二、

 本庁へ戻った御伽は、次の指示が出るまで待機する傍ら、保管庫に出向いていた。この一ヶ月に起きた複数の資料を引っ張り出して見ている彼女に、様子を見に来た金森が怪訝とした顔をする。

「おい、過去の資料なんて見て何してんだ?」

「個人的に気になることがあるんで調べてるんす。あ、もちろん警部には許可を貰ってるんで」

 適当に返事をすると、眉を寄せた彼が御伽の読んでいた報告書のファイルを無理矢理閉じる。

「ちょっと。何するんすか」

 むっとして視線を上げる彼女の正面にドカッと腰掛け、金森が鋭く睨み付けてきた。

「お前、いつまで黙っておくつもりなんだ」

「何がっすか」

「気付かねぇと思ってんのか。前からこそこそ調べ回ってたのは知ってんだよ。最近は警部とも頻繁にやり取りしてるようだし。俺には分からねぇと思ってんなら――」

「金森さん」

 溜息を吐いた御伽は黒々とした感情の読めない目で彼を見据えた。

「別に金森さんをバカにしているつもりはありませんし、警察官として尊敬もしてます」

「お、おう」

 御伽が口にするには意外な言葉だったのだろう。金森が明らかに怯んだ。生意気な態度からずっと下に見られていると感じていたのなら尚更かも知れない。

「いちいち反応するんでからかうと面白いし、ぶっちゃけ可愛いオッサンだと思ってます」

「か、かわ……」

 淡々と告げる御伽に反して、声を裏返した金森は分かりやすく顔を赤くした。若い女性から直球でそんなことを言われるのに慣れておらず、照れているらしい。挙動不審に視線を彷徨わせている。

「でも、今は集中したいんで席を外して貰えますか」

 邪魔をするなと言外に告げる。流石に反論しかけた金森であったが、御伽の冷めた眼差しに気付いて口を噤んだ。

 ここで粘っても回答が得られるとは思えないと察したようで、彼はそれ以上の追及を止めた。とはいえ、納得したかどうかは別問題であるようだ。

「後で絶対に吐かせるからな」

 捨て台詞を残して去っていく金森の背を見送りながら、御伽は面倒臭そうに息を吐き、頬杖をついた。

「答えないとしつこそう」

 機密の面からも、あまり広めたくないのが御伽の感情ではあったが、下手に黙っていて探られるようになれば、そこから情報が漏れる可能性もある。後々のことを考えると、打ち明けておいた方が煩わされる確率も減るはずだ。御伽は仕方なさそうに肩を竦めた。



 翌日、午前九時二十五分。科捜研からMRI画像分析によって人相の復元することに成功したとの報せが入った。監察医からもDNAと歯の治療痕を基に分析した結果が送られてきており、どちらの分析結果も一致していることから、遺体の身元が特定された。

白取しらとり鏡子きょうこ、四十三歳。大手コスメブランド会社の『ミラークイーン』を経営する社長だ」

「先月、別件で関わった月島君枝さんのご友人っすね」

 事情聴取の際にも本人の口から友人であることを聞いていた。偶然として切り捨てられない繋がりに御伽は眉を寄せる。久遠によるというやつだろう。

「月島君枝にも事情聴取をした方がいいな」

「それなんすけど、生憎と彼女は現在海外ニューヨークにいるみたいっす。視力と足の自由を失った娘達に最新医療を受けさせるつもりで渡米したようで」

 素早くスマートフォンで情報を仕入れた御伽が土屋に画面を見せながら報告した。SNSを通して彼女の近況が伝えられている。

「医者には回復は絶望的と言われたらしいっすが、アメリカならまだ希望もあると思ったんじゃないっすかね」

 あれから傷心に浸っているかと思いきや、せめて娘達の未来だけでも救う術を探して、日本とアメリカとを忙しく駆け回っているようだ。女であろうとしたがために夫を失うことになってしまったのだし、今度こそは母親として娘達に尽くす心積もりなのかも知れない。

「ここ二、三日はアメリカにいたってことか」

 SNSに記された日付を見て土屋が僅かに唸る。事情を聞こうにも、彼女自身がここ数日間の白取の状況を知らない可能性があった。日本からニューヨークまで半日はかかるため、呼び寄せて話を聞くのも簡単ではない。電話を介しての聞き取りになりそうだ。

