5月6日 孫の手、姉の手

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5月6日


〇ゴールデンウィーク最終日。平和?な一日だった。以上

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「孫の手って必要ですか?」


 唐突に、考え深げに顔を俯けたゆうが呟いた。

 彼女の目の前には、商品棚に置かれたごく普通の孫の手があった。


「どうしたの急に」

「ほら、背中が痒くたって自分で届くじゃないですか」


 そう言って、ゆうは自らの背中に手を回して実演して見せた。左手を上から、右手を下から伸ばして、確かに背中のどこにでも手が届いている。


「ご老人は関節が回らなくて届かないのよ、きっと」


 勘定場で頬杖をついてゆうを眺めつつ言う。

 すると、ゆうは目を丸くして納得の表情をした。ポンと手を打ち、「ああ」と何か思いついたという声を出した。


「だから“孫”の手、なんですね。なんとなくスッキリです」

「いや、そこまでは知らないけどね」


 人差し指を立てて、何やらゆうが神妙な顔をする。


「いえいえ。つまり、おじいちゃんおばあちゃんはお孫さんに背中を掻いてほしいという思いで孫の手を使っているわけです。この背中を掻いているものが、本当に孫の手だったらなあと」

「はあ、そうですか……」


 大体こういう流れになると、ゆうが話をどこに持っていきたいのかは決まっている。

 先に予想しておくと、きっと最終的に『お姉ちゃん、私の背中掻いてください!』と言ってくるに違いない。

 そこで私は返してやるのだ。孫の手を差し出して、『この“姉の手”で我慢なさい』と。

 完璧なシミュレーションである。


 頭の中でそんなしょうもないことを考えていると、ゆうがこちらへ小走りで近づいてきた。


「ではお姉ちゃん、もし私の背中が痒いときにはどうなると思いますか?」


 その質問に、思わず笑ってしまった。


「うん、届くんだから自分で掻けばいいんじゃないかな」

「そうなんです!」


 勢い込んで、ゆうが詰め寄ってきた。

 胸の前で両こぶしを握り締め、演技くさい悲哀を含んだ表情をした。潤んだ瞳で、椅子に座る私を見下ろた。


「届いちゃうんです。でもそれってちょっと寂しくないですか?」


 なんだかもう、面倒を通り越して、ゆうの話の持っていき方が面白く思えてきた。


「寂しいの?よくわからないけど」

「だって、私の目の前にはお姉ちゃんがいるんですもん。それなのにどうして自分でやらなくちゃいけないんですか。お姉ちゃんにしてもらったほうが幸せなのに」

「いや、それくらい自分でやりなさいよ」


 笑い交じりに言い返すと、ゆうが意味深に微笑んだ。

 次の瞬間、ゆうはくるり背中を向け、私の膝にちょこんと座ってきたのだった。


「お姉ちゃんのお膝の上ですねー」


 嬉しそうに声を弾ませ、私に背中を預けてもたれかかってきた。

 どうしてこうなったのか、私にはさっぱりわからない。

 もはやどうでもよくなって、膝の上に乗ったゆうの体のバランスをとるために、私は彼女のお腹に両腕を回して抱きかかえていた。

 

「お姉ちゃん、今世界中で一番幸せなのはきっと私ですよー」


 とろけるような間抜けな甘ったるい声で、ゆうがそんなことを言った。

 ゆうの両手が、私の手の甲に重ねられた。柔らかく滑らかな手のひらが、手の甲を優しく撫でる。


「やっぱり持つべきものはお姉ちゃんの手ですね」


 しまった、先に言われてしまった。

 まあ、そんなことは別にどうでもいいが。

 

 しかしあれだ、目の前にゆうの艶やかな黒髪があるわけだが、どうしてこうも顔をうずめたくなってしまうのだろうか。

 鼻孔をくすぐる甘い香りのせいだろうか。

 いつも髪を梳かしてやったりはしているが、ここまで目と鼻の先にあると感覚は変わるものなのか。


 まじまじと見つめていると、次第に視線が絡め取られて、これ以上引っ張られるとこの美しい髪に溺れてしまいそうな気さえした。


「お姉ちゃん、重たくないですか?」


 不意に、ゆうが首をまわして訊いてきた。


「全然。軽すぎて心配になるわ」


 少しドキリとしたが、平静を装いつつゆうの小さな身体を引き寄せて答えた。

 

「ゆうは身長いくつだっけ?」

「百と、ごじゅう……い、二センチです」

「百五十ね」

「二センチです」

「見栄を張らない」

「二センチです」

「はいはい」


 ゆうの手のひらが、ペチペチと私の手の甲を叩いてくる。抗議のつもりだろうか。


「でもでも、私とお姉ちゃんの身長差は丁度いいと評判なんですよ。身長が高くてスタイルの良いお姉ちゃんと、ちんまりした私で見栄えが良くてほっこりすると」

「どこでよ」

「商店街とか、学校とか、私とか……あと私とか」

「なにそれ」

 

 ゆうが身じろぎをして、背中をもぞもぞと動かした。


「お姉ちゃん、背中掻いてください」


 急に頼まれて、私は指先で軽く撫でるように背中をくすぐってやった。

 そう易々と言いなりになってやるものか。


 すると、ゆうはピクリと身体を震わせ、肩を跳ねあがらせた。

 頬を赤くして、また顔を後ろに向ける。


「掻いてって言ったのに、お姉ちゃんいじわるです」

「本当は微塵もかゆくないくせに。一瞬まんまと掻いちゃうところだったわ」


 むう、と残念そうに唸ったゆうだったが、すぐに口元がだらしなく緩んだ。


「今のもう一回してみてください。ちょっとクセになりそうです」


 頬を上気させて言うゆうに、湿っぽい視線をくれてやる。


「なんか気持ち悪いから嫌だ」

「ひどいっ」



 その後しばらく、ゆうは私の膝の上で「ねえねえ」と駄々をこねて背中を押し付けてきたのだった。

 なんて鬱陶しいのだと思いながらも、その鬱陶しさを楽しんでいる自分もいた。

 

 そんな、ゴールデンウィーク最後の休日だった。

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