一書曰

 一旦帰宅し、日没を待ってから、龍は小学校へ戻ってきた。辺りに街灯が全くない、暗く静かな敷地内へと足を踏み入れる。

 来る人が来れば、ここには得体のしれない、なにものかの気配を感じることだろう。

 どこからともなく現れた火の玉が近づいてきて、龍の足元を照らしながら飛び続けていた。

 先導される形で、龍はグラウンドへと歩みを進める。



 一列に並んだ灯りが煌々と輝き、その中央では彩が主導し、精霊たちに指示を出していた。

 水女神みずはのめが、木精くくのちの朽ちた枝木を癒している。

 龍の姿を視界に捉えた彩は、深く抉られた土神はにやすならす手を止めた。

 移植コテを近場に置いてから立ち上がる。傍目から見れば、砂遊びをしている、単なる子供にしか見えなかった。



「……遅いよ」

「すみません」



 こうべを垂れる龍のもとへ近寄り、彩は手首を掴んで龍の半袖をたくし上げる。

 その腕には包帯が、申し訳程度に巻かれていた。彩が龍の横顔に訊ねる。



「平気?」

「……はい。おかげさまで」



「そう、ならよかった。まあ、素戔嗚尊すさのおのみことの血を継いでいるなら、大怪我を心配することはないと思ったけど」

 立ち去り際、思い出したように首だけをこちらに向けて、彩は校舎のほうを指差した。

「じゃあ、さっそくで悪いんだけど、あっちのほうを手伝ってくれる?」



 移植コテを拾い上げた彩は、いそいそと作業に戻っていった。

 その様子を見守るように、火の玉が彩の手元を照らしている。

 龍は火の玉へと視線を向けた。



「あの……この光は?」

「ああ。あたしの神社いえから持ってきた狐松明きつねたいまつ



 なるほど。いわゆる狐火きつねびか。

 確か出羽山形や秋田の地域だと、狐火を狐松明というんだっけ、と龍は納得して校舎へ半身向けたところで、彩の上ずった声を聞いた。



「べ、べつにっ嫁入りするわけじゃないからねっ勘違いしないでよねっ」

「……なにも言ってませんが?」



 …………。

 ……。二。



 五瀬早苗いつせ さなえが風除室を開けると、普段は存在しない異質な物体が、鉢植えが置かれた机のすぐそばにある。

 それは冬場の暖炉には最適であろう、均等な大きさに切り揃えられたたきぎだった。

 電気のついたリビングに向かって「ただいま」と声をかける。

 冷蔵庫の前でエコバッグを下ろし、娘の稲穂に風除室のことを話した。



「あの薪、どうしたの?」



「薪……?」

 どうやら娘にも身に覚えがないらしい。風除室まで確認しに行ったあと、そそくさと戻ってきて小首を傾げた。

「あ。あの人かな? きょう、お客さんが来てたみたいだから」



「お客さん?」

 わざわざ薪を持ってくる隣人に思い当たる人はいない。誰だろう、と早苗は頭をひねる。まさか……。

「どんな格好してた?」



「えーっと。着物を着てて……少し派手めの……瓢箪ひょうたん柄だったっけ?」



 そこまで聴いて、早苗の脳裏に、ある人物のシルエットが浮かんだ。

 キッチンの戸棚を開けて確認する。茶葉は少なくなっていないようだった。

 それから今度は、冷蔵庫を開けて缶ビールを確認する。こちらは一本、少なくなっていた。

 そこでようやく確信した。ふつふつと怒りが込み上げてくる。あンのジジイのほうか……!

 平静を装って稲穂のほうへ顔を向ける。質問を続けた。



「そ、それで、その人なんだけど。なにか言ってた?」



「今度はお母さんがいるときに来るって」



「そう……」

 なんとなくだが、わたしが遭遇するよりも先に、また稲穂の前に姿を現しそうだ、と早苗は思った。

「その人に、また会うことがあったら、伝えてくれる?

