6月1日 小悪魔な乙女の対処法

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6月1日


〇今日から六月。日中の気温もだいぶ上がって暑さも増してきているというのに、ゆうとくれば隙あらばベタベタベタベタ。これからの季節を思うと、暑苦しさで参ってしまいそうだ。


〇ゆうにいじけられると肝を冷やされることがわかった。なんだかんだと言っても、ゆうにほだされる運命なのだなあ、などと実感してしまった。

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 台所に立って夕飯の支度をしているところへ、ゆうがやってきて背中に張り付いた。

 風呂上がりで火照ったゆうの小柄な身体が、じんわりと私の背中に溶け込んでくるように温かかった。


「お姉ちゃん髪の毛してください」


 甘ったるい声でそう言い、背中に額をぐりぐりと押し付けてくる。

 

「はいはい。すぐ行くから、洗面所に戻ってなさい」


 はあい、と返事をするが、ゆうは一向に私から身体を離そうとはしなかった。

 ふと、私は少しこの子を甘やかしすぎなのでは……、という考えが頭に浮かんだ。甘えてこられては、何だかんだと言いながらも結局はゆうに流されている気がする。

 しかし、ゆうはしっかりしていないというわけでもなく、むしろ高校一年生としては立派な立ち居振る舞いもできる。ではどういう時に甘えん坊でだらしないのかというと……。

 これはあれか、私の存在そのものがいけないのか。


 濡れた手をタオルで拭いて、ゆうに向き合う。

 ゆうの目を見据えると、きょとんとして見つめ返してきた。私はゆうの顔の前に人差し指をかざした。


「あなたは私に甘えすぎです。少しは自重なさい」

「イヤです」


 当たり前だと言わんばかりに、ほとんど無表情で即答した。

 そして、背伸びをしてずいと詰め寄ってきた。


「私が甘えなくなったら、お姉ちゃんは寂しくならないですか?」


 その問いかけに、私は一瞬回答に戸惑った。

 何をそう戸惑うことがあるものか。自分にそう言い聞かせて、口を開く。


「別に、むしろ気が休まるわ」


 居た堪れなさを感じつつそう言うと、ゆうはたちまちに目の淵に涙を滲ませた。つま先立ちで浮かせていたかかとをストンと落とし、顔をうつむけた。


「分かりました」


 か細い声で一言だけ言い置いて、居間の方へ駆けていった。

 あんなに悲しそうな声を聞いたのは初めてかもしれない。驚いたと同時に、どこか虚をつかれたように胸が痛んだ。

 

 ゆうは私に背中を向けて畳に正座をした。背中を丸めて、いつも小さい背中がより小さく儚く見えた。


「面倒なので、今日は髪の毛乾かしません」

「風邪ひいたらどうするの」

「風邪をひいたらお姉ちゃんが看病してくれるのでそれもいいですね」


 背中を向けたまま、ツンとした口調で言う。

 私はゆうにそっと歩み寄って、すぐ後ろに腰を下ろした。

 すると、それに気が付いたゆうが、頭を少し動かしてちらと私に目を向けた。


「ごめんね、嘘ついたわ。……その、少しは寂しく感じるかも」


 ためらいつつ言うと、ゆうは肩をすぼめて身じろぎをした。

 僅かに間をおいて、ゆうが畳に手をつき体の向きを変える。

 そうして向き合ったゆうは、満面に悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだった。

 それを目の当たりにした瞬間、してやられたと、頭を抱えたくなった。


 ゆうが緩んだ口元を手で押さえ、上目遣いに見つめてくる。


「ふふふ、分かってましたよ。『別に』って口にした時私から目を逸らして、その後言ったことをちょっと後悔してましたもんね。お姉ちゃんの表情の微妙な変化でも、私が見逃すわけありません。お姉ちゃんの口から本音を聞けて、私は今、最高に幸せです」

「でもあなた、本当に涙を浮かべてたじゃない」


 ゆうの額を指先でつついて、恥ずかしさを誤魔化すため、そして仕返しのつもりでからかうように言い返す。

 すると、ゆうは不満そうに唇を尖らせた。


「嘘だって分かってても、お姉ちゃんの口からあんなことを言われたら悲しいです」

「なに、乙女なの?」

「乙女です」


 ……なるほど。


「ほら、髪やってあげるから来なさい」

 

 そう言って立ち上がると、ゆうも腰を上げ、「はーい、お姉ちゃんに髪乾かしてもらうの好き」と言って腕に巻き付いてきた。


「ところでお姉ちゃん、さっきの間は何ですか?私はれっきとした恋する乙女なんですよ」

「恋する乙女にセクハラなんてされちゃ敵わないわ」

「えへへ、褒められちゃいましたね」

「いや、全然」


 本当に、別の意味でゆうには敵わないと、改めて思わされたのだった。



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