砕け散った魔法の鏡

「世界で一番美しいのは、あなたの娘の方です」

一、

 九月八日。相変わらずの蒸し暑さと、うんざりするような陽の照り返しが日本列島を躊躇していた。

 ひと雨降れば涼しくなりそうだが、また豪雨に翻弄されるのも勘弁したい。ゼロか百かの極端な気象変化に、適応するのもやっとであった。そんな厳しい夏の洗礼を受け、御伽は朝から疲労感を漂わせながら出勤した。

 警視庁へ到着したのは、午前八時九分。冷房の効いた執務室に辿り着いてホッと息を吐いたのも束の間、一休みする暇もなく、早速もたらされた通報によって出動を余儀なくされる。

 他の刑事達に倣って車に乗り込んだものの、既にぐったりしている彼女に、運転席に座った金森が呆れた顔をした。

「若いのに体力ねぇな」

「冬生まれなんで暑さに弱いんすよ」

 果たしてそれが実際に暑さへの耐性に関係あるかどうかはともかく、御伽は空調の整った場所で過ごすことの多い現代っ子だ。連日の暑さに参っているのは嘘ではない。

 通報があったのは都内でも人気の高い結婚式場だった。大きな門の向こうには、童話に出てきそうな西洋風の宮殿が構え、正面には大きな噴水と、手入れの行き届いた薔薇の庭園が見える。

 遺体は教会の裏手で発見された、とのことだ。朝の点検のために見回っていた管理人が見つけ、通報したらしい。鑑識官が現場検証を行う間、邪魔にならない場所で御伽達はまず、第一発見者に話を聞くことになった。

 事情聴取のために呼ばれた管理人は、白髪が目立つ、初老の男性だった。芝と同年代くらいだろう。ひょろりとした身体を更に縮ませて、挙動不審に視線を巡らせる様子は、この状況に随分と精神的に参っていることを窺わせた。

「その、何というか、いつも通り式場の見回りをしていただけなんです。まさか死体が見つかるなんて。しかも、あんな……。知り合いかどうかも確認出来ませんでした。すみません。じっと見られるものでもなかったので」

「心中お察しします」

 蒼褪めた管理人に向かって金森が同情的な視線を向ける。現在は鑑識官が検証しているところなので、まだ遺体の確認は取れていないが、相当惨い状態だという。

「見回りの際に不審な人物を見かけたりは?」

「いいえ。式場の予約がない限り、この時間はコンサルタントの方も滅多に来られませんし、門の戸締りもきちんとしてありましたので、誰かが侵入したなんてことも……」

 とはいえ、実際に何者かが侵入しているからこそ、敷地内で遺体が発見された訳である。管理人もそれに気付いたようで口籠った。

「出入口となるのは正門だけですか?」

「いえ。管理人用が裏に一つだけあります。ですが、どちらにしても鍵がなければ入れません」

「鍵を持っていらっしゃるのはあなただけですか?」

「はい。あ、いいえ。この式場を所有しているコンサルティング会社にならスペアキーがあるはずです」

 金森はメモを取りながら頷いた。

「因みに、会社の名前をお伺い出来ますか?」

「スノーホワイトチャペルです」

 社名を耳にした御伽は顔を上げ、険しい表情を浮かべた。

 スノーホワイト。つまりは白雪姫だ。どうやら今回の事件も久遠のシナリオが関係しているらしい。



 検証を終え、証拠品の回収を済ませた鑑識が現場を離れると、御伽達は漸く屋外にある遺体の確認に入った。

 教会の裏に回ったところに、ブルーシートを被せた遺体が置かれていた。手袋を装着し、両手を合わせて黙祷した御伽はシートを剥がして中を確認する。

「うわ」

 共に覗き込んだ金森が思わずといった様子で声を漏らした。それも仕方のないことだろう。シートの中から現れたのは、丸焦げになった焼死体だったのだ。顔も判別出来ないくらい無惨な状態になっている。