「というか、君枝さんよりも気になるのはこっちっす」

 御伽が配られた紙をひらひらと振る。写真と大まかなプロフィールが記されたそこには見覚えのある名前が記されていた。

「これによると、潮見さんは義理の息子ってことになります」

 継子の結婚相手のようだ。雪奈ゆきなという名の娘が潮見の下へ嫁いでいる。

「偶然ではないっすね。この雪奈さんに話を聞いてみましょう」

「残念だが、御伽。それが難しいんだ」

 土屋が首を振った。何とも言えない困った表情を浮かべている。

「娘の雪奈さんは二月前から植物状態で寝たきりらしい。遺体の確認を取って貰おうと思って自宅に連絡したんだが、秘書を名乗る堀田ほったという男がそう断ってきてな」

「秘書?」

「白取鏡子に長年仕えているそうだ」

 暫し考え込んだ御伽は、軽く視線だけで土屋を見た。

「その堀田さんには話を聞けるんすよね?」

「もちろんだ。さっき遺体の身元確認をした後、理事に報告する必要があるからと一度戻ったが、聴取の時間は空けてくれるようだ。これから金森と共に向かってくれ」

 土屋の指示に御伽は了解を告げ、金森と揃って執務室を後にした。



 午前十時。車を走らせて辿り着いたのは、ミラークイーンの本社ビルだった。建ち並ぶ高層ビルの中でも一際立派で、近代的な外観をしている。何処かしら月島グループのビルに似通った雰囲気があった。

 正面入口を抜け、受付に声を掛けると、間もなく奥に通された。案内されたのは最上階にある応接室だ。ガラス張りの壁には、日本庭園を埋め込んだような中庭が用意されている。時折鹿威しの音が響き、一瞬ビルの中にいることを忘れさせた。

 御伽達を迎えたのは五十代くらいの平凡な容姿をした男であった。堀田慎哉しんやと名乗り、型通りに名刺を渡してくる。秘書というより用務員のおじさんの方が似合いそうな外見ではあるが、こうして社長秘書を勤めるのだ。それなりに腕は立つのだろう。

「まずは白取さんの件についてお伺いします」

 挨拶もそこそこに、御伽達は事件について話を進めた。

「彼女を最後に見たのはいつ頃でしょう?」

「確か午後七時だったと思います。先日は取引先との打ち合わせが長引いてしまったので。社員も何人か残っていましたし、社長はいつも皆に挨拶をしてから退社されますので、顔を見ている者は多いはずです」

 彼は記憶を辿るように宙を見ながら答えた。

「白取さんが遺体で発見されてから身元が判明するまで時間がありましたが、行方が分からないと気付いたのはいつ頃になりますか?」

「翌朝、出社してからです。渋滞に嵌まった可能性も考えましたが、この付近でそういった情報は流れていませんでしたし、生真面目な社長が何も連絡をしないのはおかしいと思い……」

「捜索願いを出されていませんよね? 何故です?」

 金森が鋭く指摘するが、堀田は顔色を変えることなく答えを用意した。

「社長が行方不明なんてことがマスコミに知られたらとんでもない騒ぎになりますから。社員を不安にさせる訳にもいきませんでしたし、私の方で心当たりを捜索していました」

 御伽と金森は視線を軽く合わせる。堀田の返答に矛盾はないようだった。

 地位のある人間は僅かな失態でも槍玉にあげられて批難される傾向にある。万が一、個人的な理由で連絡が取れないだけだった場合、周囲を騒がせた分だけ手酷いしっぺ返しを食らいかねない。

「確認のためにお伺いしますが、事件当日の晩はどちらにいらっしゃいました?」

 金森の質問に、堀田は困ったように眉を下げた。

「自宅で休んでいました」

「それを証明出来る方はいらっしゃいますか?」

「いえ。何分なにぶん、私は一人暮らしなもので」

 堀田は少し不安そうに左手首を掴みながら擦り出す。上等なスーツには似つかわしくない、草臥くたびれた年代物の腕時計が鈍い光を放っていた。御伽はその様子をじっと見つめる。

「ところで、娘の雪奈さんについてもお話を聞かせて頂けますか?」

「ええ。私に分かる範囲で良ければ」

 問い掛けに了承を示した堀田であったが、雪奈の名前を聞いた途端、顔が一瞬だけ強張ったのを御伽は見逃さなかった。

「雪奈さんは社長の旦那様の連れ子でした。たいそう可愛らしいお嬢さんで、子役としてCM出演をしたこともあります。将来は女優かモデルかと社長も楽しみにされていました」

 両親にはさぞ自慢の娘であったろう。ところが、堀田は苦い顔を浮かべる。

「しかし、中学校に進学した矢先のことです。出演するCMで楽曲を起用したことが切っ掛けでしょう。雪奈さんは、あるバンドグループと交流を持つようになりました。彼らは表向き華やかで人気が高いのですが、業界ではあまり良い噂のない方々でした。雪奈さんも彼らに影響されたのか、頻繁に無断外泊をするようになってしまったんです」

