5月4日 変わりかけの心の行先は

―――――――――――――――――――――

5月4日


〇ゆうと神社に行った。ゆうが階段でバテていて、少し心配になった。体力をつけさせねば。


〇帰った後、ゆうがしたり顔で、「好きな人とあそこの階段を登り切ったら両想いになれるって言われてるんですよ」なんてことを言っていた。ジンクスとか占いとか、そんなもの信じてはやらないが、それで前向きになれるのなら良いことなのだろう。

 

 そんなもの信じてやらないが。


〇ゆうの実家に来て、いろいろなことを聞けてよかった。おじいさんは一人で大丈夫だろうか。問いたださなければならないこともあるので、元気にしていてくれればいいが。

―――――――――――――――――――――



 目が覚めると、すぐ目の前に彼女の寝顔があった。いつもの光景だ。

 ただそれ以外はいつもと違っている。なぜなら、私たちは彼女の実家の彼女の部屋にいるから。

 ゴールデンウイークで彼女が帰省するということで、私もついてこさせられたのだった。


 彼女を寝かせたままリビングに入ると、彼女のお母さんが台所に立っていた。

 私に気が付くと、すぐに笑顔を向けてきた。


「優菜ちゃんおはよう。ぐっすり寝られた?」

「おはようございます。なんだかすごく安心して寝られました」

 

 それはたぶん、いつも通り彼女が隣にいたからなのだが、さすがにそんな恥ずかしいことは口に出しては言えないので黙っておく。


「あらそう、それは良かった。朝ご飯もうすぐできるから、少し待っててね」

「お手伝いします」

「いいのよ、いつも家事頑張ってるんでしょう、ゆうから聞いてるよ。たまにはゆっくりして、ね?」


 優しいながらも有無を言わさないその微笑みに、従わないわけにはいかなかった。

 なるほど、何度となく彼女にもこの空気を感じたことがあったが……。

 

 私は、「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて」と述べてから、そっと椅子に腰かけた。

 フライパンで何かが焼ける音を聞きながら、私はぼんやりと彼女のことについて逡巡し、迷いつつも口を開いた。


「あの、ひとつお聞きしてもいいでしょうか」

「うん、何か気になることでもあった?」

「ゆうは私のところへ越してくる以前から私のことを知っていたそうなのですが、それがどうしてなのかな、と」


 すると、お母さんは「ああ」と言ってクスリと笑いをこぼした。


「優菜ちゃんは何も聞いてないのね。それねえ、優菜ちゃんのお祖父さんが撮った優菜ちゃんのビデオをね、たまたま旦那の実家の方で見たのがはじまりなのよ」

「私のビデオ……」


 おじいさんめ、私のまったく知らないところで何てことをしているんだ。


「そうそう。優菜ちゃんの小学五年生の時のビデオだったんだけど、それを見たゆうったら、『私もこの子みたいになりたい』って優菜ちゃんに憧れちゃって。それが丁度、ゆうが小学五年生の時ね」

「ビデオってどんな……?」

「お店のお手伝いしてるところとかかな。うちの孫はこんなに成長してるんだぞって自慢したかったんじゃないかな」


 そんなもの撮られた覚えなんてないのに、いつの間に。

 まさか他にもばら撒いていないか、心配になってきた。


「それからね、そのビデオをもらってから、言葉通り毎日毎日飽きもせずに観てたの。中学生になって、『この人と同じ学校に通いたい』って言い始めたの。最初はドラマとか映画を観てる気分だったんだろうけどね、成長するにつれて優菜ちゃんのことを身近にいる人ととして意識し始めたのかもね」


 つまり、中学生の彼女が小学生の私の映像を鑑賞していた、と。

 その光景を想像すると、なんだか無性に全身がむず痒くなるような恥ずかしさに襲われた。

 しかし、そうか、彼女の言っていた、私のことを「ずっと見てました」という言葉はそういうことだったのか。


「あの子、妙に礼儀正しいし大人っぽい振る舞いをするでしょ?あれってね、画面の中の優菜ちゃんに影響されたからなのよ」


 お母さんが口元をおさえて、可笑しそうに笑う。

 と、その時、リビングのドアが開いて、顔をこれ以上ないほどに赤く染め上げた彼女が姿をみせた。


「お母さん、どうして話しちゃうの!」

「あらおはよう。いいじゃない、本当のことでしょ?」


 彼女は「そうだけど……」と弱弱しく呟いて目を伏せた。

 声をかけようと思った時、彼女がストンと落ちるようにしゃがみ込んで、両手で顔を覆った。

 ため息とともに、よく分からない高くて震えた声が漏れ出ていた。

 これは……彼女の羞恥の最終形態に違いない。よく分からないが。


 なんて適当なことを考えていると、彼女はそのままコトリと床に倒れこんだ。何とも言い難い変な声を出し続けて。


 少しして、彼女は指の隙間からちらと私を覗いてきた。そして、


「お姉ちゃんには内緒だったのにいいいいい」


 と、悶えながら吐露したのだった。


 