「周囲に火元はありませんね。煙が上がればすぐに通報されるでしょうし、別の場所から遺体を運んできたみたいっす」

 遺体の悲愴さに怯んだ金森とは異なり、御伽は平然と辺りを確認しながら推理していた。それを見て負けた気分になったのか、咳払いをした金森も屈み込んで遺体を観察する。

「地面に焦げた痕もない。と来れば、そう考える方が妥当だろうな」

「あと、焼け残っている衣類からいって女性で間違いない――」

 急に黙り込んだ御伽に「どうした?」と金森が訝しむ。すると、彼女は遺体の足元を指差した。

「この靴、ちょっと変じゃないっすか?」

「あ? 変って、何が変なんだ?」

 戸惑う彼を振り返らず、御伽は遺体の靴を脱がそうと手を伸ばした。けれど、しっかりと張り付いているようでピクリともしない。今度は指の関節でコンコンと叩く。

「これ、たぶん鉄で出来てます」

「は?」

「調べて貰ったら分かるんじゃないっすかね」

 そう言った御伽は睨み付けるように遺体の足元を見据えた。形容しがたい苦いものが胸に広がる。

「このご遺体、相当惨い殺され方をしているかも知れません」

「それってどういう――」

「御伽」

 会話の途中で名を呼ばれた御伽は振り返った。立っていたのは土屋だ。険しい表情を浮かべ、自分の下へ来るように示している。すぐに立ち上がった御伽はそれに従った。

「今回もそうか?」

「ええ。予想では“白雪姫”に因んだシナリオを用意しているはずっす」

 神妙に頷いた土屋は、そっと御伽の顔色を窺い見た。

「黒幕の目途は立っているんだよな?」

「十分なほどに」

「尻尾を掴めるのか?」

 御伽は微かに口角を上げ、挑戦的に笑った。

「もちろん。やられたままというのは性に合わないんで、ここできっちり決着をつけさせて貰いますよ」



 遺体は身元不明のまま警視庁へ運ばれ、身元の特定を待つことになった。とはいえ、結果が出るまでの間、何もしないという訳にはいかない。土屋の指示を受けた御伽と金森は、聞き込みのためにスノーホワイトチャペル社へ向かった。

 その道中、御伽が口コミを調べたところ、ブライダルコンサルタントとして若い世代に人気を誇る会社であるようで、来年末まで予約が埋まっていることが分かった。

 責任者と話すのも困難な状態で、漸く取り次いで貰えたのは三十分以上も待たされた後だった。苛ついて貧乏ゆすりを始める金森の隣で、涼しい顔でパンフレットを読んでいた御伽は相変わらずのマイペース具合である。

 午前十時。応接室に通されると、年若い男性が笑顔で迎え入れた。鼻筋の通った男前だ。この会社の社長らしい。彼は潮見しおみ優大ゆうだいと名乗り、名刺を差し出した。手首には上等なブランド物の腕時計がついている。