 雲行きが怪しくなってきたことに御伽は片眉を上げる。予想していた以上にドラマティックな過去があるらしい。

「社長も実の母でないことを理由に強くは叱れず、周囲に働き掛けて雪奈さんの目を覚まさせようとしたのですが、それがかえって雪奈さんに反抗心を抱かせたようで、ますます頑なになってしまわれました。そして、気付いた時には薬物にまで手を出していて――」

 堀田は暗い声で語ると、深い溜息を吐いた。

「その頃には旦那様も亡くなっておられたので相談も出来ず、社長は悩んだ末に、雪奈さんを更生施設へ入れることにしました。性質たちの悪い友人達から物理的に引き離す目的もあったのだと思います。けれど、このことが決定打となり、社長と雪奈さんの関係に大きな亀裂が出来てしまいました」

 白取の方は何度も修復を試みたようだが、雪奈は頑なに彼女を許そうとしなかったそうだ。

「施設を出て高校に進学してからも、雪奈さんは殆ど家に寄り付かず、友人の家を渡り歩いて生活していたようです。社長は自ら接触するのを諦め、探偵に依頼して雪奈さんの動向を報告して貰っていました。彼女を泊めてくれた友人の家にも出向き、迷惑を掛けたことをご家族に謝罪され、その都度つど、生活費を支払っていました」

 まさに非行少女と、それに振り回される母親である。親の心子知らずとはよくいったものだが、これほどに苦労しながら子供に見向きもされない親というのも珍しい。会話がないことでのすれ違いによるところが大きいのだろう。

「雪奈さんがビルから飛び降り自殺を図ったのは、そんな時でした。一向に回復しない社長との関係に、彼女も内心では追い詰められていたのかも知れません」

「寝たきりになったのはそれが原因で?」

 御伽の問いに堀田は辛そうに顔を歪めて頷いた。

「植込みがクッションになったお蔭で一命は取り留めましたが、脳への負担が大き過ぎたようで、今も意識は戻らないままです。結局社長と和解することも出来ず……」

 悔やむように唇を噛み締めた堀田に、御伽が冷静に問い掛ける。

「失礼ですが、雪奈さんはご結婚されていますよね。自殺を図る前に潮見さんにご相談とかされていなかったんでしょうか?」

 その問い掛けを耳にした途端、堀田は険しい顔をして御伽を睨み付けた。

「あんな男、雪奈さんの夫でも何でもありません」

 思いもしなかった反応に、流石の御伽も目を丸くした。

「どういうことっすか? 現にお二人は結婚されていますよね?」

 彼女も書類で確認した程度であるが、白取のプロフィールには潮見と雪奈に婚姻関係があると記されていた。役所を通して得た情報であるだろうから間違いとはいえないはずだ。

「確かに書類上は婚姻関係にあります。友人を証人に立てて届を出したようで、夫婦となっていたのを知って社長も驚かれていました。ですが、その結婚に雪奈さん自身の合意があったかどうかは怪しいところです」

「というと?」

 金森も訝しみ、詳しい話を聞こうと身を乗り出した。

「婚姻届が提出されたのは、雪奈さんが飛び降りた当日だからです」

 堀田が手の甲に爪を立てながら言った。これには御伽の表情も険しくなる。

「つまり、お二人の結婚は潮見さんの独断で、雪奈さんの飛び降りも彼に仕掛けられた可能性があると仰りたいんすね?」

「はい。そうでなければ、あの雪奈さんがあんな男と結婚するなんておかしいですから」

 苦々しく語る堀田を観察していた御伽は、徐にスマートフォンを取り出した。

「運ばれてからの雪奈さんの状態を一度確認したいので、入院先の病院を窺っていいすか?」

「彼女は話せませんが」

「分かっています。担当医から経過を窺いたいだけなので」

「それでしたら……」

 堀田は納得した様子で病院名を告げた。この近隣で最も大きな大学病院だ。

 所在地を検索した御伽は礼を告げて席を立つ。彼女と揃って退出した金森は、駐車場へ降り、セダンに乗り込んだと同時に、納得顔で頷いた。

「潮見が容疑者という線で間違いないな。警部に連絡して令状の用意をして貰うか」

「その前に、折角っすから病院で話を聞きましょう。普段、潮見さんが見舞いに来ていたなら、その時の話を担当医から伺えるはずっす」

 彼女の言葉に了承し、金森は車を発進させる。窓の外へ目を向けた御伽は、通り過ぎるビルの壁を冷めた眼差しで見据えていた。

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