5月19日 花屋のあの子は
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5月19日
〇十年位前の懐かしい写真が出てきた。ゆうがさっそく写真立てに入れて、大事そうに飾っていた。
〇ゆうの行動力には困ったもので、
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「
私の部屋に入るや否や、ゆうが歓喜の声をあげた。
ぴょこぴょことまさに雀のように飛び跳ね、全身から喜びを溢れさせる彼女に、ベッドの側面に背をもたれまま顔を向ける。
「なに、そんなにはしゃいで」
ゆうが絨毯に膝を滑らせてにじり寄ってきた。
「見てください!お宝をいただきました!」
ゆうが両手に掲げている長方形のそれは、何かの写真のようだった。
それを受け取って、目を落とす。
そこには、幼き日の私の姿が写っていた。幼稚園の制服を着て、お店の前で撮った写真だった。私の横にもう一人、同じ制服を身にまとった女の子が並んで立っている。
「私じゃないのこれ。どうしたの」
「おじいさまがくれました。お店の棚の奥から出てきたそうです」
どうしてそんなところにこんな写真が……。
ゆうが私の持つ写真を横からのぞき込む。
「天使の笑顔ですねー、今やお姉ちゃんは女神様ですが……ちっちゃいお姉ちゃんもとてつもなくかわいいですね」
そう言って、えへへへ、と今にもよだれを垂らしそうな不審な笑いを漏らした。
ちらとゆうに目を向ける。変質者チックなことにあまり触れたくはないので、気にしないでそっとしておこう。
黙って再び写真に視線を落とした時、ゆうの人差し指が写真の一点をさした。
「ところで、この隣の女の子はもしかして穂村さんですか?面影ないですね」
「ううん、違うよ。そもそも穂村と知り合ったのは中学からだしね」
私の返答に、ゆうは少しの間をおいてから、「へー」と言って写真をじいっと凝視した。
そして、「ではこの人はどなたですか?」と私の服の袖をつまんで引っ張った。
「商店街の花屋さんの娘さんよ。ここの近所の年が近い子って彼女くらいだったから、昔はよく一緒にいたんだけどね。最近はもうめっきり顔も合わせなくなったな。私の一つ年下で、ゆうと同学年だよ」
ゆうはまた、同じ調子で「へー」と言って写真を凝視した。依然として私の服の袖をつまんだままで。
ゆうがパッと顔を上げて、今度は私の顔に視線を移した。
「私、お会いしたことがありません」
「まあ高校も違うみたいだし、かなり内気であんまり無駄に外を出歩かない子だからねえ。というか会いたいの?」
「だってだって、お姉ちゃんの幼い時分のお知り合いですよ、それは会わないわけにはいかないじゃないですか!」
うむ、理屈がさっぱりわからない。
「あわよくば、お姉ちゃんの過去を根掘り葉掘り……」
なるほど、そういう目論見か。
ひとりでそれはもう楽しそうに思案にふけるゆうを怪訝に眺めていると、彼女がはたと不思議そうに眉根を寄せた。
「でも、すぐ近くに住んでいるのは変わりないのに、どうして疎遠になってしまったんですか?」
「それは……」と考えてみるが、これまであまり気にしないようにしていたから、理由がすぐには思い当たらない。そんなことを考えていると、なんだかあの子に対して申し訳ない気分になってしまった。
「私って自分が思っている以上に薄情な人間なのかしら」
ため息をついて呟くと、ゆうが宙に視線を泳がせ、難しい顔をして口ごもった。
別に、自分の発言を否定してくれ、などというつもりは微塵もなかったが、こうもいまいち微妙な反応をされるとそれはそれで考え物だ。
すると突然、ゆうが顔を両手で覆った。
「私もお姉ちゃんと離れ離れになることがあったら、こういう風に忘れ去られてしまうのでしょうか」
と演技っぽく言った。
ゆうのその言葉を、乾いた笑いで一蹴する。
「仮に進学とかで仕方なく離れたとしても、きっとゆうが忘れさせてくれないでしょうよ。どうせ毎日毎時間毎分毎秒メールやら電話やら寄越してくるんだから」