「別にいいじゃない、あれくらい。何がそんなに恥ずかしいの」


 階段をのぼりながら訊くと、彼女は唇を尖らせた。息を切らして、横の私を見上げた。


「だって、なんか恥ずかしいじゃないですか」

「だからどうして」

「私、ずっとずっとお姉ちゃんに憧れてたんです。かれこれ五年です」


 前方に右手のひらを広げて言った。

 彼女が大きく息をついて、足を止めた。膝に手をつき、上目遣いに私を見る。


「この階段、相変わらず長すぎですよ」

「あなたが神社に行きたいって言ったんでしょうが」


 異様に長い神社の階段の丁度中ほど。

 呆れながら手を差し伸べると、彼女は途端に顔を輝かせた。

 私の手、ではなく、例によって腕を掴んできた。


「えへへ、元気百万倍です」


 そう言って腕に頬ずりをした。

 幸せそうな彼女の頭を、「続き話してよ」と軽く小突く。

 彼女はハッと我に返り、話を再開した。


「それでですね、お姉ちゃんに憧れてた私の想いってずっと一方的で、私の中だけで完結してたわけです。なのに急にお姉ちゃんに知られたと思うと、なんかこう、もおおおおってなるんです。わかりませんか?」


 なぜかため息をつきたくなって、私は足をとめた。彼女も不思議そうな顔をしてピタリと立ち止まった。

 ため息をつく代わりに、もやもやと考えていたことを口にすることにした。


「あなたの見てた私って、お店で愛想よくしてた私でしょう。それの真似をして、あなたの外面もそんな風になったんでしょう。それなのに、仮面を外した私がこんなで、がっかりしなかった?」


 彼女が背伸びをして、ずいと顔を近づけてくる。

 

「私、どんなお姉ちゃんも大好きですよ!」

「それは知ってるけど」


 彼女の動きを制しながら言う。私の言葉に、彼女が身を引いて口元を手で隠した。


「知られてましたか」

「どうやって知るなって言うのよ」

「じゃあそれでいいじゃないですか」

「なんか腑に落ちないの」

「お姉ちゃんわがままです」

「どの口が言うか」


 彼女の頬をつまんで引っ張ると、指先が柔らかい感触に包まれた。


「お姉ちゃん何か勘違いしてますよ」


 頬を伸ばされたまま、彼女が口を開く。


「あのビデオ、もちろんお姉ちゃんの素敵な大人っぽく振る舞っているシーンがほとんどでしたけど、おじいさまと不愛想にやりとりしてるところとかもあったんですよ。お客様に容姿を褒められた後に、ムスーッとして何故かおじいさまを睨んだりとか」


 彼女が何かを慈しむように、ふふっと笑いをこぼした。

 思わず、無言のまま彼女の頬から手を放していた。

 彼女が頬をさすって続ける。


「私が憧れたのって、お姉ちゃんのそういうところなんです。自分を抑えて大人っぽく振る舞えるなんて素敵じゃないですか、かっこいいじゃないですか。それを知っていたから、私はお姉ちゃんに対しては自分らしく子どもっぽく甘えたがりでわがままでいるんです。でなければ私、お姉ちゃんに対してこうやって自分を出しません」


 どこからか吹いた風が、私と、ゆうを包んで抜けていった。

 目の前の彼女の微笑みを、どうして愛おしく思えないはずがあろうか。


 ゆうが小学生の頃からずっと憧れ続けて見つめていた私とはつまり、美人だとか小町だとか言われていた外見でも、笑顔の仮面を張り付けた人当たりの良い私でもなく、人に嫌われたくないからと隠し続けていた私だったのだ。

 

「ありがとう、ゆう」


 別に、我慢なんてしなくてもいいと思った。

 その瞬間、私はゆうに対して、おそらくこれまでで一番自然な笑顔を向けていたと思う。


 私を見つめるゆうが、大げさに嘆息を漏らした。

 

「お姉ちゃん、すごく綺麗です」


 ゆうの口から出たその言葉は、私を動揺させるのに十分すぎるほどの力を持っていた。

 何かに気が付いたゆうが、私の腕をより強く抱きしめた。


「お姉ちゃん、脈速くなってます」

「なってません」

「照れてますよね?ドキドキしてますよね?」


 ずいずいと迫ってくるゆうから顔を逸らすのに必死だった。

 今日ほど、ゆうを振りほどいて逃げ出したくなったことはなかったかもしれない。いや、間違いなくなかった。


「ほら、階段で危ないでしょ、さっさと上るよ」


 腕にしがみつくゆうを引っ張っぱりながら、私は湧き上がる何かを誤魔化そうと下唇を噛みしめていた。


 その後、長い階段を上りきった私たちは、一応神社にお参りをして、展望台からゆうの生まれ育った町を眺めた。

 腕にゆうのぬくもりを感じながら過ごす何気ない時間が、何よりも大切に思えたのだった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る