山形県と秋田県)で、狐火のことを狐松明と呼ぶらしい、という知識程度は龍も持っていた。ほとんど修復の完了していそうな校舎だが、粉砕されてしまい、接着できそうにない外壁の欠片かけらは、残念ながら捨てざるを得まい。風男神しなつひこが一か所に集めたものを、ほうきとちり取りで、さらにまとめ、狐松明の火をもって焼却する。



注連縄しめなわは、どうするんですか?」修繕というよりは、あと始末に近い作業を終え、校舎から戻ってきた龍は質問する。彩は「片づけなくていいよ」とだけ言い、作業を続けた。龍は、ずっと気になっていたことではあったが、昼間のうちに話す機会もなくて、違和感をかかえたまま放置していた疑問を口にする。注連縄にも、裏表があるのだが。「あれって、逆向きですよね」

「言ったでしょう? あたしは天照大神あまてらすおおみかみからの任務を遂行するだけだって」



 なに当たり前のことを、とでも言いたげな彩の表情を見て、龍はに落ちた。おそらく天照大神あまてらすおおみかみの命令は、五瀬いつせを守ることでる、と龍は確信する。寄ってきた怪物退治など、ついでに過ぎないのだろう。そもそも、力を発揮していない時点で怪物が寄ってくることはまずない。となれば、あそこに張っていた注連縄は、外からの襲来を防ぐ目的ではなく、内から外に出るのを防ぐためのものだったと考えれば、辻褄が合う。



「それじゃあ、あの結界は対怪物用ではなく……やっぱり、五瀬を校舎から出さないためのものなんですね」

「……さあね」



 もとどおりとなったフェンスを乗り越え、彩はどこからともなく取り出した二本の苗を植える。そのフェンスの上には、一匹のキツネが、ちょこんと乗っかっていた。

「なにも、おかしなことはなかった?」

「はい。わたしが行ったときには、もう宿題を始めていましたよ」キツネが報告すると、ふふ、と彩は微笑ほほえんだ。「市兵衛いちべえと交代してきましたけど……あのひとりにしておくのは少々、心許こころもとない気が……」

「まあ、大丈夫でしょう。腐っても『シンシ』なら」



 シンシというのは、神の使いと書く、あの神使しんしのことだろうかと、龍は脳内で漢字に変換する。神使から「こちら、差し入れです」と、缶ジュースのようなものを差し出され、彩は「サンキュ」と軽く礼を言う。龍にも手渡そうとして、神使は「もしかして、この方が……?」と彩に訊ねる。

「ああ、紹介しとくね。こちら御饌都神みけつかみ龍くん、こちら弥兵衛やへえ



 あまりに簡潔な紹介で、それ以上の話は広がらず、ふたりとも、お見合い初心者のように、ただただ頭を下げ合うことしかできなかった。弥兵衛と紹介されたキツネから受け取った缶ジュースを、龍のほうへ放り投げ、すっぽりと手のなかに収まった様子を見て、彩は「ナイスキャッチ!」と笑みを浮かべる。



「あ、ありがとうございます……」



 感謝を述べつつも龍は、ラベルに書かれた解読不能な文字列を見て、得体の知れなさに怖気おじけづく。飲んでも大丈夫なものなんだろうけど、せめて、なに味かだけは教えてほしい。腐った卵味や鼻くそ味、ましてゲロ味でなければいいと思いながら、ひとくちで龍は飲み干す。その缶ジュースっぽいものは、拍子抜けするほどに無味無臭だった。

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