四、
堀田の取り調べは警視庁に連行してから行われた。担当したのは金森だ。御伽はその場を離れ、別室でミラー越しに中の様子を見ることになった。
「邪魔だったんです。いつも私と雪奈さんの仲を阻もうとから」
取調室での聴取が始まると、これ以上は誤魔化せないと観念したらしい彼は、思い詰めた表情で吐き出した。
「ずっと私が見守ってきたんですよ。雪奈さんだって私を慕ってくれていたのに、社長が嫉妬して二人を引き裂こうとしたせいで、あんな男に横から奪われることになったんだ」
堀田は拳を机に叩き付けるようにして吠えた。
「雪奈さんの転落もあなたが迫ったせいで起きたことですね?」
「一緒に逃げようと言ったのに、彼女が拒むから……。あの男から脅されていたんです。それで結婚までしてしまって、私に合わせる顔がないと自棄になって暴れ出したんだ。気にしなくていいから二人でやり直そうと言ったのに、強情な彼女に私もカッとなってしまって」
金森は顔を引き攣らせながら話を聞いている。典型的なストーカーの言動だ。潮見が言っていたことに粗方間違いはなかった。
堀田は婚姻届を出して帰る雪奈を待ち伏せし、潮見と別れて自分と夫婦になるように迫ったようだ。嫌がって逃げる彼女を執拗に追い、ビルの屋上まで追い詰めて、提案に頷かない雪奈に腹を立てて突き落とした、というのが当時の真相であった。
当時の捜査では、証拠不十分ということで起訴も出来ず、結局は事故として処理されたのだ。
「潮見さんに罪を擦り付けようとしましたね。何故です?」
「あいつが殺そうとしたも同然だ! 彼女の意思を奪って無理矢理結婚したんだぞ! 絶望した雪奈さんは私から離れる決意までして……」
涙を滲ませる堀田であったが、誰も同情を抱くことはなかった。当然だ。堀田の言うことは事実ではなく、妄想でしかないのだから。
「意識を失った今もあの男に囚われているなんて惨めなことさせられません。彼女を解放したかったんだ。あいつが逮捕されたら雪奈さんは私と一緒になれる」
「そのために白取さんを殺害したとでも?」
「社長は雪奈さんを妬んでいたんだ。私がいつも彼女の魅力を語る度に険しい顔をして……。このままでは雪奈さんが危ないと思ったから、先に手を下してやっただけです」
信じられないことだが、彼は本気でそう思っているらしい。娘に手出しをしないように見張っていた白取の姿が、堀田には自分に横恋慕している女の醜い嫉妬に感じられたのだろう。
呆れた様子を見せる金森がどうしたものかという具合に頭を掻く。殺害方法を考えると罪の意識がないことは非常に問題があった。鉄の靴を履かせて焼却炉で燃やすなど、普通の人間が考えることではない。
とはいえ、現実を突き付けて逆上されても面倒だ。自供が引き出せただけでも良かったと思うべきかも知れない。
聴取を終えると、金森は嫌な取り調べを担当させられたことに不貞腐れながら執務室へ戻ってきた。席に着いてひと休憩入れようとしていた彼だが、周囲の忙しない様子に首を傾げる。
「なんだ、何かあるのか?」
困惑した彼が隣に訊ねれば、椅子から立ち上がった御伽は思い出したように声を漏らした。
「あ、そっか。金森さんにはなんだかんだでまだ伝えてませんでした」
それを聞き取った周囲の刑事達が呆れた顔をし、金森に向かって同情的な眼差しをする。身支度を整えて傍にやってきた土屋が目頭を押さえた。
「御伽。お前はどうしてそう金森に対して雑なんだ」
「言おうと思ってたんすけど、忘れてました。ていうか警部だって伝えてないじゃないっすか」
自身のことを棚に上げて不満をこぼす御伽に、土屋が溜息を吐く。
「一緒に行動しているお前が伝えているものと思うだろう。それに、いつも振り回しているんだから自分から事情を話すのは筋じゃないのか」
流石に反論は出来ず、御伽は口を尖らせるだけに留めた。話についていけていない金森は目を瞬かせている。
「それで、どういうことなんだ?」
戸惑う金森に振り返った御伽は、何処となく得意げな表情で告げた。
「この事件の黒幕を捕りに行くんすよ」
その後、御伽と金森がやってきたのは、スノーホワイトチャペルの本社だった。
話を通していた潮見は固い表情を浮かべている。信じられない思いもあるのか、何処となく戸惑いの色も残っているようだ。