 いまどき薪をもらっても嬉しくないって」



 …………。

 ……。三。



注連縄しめなわはどうしますか?」

 校舎の修繕を終えて戻ってくると、龍は腰を下ろして一息つく。

 不意に思い出したことがあり、違和感を抱かずにはいられなかった。

 注連縄にも、裏表がある。

「あれって……逆向きですよね」



「言ったでしょう? あたしは天照大神さまからの任務を遂行するだけだって」



 なに当たり前のことを、とでも言いたげな彩の表情を見て、龍は腑に落ちた。

 おそらく天照大神あまてらすおおみかみの命令は、五瀬稲穂を守ること。

 寄ってきた怪物退治など、ついでに過ぎないのだろう。

 そもそも、力を発揮していない時点で怪物が寄ってくることはまずない。

 となれば、あそこに張っていた注連縄は、外からの襲来を防ぐ目的ではなく、内から外に出るのを防ぐためだったと考えれば辻褄が合う。



「それじゃあ、あの結界は対怪物用ではなく……やっぱり、五瀬を校舎から出さないためのものなんですね」



「……さあね」



 その瞬間、まるで天へと続く橋立のように、彩の顔へと光が降り注ぐ。

 その筋を追って見上げれば、闇夜に正円だけがぽっかりと輝いていた。

 ほかの星が見えないのは、曇りだからだろう。

 空から漏れている月光を見て、龍は思わず呟いた。



「……月が綺麗だ」



「ちょっと~。女の子に向かってそんなこと言う?」



「保食神様に向かっては言ってません」



「まっ子供に興味はないしぃ~金之助きんのすけくんのほうが二枚目だしぃ~」



夏目漱石なつめそうせきは実際にこんなこと言ったんですか」



「さあ……? 会ったことないし」



「……そうなんですか……?」



「『吾輩は猫である』とか有名になっていたのは小耳に挟んだけどね。当時はなかなか手が出せなかったし、いまもまだ読んだことないな~。戦後になってから近影を見たぐらい」



