アマテラスの力を継ぐ者
モンキー書房
第一記
序章
登校完了時刻の十分前になって、続々と集団登校のグループが到着し、児童たちが教室へと入ってくる。
雨に打たれたのであろうと
稲穂たちが登校してくる最中は、雨の降る気配を一切見せていなかったので、稲穂は傘を持ってきていなかった。
帰りまでに止むだろうかと、
来週には運動会が控えているというのに、このところ雨天が続いていた。
天気予報でも、この一週間は雨が降るらしい、ということを言っている。
このままだと順延確実であろう空模様を、自分の顔が映ったガラス越しに稲穂はなんとなく見上げた。
「……でも、大丈夫だよね。こっちには稲穂がいるもん」
同じく窓の外を眺めていたクラスメイトの一人が言った。
「わたしは神様じゃない」
この返しは初めてではない。何度目かのやりとりに飽き飽きしてくる。
稲穂のツッコミも、だんだんと投げやり気味になってきた。
「でも、天気を変えられるよね?」
「変えられない」
でも待てよ、と稲穂は思い出す。
確かに雨に打たれたことが、この十二年の人生の中で一度もない。
晴れ女であることを自負はしているし、わたしが風邪で欠席した行事はことごとく雨になった、ということは一回や二回ではないのだ。
今朝まで雨だった日の天気予報でさえ覆ったことも……と、そこで稲穂は首を振る。
いやいや、偶然、たまたまだ。
「あれ、なんだろう?」
別のクラスメイトが声を上げる。窓から校庭を見下ろして、ある一点を指差した。
「なにしてんだろ、あの人」
雨が降っているにも関わらず、窓から見える人らしきものは、傘もなにも差していなかった。
そればかりか急ぐ様子もなく、悠然とした歩みで校庭を縦断していく。
「あれじゃあ、ずぶ濡れだよね……」
「つーか、誰? この学校の人?」
野次馬となって窓際に集まってきたクラスメイトたちは、校庭を見下ろしてあれこれと喋っていたが、一人の男子生徒の口から出た一言によって教室は静まり返った。
「そういえば、きょう先生が言ってるのを聞いたんだけど、転校生がこのクラスに来るらしいよ」
転校生? この時期に?
「親の急な転勤とか?」
「前の学校でなにかあったりして」
「めっちゃ可愛い子だったらどうする?」
「もしかしたら、かっこいい人かも」
転校生予想が加熱し始めたところで、始業のチャイムが鳴り響く。
それでも着席することのなかったクラスの面々は、勢いよく扉が開かれて入ってきた先生の姿を見てから、大急ぎで自分の席に向かった。
稲穂は窓際の席だったので、先生の姿を確認してからでも、コンマ一秒で着席することができた。
転校生の紹介は、漫画などでは大抵HRの時間に「入りなさい」という先生の声と同時にドアが開いて、イケメンか美少女が教室に入って来ると言うパターンをよく見たりする。
稲穂が通う小学校でも、例に
咳払いをひとつしたあと、開口一番に先生は「入りなさい」と言った。
先生が目を向けたドアのほうへ、クラス全員も釣られたように注視する。
ひとりの少年がドアを開けて、教室の中へと入って来た。
「うわっ、かっこいい!」
特に女子を中心として、教室中にどよめきが起こった。確かに、と稲穂も思う。
ランドセルが不釣り合いだと思うほど高身長の美少年。
端正な顔立ち、目にかかる漆黒の髪色。そのすべてが、まるで漫画から出てきたようだった。
「えーと……転校生の……」
先生は名前を忘れたのか、手に持ったクリアファイルに挟んだ紙を見ながら、転校生の名前を黒板に書き始めた。
「御饌都神龍」と書かれた黒板を凝視する。
どこまでが名前?
