四、
「またね、咲希ちゃん」
玄関まで見送りに来た彼女に手を振り、御伽達は森野宅を後にした。塚本が去ったことで咲希も落ち着いたようなので、母親が帰宅するまで一人で留守番することになっても平気だろう。
一階にある大家の住居は、ちょうど森野の部屋の真下に位置する場所にあった。間取りも二階と殆ど変わりない。
居間に案内された二人は、早速事件について聴取することになった。
「ええ。大上という男が頻繁に森野さんの部屋に出入りしていたのは存じています」
アパートの大家、
「あまり大きな声では言えませんが、あの男、詐欺事件の犯人だというじゃないですか。ずっとおかしいと思っていたんですよ」
どうやら狩井は随分と口数が多いようだ。御伽達が聞かなくても必要なことをするすると話し出した。
「森野さんも被害者だっていうのに、ころっと騙されて。改心したなんて嘘に決まっているじゃないですか。ああいう人間なんかと関わると碌なことにならないと言ったんですけどね。聞く耳を持ちませんでした。女性には良い顔をしていたようですが、私の目は誤魔化せませんよ」
得意げに語る狩井は探偵にでもなったつもりでいるのか、やれ金の元手が怪しいだの、やれ人を信用させるのが詐欺の手口だの、
こうやって探偵気取りで捜査に首を突っ込みたがる人間を何度も見てきたであろう土屋は、慣れた様子で相手のマシンガントークを適当に聞き流しながら本題に触れる。
「それで、狩井さんは一昨日の晩はどちらに?」
「ここで映画を観てました。ほら、金曜日の晩にやってるやつ」
誰でも知っている番組だ。敢えて何を放送していたかは言及しなくて良いだろう。
「形式としてお訊きしますが、アリバイを証明出来る相手はいらっしゃいますか?」
「残念ながら……」
一人暮らしであればそれが当然でもあったので土屋も気にした様子はない。逆にアリバイがある方が不自然に思える場合もあった。
「上の階から物音が聴こえてきたりは?」
「さあ。映像に集中していたので」
狩井は首を傾げたが、思い出したように手を打った。
「ああ。でも、トイレに席を立った時、塚本くんの部屋の方からごそごそする音は聴こえてきたかな」
土屋が奇妙そうに片眉を上げる。
「彼はその日、研究室に泊まり込んだと証言していますが」
「では、勘違いですかね?」
自信がある訳ではないようだ。何となく口にした様子で、その証言に信憑性はない。だが、無視出来る内容でもなかった。
「後で確認してみましょう」
土屋がそう言うと、狩井は笑みを浮かべた。自分の証言が捜査の役に立つと思って喜んでいるようにも見える。アパートの住人のプライベートにも首を突っ込んでいるようであるし、詮索好きのお節介な大家というのがぴったりだ。軽く溜息を吐いた土屋が曖昧に微笑み返した。
大家への事情聴取を終え、帰庁のためにセダンに乗り込んだ御伽は、助手席でシートベルトを装着しながら告げた。
「警部。恐らく令状を用意しておいた方がいいっすよ」
「塚本か」
「ええ。まあ。部屋を調べれば凶器も出てくると思います」
御伽の返答に対し、どうにも納得がいかないようで土屋は眉を寄せて考え込んでいる。
「塚本が怪しいのは分かるんだが……」
「すっきりしませんか。金森さんなら譜面通りに受け取りそうっすが、やっぱ警部ともなれば気付くんすかね」
大きな欠伸をこぼした御伽はいつもの調子で金森を馬鹿する。嫌っている訳ではないのだが、つい彼に対して容赦のない言葉ばかりを向けてしまう。それは本人がいなくても変わらない。
「お前、その金森に対する当たりの強さは何なんだ?」
「別に当たってませんよ。ただ、金森さんってからかうと面白いんすよね。ベテラン刑事だって言って先輩ぶってる割りに、擦れてないっていうか、いちいち素直で」
つまり、気に入っているからこそ、彼の反応見たさにおちょくっているということだ。まるで好きな子を苛める男子小学生のような言い分だと御伽自身も思うが、掛け合いが楽しくてどうも止められない。口元に微かな笑みを浮かべる御伽に、土屋が呆れた眼差しを向けてきた。
「やり過ぎると嫌われるぞ」
「あー、まあ、気を付けます」
土屋の窘める声にも特に表情を変えず、御伽は肩を竦めながら答えた。真剣に捉えてはいないのがよく分かる態度だ。今のところ改めるつもりはない。土屋にもそれが分かったようで、困った子供を見るような表情をした。