案内された応接室で待っていると、暫くして一人の女性が入室してきた。指定の制服を身に纏い、髪をきっちりと束ね、化粧で別人のように見えるが、口元のホクロは確かに彼女のもので間違いない。
「広報部の久遠芽衣です。お呼びと伺ったのですが――」
顔を覗かせた彼女は、御伽達の姿を見て僅かに目を丸くしたが、素早く笑みを貼り付けて隠した。
「久遠さん。わざわざありがとう。刑事さん達が君に聞きたいことがあると言ってね」
潮見の強張った顔をちらっと確認した久遠は笑顔のまま了承し、御伽達の向かいの席に着いた。
「それで、刑事さん。聞きたいこと、と仰るのは何でしょう?」
白々しく問い掛ける彼女を冷ややかに一瞥した御伽は、取り出した紙をパンフレットと並べてテーブルに置いた。
「こちらのパンフレットのデザインを担当されたのはあなたっすよね、久遠さん」
「はい」
「隣の紙に映っているのは、最近起きた事件に関与しているサイトのトップ画面になります。同じ一文が使われているんすけど、見覚えはありますか?」
「いいえ」
久遠は笑みを崩すことなく言った。
「ありきたりな一文ですし、同じようなものが他でも使われていたとしてもおかしくはないと思います。もしかして著作権などの問題で訴えられているんでしょうか?」
態とらしく不安顔をして問う彼女に、冷めた目をした御伽は否定する。
「いいえ。本人に自分自身を訴える気があるのなら分かりませんが」
「……どういう意味です?」
余裕を浮かべていた久遠が少しばかり空気を変えた。
「海外サーバーを利用していたことで時間が掛かりましたが、ログを監視して特定に辿り着けました。久遠さん。このサイトを管理しているのはあなたのパソコンになります」
一瞬だけ動揺を見せた彼女は、すぐに表情を取り繕った。
「あの、心当たりがないのですが。近年よく問題になっているアドレスの乗っ取りとかではないですか?」
認めようとしない久遠に呆れ、少し乱暴に髪を掻き乱した御伽は大きく溜息を吐いた。
「茶番はやめよう、芽衣。あんたが頼りにしてる科捜研のスパイは、もう捕まってる頃だから」
久遠は目を見開き、そして失望したように表情を歪めた。
「そう。
がらりと雰囲気の変わった彼女に、金森や潮見が驚きを見せる。真面目で内気そうな見た目に騙されていたようだ。
「この間、准ちゃんのスマホを抜き取ってあんたに渡したのは彼でしょう。フェイク動画を準備したのも」
御伽の指す“彼”というのは、安藤の誘拐を疑っていた際に彼女へ突っ掛かってきた若い男性研究員だ。
当初、安藤に頼んでいた分析が思うように進まなかった。けれど、自宅での調査に切り替えると問題はない。不可解な事態だ。
御伽は何者かが妨害しているのだろうという結論に至り、こっそりと調べて貰ったところ、彼の関与が明らかになった。今頃土屋達が確保に向かっているはずだ。
まさか身内の人間が、と安藤にはショックなことに違いない。それでも証拠が揃って逮捕に踏み出すまで、黙ってくれていた彼には、御伽も感謝しなければならないだろう。
「そんなに怒らないでよ。ちょっとした冗談じゃないの。用が済んだらすぐに交番に届けたし、無事に持ち主の下へ戻ったはずよ」
確かに翌日には安藤の手元へ戻ってきた。スマートフォンの本体に細工された痕跡はなく、SIMカードも抜き取られていなかったそうだ。
とはいえ、何かあってからでは遅いので、あれから安藤は機種を買い換え、念のためにSIMカードも交換して、各種サービスのパスワード変更なども徹底して行っている。
「栞ったら、少し大袈裟過ぎるんじゃないの? 先輩刑事まで巻き込んで」
観念したかと思えばそうではなく、久遠は冗談のように笑い飛ばした。
「確かにサイトを作ったことは認めるわ。知り合いに見付かるなんて思ってなくて戸惑ったけど、ただの悩み相談のサイトよ。別に犯罪じゃないでしょう」
「サイトを立ち上げることはね」
冷静に返した御伽は、再び印刷した紙を数枚テーブルに置いた。
「けど、利用者に殺害を促し、その手助けをすることは列記とした犯罪だよ」
そこには、王地美紀、狩井吉雄、滝川しずく、堀田慎哉とのメールの原文が記されていた。
殺害を決心するまでの煽るような会話、トリックの詳細や必要な小道具についてのアドバイスがやり取りされている。こんな相手を事件と無関係には考えられない。久遠もこれには驚いたようで、食い入るように見つめていた。
