4月21日 秘めない想いは熱烈に

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4月21日


〇ゆうの存在は、商店街に大分浸透してきているようだ。物腰柔らかなゆうのことだ、きっとどこに行ってもうまく溶け込めるのだろう。


〇古着屋さんにいただいたビワはすごく美味しかった。ただ、傷む前に消費しきれるかが少し心配なところではある。今度お礼に向かわなければ。

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 お使いから戻ってきた彼女は、彼女の両腕にすっぽり収まるほどの大きくも小さくもない段ボール箱を抱えていた。

 商店街の古着屋さんに頼まれていた商品を届けに行っただけなのに、どうしてお土産を連れて帰ってきたのか。

 

「お姉ちゃーん、開けてくださーい」


 店の入り口の前に立って、上半身を左右に揺らしながら彼女が大きな声を出した。

 すぐに開けてやると、彼女はにっこりと笑ってお礼を述べた。


「何これ、誰かにもらったの?」


 彼女から段ボール箱を受け取りつつ訊いた。箱はそんなに重くなかった。


「ビワだそうです、古着屋さんのおねーさんからいただきました。大量に余ってるから助けてって言ってました」


 彼女は答えながら、疲れたと言いたげに腕をブラブラと揺らした。彼女にとっては重たかったのだろうか。

 奥に運んでから床に置いて箱を開けると、確かにたくさんのビワが入っていた。つやのある明るいオレンジ色の果実が箱の底を覆い隠していた。

 

「こんなにたくさん」

「食べきれますかね?」

「まあ、ビワは傷みやすいけど、おじいさんが好きだし大丈夫じゃないかな」


 彼女が私のすぐ横にしゃがみこんで、人差し指の先でビワをくすぐるように撫でた。


「私、小学校の給食ぐらいでしか食べたことないかもしれません」

「あら、そうなの?」

「はい、果物自体、そんなに食べないですもん。りんごとかみかんとかだっていつ食べたかなーって考えちゃうくらいです」


 話しながらも、彼女の指先は依然としてビワの表面を弄ぶように動き続けていた。

 白く細い指、つやっぽい綺麗な爪。

 その指先の動きを見ていると、なんだか無性に背中がかゆくなってくる気がした。しかし、かゆみの場所は決して判然としないのだ。


「ビワの花ってどんなのか知ってますか?」


 彼女に問われて、私は思わずハッとした。

 私の意識は一体どこに行っていたのだろう。ちゃんとそこにあったはずなのに、私のもとから離れていた気がする。

 彼女の指には催眠をかける力でも備わっているのだろうか。


 彼女が私の顔を下から覗いて、「お姉ちゃん?」と声をかけてきた。


「どうしたんですか、ぼーっとして」

「いや別に、なんでもないよ。それで、ゆうのみかんが何だっけ」

 

 私のとんちんかんな発言に、彼女は可笑しそうに口元をおさえて笑いをこぼした。


「私のみかんって何ですか。もー、お姉ちゃん大丈夫ですか?」

「ごめんごめん、ちょっと考え事してた」

「それならいいですけど……ビワの花がどんなのか知ってますかってきいたんです」

「全然違うじゃん、ゆうのみかんって何さ」


 と少しお道化て掘り返してはみたものの、彼女の言葉自体はしっかりと聞き取れていたのだが。


 彼女は破顔して、おもむろに私に肩をくっつけて寄りかかってきた。

 笑って揺れる肩の動きが直接に伝わってくる。


「もう、お姉ちゃんが言ったんじゃないですか。お姉ちゃん変ですよ」


 そう言って、彼女は笑いながら、私をなじるように流し目で見てきた。


「ビワの花ね。白くて小さい花だよ。こう、いくつもの花が集まってるの、りんごの花よりも密集してる感じ」

「へー、そうなんですね。さすがお姉ちゃん、何でも知ってますね」

「そんなことないよ、知らないことは知らないもの」

 

 すると、彼女が小首をかしげ、「例えば?」と言って私の肩に頭を乗っけた。


「そうねえ……あっ、ビワの花言葉は知らないね」

「おー、じゃあ私が調べておきます」

「うん、よろしく」


 彼女の頭を無雑作に撫でると、目を瞑って甘えた子猫のような声を漏らした。





 皮をむいたビワの実を横に座る彼女の口元に運ぶと、そのままぱくりと食いついた。

 夕食後の居間でのことだ。

 

「おいしい?」


 尋ねると、彼女は咀嚼をしながらにこりとして頷いた。

 手に持った彼女がかじったばかりのビワは、果肉の間から茶色い種が顔を覗かせていた。

 彼女がかじった後のそれを私も口に含む。甘酸っぱい春の陽光のような柔らかい味が口の中に広がった。

 

「旬の果物は甘くて美味しいねえ。ところでゆう、花言葉は調べたの?」


 飲み込んでから訊くと、彼女はどこか得意げな顔をした。


「もちろんです。調べて私は驚きました。これはまさに私のことを指している、と」

「へえ、なに?」


 特段の反応も見せずにそう言うと、彼女は「むう」と不満そうに唇をとがらせた。


「もう少し興味を持ってくれてもいいじゃないですか」

「わー、ゆうのことってなんだろー気になるなー」


 私の棒読みに彼女は満足して微笑んで、話を続けた


「ビワの花言葉はですね、白い小さな花が見つけづらいことから、『内気』とか『静かな思い』、あとは『密かな告白』などなどあるみたいです」


 それを聞いて、私は半笑いで彼女に湿っぽい視線をくれた。


「ふーん、それが誰のことを指してるって?」

「私ですよ。私はお姉ちゃんへの静かな想いをいつでも胸に秘めているんです。そして密かにその想いをぶつけようとしているんです。知ってましたか?気づいてましたか?」


 餌を待つ子犬のような目をして、彼女が私の目を見つめてきた。


「知ってました。だって熱烈だもの。むき出しだもの。直球だもの」


 すると彼女は、ピタリと静止した。

 そんな彼女を横目に私は続ける。


「ゆうがビワだったらその花言葉はいい加減ってわけね、こんなに主張が強いのに、見つけるなっていう方が無理な話だよ」


 彼女が少し逡巡する様子をみせた。かと思うと、急に私の方にずいと詰め寄った。


「私、わかりやすいビワだったみたいです」

「なんなのそれは」


 彼女の発言に、思わず吹き出してしまった。

 何を言うかと思えば、わかりやすいビワとはこれ如何に。


「まあ、わかりやすくて見つけやすくて私としては助かるわ。はい、あーん」


 再び彼女の口元にビワの実を差し向けると、半ば反射的にぱくりと食いついた。


 そんな彼女のことを私がどのような眼差しで見つめていたのか。きっと言うには及ばないだろう。

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