「で、塚本さんの家を調べる時っすけど」
御伽が脇に逸れかけていた話を態とらしく元に戻した。
「ついでに探査器の準備もしとくべきでしょうね」
「盗聴器か」
土屋がハッとして声を上げる。森野の部屋で御伽が会話ではなくジェスチャーに留めた理由に気が付いたらしい。
「そういえば、我々が警察だと知っても驚かなかったな」
疚しいことがなかったとしても、通常であれば警察が目の前に来たらドキッとするものだ。公園にいた保護者達も御伽の警察手帳を見て視線を逸らしたが、塚本にはそういった様子がなかった。
「確かに塚本の態度は不自然なまでに普通だった」
「まあ、調べれば分かるんじゃないすか」
相変わらず何を考えているのか分からない顔をした御伽は、肯定も否定もせず、ただそれだけを口にした。
あくる日の朝、午前九時。令状を手配した土屋班は、塚本の部屋へ向かって家宅捜索を開始した。
昨日の聞き込みの後、土屋が金森と芝に大学まで行くよう指示を出し、塚本のアリバイの裏取りを命じた。すると、塚本が夜の九時頃に一度研究室から抜け出していたと明らかになったのである。
同じ研究室の学生が言うには、忘れ物を取りに帰ったという話らしい。つまり、塚本が主張したアリバイは崩れることになる。狩井が聴いたと証言した物音は塚本のもので間違いなさそうだ。
「警部。ありました」
芝がスタンガンを持ってやってくる。科捜研が調べた銘柄と同じものだ。恐らくは大上に使ったものだろう。
「そ、そんなの知りませんよ!」
塚本が困惑した様子で声を上げた。往生際の悪い相手に冷めた視線を向けた金森が何か言いかけたのを遮り、御伽が眠たげな目で塚本を見た。
「分かってます。それ、あなたのじゃないっすよね」
「え。は、はい。僕はこんなの知りません」
庇われたと気付いたらしい塚本は、期待の眼差しを御伽に向けながら急いで頷く。どういうことだと同僚達が睨む中で、彼女はビニール袋に入れた果物用ナイフを掲げた。微かにだが、刃には固まった血の痕が残っている。
「彼のはこっちっす」
それを目にした塚本が血相を変える。咄嗟に取り返そうと手を伸ばした彼からひらりと身を翻し、証拠の品を土屋に手渡した。
スタンガンは彼のものではないという御伽の言に戸惑った周囲も、取り出された決定的な凶器を目にして我に返る。これで塚本の犯行が証明されたも同然だ。
「殺害に使用した凶器は彼のものだが、スタンガンは違う。つまり、この事件には共犯者が――」
新たな事実に視線を鋭くした土屋に向かって、御伽は表情を変えることもなく淡々と付け加える。
「調べ終わったら生活衛生課に引き渡しといて下さい。恐らく彼、常習犯なんで」
「は?」
土屋から間抜けな声が漏れた。
「まあ、分析すればすぐに分かると思います。それ、猫の血っすよ」
その場が静まり返った。刑事達は自分が何をしているのか分からなくなったかのように立ち尽くしている。
「御伽?」
土屋が説明するようにと厳しい目を向けた。
班員の殆どから睨まれ、流石に分が悪いと思った様子の御伽は、軽く両手を挙げて降参のポーズを取り、ここで漸く自分の考えを口にした。
「咲希ちゃんの怯えた様子から塚本さんには何かあるとは思ってたんで、注意深く観察してたんす。そうしたら服に猫の毛がついていることに気付いて」
彼女の説明を聞き、土屋は昨日の聴取の後、森野の部屋で毛を拾っていた御伽の姿を思い出したようだ。彼が人間の毛髪だと思ったものは、猫の毛だった。
「アパートの近くに野良猫の姿は見えませんでしたし、調べたところ動物を飼育する許可は出してないみたいなんでペットという線はないと判断しました。それで、金森さんと張り込みしてた時に、この辺りで動物虐待が何件かあったって聞いたのを思い出してピンと来た訳っす」
そこまで説明されたら彼らにも理解出来たのだろう。土屋は疲れたように目頭を押さえ、芝は困った顔で汗を拭き取り、金森は盛大な青筋を立てた。
「御伽! 本当にお前、いい加減にしろよ! 刑事自ら捜査を混乱させてんじゃねぇぞ!」
「何言ってんすか。ここでちゃんと凶器の一つが見付かってんすから、無駄にはなってないっすよ」
御伽に言われて周囲もハッとしたようだ。確かにスタンガンが見付かっている。銘柄は警察が捜索していたものと同じだ。
「つまり……?」
金森が睨み付けるように塚本を振り返ったのを見て御伽が付け足す。