「どうして……削除するように言ったはず……」
動揺のあまり、彼女は自分がこのやり取りの相手であると認めたことに気付いていないようだった。
「残念だけど、削除したからといってデータが消去される訳じゃないんだよね。サーバーやブロバイダに情報は残るから復元は可能なの」
驚いている久遠に向かって御伽は微かに口角を上げた。
「初歩的なミスだね。海外サーバーを介してアドレスを作るまでは良かったけど、捨てアドだと思ってデータにまで注意を払ってなかったんじゃない?」
図星を指されたように久遠は黙り込んだ。ディープフェイク動画を使って御伽をからかう程度には、メディア情報に通じているようだが、それらをトリックに使えるという慢心が今回のミスを生んだに違いない。
悔しげに舌打ちした久遠が再び顔を上げた。その表情は悪びれた様子もなく堂々としたものだった。
「分かった。認めるわよ、私が彼らにシナリオを与えたの。他人を蹴落としてでも幸せになりたいって言うから。ただの人助けよ」
「な、君……!」
潮見が驚愕の目で久遠を見た。次の瞬間、抑えようのない怒りを滲ませる。
「それじゃあ、君のせいで雪奈とお義母さんはこんな目に遭ったっていうのか!?」
「いつまでも綺麗な白雪姫を見詰めていられるんだからいいじゃないの。意地悪な継母だって死ぬのが定められた運命よ」
怒鳴り込んだ潮見に対し、久遠は薄笑いを浮かべて言った。意味の分からない返しに彼は勢いを削がれたようで唖然とする。
「君は何を言っているんだ?」
彼の問いには無視を決め込み、久遠は穏やかともいえる笑みを御伽に向けた。
「メールの相手が私だからって、何が問題なの? 私はただ“物語”を作って彼らに読んで貰っただけ。悪いことなんてしてないわ。勝手に実行したのは彼らの方よ」
しれっと返す彼女に、御伽の隣で金森が苦虫を噛み潰したような顔をした。
「それで済む訳ないよ。これは明らかな殺人
笑顔を貼り付けたまま何も答えない久遠に呆れた御伽は、新たに書類を置いた。次のカードを切ることにしたのだ。
「月島姉妹の事故を調べ直したんだ。それで、衝突したトラックの運転手が自殺していたのが分かった」
「あら。お気の毒に」
久遠が態とらしくお悔やみの言葉を吐いた。
「遺書には月島姉妹への償いと書いてあったみたい。ところが、彼のご遺体が見付かったのは月島君枝さんが亡くなった翌日でね。偶然にしてもおかしいと思って詳しく調べた。そうしたら……」
御伽は鋭い目で久遠を睨み付けた。
「運転手が直前まであんたの恋人だったと分かったんだよ」
「そうなの? 偶然ね」
久遠はまるで意に介さず、明日の天気でも話すかのように気楽な態度だった。
恋人関係にあったのなら、既に担当の警察官から事情聴取は受けているはずであるし、これくらいの追及は予想していたのだろう。何より、自殺として処理された事件でもあることから、彼女には余裕が見られた。
どう考えても久遠の関与が明らかであるのだが、担当の警察官は見逃してしまったらしい。もちろん、これまでの事件の関係性に気付いていなければ仕方のないことではある。
「事情を知らなければ繋がりに気付けないだろうね。けど、あんたが関わっていて偶然なんて存在するはずないじゃん。この件、うちに回して貰って再捜査することになったんだよ」
「なぁに、それ。職権乱用?」
御伽の台詞にも怯まず、彼女はおどけたように問う。久遠にはまだ手札が残っているのだろうか。訝しみながらも御伽は話を続けた。
「月島姉妹の事故は居眠り運転ではなく、自分の意思で引き起こしたことだ」
改めて科捜研で調べ直して貰ったことであるが、美紀が運転手に飲ませた薬物は市販の風邪薬で、睡眠薬としての作用は僅かにしかなかった。更に即効性は低く、眠気を引き起こされたとしても、服用してから一時間以上はかかるそうだ。
初期の捜査で第三者による関与が疑われなかったのも、誰かに薬を盛られたとして効果が現れるまでに時間が掛かる成分しか検出されなかったからであった。
「しかも、事故の直前にあんたとの通話記録が残っている。それでいて、あんたが関わる事件の裏で自殺? ここまで来て無関係なんてある訳がない」
御伽の強い視線を受け止めた久遠は、暫くは笑みを浮かべたまま粘ったが、相手も譲らないと見て諦めたように息を吐いた。
