4月25日 何だこれは

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4月25日


〇穂村と一緒にいると、自分のことで気づかされることが多くある。こんな私にとってはありがたい存在だ。


〇バスを降りてからの帰り道、ゆうは珍しく普通に手をつないできた。なんだかソワソワしていたようで、私の方も落ち着かなかった。しかし夜にはすっかりいつもの甘えん坊で、やはりそっちの方が落ち着く。


〇改めて考えてみると、ゆうと出会ってから、私のこれはゆうに関する記述がほとんどになっていた。ゆうと一緒の生活が中心となっているから当然と言えば当然だが、恐るべし、ゆうの浸食率。


〇お姉ちゃんの心をもっと浸食したいです!♡

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 午後の授業、美術の時間。

 私と穂村はスケッチ対象のあてを探して校内をウロウロしていた。


「おっ、一年が体育やってら」


 体育館のそばを通った時、穂村が不意に歩みを止めて、開け放たれた横の出入り口から中を覗いた。

 ある一点を指さして、私を振り返った。


「ゆうちゃん見っけた」


 悪戯っぽく笑う穂村のそばに立って、私も中を覗いてみた。

 穏やかな微笑を浮かべて、たおやかにクラスメイトと二人組で準備運動をする彼女の姿は、すぐに目についた。体操着姿が新鮮だ。


「ほんと、ゆうちゃんから離れてこう見ると、いつもの子どもっぽさが全くもって感じられないよなあ」


 穂村が可笑しそうに笑って言った。

 クラスメイトと穏やかに交流する彼女は、初めて会った時に私に対してほんの数十秒程そうしてみせた、大人っぽい所作の彼女だった。


「私といるときもあれくらい落ち着いていてくれたらいいんだけど」


 すると、穂村はからかうような視線を私に向けてきた。


「そんなことちっとも思ってないくせに。そんな慈愛に満ちた顔で言われましてもって感じだな」

「うるさいな」


 穂村の腕を肘で軽く小突く。穂村はお返しとばかりに肩で強めにぶつかってきた。そして、


「よし、描きますか」


 と、穂村の中で決定事項だという調子で言った。

 宣言通り、入り口から少し入ったところに座り込むと、すでに画用紙と鉛筆を構えていた。

 穂村が私を見上げ、手招きをする。


「そんなジト目をしないでおくれ。ほら、突っ立ってないで、早く座りな」

「まったくもう、先生に許可もらってくるから」

「真面目だねえ」


 上履きを脱いで中に入ると、床の冷たさが足の裏に伝わった。

 

 生徒たちの準備運動を見守っていた先生に話をすると、快く許可をくれた。ただし、邪魔はしないように、と。当然のことだ。


 穂村のところに戻ろうとした時、ふと、彼女と目が合ってしまった。

 彼女は胸の前で両手を合わせ、目をキラキラと輝かせていた。嬉しそうに、そして落ち着きなく肩を上下に揺らし、それに合わせて彼女の艶やかな黒髪とリボンが躍る。

 まるでワクワクという擬態語が、彼女の背後に大きく可視化されているようだった。



 穂村の元へ戻ると、「お疲れさん、ありがとう」と言って画板と鉛筆を渡してくれた。


「ゆうのこと見ないつもりだったのに、いつの間にか目が合ってた」


 受け取りながら何気なくそんなことを漏らすと、穂村はアハハと笑い声をあげた。


「そりゃお前さん、無意識の意識が意識を負かしたんだな。しっかりしろよ」

「無意識の意識って……何を言ってるんだか」

「しかしあんた、相変わらず後輩からも注目の的ですな」


 私のことをチラチラと気にしている彼女をぼんやりと眺めつつ、穂村の言ったことが頭に入ってきたのは少し間を置いてからだった。


「何、注目されてた?」

「いやまあそうだけど、『うわ誰か来た』っていう注目じゃないぞ。今にも黄色い声が聞こえそうな注目だった」


 私が口を閉ざすと、穂村はまた可笑しそうに笑った。


「優菜さんよ、あんたの頭の中ゆうちゃんでいっぱいだろう?」


 思わぬことを指摘され、ついドキリとしてたじろいでしまった。ドキリとは何だと、重ねて考えた。

 彼女以外に意識を向けてみると、確かに、まだこちらを気にしている生徒もいくらかいるようだった。


「他人の目にうんざりしてるくせに自分がどう思われるかだけは気にしてるあんたのことを考えれば、ゆうちゃんにだけ気を取られて他人に意識が回らなくなるのは良いことかもね。ま、ゆうちゃんの目はまた別だろうけど」