「あ、共犯という線はないと思います。動物を傷付けたのは日頃の憂さ晴らしと説明出来ますが、人を殺すなんて彼にはリスクが高過ぎる。一流の大学に通う彼が態々自分の経歴に傷を付けるようなことをするでしょうか。何より動機がありません」
それは土屋も考えていたことであるようだった。塚本を犯人とするにはどうにも違和感が残る。
凶器が出てきた際に土屋が共犯者の存在を疑ったのは、実行犯として塚本は何処か不釣り合いと感じたからだろう。協力関係にあったとしても手を下したのは別の人間だと考えたのだ。
「動機がないというのは?」
「いや。彼はどう見ても人間に興味ないでしょう。森野さんに片想いしていて深い仲の大上さんを憎んでいた、とかそういう感じでもないですし。さっきのは演技には思えません。スタンガンなんて初めて見たって感じでした」
御伽がちらっと向けた視線の先で、塚本が懸命に頷いていた。動物虐待については弁解を諦めているようだが、人殺しの罪まで被りたくないと思っているようで、必死な様子が窺える。
「それに、彼は右利きみたいっすから」
科捜研から届いた情報では、犯人は左利きの可能性が高いとのことだ。
もちろん敢えてそう見せるように犯人が細工している場合もあるので絶対とは言い切れないだろうが、塚本がそうであるとは御伽は考えていない。
「まあ、詳しいことは取調室で本人から語って貰いましょう」
ひとまず塚本を確保し、本庁へ連行しようとしたところで御伽が平坦な声で土屋を引き留めた。
「ついでに探査器使っていいすか」
「ああ、そうだったな」
事前に御伽が盗聴器の存在を示唆していたことを彼も思い出したようだ。
隣の部屋に向かい、森野の了承を得て探査を開始する。
探査機器は、起動して数分も経たないうちに信号を発した。更に、驚くことに反応があったのは一ヶ所ではない。下駄箱の底、洗面台の裏、居間のコンセントのカバーの内側、浴室の鏡の裏やトイレの貯水タンクの蓋など、至るところに取り付けられていた。いくつか小型カメラまで見付かった。
「大漁っすね」
「いくら何でもこれは異常だろう」
予想していたかのように平然とする御伽の隣で土屋は絶句していた。
次々と見付かる度に森野の顔が血の気を失ったように白くなる。ふらつく彼女に誰もが同情の眼差しを向けた。流石にここまで来ると狂気しか感じない。
「誰がこんな……」
全ての盗聴器やカメラを回収し終わった御伽はその呟きを聞いて肩を竦めた。
「こんなことが可能なのは、この部屋を自由に出入り出来る人間だけっす」
「考えられるのは、合鍵を持つ者だ。大上と、塚本、そして……」
土屋が挙げる人物の名を聞きながら、次に浮かぶ相手を察した森野は口元を覆った。そのまま力なく床にへたり込む。
「大家さん」
恐らく間違いないだろう。土屋の視線に気付いた御伽は頷いた。
「そもそも昨日挨拶した時からおかしいと思ってたんすよね」
御伽は盗聴器の存在を怪しんだ理由を述べた。
「彼は初対面だっていうのに我々が警察だと知ってました。警察が事情聴取に来ているという噂を聞いていたとしても顔までは判別出来ないはず」
「だが、狩井は俺達の顔を見て警察だと気付いた。盗聴器だけじゃなく盗撮もしていた彼は、一度カメラで見た御伽の顔を覚えていたのか」
「そういうことでしょうね」
取り外されたカメラの一つを指で弄りながら御伽は振り返る。
「で、このカメラ。録画もしているなら面白いものが映っているんじゃないすか?」
彼女の言いたいことに気付いたらしい土屋は急いで周囲の刑事達に指示を出した。
「狩井を確保しろ! 大家の部屋も徹底的に調べるぞ!」
「ですが、警部。令状が……」
令状なしに無理矢理家宅捜索に当たると後々訴えられて大問題に発展しかねない。警察だから何をしても許されるとはならないのだ。勢いを削がれた土屋は黙り込む。
「あ、心配いらないっすよ。よく見て下さい」
飄々とした顔をした御伽が入室前に塚本へ突き付けた令状を土屋の目の前に翳した。書類には対象者がこのアパートの名称で記されている。
つまり、住人全てが対象に含まれているということだ。もちろんそれは狩井も例外ではない。
「御伽、説明しろ」
「どうせ必要になると思って、手続きの際に少し手を加えさせて貰いました。盗聴器を探すのにも、許可がないと不便ですから。余計なことしました?」