「上手くいってると思ったのに、残念だわ」
往生際悪く誤魔化すのをやめたらしい。久遠は分かりやすく、がっかりと肩を落としている。
御伽の隣から金森がホッとしていた。途中から女同士の緊迫したやり取りが始まり、入っていけない彼は息を殺して見守っていたようだ。
場所を提供していた潮見は、理解出来ない展開に困惑しながらも、一段落がついたことに息を吐いていた。黒幕だと知って久遠への怒りは抑えきれないようで、時折厳しい視線を向けていたが、解決の見込みが立って少なからず安堵しているらしい。
残りは警視庁へ戻ってから調書を取ることが決まり、このまま久遠を連行する手筈となった。二人で両脇を固めて応接室を出ようとしたところで、横から久遠の笑い声が漏れ聞こえた。
「本当に甘いんだから」
不穏な気配に反応した御伽が顔を向けようとした時だ。久遠が倒れ込むように寄り掛かってきた。咄嗟に支えようと腕を伸ばした次の瞬間、腹部に衝撃が走り、御伽は息を呑む。
「御伽!?」
よろめいた彼女の背を金森が支えると、その隙に拘束を解いた久遠が廊下に飛び出した。
「金森さん。自分のことはいいんで、早く追って下さい」
「だが……」
血相を変えた金森が見下ろす先には、脇腹にペーパーナイフを突き刺された御伽の姿があった。
まさかこんなものを隠し持っていたとは御伽すら予想していなかった。呼び出された時点で久遠も覚悟をして、対抗策として持参していたのかも知れない。
本来は文房具として使われるものであるが、刃物なのでそれなりに殺傷力はある。金属製のそれは幅も広く、ナイフ並みに刃渡りがあった。深々と刺さったそこから血が滲み出し、白いシャツを汚している。
スーツのジャケットを着ていれば、ペーパーナイフ程度なら阻むことが出来たかも知れない。だが、生憎とこの日は暑さに負けて御伽の服装は夏用の薄地のシャツだった。何とも間の悪いことである。
とはいえ、堪えられない傷でもない。急所を逸れていることからも、恐らく久遠も隙を作るためにやったのだろう。
冷静に推理した御伽は、逃げ去る久遠よりもこちらの心配をする金森に呆れた眼差しを向けた。
「いや、あんた刑事っすよね。犯人(ホシ)を見逃すとか意味分からないんで」
「だが――」
「いいからさっさと行け、金森巡査部長!」
焦れた御伽が痛みを堪えて大声を上げれば、彼はハッとして廊下を走り抜けていった。
金森は長年現場で捜査してきた叩き上げの刑事だ。脚力にも自信はある。間もなくして「確保!」という声が聞こえてきて、御伽もホッと息を吐いた。
「あの、応急処置を……」
蚊帳の外になっていた潮見が心配そうに声を掛ける。御伽は苦笑して「お願いします」と頼んだ。
ひとまず応急処置を済ませた御伽が一息吐いたところで、無事に久遠を確保した金森が戻った。
連行とはいっても、先ほどはあくまでも任意同行という形を取っていたので、応接室を出る時点では拘束されていなかったが、逃亡を図った今や手錠を嵌められている。凶器で警察官を傷付けたのだから当然だ。
「これくらい平気っす」
心配そうな金森をあしらうように御伽が手を振った。けれど、彼は安心することなく、ますます険しい顔をする。
「痩せ我慢してんじゃねぇ。女が体に傷なんて作りやがって。本当に貰い手がなくなるぞ」
「だから、それセクハラっすから」
とはいえ、冗談ではなく本気で案じているのを察して、御伽も強くは反論しなかった。
聞きようによれば男女差別とも取られかねない発言ではあるが、敢えて反感を持ちそうな言い方をしてきた金森の気遣いが分からないほど彼女も馬鹿ではない。
「あの二人が知ったら激怒するかしら」
久遠はくすくすと声を漏らした。拘束されても尚、一切の焦りを見せない。その余裕が何処から来るのか分からないが、御伽は大して気にしていないようだ。
「はいはい。強がっても、どうせ次の手はないでしょ。私を刺したのも最後の手段だった。じゃなきゃ逃げたりしないもんね」
後がないから逃亡を図ったのだ。そうでないなら捕まったとしても堂々としていればいい。わざわざ警察官を傷付けて罪状を増やす必要などないのだ。
反論出来なかったようで久遠が悔しげに顔を歪める。これ以上は無駄だと悟ったのか、彼女は黙って連行された。
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