6月8日 いつもやってる愛の告白のようなアレ
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6月8日
〇ゆうに愛の告白、というか、プロポーズまがいのことを言われた。今この瞬間、「まがいではありません」などと横からやかましい声が耳元で発せられている。(追記:思えば愛の告白なんていつもされていることだった)
ゆうの私への感情は恋愛感情的なそれなのかと問うと、そうだと言う。「いまさら何を」と頬を膨らませる。
以前話してくれた“憧れ”と感情を間違えてはいないかと問うと、額を肩にぶつけて無言で否定してくる。
まあそれが分かったところでいつもと何か変わるわけもないのだが、少しは意識してその感情に向き合ってみようかと思う。
ゆうもそれで満足なようだ。
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勘定場に座ってノートパソコンの画面を睨んでいると、「いらっしゃいませ」というゆうの透き通った声が耳に届いた。
顔をあげて店の入り口を見遣る。二十歳かそこらの若い女性が、忍び足で恐る恐るといった具合に店内へ入ってきていた。
キョロキョロとせわしなく店内を見まわして、私と目が合うと、サッと目を伏せた。
「落ち着きがないように見えますけど、どうされたんでしょうね」
私のすぐ横に立って、ゆうが訝しげに囁く。
女性は黙したまま商品棚の前に立ち、体の前で組んだ両手をしきりに揉み合わせていた。
「はッ、まさかお姉ちゃん狙いですか、これはいけません」
息をつめて、ゆうが両腕を震わせた。
「ゆうじゃあるまいし、そんなわけないでしょうが。失礼なこと言わないの」
ゆうの腰を肘で軽く小突く。すると、当たり所が良かったと言うべきか悪かったと言うべきか、ゆうは何とも表しがたい甲高い声をあげた。
右手で左側のわき腹を、左手で口をおさえるゆうが、涙目で私を見おろした。
「ごめんね、くすぐったかった?」
「変な声出ちゃったじゃないですか、そういうことはふたりきりの時にしてください」
確かに今のは私が悪かったかもしれないが、ゆうにそれを言われるとどうにも腑に落ちない。
「ゆうはわき腹が弱かったのね、把握したわ」
そう言って横目でゆうを見ると、何を考えているのか真剣な顔のまま固まっていた。かと思うと、頬を赤らめてにやにやとし始めた。
間違いない、私に関してしょうもないことを妄想している時の表情だ。
「お姉ちゃんお姉ちゃん、私くすぐったいの苦手ですけど、お姉ちゃんに弱点を知られて先ほどみたいにされると思うと……」
そこで言葉を切り、瞳を爛々と輝かせて顔を近づけてくる。
「これ、一体どういう気持ちなのでしょうか、すっごくそわそわしますね!」
「しないで」
ひとこと言い放って額にデコピンを食らわせた。ゆうは額を両手で押さえて、「痛いのはイヤですー」とまた涙目で訴えた。
その時、女性が私たちのいる方へ歩み寄ってきた。
「あの……」と声を出した女性は、気恥ずかしそうに目を伏せてゆっくりと口を動かした。
「す、好きな人に贈る扇子って、どんなものがいいんでしょうか」
ほう、今時これはまた風流な。
「特に決まりはありませんよ。相手方のことを思って、それに合うものを選べばいいんです」
椅子から腰をあげ、商品棚の方へいく。ゆうも私の後についてきた。
「どのようなお方ですか?」
女性に問うと、宙の一点を見つめて頬を緩めた。
「凛々しくて、いつも私のことを引っ張ってくれて、でもときどきどこか抜けていて……とても優しくて頼りになる人です」
「素敵な方ですね」
ゆうがにこりと微笑んで、静かに言う。
私はポケットに入れていたカギを手に取って、ショーケースの扉を開けた。
そこからひとつの扇を取り出した。黒色の地紙の右端に、淡い赤色の小さな牡丹の花が描かれている。
女性に手渡すと、まじまじとそれを見つめた。
「あっ、なんかそれっぽいかも」
「牡丹は花びらが豊かですから、その人にとっての存在の大きさの象徴として贈られることもあります。お客様にとってはその方がそうですね」
すると、ゆうが感心したというような声を漏らした。。
「このお花って牡丹なんですね。立てば
「それは女性を例えた表現でしょうが」
呆れて言うと、女性は動揺を露わにして、顔を紅潮させた。
それを目にしたゆうが、パチパチとまばたきを繰り返してから、「ほら、なおさらピッタリじゃないですか!」と何故か私に向かって嬉しそうに言った。
「でも、どうしてお慕いする方への贈り物に扇なのです?」
私と女性の顔を見比べて、ゆうが純粋に不思議そうに訊いた。
女性が助けを求めるように私に一瞥をくれた。
「今でもたまにあるけど、昔は結納に扇を納めることも多かったのよ。平安時代に愛し合う男女が扇を贈り合って将来を約束した、っていうのがもともとで、その名残ね」
「へー、素敵ですね。私もお姉ちゃんに贈りたいです。もちろんお姉ちゃんからもくださいね」
そう言って、ゆうは女性の目を微塵も気にすることなく、私の腰に絡みついてきた。
そんな私たちを前に、女性が困惑の色を浮かべる。
本当に、お見苦しいところをお見せしてしまい申し訳ない。
「こらゆう、離れなさい」
ゆうを半ば乱暴に引き離して、女性に「すみません」と謝る。すると、首を横に振って、
「だ、大胆ですね」
とおかしそうに笑った。
「えへへ、失礼いたしました。妄想が膨らんでついつい気分が高揚してしまいました」
ゆうが照れ臭そうに笑みをこぼす。
女性が私とゆうをちらちらと交互にみる。言いにくそうに、ためらいつつ唇を僅かに動かした。
「あの……おふたりは姉妹ですよね?」
「そうです!」
「違います」
ゆうが満面の笑顔で即答して、私はそれを食い気味に否定した。
表面上は笑顔のままだが、明らかに不服そうなゆうの視線が、無言で私を責め立ててくる。
私が悪いのか?いや、私は本当のことを言ったまでなのだが……。
私とゆうの返答が違ったからか、女性が困ったように苦笑いで首をかしげた。
おもむろに、ゆうが私の手をとってぎゅっと握った。
「間違えました、確かに私たちは姉妹ではありません。本音を言えば生まれた時からの肉親でありたかったのですが……しかし、そんな神様からいただいた苦難も乗り越え、すでに将来を誓い合った仲なのです!」
「違います」
ゆうの手を振り払う。
ゆうががっくりと肩を落とし、悲しそうに眉をさげて瞳を潤ませた。
そんな顔をされたって、本当に違うのだから仕方ない。私の知ったことではない。
「私たちは
そこでつい口ごもってしまい、無理やりに言葉を絞り出す。
「なんかこう、特有の……特性というか、習性みたいなものですから、あまりお気になさらず」
「ひどいです、私の愛をそんな風に思っていたんですかお姉ちゃん!」
ゆうがずいずいと詰め寄ってきて、私の発言を糾弾しようとしてくる。
「はいはい落ち着いて、お客様の前だから」と言ってゆうをなだめていると、女性がクスリと笑いをこぼした。
「仲が良いんですね」
「はい、それはもう!」
ゆうが笑顔で答えて、三人の間に一瞬の沈黙が訪れた。
すぐに、ゆうが私を見て、顔をほころばせた。
「これは否定しませんでしたね」
「別に、本当のことだったら否定する必要ないでしょう」
努めてぶっきらぼうに言うと、ゆうは「そうですね」と嬉しそうに微笑んだ。
「あなた、お客の前ではああいうことはやめなさいっていつも言ってるでしょうが」
女性が店を後にして、私はゆうに小言を垂れていた。
ゆうが「えへへ」と頬を掻いた。
「誰かをお慕いするあの方の幸せそうな雰囲気に引っ張られて、我慢ができませんでした。お姉ちゃんがすぐそばにいたんですから尚更です」
「私が悪いみたいに言わないでちょうだい」
呆れてため息をつく。すると、ゆうはじっと目を凝らして、私の目の奥を覗き込むように真剣に見つめてきた。
厚みのない薄桃色の唇が、ゆっくりと動く。
「お姉ちゃん、冗談でもお道化るつもりでも何でもなく、私は真剣に、いつかお姉ちゃんと扇を贈り合いたいです」
その瞳には迷いなど一切なく、ゆうの
これにどのように返答するのが正解なのか、見当もつかない。
私は思わず、ゆうから視線を逸らした。
「そういうの、私には難しくて分からないわ」
ゆうが目を丸くして、次の瞬間には無邪気な笑みをこぼしていた。
からかうように、私の肩を指先でつついてくる。
「私としては、そのほうが安心かもですね」
「なにそれ」
ゆうが私の腕をとって、頬ずりをする。
「お姉ちゃんが私を愛してくれていることは知っています、ってことですよ」
腕にゆうの小さな顔が押し付けられる暑苦しい圧を感じつつ、この子は真っ直ぐすぎてたまに理解に苦しむ、などとぼんやりと考えていた。
まあ、その意味するところは置いておいて、ゆうの言ったことを否定はしないが。
頭の中でごちゃごちゃと思考を巡らせる私をよそに、ゆうは頬を緩めて、ひとり幸福に浸っていたのだった。
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