「えへへ、それもそうですね。お姉ちゃんとの心的距離は常にゼロ距離を保つ所存です!心はいつでもハグしてます!」
ゆうが意気込んで、胸の前で両こぶしを握りしめる。
「わあ、鬱陶しい」と抑揚なく言うと、猫のように体をすり寄せて、私の肩に頬ずりをしてきた。
「というか、彼女のことも忘れたっていうわけじゃないからね。あんまり気に留めないようにしてただけで……たぶん私が小学の五年くらいからだったんじゃないかなあ、あの子がだんだんと私を避け始めたのよ」
以前花屋に寄った時に、店の奥の物陰からこっそりとこちらを見ていたあの子の姿を思い浮かべた。
「ふうん、それまではよく一緒にいたんですか?」
「あちらのお母さんからよろしくって頼まれてたからねえ、登下校も一緒にしてたし、よく面倒見てたよ」
「小学五年生ですか……」
ゆうが考え深げに呟いたかと思うと、おもむろに私の右腕をとって、彼女の両腕を絡めてきた。
「小学五年生のお姉ちゃんというと、私が初めて目にしてすっかり
そう言って身じろぎをして、私の腕をぎゅっと抱きしめた。
甘ったるい声でなんてことを口走るのか。
「ちなみにお名前は何というんですか?」
「ええと……
自分で確認するように頷くと、ゆうが目を細めて湿っぽい視線を向けてきた。ゆうにこんな目で見られたのは初めてかもしれない。
「お姉ちゃん、少し探り探りでしたね。ひどーい」
居た堪れなさに口をつぐむ。
ゆうの指先が、からかうように私の頬をつついてくる。
私が何も言い返せずにタジタジであるからか、ここぞとばかりに悪戯っぽい微笑がまとわりつく。
「もういいでしょう」
ゆうの手を払いのけ、腰を捻ってベッドに突っ伏した。
別に、ゆうの視線から逃れたいとか、そんな理由では決してない。
「私だって、疎遠になってきたなあって感じ始めたころは、避けられてることを少しくらい気にしてたし、小学生なりに寂しいって思わないこともなかったよ」
私自身、ただ愛想が良いだけで、主体的な人間関係は苦手なのだということくらい自覚している。苦手、というよりも、嫌いなのかもしれない。
そのくせ、周囲から向けられる厚かましい視線をも疎んじ、同時に悪くは思われたくないというのだから、救いようがない。
だから愛想だけはよくて……以下ループ、と。
この写真の時分の私は、良くも悪くも子どもらしく素直だった。いつからこうも捻くれてしまったのだろう。
顔を横に向けてゆうを見ると、ぷくっと頬を膨らませていた。
そして腕組みをして、私と目が合った途端に実にわざとらしくそっぽを向いた。
「だったら、お姉ちゃんの方から距離をつめたらよかったんじゃないんですか」
「ええ……このタイミングでヤキモチ?」
棘のある声音に困惑して言うと、ゆうは一変して口元をおさえてクスリと笑いをこぼした。
「冗談ですよ。やっておいたほうが良いかなあと思いまして」
「その義務感は謎だわ……」
ゆうが「えへへ」と顔をほころばせてから、人差し指をあごに置いて何か考えるそぶりを見せた。
「でも、お姉ちゃんの性格を考えると、お姉ちゃんから誰か特定の人に距離をつめるだなんて、想像もできないです」
「そうでしょう」
大きく頷いて同意する。
すると、ゆうは頬に右手をあてて、うっとりと瞼を閉じた。
「そんな困ったお姉ちゃんに、ずっとずっとずうっと見ていてもらえるよう、私はアタックを続けるのです」
穏やかに言うようで、まとったオーラが暑苦しい。
私が苦笑していると、ゆうが「あっ」と何かひらめいたという風な声を出した。
「私、なんとなく分かってしまった気がします」
「あら、本当に?」
「はい、立ち上がれ私、です!」
その言葉通りに、ゆうはすっくと立ちあがって、握りこぶしを高々とあげたのだった。
何やら張り切っている様子だが、空回らないことを祈るばかりである。
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