五、

 本庁に戻った御伽達はすぐに塚本と狩井の事情聴取を開始した。

 塚本を担当したのは金森だが、凄んで口を割らそうとしなくとも、彼は包み隠さず簡単に全てを供述した。

 殺人の罪まで被りたくない、と顔を土気色にして、震えながらの告白だった。

「ゼミの奴らは苦労せず進んでいるのに、僕だけ研究の行程が上手くいかなくて、教授にも呆れられて、むしゃくしゃしていたんです。学校帰りに偶々公園の隅で昼寝している猫を見付けて……」

 始めは石を投げて脅かす程度だったそうだ。しかし、次第にエスカレートしていき、餌で釣って近付いたところを果物ナイフで突き刺していたのだという。

 塚本は猫をいたぶっている時だけは心が晴れたのだと告げるが、誰の共感も得られないだろう。金森から嫌悪の眼差しを向けられ、言い訳するのもやめて項垂れた。

 大上殺害に対する関与は完全に否定しており、実際に押収した凶器に付着していた血液は猫のもので、スタンガン以外に関連付けられる証拠はなかった。

 決定的だったのは、事件当日のアリバイだ。

 確かに大学を抜け出してアパートに戻っていたようだが、忘れ物を取りに帰っていたというのは嘘ではなかった。近所のコンビニの防犯カメラに塚本の姿が映っていたのである。

 時間にしては五分。往復を合わせると、忘れ物を手にするだけでギリギリの間隔で、大上を殺害するほどの余裕はない。

 スタンガンで気絶させ、手足を縛り、腹を引き裂いて、石を詰め、橋梁下まで運ぶのは物理的に不可能だ。この件に関して塚本はシロであると結論付けられた。

「何故嘘を吐いたんだ?」

「一度戻ったなんて言ったら疑われるじゃないですか」

 人間の心理としてはよくあることだ。自分が無関係だとはっきりしていてもアリバイがなければ犯人にされてしまうのではと恐れて真実を隠す者も少なくない。

 溜息を吐いた金森は、これ以上の収穫はないと納得して取調室から塚本を解放した。あとは生活衛生課に引き渡され、動物虐待に関する捜査を受けることになっている。

 本人としては猫を傷付けた程度と思っているかも知れないが、十分に悪質で非倫理的な犯罪だ。徹底的に締め上げられるし、もちろん前科もつく。一流の経歴に傷がつくのは免れないだろう。



 その後、狩井の取り調べは御伽が担当した。気怠けだるげに席に着いた彼女は、テーブルを黙って見下ろす狩井に写真を二枚差し出す。

「こちらのサバイバルナイフが狩井さんの部屋から見つかりました。綺麗に拭き取ったつもりみたいっすが、血液の痕が確認されています。警察に見付かる前に売り払おうとしていたんでしょうけど、間に合わなくて残念っすね」

 狩井は黙ったまま口を開かない。黙秘を貫くつもりだろうか。反応のない彼を気にした様子もなく、御伽はもう一枚の写真を指差した。

「このスタンガンは塚本さんの部屋で発見されました。けど、もちろん彼のものではありません。狩井さんのノートパソコンから購入履歴が検出されました。出品者に確認したところ、四日前に発送済みとのことっす。担当の運送会社は三日前に届け、受け取りの確認も取れていると言っています」

 それから御伽は暫く黙って狩井の出方を窺っていたが、反応がないのを見て詰まらなさそうに頭を掻いた。

「これはあくまでも推測っすが、昨日の我々の会話を聞いて焦ったあなたは、塚本さんに罪を擦り付けるためにスタンガンを彼の部屋に置いたんじゃないっすか?」

 そもそも御伽は尻尾を出させるために敢えてそういう会話をしたのだ。

 タイミング良くスタンガンが塚本の部屋から見つかったことで、あくまでも疑いでしかなかった盗聴器の存在を確信するに至った。犯人も含めて。

「知ってますか? スタンガンが撃たれた痕から犯人の特徴も判別出来るんすよ。身長は百五十から百六十センチ。そして、左利きだそうっす」

 狩井は手錠に繋がれたまま重ねていた手を咄嗟に離した。先ほど上に置かれていたのは左手だ。

「塚本さんも小柄に見えますが、百六十四センチはあるとか。因みに右利きっす」

 それでも狩井は黙っている。昨日はよく口が回っていたようなのに、今は随分と辛抱強い。

「捜索中、大量の血液が付着したカーペットが丸めてあるのを発見しました。大家自らルールを破る訳にはいかないと思って粗大ごみの収集日まで捨てるのを待っていたんでしょうけど、今回はそれがあだになりましたね」

 狩井が所持している軽自動車のトランクにも僅かばかり血痕があった。恐らく遺体を運び出す際に付いたのだろう。既に証拠は出揃っている状態で、言い訳は出来ない。

「あなたは森野さんに好意を寄せていたんじゃないすかね。あの異常な数の盗聴器やカメラを設置したのも、そういった感情から来ているんでしょう。でも、一週間ほど前から大上さんが彼女の部屋を出入りするようになった。二人が深い仲に発展したことも盗聴器やカメラによって知ってしまったのでは?」

 俯いた狩井が歯を食い縛り、拳を握り締めている様子が御伽の目に映った。

「あなたは嫉妬に駆られ、二人の幸せを引き裂いた。森野さんの“ハッピーエンド”をぶち壊したんす」

「ハッピーエンドを迎えるのは私だ!」

 テーブルに拳を叩き付け、狩井が血走った目で怒鳴った。ついに口を開いた容疑者を前に、御伽はそっと口角を上げる。

 あとはもう簡単だった。ハッピーエンドという言葉が狩井の琴線に触れたようで、怒りに任せて犯行を認めた。

「あの男が悪いんです。私と花菜の間にいきなり割り込んで、あんな詐欺師が……犯罪者の癖に……。花菜は純粋だからあの男の手口にまんまと嵌ってしまったんだ。私はそんな花菜を取り戻そうとしただけだ」

 狩井はいつの間にか森野を下の名で呼んでいた。まるで自分の恋人のような言い草だが、ストーカーは大体そう思い込んでいることが多いので、御伽は気に留めた様子もない。軽く流して本題を促した。

「事件当時について詳しく話して貰えますか」

 あの晩、狩井はいつものように森野宅を監視していたそうだ。彼の言葉を借りていうなら

 夕方五時近くに森野が出勤したのを見送った後、室内の様子を窺っていると、大上と咲希が仲良く会話している姿があった。大上に随分と懐いているらしい咲希は「おじちゃんがお父さんだったらいいのに」と口にしたという。

 満更でもないように見えた大上と咲希の団欒を見て、ついに堪え切れなくなったのだと狩井は言った。いつまで経っても彼に慣れない咲希に対する不満もあったようだ。

 九時を過ぎて咲希が眠った頃、狩井は森野の部屋を訊ね、森野母子のことで心配なことがあるからと理由を付けて、大家の部屋に呼び寄せた。

 隙を突いてスタンガンを撃ち、気絶している間に両手足を縛って拘束し、腹を裂いたそうだ。

「石を詰めたのは何故っすか?」

「花菜に近寄るを懲らしめるためですよ。狼の最期といったらこれしかないでしょう。途中で目を覚まして暴れるものだから大変でした」

 平然とのたまう彼は狂っているとしか思えなかった。俯いた彼の暗い目が鈍い光を放っている。

 壁が薄いアパートで周囲に気付かれなかったのは、テレビ番組を流していたのと、声が漏れないように大上の口をガムテープで留めていたからであろう。

 殺害後、深夜を過ぎてから軽自動車で遺体を橋の下まで運び、自宅に戻って汚れた敷物を片付け、それから何食わぬ顔で過ごしていたらしい。

 森野の部屋に御伽と金森が訪れたのを盗聴器やカメラで知った狩井は、警察が捜査を始めたのを理解し、対策を練った。凶器となったナイフを通販サイトに出品したのも証拠隠滅を図るためだ。

 スタンガンが使用されたことが割り出され、それを盗み聞いた狩井は焦った。だが、警察が塚本を怪しんでいると察した彼は、罪を擦り付けるために、大学へ行って留守の塚本の部屋にスタンガンを隠したという。

 本日、塚本の部屋で家宅捜索が行われるのを知った狩井はこれで一安心だと思ったそうだ。まさか盗聴器のことまで気付かれているとは考えてもみなかったに違いない。

「幸せになるのは私のはずだ……。私のはずだったのに……」

 頭を抱えながらぶつぶつと独り言をこぼす狩井を冷めた目で見下ろした御伽は部屋の外へ合図を送る。すぐに制服警官が入ってきて、彼を立たせると、連行していった。



 両腕を挙げて伸びをしながら取調室から退出しようとした御伽は胸ポケットの震えに気付いてスマートフォンを取り出す。そこに記されたメッセージを読み終わると、すぐに元の場所へ仕舞った。

「警部。少し外します」

 部屋を出たところで土屋に向かって断りを入れた。

「あ、ああ」

 トイレ休憩だと思ったのだろう。突然のことで驚いたようだが、野暮なことは訊くまいといわんばかりに土屋は態とらしく視線を逸らした。御伽は特に訂正することなく、短く礼を言って退出する。

 彼女が向かった場所はレストルームではなかった。扉には“警視総監”の文字が記されている。

 軽くノックをすると、中から入室を促す声が聴こえた。躊躇うことなく中に入った御伽を迎えたのは、彼女にとって見慣れた顔だった。

「来たな。まあ、そこに座れ」

 正面のソファを示された御伽が何も言わずに腰掛けると、相手もまた向かい側に着いた。

「手掛かりを見付けたという話だが」

「そう」

 問い掛けに頷いた御伽は、懐から取り出したスマートフォンを差し出す。慣れた手付きでパスワードを解除し、中身をチェックした相手が厳しい目で画面を睨み付ける。狩井のノートパソコンから発見したサイトのトップ画像だ。

