第一記

(上)夢のうちに朋友と逢ふ

 闇へ溶け込むような黒に身を包んだ面々が、ひつぎのなかへ納まった人物を取り囲み、今生こんじょうの別れを悲しんでいた。もう帰ってくることのない、きぎし頓使ひたつかいに涙を流す。夜のとばりが下りきって、いつにも増し、静寂が周囲を包み込む。真っ暗な部屋から聞こえてくるのは、斎主さいしゅが奏上している遷霊詞せんれいしの声だけだった。



 電気がともると、参列者たちは御霊代みたましろの前へ移動するよう促される。ひとりひとりが椅子いすから立ち上がり、斎主から玉串たまぐしを受け取って、鏡が鎮座した祭壇へと載せていく。斎場の真ん中では母親に手を引かれた幼い少女が、覚束おぼつかない足取りで歩みを進めているのが見える。玉串奉奠ほうてんを見よう見まねで行い、再び母親に手を引かれて祭壇を離れていった。



 いたたまれなくなった保食神うけもちのかみが、中座して斎場をあとにする。保食神にとっては、何度も遭遇した一場面に過ぎない。しかし、何度経験しても慣れるものではなかった。きっとほかの人たちは、悲しみのあまり抜け出したと思うに違いない。でも、あれ・ ・はあくまでも器だ。じきに魂は現世うつしよの管轄から外れる。



 人間はいつか必ず死ぬ。保食神は、死者が出るたび悲嘆に暮れるほど若くもなかった。



 その少女は帰り際、より一層、母親の喪服にしがみつく。父親の遺体をの当たりにしたのはもちろんだが、周囲では得体のしれない妖気が渦巻いていた。はっきりと少女の目には、この世ならざる者たちの姿が映っている。ポロポロと涙がこぼれ落ちてきたところに、恰幅のいい女性が、隣りからそっとハンカチを差し出した。



可哀想かわいそうに。まだ、こんたっちぇのに」

 その女性に、母親が声をかける。「園長先生……」

ぁはもう、園長先生じゃねがら。娘に全部任せだもの」その女性は慈しむように、少女のほうへ目を向ける。「これから大変だべ? シングルマザーんだがら」

「はい……保育園そちらに預けることになると思います」

昭義あきよしくんには世話んなったがら。大歓迎だぁ」



 微笑みをたたえたまま、女性は少女のほうへ手を振りながら立ち去っていく。その様子を斎場の外から、保食神は静かに見守っていた。斎場へ戻ろうとしたとき、上空から「ウケモチさまー」と、誰かが自分の名前を呼ぶ声がして、振り返る。一匹のキツネが、保食神のそばへと着地した。



つくろい終えました!」叫ぶキツネに、保食神は「ご苦労さま」と声をかける。「見回ってきましたけど、鬼の気配はまったくありませんでした」

弥兵衛やへえ」再び見回りに向かいかけたキツネを、保食神は引き留めた。「せっかく来たんだから、あいさつして行きなさい」

「はい……」



 弥兵衛と呼ばれたキツネは、一瞬で人間の女性に化け、斎場のなかへと入っていく。そのあとを追って覗きこむと、斎場のなかには見知った顔もあれば顔のない顔もあり、だいぶ賑やかになってきた。人間の参列者よりも、妖怪のほうが多いように感じる。これだけうるさくしても、どうせ人間の耳には聞こえていないのだろう。そんな有象無象うぞうむぞうに無関心な人が多いなか、たったひとりだけ、ビクビクしながら、明らかに妖怪たちを見ている顔があった。



 五瀬稲穂いつせいなほ。母親のそばから離れようとしない、今年、数えで四歳になったばかりの少女だった。それら・ ・ ・を牽制しに斎場へ戻ろうとして、再び誰かに呼び止められる。保食神に対して、三つ目の妖怪が低頭していた。



「ウケモチさん、このたびは……」

とむらう気なら、もう一度、夜半にきなさい」



 これ以上、稲穂を怖がらせるわけにいかない、と保食神は思い、とりあえず三つ目を帰らせる。玉串奉奠の終わったあと、保食神が弥兵衛と入れ替わりに斎場へ戻ると、こちらに気づいた女性がぺこりと会釈する。稲穂の母親である早苗が、あたりを見渡しながらたずねてきた。



受持うけもちさん。三吉みよしさまは……?」

帰幽奉告きゆうほうこくしたでしょう? 神はけがれに触れられないのよ」

「受持さんはいいんですか?」

「あたしは……特別だから」受持は曖昧あいまいに答えた。そして、怯えたように母親の陰へ隠れている少女に目がまる。「これから、どうするの? この子は……」

「自由のく仕事をしながら探してみます。この子も、あの人みたいにしたくはないので」

「そう……。一応、あたしも手は尽くしてみたけれど。どうなるかは、この子が成長してからじゃないとわからないわ」

「はい、ありがとうございます。お気持ちだけで充分です」

「その……」保食神は口籠くちごもった。早苗に向かって頭を下げる。「ごめん。昭義くんを助けられなくて」

「いえ。受持さんのせいではありません……」

「あたしも保育園ほいくえんに通うよ」保食神の発言に、早苗は目をしばたたく。「この子のこと、気になるし……」



 …………。

 ……。



 それから、十年近くの歳月が流れ、稲穂は今年、小学六年生へと進級した。いまでも稲穂は、ときどき同じ夢を見ることがある。



 松明たいまつだけがともった薄暗い岩窟のなかに、ひとつの大きなひつぎが横たえてあった。その灯火ともしびに照らされて、闇と同系色の存在が、そこらじゅうでうごめいている。それらの存在は、中央へ置かれた棺の周りに集まっているように見えた。その棺のなかは、怖くて確認できていないが、たぶん父親が入っている、と稲穂は直感的に思う。



 稲穂の足もとを、ニワトリが疾走していく。スズメはきねの周りに群がり、うす糯米もちごめらしきものをいている。白くて首の長い鳥が、クチバシでほうきくわえ、綺麗きれいな青い鳥が、集団で食材を運んでいた。赤い顔の鳥が、ケンケンと、どこかもの悲しそうに泣く。夢だから別段不思議でもない、ファンタジーな光景が目の前に広がっていた。



 そして棺の最も近くには、幼馴染みである受持あやの泣く姿が見える。父親が死んだのは稲穂が三歳のときで、彩と会ったのは保育園が初めてだから、こんなところにいるはずがない。しかも夢のなかの彩は、いまと変わらない十一歳の風貌に見える。現実世界の彩と同様に、稲穂の夢のなかに出てくる彩も一緒に成長し続けているようだ。



 この夢は、稲穂が彩に声をかけようとしたところで、いつも終わりを迎える。そして、きょうも。



 ときおり雷鳴がとどろくなか、稲穂はベッドの上で目を覚ました。もうすっかり、夢の内容にも慣れてきた。きょうの給食はなんだっけ、とぼんやり考えながら起き上がる。机の上に畳んで置いてあった洋服へ、稲穂は手を伸ばした。雨が降りそうで降らない天気が、このところ続いている。傘は……稲穂は逡巡したのち、持っていかないことに決めた。

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