「スサノオさまは会ったことあるみたいだけどね。根津ねづで」



「ああ。なるほど」



 東京都千駄木せんだぎにある根津神社は、夏目漱石のほかに森鴎外もりおうがいなどの文豪たちが氏子うじこになっている。

 そこの祭神になっているのは、須佐之男命すさのおのみことを含めた三柱みはしらを総称した根津権現ねづごんげんだ。

 ……会っていても不思議ではないか。



 彩は月を見たあと、両腕を抱えて、大袈裟に震えた。

「あたしは好きになれないな。あー嫌だ嫌だ、おぞましい」



「やっぱり、月が嫌いなんですか」



「だいっきらい」

 龍の質問に対して、彩は大きく溜め息を吐く。それから神妙な面持ちになって呟いた。

「でも……月がなかったら、あたしはここにいなかったかも……」



 …………。

 ……。四。



 稲穂が家に帰ってきたとき、午後二時を回っていた。

 少し遅めの昼食を終え、昨日やり残した宿題の続きに取りかかる。

 空いた時間で、きょう起こった出来事を振り返り、まだこんがらがった記憶を整理することにした。

 もともと運動会は午前中だけの予定だったが、不審者の闖入ちんにゅうによって混乱した状況とはいえ、グラウンドから保健室までの行程を忘却するほどだったろうか。



 テレビでニュースを観ていると、夕方になって母が帰宅した。

 風除室に置かれた薪のことを訊かれたが、身に覚えがなかったため稲穂は、置いていったとしたらあの人なのではと思い、昼間に訪れていた客人のことを話した。

 話の途中で血相を変えた母は、戸棚や冷蔵庫を確認するように漁っていた。



 午後七時。夕食を済ませた稲穂は、母の分とまとめて皿洗いする。

 母はパソコンをコンセントに繋いで電源を入れ、スマホを一通り触ったあと充電器にセットした。

 最後の一枚を洗い終えた稲穂がタオルで両手を拭う中、母は顔をテレビへ向けたまま言いづらそうに口を開く。



「……そういえば、先生から電話があったけど……大変だったね」



 ぼうっとしていた記憶を手繰り寄せる。目と鼻の先を通っていった矢、逃げ惑う人々の恐怖に満ちた表情。

 下校する最中、何人もの制服警官とすれ違ったことを思い出す。

 少なからず厳戒態勢だったことは間違いない。



「大丈夫、稲穂?」



 そう訊ねてきた母のほうを向いたが、うまくピントが合わず顔を見れなかった。

 自分の目元に涙が溜まっていることに気づく。いまになって身体が震えてきたようだった。

 運動会で起こった不審者の闖入事件のことを話す。途中で終わらざるを得なくなったことと、保健室で寝込んでしまったらしいこと。

 彩と龍が話してくれた内容については触れなかったが、その話の流れで気になっていたことを訊いてみる。



「お母さん」

 手にしたタオルを元の位置へ戻し、母の隣まで行ってソファへ腰かけた。

両面宿儺りょうめんすくなって知ってる?」



「どうして? 急に」



 稲穂が思っていた反応とは違った。知らなかったら、まず「なに、それ」と言うはずだからである。

 テレビを注視する母の顔色から、心なしか血の気が引いていくように見えた。

 すると、立ち上がって父の書斎へ行ったと思ったら、すぐに分厚い本を抱えて戻ってくる。

 それはなにかの事典のようで、理路整然とした文章が並ぶ。かなり後ろのほうを開いて、母は一つの項目を指し示した。



 ら行のページの一部に、両面宿儺と書かれている。そこには日本書紀にほんしょきの内容を挙げ、次のことが書かれていると記されていた。巻第十一、仁徳天皇にんとくてんのう治世のことである。



 六十五年に、飛騨国ひだのくに一人ひとりのひと有り。宿儺すくなふ。為人ひととなりむくろひとつにしてふたつかほ有り。面おのおの相背あひそむけり。いただき合ひてうなじ無し。各手足有り。其れひざありてよほろくびす無し。力さはにしてかろし。左右に剣をきて、よつの手に並びに弓矢をつかふ。ここもつて、皇命みことしたがはず。人民おほみたから掠略かすみてたのしびとす。是に、和珥臣わにのおみおや難波根子武振熊なにはのねこたけふるくまつかはしてころさしむ。



 事典を読んでいる間、キッチンに立った母はマグカップにお湯を注ぎ、それをスプーンでかき混ぜる。

 稲穂のいるリビングまで、コーヒーの香りが漂ってきた。事典が難しすぎて、内容がほとんど入ってこない。

 仁徳天皇という名前を、社会の教科書でちらりと見たことがあって、それだけなんとなく知っている程度だ。

 リビングに帰ってきた母は、この文章を訳してくれる。



「……ひとつの胴体に対して顔がふたつ。お互いの顔が逆を向いていて、頭頂部はくっついて項もない。それぞれに手と足がある。膝はあるけどひかがみかかとはない。力が強く、身のこなしは軽く、すばしっこい。左右に帯刀し、四本の手には、それぞれ弓矢を持っていた」そこで区切ると、母はコーヒーをひとくちすする。「仁徳天皇が即位してから六十五年のときに、そういう怪物が岐阜県にいたから討伐したというお話ね」



 訊きたいことは山ほどあったが、なにから質問すればいいのかわからない。

 とりあえず、いちばん気になったのは、この言葉だった。



「ひかがみって、なに……?」



ひかがみ・・・・は膝の後ろにある窪みの部分。古語ではよほろ・・・。各々に手足があるって書かれているから、手と同様に足も四本あったとは思うけど、膝があるのに、この膕と踵がないってことは」ここからは想像だけど、と早苗は前置きした。「太腿ふとももから踵にかけての裏部分も、くっついていたってことじゃないかと思うのよ」



「くっついていた?」



「一見すると、普通に二本ある足に見えるけど、膝やつま先が両側についていて、どっち側の正面から見ても裏表のない足ってこと。……そう考えると、旋毛つむじから踵まで全てくっついていることになって、文章として不自然なところはないわね。真横から見れば、少し太くて異質なものに感じるかも、だけど」



 あれ? そんな足の形してたっけ。稲穂は首を傾げる。

 よく観察していたわけではないし、気がついたら保健室にいたわけだから、ほんの一瞬しか見ていなかったが、下敷きになっていたほうと、上に載っかっていたほうの足は、離れていたような気がした。