「『みけつかみ りゅう』です」
その男の子は、先生が書き終わるのを横目で確認してから、そう名乗った。
一拍置いたことによって、神と龍の間が姓名の区切りだとわかる。稲穂は「饌」なんていう漢字を初めて見た。
「あー、ミケツカミくんの席は……」
龍が座れる席を探すために、先生は教室を見渡した。
五×五に整列された机は、児童数二十二人に対して、空席が窓際に揃って三つほどある。
「んだな……じゃあ、
「はい」
先生が指し示した延長線上で、受持
稲穂の真後ろにある彩の席のそばまできて、龍は教科書をランドセルから取り出し、机の中へ仕舞う。
空っぽになったランドセルを、教室奥のロッカーに入れ、着席した。
…………。
……。
朝の会が終了し、またチャイムが鳴る。一時間目、社会。
「えー……きょうから新しいところに入るからな」
ずっと土器やら古墳やらが続いていた日本の歴史が、いよいよ大きく動き出す瞬間がきたようだった。
歴史の授業が始まってから一ヶ月経過してもなお、いまだに出てきた主要人物は、
正直、彩は金印にも
稲作が始まってから一千年くらいを二週間くらいの授業で通り過ぎていったことを思えば早いのかも。
……いや、なんもないからか。
まだ雨が降っている窓の外を、なにげなく彩は見つめていたが、唐突に名前が呼ばれた気がして、首を直角に右へと曲げる。
言うまでもなく、それは教壇に立っていた先生の声だった。
「受持。なに、ボーっとしてるんだ。話、ちゃんと聴いてたか?」
「……あ、はい」
実際は一ミクロンも聴いてはいなかったが、そう言っておくことにしよう。
「なんだ、いまの間は。絶対ウソだろ」
速攻でバレた。先生は咳払いを一つする。
「じゃあ問題。
起立したはいいものの、彩は顎に手を当てて考え込む。
へえー、いまは厩戸皇子(
机の上に目を落としても、教科書すら開いていない有様だった。でも、厩戸皇子くらい知っている。
これは記憶を頼りに、という名の勘で、ひょっとしたら正解を導けるかもしれない。
「一度に十人の話を聞き分けた!」
「うん、確かにそれは有名だけど。いや、伝説とかじゃなくて」
先生に訂正されたが、言葉尻に被せるようにして、彩は構わず続けた。
「『うま』だけに『うま』小屋の前で『うま』れたらしい」
「うまうま、やかましい! ……だから、伝説じゃねく」
また先生にツッコまれる。
「初めて忍者を使ったのが、厩戸皇子らしい」
「マイナーすぎるわ、その説!」
またまた先生にツッコまれた。
実は「一度に十人の話を聞き分けた」というのも、忍者を使って情報収集していたから、事前に人々が話す内容を知っていた、なんていう説もあったりなかったり。
「叔母に当たる人物に『将来、天皇になる』って予言した!」
「……もう、超人でねが。そうなのか? その天皇って誰?」
ツッこむ気力が段々となくなってきて、ちょくちょく先生の口調に方言が混じってくる。
「
「漢風
「そう! 推古天皇! ……え」
いきなり、思わぬところから声が飛び出す。
彩に聞こえるか聞こえないかの大きさで、その声は右方から発せられていたようだった。
その人物はなに食わぬ顔をして、さっきまで彩がしていたように窓の外を眺める。
彩は龍の視線を追ったが、突然の出来事に目を細めた。あまりにも眩しかったからである。
「あ、雨。止んでる……」
クラスメイトの誰かが言う。
彩は教室に差し込む陽光が作り出した、机や椅子の濃く暗く投影された模様に目を向けた。
このあとの二時間目と三時間目は運動会の練習を予定しているが、まだグラウンドはぬかるんでいるから、体育館での練習になると思う。
しかし運動会当日まで、この天気が続いてくれれば、そろそろ乾いてくるのでは、と彩は思った。
「虹だっ!」
そう叫んだのは、前(稲穂)の前の席に座っている男子だった。