「いや……」
書類に手を加えたことには不満もあるだろうが、最終的に確認しなかったのは土屋であるし、実際に彼女の機転で助けられている。これでは彼も強く叱れないだろう。
「今回は大目に見るが、次からは先に相談しろ」
「了解っす」
渋い顔で咎める土屋に、特に反省した様子もなく御伽はいつもの調子で答えた。
御伽達が令状を手に大家の下へ向かったちょうどその時、非常出口から逃げ出そうとする狩井を発見した。
刑事達が素早く動いたことで確保出来たが、少しでも向かうのが遅れていたら取り逃がした可能性はある。どうやら盗聴器やカメラが取り外されたことに気付き、身を晦まそうとしていたようだ。
「ご、誤解ですよ。私はただ裏の掃き掃除をしようと思っただけで」
「そうですか。これは失礼しました」
この期に及んで言い訳しようとする狩井に向けて土屋は微笑んだ。普段通りの柔和な表情であったが、有無を言わさない妙な迫力がある。狩井は腰が引けたように後退り、ごくりと喉を鳴らした。
「しかし、お訊きしたいことがあるので、少しお時間を頂きたいのですが」
「訊きたいこと、ですか」
「ええ。まずはご自宅を捜索させて頂ければと」
翳されたのは捜索差押許可令状だ。蒼褪めながらそれを凝視した狩井は、観念したように項垂れた。
室内を捜索すると、確かにカメラの受信器や盗聴器の集音機器がクローゼットの奥に隠されていた。森野の部屋を覗き見ていた犯人は狩井で間違いなさそうだ。
盗聴器やカメラを購入するだけでは罪に問われないが、実際に他人の家に仕掛ければ住居不法侵入となる。大家だという理由は通用しない。更に盗撮行為はいくつかの法律や条例に触れる。
何より、森野の家には咲希という幼い女の子もいる。未成年の少女も被害に遭っていたと明らかになった状況で、罪状が増えることがあっても罪が軽くなることはないだろう。
「機材は全て押収しろ。大上殺害の手掛かりが映っている可能性もある」
土屋の指示に従って刑事達が段ボールに機材を詰め込み始める。御伽はその集団からふらりと外れ、寝室にあったノートパソコンを開いた。
起動したままスリープ状態にしていたようで、画面はすぐに立ち上がった。インターネットのブラウザを開き、履歴を閲覧する。
一週間前に通販サイトを見ていた履歴を発見し、URLをクリックすれば、様々な銘柄のスタンガンの写真がずらりと並ぶページに飛んだ。
「ビンゴ」
更に狩井はこの二日の間にサバイバルナイフを出品している。買い手はついているようだが、恐らくまだ受け渡しはしていない。この部屋の何処かに仕舞われているはずだ。
証拠はこれで十分だろう。しかし、御伽はブラウザを閉じようとして何かに気付き、履歴の一つを開いた。
――あなたに最高のハッピーエンドを。
童話をモチーフにしたゴシック調の背景に、ポップな文字が浮かんでいる。悩み相談室のような、管理人と一対一で対話するサイトのようだ。
――物語はあなたの手でいくらでも変わります。諦めず幸せを掴み取りましょう。
怪しげな占い師か宗教家が口にしそうな謳い文句が記されていた。この手のサイトは特に珍しくもない。
中央にメールボックスが設置され、これまでに利用した相談者がその下の掲示板でコメントしている。随分と好評のようである。サクラでないのなら大変な人気といえるだろう。
利用者を見てみると、女性だけでなく男性も存在していた。けれど、狩井がこのサイトを利用していたと考えるのはどうにも不自然さが拭えない。
御伽は画面をスクロールして管理人のプロフィールを見る。羽根ペンで何かを書くような女性のシルエットを描いたイラストの下に、こう書いてあった。
――
画面を睨み付けるような険しい表情を浮かべた御伽は、懐から取り出したスマートフォンで画面を撮影した。
「御伽?」
後ろから掛けられた声に慌てることもなく、彼女は何事もなかったかのようにスマートフォンを仕舞う。そして先ほどの通販サイトのページに戻すと、それを土屋の前に掲げた。
「警部。これを見て貰えます?」
「これは――」
「押収するものは他にもありそうっすね」
これで単なるストーカーとはいえなくなった。御伽の意見に同意した土屋が直ちに指示を追加する。他に証拠品がないか徹底して探すのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます