5月10日 一つ傘の下
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5月10日
〇ゆうの
〇上がり
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「雨だ、大雨だ」
窓にもたれて、穂村が澄まし顔でため息をついた。何に浸ってるんだか。
「これはあれだな、迎えを呼ぼう」
一体どういった必要があるのか、明らかに私に向けてそう宣言し、ポケットからスマホを取り出した。そしてまた、ため息をついて外を見遣った。
「私は雨ってヤツが大嫌いなんだよ。こいつらときたら好き勝手に来たい時にだけやってきて、水をまき散らしやがったと思ったらすぐにどこかへ去っていく。こんな自分勝手なヤツらに私がご丁寧に構ってられるかってんだ」
穂村がちらと私に
「だから私は迎えを呼ぶ」
申し訳ないが、何を言いたいのかがさっぱり分からない。
だから私は口を閉ざしてだんまりを決め込む。
「それはそうと優菜。ゆうちゃんも一緒にうちの車に乗ってく?」
「いや私たちは――」
穂村の誘いを断ろうとしたとき、目の端で教室の入り口のほうからこちらに駆け寄ってくるゆうの姿をとらえた。
私のそばまでやってきたゆうは、穂村の前で大きく両手を広げた。
これはあれだ、きっとゆうの威嚇のポーズに違いない。
「おや、ゆうちゃんだ。そんなに慌ててどうしたの」
穂村に問われて、ゆうがちらと私を見た。
「いえ、大したことはありませんが……それはそうと穂村さん、せっかくですが、私とお姉ちゃんは歩いて帰るので乗せていただかなくて結構です」
ゆうに言われ、穂村が可笑しそうに笑いをこぼした。
「聞いてたのかよ」
「お姉ちゃんを迎えにきたらたまたまタイミングよく聞こえたんです」
「あら、わざわざごめんね。待たせちゃったね」
私が謝ると、ゆうは大急ぎで首と両手を横に振った。
「とんでもないです!お姉ちゃんと相合傘ができると思うと居ても立っても居られなくなっただけですからお気になさらず!」
「ゆう、ここ教室。とりあえず落ち着いて静かになさい」
ゆうの肩に手を置いてなだめると、ゆうはハッと我に返って途端に縮こまった。
放課後ではあるが、まだ教室に残っている生徒もいくらかいる。
それなのに教室全体に届くくらいの声量で大っぴらにあんなことを言うものだから、私もさすがに恥ずかしい。
穂村がお腹を抱えて、必死に笑いをこらえようとしている。
「ああ、確かにそうだな、ゆうちゃんにとっては大チャンスだったか。気が回らなくてごめんよ」
穂村がぷるぷると肩と声を震わせる。
いくらなんでも笑いすぎだ。何がそんなに可笑しいんだか。
「わかっていただければいいんです。それはそうとお姉ちゃん、私、傘を忘れてしまいました」
ゆうが私に顔を向けて、満面の笑みで悪びれもせずに言う。
彼女の発言に、頭の中に疑問符を浮かべないわけにはいかなかった。
「出がけに折り畳み傘を持たせたじゃない」
そう、午後から雨が降る可能性があるというので、私自ら折り畳み傘を間違いなく持たせたはずなのだ。
それなのに、何をとぼけたことを言ってるんだか。
と思ってみたはいいものの、ゆうならばこのために平気で傘を家においてきかねない。
「置いてきちゃいました」
案の定、そう言って「えへへ」と何故か照れ臭そうにした。
肩をすくめてかわいらしく振舞ったって、『まったくもう仕方ないなあ、おっちょこちょいなんだから』とはならないぞ。
「あなたねえ、私も今日は折り畳み傘なんだから、ふたりで入るには狭いでしょうが。はじめから言ってくれたら大きいやつ持ってきたのに」
呆れて言うと、穂村が声をあげて笑い出した。だから何がそんなに可笑しいのか。
「だってだって、『傘忘れちゃいました』『仕方ないから私のに入りなさい』って一連の流れをやりたいじゃないですかー」
「そうだそうだ、流れを無視するな」
依然お腹を抱えて笑いながら、穂村がゆうに同調した。
これは、私が間違っているのだろうか。いや、絶対にそんなはずはあるまい。
この二人の言うことをいちいち真面目に取り合っていたら正常な感覚がマヒしてしまう。
実に楽しそうに両手でハイタッチをする能天気な二人を見ていると、天気の悪さとはまったく関係なく頭の痛い思いがするのだった。
バスを降りてすぐ。
傘を打つ雨音に耳を傾けながらゆうに目をやると、気の抜けた幸せそうな顔をしていた。
私の視線に気が付いたのか、小首をかしげるような仕草で私の顔を見上げ、にこりと微笑んだ。
しかしすぐに、目をぱちくりとさせて私の持つ傘をしげしげと見つめた。
「お姉ちゃん、傘こっちに寄せすぎじゃないですか?肩濡れてませんか?」
「いいの、ゆうに濡れられるよりずっとマシだから」
前を向いてそっけなく答える。
すると、ゆうが私にぴったりと寄り添って、腰に両手を回してきた。
「こら、歩きにくいでしょうが」
「えー、こうやってくっついてたら雨にあたりませんよ。ほら、傘ももうちょっとそっちに」
私の手を握って、傘をこちらに押してくる。
「まったくもう、こけたりしないでよ」
呆れ気味に呟いて、反対側のゆうの肩に手をかけて軽く抱き寄せた。
ほっそりとした肩はじんわりと熱を持っていた。手のひらから伝わるゆうの体温は、雨の中でより一層彼女の存在を際立たせているようだった。
雨だって言うほど悪いものじゃない。
そんな月並みなことを思いながら、同じ傘の下でゆうと歩いた帰り道だった。
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