4月28日 いもうと(はとこ)がつよい
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4月28日
〇ゆうにシャープペンの芯をあげたのだが、手のひらサイズのチャック付きポリ袋に入れていた。保管です!と堂々と言われても、この子はちょっと……いろいろと大丈夫だろうか。
〇今日一日を通して、ずっとゆうのペースに飲み込まれていた気がする。近頃は気が緩んでいるように思うから、気を引き締めねば。
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三連休の中日。
店も休みで、私は例のごとく自室で読書をしてゆったりとした時間を過ごしていた。
彼女はというと、部屋の中央のローテーブルに学校の課題を広げて、せっせと手を動かしている。
当たり前のように私の部屋で宿題をする彼女に、もはや私も疑問を抱いているはずがなかった。
静かな空気に、紙とペン先が接触する音がこそばゆくて心地良い。
不意に、彼女の透き通った声が背中にかかった。
「お姉ちゃん、シャープペンの芯が切れちゃいました」
振り返ってみると、芯のケースを指先でつまんで、それをゆらゆらと揺らしていた。
「私のあげようか」
机上の端に置いてあった芯を彼女の方へ差し向ける。
彼女がさっと立ち上がって、トコトコと寄ってきた。
しかし、私の手に持たれたそれを見た彼女は、眉を下げて困ったという風な顔をした。
「私、2Bがいいんです……」
「あら、わがままだこと」
「でもせっかくなので、記念に一本もらっておきます」
そう言って、私の手からケースを取ると、芯を一本だけ取り出した。
ニコニコとしている彼女に、「使うの?」と訊いた。すると、
「もちろん使いませんよ、記念品ですからね」
と、当然だという調子で言った。
彼女の純真無垢な微笑を見つめながら、「意味が分からない」という言葉が出かかったが、
だって、それに対する彼女の返答は容易に想像できるし、きっとその返答を聞いても意味が分からないのだから。
「どうするの、買いに行く?」
発言をやめた言葉の代わりにそう訊くと、彼女は肩を上下に揺らして期待の眼差しを向けてきた。
「一緒に行ってくださるんですか?」
「いいよ、丁度消しゴム買いたいと思ってたから」
一瞬顔を輝かせた彼女だったが、すぐにきょとんと不思議そうな顔をした。
「ついこの間見たお姉ちゃんの消しゴム、まだ新しかったです。なくしたんですか?」
彼女の問いに、私はどうしようもなく
この彼女の澄んだ瞳は、きっとすでに本当のことを見抜いている。彼女はもともと聡明だが、何より私に関することには人一倍
なんてやっかいなのだろう。
もっと鈍感でありなさい。
「うん……なくした」
ごちゃごちゃと思考を巡らせながら口ごもり気味に言うと、彼女はすぐさま顔を寄せて問い詰めてきた。
「嘘ですよね?」
顔の近さに、いや、本意を容易に見抜かれていることに若干鼓動が速くなる。
こんなことをする必要性がどこにあるというのか。
なぜ私がこんなにも動揺して胸を締め付けられる思いをしなくてはならないのか。
「いや、予備が必要だと思って……」
「お姉ちゃん、目を逸らさないでください。正直に、私と一緒に行きたいって言えばいいんですよ」
彼女の優しい微笑みに、私は観念してため息をついた。
「もう、そうじゃなくて……一緒に行ったらゆうが喜ぶでしょう、だから。それだけだよ」
これが、まったくの本心だ。
彼女は「えへへ」と無邪気な笑みをこぼして頬を掻いた。
「ちょっと違いましたね。でもそれって私のためですもんね、すごく嬉しいです」
彼女はこう言うが、しかし私はちゃんと理解している。
彼女が私の本心そのままの言葉を、まさに私の口から聞きたいがために『私と一緒に行きたいって言えばいいんですよ』とあえて少し言葉をずらしたことを。
なんだか知らないが無性に悔しい。
おずおずと椅子から立ち上がった私に、彼女がぴったりと身を寄せてきた。
「お姉ちゃんは優しいですね」
と悪戯っぽい笑みを浮かべて囁いた。
腹部に添えられた彼女の右手が妙に熱を持っている錯覚がしたわけを、努めて考えようとはしなかった。
「あと少しでお姉ちゃんと旅行ですね」
隣を歩く彼女が私を見上げて嬉しそうに、何の脈略もなく声を弾ませた。
「あなたは旅行じゃなくて帰省でしょう」
「旅行みたいなものですよー。何より、お姉ちゃんと遠出できることが嬉しいです」
そう、ゴールデンウイークに合わせて、彼女は実家に帰ることになっている。
その帰省のついでに私もついていくことになったのだ。
彼女のわがままと、おじいさんの勧めと、彼女のご両親の要望と、それと私の希望もほんの少し。
これらが重なった結果だ。
商店街の文房具屋を目指して歩いていると、ちょうど外に出てきた呉服屋のご主人に引っかかった。
「おっ、
彼女が足を止めて、軽く頷くように、それでいてどこか優美さを感じるように会釈をした。
「こんにちは。先日はおじいさまが大変お世話になられたそうで、とても良くしていただいたとしきりにおっしゃっておりました。また機会があれば、と」
「おお、そうかい。あの人もその時に言ってくれればいいのになあ。わざわざありがとう」
彼女がお辞儀をするのに合わせて、私も軽く頭を下げた。
呉服屋さんはにっかりと笑って白い歯を見せ、片手をあげて私たちの歩いてきた方へ去っていった。
彼女が再び歩き出し、おもむろに私の手を取った。
そして幼い子どもがそうするように、ぐいと引っ張った。
「どうしたんですかお姉ちゃん、行きましょう」
「ゆうがいてくれてありがたいわ……」
彼女の小さな手の柔らかな感触を感じつつ、私はそんなことを呟いていた。
彼女が隣にいてくれることで、こうして声をかけられても私が無駄に取り繕うことが以前よりも少なくなった。
彼女と私の距離感が近いのも相まってか、彼女と一緒にいれば、周囲からの視線があたるのは私たちふたりがセットになる。そして、応対は彼女が進んでやってくれるのだから。
とはいえ、あくまでそういった事態が増えたというだけの話だ。
他者の視線と自身の心の置き所に気を重くすることは、さほど変わりはしない。
ただ先ほどのようなことがあった時に少しだけ、彼女の存在にありがたみを感じるのだ。
「もー、いっつもそれですね」
彼女が立ち止まって、私と正面から向き合った。
そして、何故かつま先立ちをした。
「私はお姉ちゃんのそのままが好きです。私と一緒の時くらい、あまり余計なことは考えなくてもいいんですよ」
何故か目線の高さを合わせようと必死に背伸びをする彼女の頭に手を乗せる。
たまにやる彼女のこの癖が、私は好きだ。
「いっつもそれだね。ありがとう」
自然と笑みがこぼれたのを自覚した。
満足そうにはにかむ彼女は本当に純真そのもので、それを羨ましいと思うと同時に、どうしようもなく愛おしく思えるのだった。
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