「……でも、急にどうして、そんなこと訊くの?」



「う、ううん」母の質問には答えず、稲穂は手を大きく振る。「なんでもない……」



「そう……」



 静かに呟いたあと、母はなにも訊いてこなかった。



 …………。

 ……。五。



 一通りの作業が終わり、グラウンドが元通りになる。倒れた大木も抉られた砂土も、すっかり事件前の姿に戻っていた。

 彩のそばには、一匹の狐がちょこんと座り込んでいる。

 昼間、普通の人間からは見えなくするために張っていた、目隠し用の注連縄も、いまは解かれているようだった。

 彩は湯呑ゆのみでお茶をすすりながら、隣りの狐に語りかけている。



「なにも、おかしなことはなかった?」



「はい。わたしが行ったときには、もう宿題を始めていましたよ」

 狐が報告すると、ふふ、と彩は微笑んだ。

市兵衛いちべえと交代して来ましたけど……あのひとりにしておくのは少々、心許こころもとない気が……」



「まあ、大丈夫でしょう。腐っても神使なら」

 そこで彩の会話が途切れると、白骨死体が横たわった地面に目を落とした龍のもとへ、誰かが近づいてくる気配を感じ取った。

 振り向こうとしたのと同時に、冷やされた金属の感触が、龍の頬へ押しつけられる。

「お疲れ~。もうひと頑張りだね」



「あ、ありがとうございます……」



 そこにいたのは、缶ジュースを手にした彩の姿だった。

 ドラマなどでも見かけるようなシチュエーションだが、もし相手が千歳オーバーの神様でなければ、さすがの龍も少しくらいはドギマギしたのだろうか。

 何味か判然としない缶ジュースに口をつけていると、彩も白骨死体を見渡して言った。



「ほら。あの琴・・・で成仏させてあげてよ」



「成仏って……神仏習合すぎません?」



「歴史的にみると、習合していた時代のほうが長いからね」

 彩は別の缶ジュースを取り出し、ぐびっと一口飲んでからつけ加える。

「ちなみに『ありがとう』も、語源は仏教だけど」



 龍が力を集中させると、六尺182cmほどある琴が空中に現れ、静かに地面へ下りていく。

 琴が出現したのと同時に、龍の指には爪がはまっていた。龍は右手を這わせ、その琴の弦をはじく。

 まるで木精や風神たちが聞き惚れているかのような、こずえの音ひとつしない静まり返った月夜で、その雅やかさに負けないほど優美な音色を奏でる。



南無なむ~」



「いいんですか、そんなの唱えて」



 綺麗な音をぶち壊すような、ガサツなお経が響いた。

 手を合わせて拝む彩に、龍は神様としての心配をする。



「あたしも半分仏教徒だから。茶枳尼天だきにてんだから」



稲荷神いなりのかみさまに比べたら、保食神さまは有名じゃないですけど」



 自慢げな顔で胸を反る彩に対し、龍が冷静なツッコミを入れる。

 均したばかりの土が、また抉れるんじゃないかと思うほど、彩は強く膝をついてこうべを垂れた。



「うっ……なにげに傷つくこと言うなぁ」



「……すみません」



 月光に照らされた二人分の肋骨や頭蓋骨、一人分の大腿骨など大きな骨たちが、燃やしたわけでもないのに白い煙が立ち昇り、みるみるうちに霧の如く消えていく。

 最後に、なぜかグラウンドから生えた稲を刈り取って、一切の証拠が残らないよう白骨があった地面も均した。

 それから彩は、残りの缶ジュースを、芝生の上へ円を描くようにかけ始める。潤いの与えられた土から、再び青々とした芝生が映えてきた。



 全てを終えた彩は「じゃあ、きょうはもう解散!」と晴れやかな表情で手を叩く。やっと終わったと思い、龍も深呼吸しながら天を仰いだ。

 彩が手渡してくれたジュースのおかげか、疲れはほとんど感じない。やはり特別な飲み物だったんだろうか、と手元の缶を見つめる。

 きょう一日で、いろんなことがあった。立ち去っていく彩と狐の後ろ姿を見つめながら、龍は昼間のことを思い出していた。



 …………。

 ……。六。



 午前十一時に差しかかる頃だったろうか。忽然こつぜんと降り出した雨は、ぱたりと今度は忽然と止んでしまった。

 その代わり、一気に夏本番さながらの気温となり、強烈な日差しが辺り一帯を満たしていく。

 注連縄の前で立ち尽くしていた龍は、まともに前方を見られないほど眩しく、校舎側へと視線を逸らした。

 そこで、人影が群がっている様子が見て取れた。



 校舎一階の廊下が俄かに騒がしくなり、制止しようとする担任の言うことも聞かずに、一年生たちは窓の周囲へと集まってくる。

 だが父兄や教師も含め、この光の正体がわからず困惑しているようだった。正直に言って、龍もこれがなんなのかわからない。

 ただ、原因が両面宿儺だとも思えないし、もちろん自然現象でもなさそうだ。



「なに? なに?」



「すごーい! 光ってる!」



「もしかして、宇宙人がきたとか!」



 呑気に騒ぎ立てる児童たちの声を聞きながら、龍はあるひとつの可能性に思い至る。

 保食神がこんな目立った行動をするとは思えない。消去法でいくと……



「まさか……」



 その人物の顔を思い浮かべるよりも先に、龍は光の中心へ向かって駆けだした。

 目当ての人物を見つけ次第ひと思いに斬ろうと、手の中で形成した剣を前方に構えたまま走り続ける。

 ある程度まで行ったところで背後を振り返ってみたが、白飛びしたかのように校舎が見えなくなっていた。

 前方に向き直っても、辺り一面の世界が白くなり、いまいる自分の場所もわからない。



 しかし闇雲に走っているわけではなく、周囲の気配を少しでも感じられるよう、五感をフルに研ぎ澄ませる。

 ほんのわずかに、赤い揺らめきを視認した。その赤い揺らめきを発しているなにか・・・に剣がぶつかる感覚があり、龍は刃を突き立ててそのまま静かに引く。

 強烈な光が収まりつつある中に、見知った少女の顔が浮かび上がってきた。



 脱力した稲穂が膝から崩れ落ち、咄嗟とっさに龍は、彼女の腰へ手を回して受け止める。

 気絶した少女は、完全に身体を預けているはずだったが、風女神しなとべのおかげかそれほど重さは感じなかった。

 周りの世界が色彩を取り戻してくると、地面や空の色が鮮やかな景色として龍の目に映る。

 その緑色に映えた芝生の中で、黄金に輝く稲の垂り穂が、点々と生えているのが見えた。



 なんだろうと注視していると、その稲の中から、むくりと誰かが起き上がる。遠目からだが、その人物が彩だとわかった。

 稲穂のことを抱きかかえる龍の姿を見て、起き上がったばかりの彩は睨みつけるように目を細くする。



「なにしてんの」



生太刀いくたちで気絶させました」



「気絶させて、なにする気?」



「いえ……あの……」



 龍が返答に口籠っていると、それについてどうでもよくなったのか、彩は身体の緊張を解くように伸びをした。

 脚に力の入らなくなった稲穂を、龍は慎重に芝生の上へと寝かせる。

 綺麗に肉だけを削がれた白骨死体へ目を向けると、別の質問を龍に投げかけた。



「倒したの?」



「いえ……たぶん……」



 息が荒く、苦しそうにうなっている足元の少女へと、龍は視線を送った。

 その視線の先に気がつき、彩は信じられないと言わんばかりに大きく目を開く。



「まさか……」だが彩はこの状況を見て、自分を無理やり納得させようと何度も頷いた。「そう……校長先生は?」



「はい。無事です」



「よかった、よかった」



 光が完全に収まると、この場所は校舎から丸見えだろう。足踏みしていた警察官たちがくるのも時間の問題だ。

 一刻も早く、ここから稲穂を連れて立ち去りたい。

 雨男と晴れ女がいるせいか、雨が降ることはなかったが、太陽の周りには再び雲が群がってくる。

 どんよりとした空模様のおかげで、いくらか暗いため気づかれにくいかもしれない。彩は両面宿儺りょうめんすくなの白骨へ目を向けた。



「これを、稲穂が……」



「はい。恐らく……」



「でも、どうして、いまになって……? 抑え込めてたはずなのに」



「抑え込めてた……? それって……」



「いや、なんでもない」龍の疑問には答えず、彩は首を振ったあと、誰かの名前を呼ぶ。「弥兵衛やへえ、目くらましをかけておきましょう」



 すると、どこからともなく二匹の狐が現れて、白骨や稲の周りをくるくると回り始めた。

 すぐさま二匹が回っていたその内側に、端のない円形の注連縄が宙へ浮かんだ状態で出現する。

 それに囲われた白骨や稲は、姿かたちが見えなくなった。龍は心の中で小首を傾げる。

 これが目くらまし? この要領で、裏口の注連縄も出したんだろうか。



「気絶してるなら、稲穂を担いで行かないと。さあ、早く。教室へ戻りましょう」

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