「今朝の事件について、ですよね。管理人から連絡がありました。そのことで我が社も朝からバタついていまして、対応が遅くなって申し訳ありません」

 彼は真摯な態度で謝罪し、頭を下げた。これには機嫌を損ねていた金森も慌てる。

「あ、いえ、お気になさらず」

 式場で遺体が発見されたとなると、あまり縁起の良い話ではない。噂が出回って予約のキャンセルが殺到する前に、自分達の方で可能な限り手を打とうとしていたのだろう。

「お仕事ですから仕方ありません。こちらも承知してます」

「ありがとうございます」

 御伽の言葉に潮見も安堵したような笑みを浮かべる。

「ブライダルコンサルタントとしては、この件はかなりの打撃でしょう」

「それはもう。これでうちの評判まで落ちるようなことになれば、目も当てられない。噂が出回る前に、敷地を売ってしまおうかとも思っているんです」

 彼は溜息混じりに答えた。

「敷地を?」

「大袈裟と思われるかも知れませんが、こういう商売なので、縁起ものには気を遣うんです。死体が出た式場で結婚したいなんて考えるカップルは稀でしょうから」

 中にはそういう曰く付き物件を好む者もいるだろうが、大抵の人間は事故物件と聞けば避けようとする。そうなると、商売としては非常に厳しい状況だ。

 これだけ立派な式場ともなれば、維持費もバカにならない。無駄なものをいつまでも所有しておくのは、経営者として利口とはいえなかった。

「この事件で何か知っていることはありませんか? 会社の評判を落とそうとする人間に心当たりなどあればお聞かせ下さい」

 金森の問いに少し考えるような仕草をした潮見は、すぐに首を振った。

「ライバル社といえる存在はそれなりにありますが、嫌がらせをするにしてもこんな悪質な方法は取らないでしょう」

「個人的に恨みを買っている相手などは?」

「特に思い当たることはありません。ここ最近で誰かと口論になった覚えもないですし」

 無難な答えであるが、そこに嘘はないようだ。

「式場に入るには鍵が必要とのことですが、普段はどのように管理されているんですか?」

「担当のコンサルタントが随時ロッカーから取り出すようにしています」

「関係者以外も手に出来るのでしょうか?」

「いえ。ロッカーを開けるにはパスワードが必要ですし、使用者は必ず記録に残すように指示しています」

 潮見はデスクからタブレット端末を持ってきて、使用記録のデータを開いた。

「これです。昨日は担当の三島が午後五時に返却してから、今日まで使用された形跡はありません」

「そうみたいっすね。鍵はこれ以外に予備はありますか?」

「非常時のために僕が所持しているものが一つだけ。これなんですが……」

 彼が懐からキーチェーンに付けた鍵を取り出して見せる。

「普段から肌身離さず持っていらっしゃるんすか?」

「ええ。何かあった時に対処出来るように」

 感情の読めない御伽の姿に不安になったのか、潮見が居心地悪そうに身動ぎする。

「あ、あの、まさか僕を疑ったりしてませんよね? 会社の評判を自ら落とすなんて、いくら何でもあり得ないでしょう?」

「もちろんです。こいつが変なのはいつものことなんで、気にしないで下さい」

 ぎこちない笑みを浮かべた金森が咄嗟にフォローする。二人のやり取りを特に気にかけることもなく、御伽は淡々と告げた。

「ありがとうございます。取り敢えず今日のところはこれで失礼します。もし何か気付いたことがあれば、ご連絡下さい」

 軽く頭を下げた御伽は、退出の挨拶をして部屋を出た。呆気に取られていた金森も慌てて立ち上がって後に続いたようだ。彼女を追いかけてくるのが足音で分かる。

「御伽。お前、いい加減に――」

 後ろから駆けてきた金森が傍まで追い付いたところで、御伽が徐おもむろに振り返った。

「金森さん。これから少し付き合って貰えますか」

「は?」

 目を丸くする彼にお構いなく、言いたいことを告げた御伽は再び歩き出す。突拍子もない御伽に彼も随分と慣れたのだろう。人遣いが荒いことに文句を垂れながらも、金森は拒否することなく後に続いた。



 御伽が示した目的地は、街中にあるブライダルショップだった。外から見えるウィンドウには色取り取りのウェディングドレスが飾られている。女性であれば思わず視線を奪われるような華やかさがあった。