「安藤には?」

「既に画像を送ってる。すぐに調べてくれるって返事が来たけど、恐らく海外サーバーを介してるだろうからIPアドレスを割り出すのは難しいと思う」

「この間お前の下に届いたメールは?」

「駄目だった」

「そうか」彼は溜息を吐いた。

 スマートフォンを御伽に返した彼は、両手を組み、固く黙り込んで思案する。暫くして顔を上げ、窺うように御伽を見た。

「この件、一課の連中に話さないのか?」

「下手に関わると彼らが狙われる可能性があるから。本当は創一そういちや准ちゃんも――」

「俺達のことは気にするな」

 先を言わせないように彼が言葉を被せた。

「こうなったのも元はといえば俺達が巻き込んだせいでもある。あいつも俺も解決するまでとことん付き合うさ」

 それに、と付け足した彼はテーブルを挟んだ状態で身を乗り出し、腕を伸ばして御伽の髪を撫で付けた。

「お前が無茶しないように見張るのが昔から俺の役目だ。ご両親にも約束したからな」

「また子供扱い」

 不貞腐れたように唇を尖らせる彼女に噴き出し、彼はからかいを含めて額を軽く小突いた。けれど、すぐに彼は表情を引き締める。

「一課に協力を求める気がないにしても、せめて俺達には頼れ。立場上、直接関わることは出来ないが、サポートくらいさせろ」

「うん」

 御伽が素直に頷けば、ホッとした様子で彼は目尻を下げた。

 その後、一通りの情報共有を終えた御伽は退出しようと席を立つ。出口へ向かう彼女の背を見送っていた彼が、不意に思い立った様子で口を開いた。

「ああ、そうだ。まだ聞いてなかったな」

 振り返った御伽に向かって彼が問いかける。

「今夜の晩飯は何がいいんだ?」

 このタイミングで警視総監の口から飛び出すとは思えない言葉だった。何も知らない人間が聴けば耳を疑っただろう。しかし、御伽が驚いた様子はない。

 相変わらずマイペースな彼女は少し考えるように顎に手を当てた後、子供のような笑みを浮かべた。

「ハンバーグ。もちろん創一特製の和風ソースで」



 それから二日後、事件解決を知らせるため、御伽と土屋は森野宅を訪れていた。部屋には母親だけでなく、学校から帰宅したばかりの咲希もいた。

 事件の全貌を全て話すと、森野は顔を覆って泣き出してしまった。彼女もまた大上との未来を考えていたのだ。

「本当はお金の返済なんてどうでも良かったんです。彼から受け取ったお金も使わずに取っていて、いつかの足しになればって――」

 その“いつか”が大上を含めた家族三人での生活を指していることに御伽達は気付いたようだった。掛ける言葉もなく視線を下げた御伽の目に、咲希が握り締めているビーズのブレスレットが映った。

「それは、あの時の……?」

 土屋も気付いたようで咲希の手元を見ている。

「大上さんに贈ろうと思ってたんだね」

 御伽が呟くと、頑なに黙り込んでいた咲希がハッとしたように顔を上げた。土屋だけでなく、母親も驚いている。

「警部の娘さんと同じっすよ。このブレスレットは、大好きなお父さんへのプレゼントだったんす」

 実際にはまだ父親とは呼べなかっただろうが、狩井の話では、咲希は大上が父親となることを夢見ていたようだ。押収した機材にも、本当の父娘のように仲睦まじい様子で過ごす二人が録画されていた。

 俯いた咲希の瞳が潤み、みるみるうちに頬を濡らした。大粒の涙がこぼれ落ち、年季の入った畳を湿らせる。それまで塞き止めていたものが堪え切れず溢れ出したようだった。

「咲希……」

 森野も泣きながら娘を抱き締める。御伽と土屋は二人を気遣い、簡単な挨拶だけして席を外した。

「まさかあそこまで咲希ちゃんが大上を慕っていたとはな」

 部屋を出た後、アパートの階段を下りながら土屋が意外そうにこぼした。その後ろを歩いていた御伽は肩を竦める。

「恐らく三年前からあの家族は大上を受け入れていたんでしょう。詐欺グループの逮捕に至ったのも彼の情報によるところが大きかったみたいっす」

「そういうことか」

 随分と早く仮釈放が与えられたのも、その辺りを考慮されたのかも知れない。納得した顔で土屋も頷いた。

 アパートを離れ、駐車しているセダンに乗り込もうとした御伽は、視界に過った女のシルエットに目を見開くと、慌てて振り返った。しかし、そこには影一つ存在していない。

「御伽?」

「何でもありません」

 いつもの淡々とした調子で首を振った御伽は何事もなかったかのように助手席に乗った。怪訝とした表情を浮かべた土屋だが、深くは追及せず、運転席に着いて車を発進する。

 角を曲がる時だ。何気なく見たサイドミラーに女の姿が映し出された。

 急いで振り返った御伽の目に、若い女性が横切った。ゴシック調の黒いワンピースを身に纏い、波打つような長い髪をした人物だ。

 ほんの一瞬のことで、通り過ぎた相手は見えなくなってしまったが、笑いながらこちらに手を振っていたのは確かだった。

 その時、スマートフォンがメールの着信を知らせた。パソコンにメールが届いた場合、そのまま転送するように設定変更をしたのである。

 やはり知らないアドレスからだった。前回のものとも違うようだ。けれど、御伽は怯まずにメールを開いた。

 届いたメールには、こんなメッセージが綴られていた。


――狩人は赤ずきんちゃんを救うために悪い狼の腹を裂きました。

――悪い狼から解放された赤ずきんちゃんは、


――これから一生、死ぬまで、大切なお友達を奪った狩人を恨むことでしょう。

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