確かに窓際からは、雲間に薄く架かった虹がよく見える。
七色のグラデーションが目に映るに至り、彩は、はっと思い出すことがあった。
虹……七色……七……色……そうか。
そして、彩は声高らかに言い放つ。
「冠位十七条!」
「いろいろ混ざってるな!」
またまたまた、先生にツッコまれる。
どうやら、彩の導き出した答えは間違っていたようだった。
…………。
……。
運動会に練習が必要なのかどうかは疑問だが、授業の一環とあっては仕方がない。
三時間目終了のチャイムが鳴った途端、男子たちは勢いをつけて体育館から飛び出していく。
散々走り回ったっていうのに、どこから元気が湧き出してくるのか、と彩は婆くさいことを考えてみた。
しかし、それは子供だから、という至極当然な結論に行きつく。
日直の男子児童とともに、稲穂は先生の片づけを手伝って、重ねたカラーコーンを用具室へと運んでいた。
彩も稲穂のもとへ駆け寄り、無意味なことを考えるのをやめ、一緒に手伝うことにする。
「悪ぃな、いつも。気にせず、着替えに行っててよかったのに」
「いえ」
稲穂はカゴを抱えたまま、満面の笑みを浮かべて答えた。
「それだと先生も次の授業、遅れちゃうと思って、わたしも手伝ったら一瞬で片づきますから」
「いや~、申し訳ねっ」
提げていたホイッスルを首から外し、稲穂から受け取ったカゴの中に入れると、先生は明るく謝った。
綱を重そうに引きずっていた彩は、いきなり軽くなって驚く。綱の片方を龍が掴み持っていた。
「俺も手伝うよ」
「あ、ありがと」
彩は素直にお礼を言う。
……警戒しなくても大丈夫な人物だろうか、と彩は身構えつつ思った。
「わたしも!」「あたしも!」
次々と女子たちが名乗りを上げ、とっくに軽くなった綱に群がって掴む。
それを見ていた先生は、困惑するように嘆息する。
「お、お前ら。なんだ、急に」
「
話しているだけで、ほとんど手を動かしていない彼女たちは無視して、龍と彩は綱を運び入れる。
四時間目の「学級活動」は、龍やクラスメイトたちの自己紹介コーナーが用意されているらしいが、運動会練習での活躍ぶりにフライングして、もうすでに龍への質問コーナーが始まっていた。
「御饌都神くんって、足が速いんだね」
「ん? そう、かな……?」
「うん! めちゃくちゃ速いよ!」
かっこよくて勉強ができて、そして運動神経も抜群。
おまけに性格もよくて、非の打ち所がないとはこのことだ。
あらかた片づいたところで、先生は用具室の扉を閉めて鍵をかける。
「五瀬さん、もう大丈夫。ありがとう」
「えーっセンセ! あたしたちにお礼はぁー?」
女子の一人が、不服そうに膨れっ面をした。
「図々しいな、お前ら」
先生はポカンと、軽く女子たちの頭を
それに対して一人の女子が、頭を抱えて
「あ、体罰だ! 体罰教師だ、訴えてやる!」
「おおおお前ら。ま、間違っても外で言うんじゃないぞっ!」
何度も柱に肩やら足やらをぶつけながら、先生は体育館を退出していく。
足がガタガタと震えていた。
「すっげぇー、動揺してる……冗談なのに……」
申し訳ないことしたかな、と先生のあとを追って、発言した一人が体育館を出て行く。
「イツセ……?」
龍が首を
自己紹介がまだだったから、先生の言った「五瀬」が誰なのかわからないのだろう、と稲穂は単に思った。
「あ、わたしの名前。五瀬稲穂」
「イツセ……」
「そう。稲穂」
「……イツセ」
「うん、稲穂」
「ふ~ん……珍しい苗字だな」
どうやら龍は、苗字のほうが引っかかったらしい。
それを言うなら「ミケツカミ」という苗字も珍しいと思うが、と稲穂は思った。
でも確かに、自分以外の「五瀬」姓の人に会ったことはない。
「よろしく、イツセ」
爽やかな笑みを、龍は浮かべた。
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