 看板には『スノーホワイトチャペル』の文字。先ほどのブライダルコンサルタント会社の支店であるようだ。

「取り敢えずこっちの話に合わせて下さい」

「あ? 何を――」

 意味を理解しかねた様子で訊き返す金森を放置し、御伽は店の自動ドアを潜る。

「いらっしゃいませ」

 中に入ると、女性店員がにこやかに挨拶してきた。

「当店にお越し頂き、ありがとうございます。本日はどのようなご用件でしょうか?」

 咄嗟に警察手帳を見せようとした金森を遮り、さり気なく彼に腕を絡めた御伽は作り笑顔を向ける。

「先日、婚約が決まったんで、式場の見学をしたくて。婚約者は仕事で忙しいみたいだから、まずは父を連れて来ました。ある程度のことは絞っておこうかと思って」

 驚いて振り返る金森が何か言い出す前に足を踏みつければ、声を詰まらせた彼は無言で彼女を睨み付けてきた。だが、御伽は意に介してもおらず、視線を向けることすらない。

「それはおめでとうございます。お客様のお力になれるよう、精一杯務めさせて頂きます。お席までご案内いたしますので、こちらへどうぞ。お父様も是非」

 案内されたテーブルに腰掛けた御伽は、困惑する金森を他所に、店員から差し出されたパンフレットを手に取って眺める。

「ご予算については決めていらっしゃいますか?」

「二人で合わせて三百は出せると思います。プラスアルファで父が貸してくれるみたいなんで、少しならオーバーしても平気かな」

「それでしたらこちらのプランがお得になっています」

 示されたプランに目を落としながら、御伽は何気ない様子で口にする。

「この近くに式場がありましたよね。お城みたいな外観の。知り合いに聞いたら、ここの会社でなら使えるって。あそこで式を挙げたいんすけど」

 店員の笑顔が一瞬凍った。けれど、すぐに営業用の微笑みに戻ると、残念そうに断りを入れる。

「申し訳ありません。あの式場は近日取り壊されることが決まっているんです」

「取り壊す?」

「はい。外装はそうでもないのですが、見えない場所で老朽化が進んでいたようで、安全のためにも取り壊されることになったんです」

「修繕ではなく?」

「問題があるのは建物の骨組み部分らしく、修復してもすぐに劣化してしまうだろうと言われて、取り壊しに踏み切ることにしたそうです」

「そうっすか」

 御伽は取り繕うのをやめて考え込む。急に変わった彼女の雰囲気に、店員が目を瞬かせていた。

「取り壊す話っていつ頃から決まっていたんすか?」

「先月の終わりには既に」

 質問に答えた店員は奇妙そうな視線を彼女に向ける。

「それが何か?」

「いや、勿体ないなって思って。綺麗な式場だったんで」

「確かにそうですね。先代の社長が息子さんの誕生を祝って建てられたものなんですよ。息子さん……現在の社長なんですが、自分の結婚式もあの式場で挙げたようで、思い出の場所として有名なんです」

 店員の説明に「ふーん」と気のない返事をした御伽は、それから特に質問を繰り返すようなことはなく、無難にプランの説明を聞くだけに留めた。

「ありがとうございました。またのお越しをお待ちしております」

 数分後、深く礼をする店員に見送られ、二人は店を出た。詳しいことは婚約者と一緒に決めると言って保留にしたのだが、こういうことは一日で纏まる話ではないので、店員も不審に思った様子はなかった。

 背後で自動ドアが閉まったことが分かると、金森がすかさず御伽の襟首を掴んで表情を凄ませた。

「どういうことか説明しろ」

「まあ、それは車で話します。ここで立ち止まっていても迷惑なんで、行きましょう」

 通行人が御伽達をちらっと見ながら大回りして通っていく様子に、金森は何も言えないようで、ぐっと詰まった。



 駐車してある車に乗り込んだ金森は、早速とばかりに御伽の行動の真意を追及した。

「それで、なんでわざわざ客のふりをして店に入ったんだ?」

「潮見さんの態度、ちょっと引っ掛かったんすよね。用意がいいっていうか」

 御伽は店から持ち帰ったパンフレットを捲りながら告げる。

「用意がいい?」

「遺体が出たから敷地の売却を考えるってのは分かるんすけど、当日にいきなりそんな結論に至りますかね。思い切りがいいっていうより……」

「最初からその予定だった、と考えた訳か」

「まあ、ただの勘だったんすけどね。さっきの店員の話を聞いた感じだと、読みは当たっていたみたいっす」

 先月の末には建物を取り壊す話が出ていたらしい。取って付けた理由のようにも考えられるが、御伽は店員の言葉に嘘はないと見ていた。

「事前に取り壊される予定だったというなら、土地売却も計画の中にあった可能性はあるな。潮見の証言が怪しくなってきたか」

 御伽の推理に納得したらしい金森は、厳しい顔で考え込む。

「まあ、何にしてもご遺体の身元が分かるまでは手詰まりでしょうね」

「今後は遺体ホトケ次第ってことだな。あの女性が潮見と繋がりがあると判明したなら話は早いんだろうが」

 そう上手く運ばないと考えているのだろう。何処となく投げやり染みた金森の呟きに、御伽は肩を竦めることで答えた。

「それにしても、お前でもそういうのに興味あるんだな」

 本庁へ戻るために車を発進させようとした金森は、ふと動きを止め、隣で御伽が読んでいるパンフレットに視線を落とす。そこには、色鮮やかなウェディングドレスを美しく着こなしたモデルが載っていた。本社での待ち時間にも読んでいたものだ。

 金森の声音は明らかなからかいを含んでいたが、御伽は動揺することもなく平然と頷いた。

「一応、これでも女なんで」

 可愛いげのない反応に金森は詰まらなさそうな顔をする。

「どれだけ眺めたって、お前みたいな奴に貰い手なんてつかねぇだろ」

「金森さん。それ、セクハラっすよ」

 冷静な御伽の容赦ない返しに言葉を詰まらせた金森は、次の瞬間には重たい溜息を吐き出す。

 そういうところが生意気なのだと指摘したいのだろうが、実行すれば更に鋭い切り返しがもたらされると理解しているようだ。彼は反論するのを諦めた様子で、黙ってアクセルを踏んだ。

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