 他人事のように言って愉快そうに笑う穂村を横目に、私はただ鉛筆を紙面に走らせた。

 別に動揺を隠そうとか、彼女から意識を逸らすためとかではない。授業の時間には限りがあるから、それだけだ。




「お姉ちゃん、さっきの授業の時、私に会いに来てくれたんですか?」

 

 放課後、昇降口で私を見るなり、彼女が子犬のように駆けてきて、満面の笑みですり寄ってきた。


「違います。穂村があそこで描くって勝手に決めたの」

「おー、穂村さんナイスです!」


 私の後ろにいた穂村に向けて、彼女が親指を立てた。穂村は腰に両手をあてて、偉そうに胸を張った。


「その通り、私を崇めなさい」

「調子に乗らないでください」

「まあしかし、ゆうちゃんがいなかったら優菜は別のところに行ってたかもな」

「そうなんですか?」


 彼女が嬉しそうに目を輝かせる。

 私は思わず「まさか」と言おうとしたが、あながち間違いでもない気がしてきて、そっと口をつぐんだ。


「優菜はもうすっかりゆうちゃんのことしか見えてないみたいでなあ、スケッチにも何故かゆうちゃんのこと描いていたんだよ。課題は風景画なのにね、可笑しいでしょ」

「だからあれはもう消したでしょう。それに別にゆうを描いたわけじゃ――」


 穂村の暴露に急いで言い訳をしようとすると、穂村がおもむろに手を伸ばして、彼女の髪に飾られたリボンをすくった。


「これ、わかりやすく描いてたじゃない」


 穂村の不敵な笑みに、言葉が喉の奥でつまった。私は静かに深呼吸をして、必死に冷静さを装った。

 ゆっくりと彼女に視線を移す。

 彼女は顔をうつむけて、しきりに目をしばたたいては長い睫毛をふるわせた。耳がほんのりと赤くなっていた。

 このタイミングでその反応をするのか……。


「……帰ろうか」


 他に何も台詞が思い浮かばず、声に出たのはそれだけだった。

 彼女は気恥ずかしそうに頷いて、「はい」と顔をほころばせた。


「おお……何だこれは何だこれは、何だこれは」


 穂村が困惑の色をみせて、しかしどこか面白そうに繰り返し呟いて後ずさった。

 まったく、何だこれはと言いたいのはこっちの方だ。


 今日の私はなんだか変だなあ、と、おぼろげなモヤっとした感情を覚えていた。彼女と肩を並べて歩きながら、ぼんやりと考えを巡らした帰り道だった。




 夜、自室でノートにシャープペンを走らせていると、背中に彼女がくっついてきた。

 絨毯の上に座った私の後ろからお腹に腕を回して、右肩にあごをちょこんと乗っけて。


「今日の日記は何を書いてるんですか?」

「秘密」

「読んでもいいですか?」

「別にいいよ」


 すると、彼女がふふっと笑いをこぼした。吐息が頬にかかってくすぐったかった。


「秘密じゃないんですね」

「まあ、見られて困ることは書いてないし」

 

 彼女が私の隣に移動して、前のめりになってノートに視線を落とした。

 すぐに、彼女が私を振り返って、にっこりと微笑んだ。


「なにか?」

「いえ、ちょっと待っててください」


 そう言って、彼女は素早く立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。

 帰ってきた彼女は手にボールペンを握っていた。

 再び私の隣に座り、ノートを引き寄せた。

 

「書いてもいいですか?」


 なぜわざわざボールペンを用意したのか不審に思ったが、私の顔を見て楽しそうに訊いてくる彼女に、私は少し迷いつつも頷いた。

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