爛れたお菓子の家

「好きなだけお食べ。お菓子は沢山あるからね」

一、

 台風で荒れた盆の季節も過ぎ去り、何日か続いた雨で少しばかり過ごしやすい気温となった八月下旬。久しぶりの休暇を得た御伽は、近所の商店街へやってきていた。

 立ち並ぶ店のショーウィンドウを眺めながら、時間が許す限り、ゆっくりと足を進める。こうして何かに急き立てられることもなく、穏やかに買い物出来るのはいつぶりだろう。

 周囲からはふらふらと宛てもなくぶらついているように見えるかも知れない。けれど、ある店の看板を目にすると、御伽は軽い足取りでその入口へ向かった。

 昔ながらの小洒落たガラス戸を押せば、落ち着いたベルの音が響いた。

「いらっしゃいませ」

 若い制服姿の女性店員が明るい声と共に笑顔で迎え入れた。そのカウンターには色取りどりのケーキが並んでいる。

「誕生日ケーキを注文したいんすけど」

「ありがとうございます。お日にちはいつ頃のご予定ですか?」

 店員が手慣れた様子でカウンターに置いてあるメモ帳に書き込み始めた。

「出来れば今日お願いしたいんすけど」

「本日ご予約の場合、お時間を頂くことになりますが、宜しいでしょうか?」

「平気っす」

「種類は如何いたしましょう?」

 僅かに考える素振りを見せた御伽は、カウンターに展示されたサンプルを眺めて無難なものを指差した。小ぶりなワンホールケーキだ。

「じゃあ、これと同じフルーツケーキで」

「かしこまりました。ロウソクとお祝いのプレートをご用意出来ますが」

「あ、お願いします」

 御伽は少しニヤッとした。ケーキに視線を落としていた店員は気付かなかったが、傍目から見れば非常に怪しい客だろう。

「お名前をお伺いしても宜しいですか?」

「創一で」

「そういちくんですね」

 幼い子供を呼ぶような言い方に御伽は堪え切れず小さく噴き出した。目を丸くする店員にすかさず表情を改めて「何でもないです」と誤魔化す。

「ロウソクは何本お付けしましょう?」

「四十……いや、五本で」

 そのまま相手の年齢を伝えようとしていた御伽は途中で言い直した。

 相手の年齢は四十八歳を迎えるところだ。四捨五入すれば五十になる。とはいえ、そんなにも挿すのは流石に見映えが悪い。

 代わりに一本を十歳分として数えればどうだろう。何本もロウソクを立てる手間も省けそうだ。そう判断した御伽は四十八本ではなく、五本のロウソクを頼んだ。

「では、十分ほどお時間を頂戴して宜しいでしょうか?」

「大丈夫っす」

 生地はあらかじめ準備したものを使うだろうが、盛り付けに少し時間をかけるらしい。大した待ち時間でもないし、これといって問題はなかった。このまま店内の椅子に座って完成を待つことにした御伽は、店員が奥に引っ込んだのを見て、テーブル席に移動した。

 と、その時だった。カウンターの奥から甲高い悲鳴が聴こえてきた。ハッと顔を上げた御伽は、尋常でない気配を察し、素早くカウンターを越えて、バックヤードへ飛び込む。

 扉を開けて中へ入った瞬間、咄嗟に彼女は鼻を覆った。パイ生地の甘い香りがするはずの厨房で、肉の焦げた臭いが充満していたのだ。ミートパイでも作ろうとして焦がしたのだろうか。だが、この店では取り扱っていないはず。

 訝しみながら周囲を見回すと、店員の姿はすぐに発見出来た。腰を抜かした状態で床に尻餅を着いていた。辺りにはケーキの生地が落ちて散乱している。

「何があったんすか?」

 険しい顔で御伽が声を掛けると、店員は震えながら調理場の奥へ指を向けた。指先を視線で辿った御伽の目に異様な光景が映る。

「店長が……」

 そこには、奥行きのある大きなオーブンに頭を押し込まれ、半身が焼け爛れた女性の遺体が存在していた。



 十数分後、通報を受けて駆けつけてきた警察により、店内は物々しい空気に支配されることになった。

 正面の駐車場にはパトカーが数台陣取り、店の周囲にはぐるりと規制線テープが貼られ、駆け付けてきた制服警官が野次馬をさばいている。鑑識官が店内を調べるのを横目に、御伽は放心状態の店員を椅子まで誘導して宥めていた。

「御伽」

 名前を呼ばれて顔を上げると、入口に土屋が立っていた。後ろには金森と芝の姿もある。

「折角の休暇なのに災難だったな」

「ええ。自分もまさか、こういう形で事件に遭遇することになるとは思っていませんでした」

 御伽は少し態とらしく溜息を吐いた。

「というかお前がケーキ屋にいることの方が驚きなんだが」

「何すかそれ。別にケーキくらい食べますよ」

 金森としては純粋に驚いたようだが、それを聞いて不貞腐れた御伽はじっとりとした目を向けた。

 確かにあまり女らしいイメージがないことは自覚している。甘い洋菓子よりも屋台でニンニクの利いた餃子や激辛ラーメンを食べていそうな印象があるのだろう。

 実際に激辛ものも平気だが、甘いお菓子の方が好物だ。普通の女子と同じように、可愛い形のお菓子があれば、得した気分にだってなる。

 そんなやり取りを尻目に、土屋がカウンターに置いてあった注文票を手に取るのが見えた。ぱらぱらと捲って確認していたが、状況からして御伽の注文だと察したようだ。

「誕生日ケーキの注文か。そういちくん、五歳? 知り合いの子か?」

「いや、その“そういちくん”は四十八歳っす。ロウソクを全て挿すのが面倒なので省略しました」

 何てことないかのようにさらりとした口調で告げる御伽であったが、少し引っ掛かった様子の土屋は怪訝とした顔で振り返った。

「父親ではないよな? お前の両親は確か……」

「六年前に亡くなってます」

 となると、考えられるのは叔父かその辺りの近しい親類だ。友人の父親という線も捨て切れないが。まさか年の離れた恋人ではあるまい。

 恐らくはそんな考えを巡らせて、土屋は黙り込んだ。御伽に男の影がある可能性を受け入れがたいのかも知れない。しかし、二人の関係はともかくとして、その相手そういちくんが警視総監だと知れば、彼は一体どういう反応をするだろう。腰を抜かすのは間違いなさそうだ。

 百面相を繰り広げる土屋にお構いなく、御伽は芝から借りた手袋を装着すると、現場に戻って遺体の確認を始めた。

 遺体は既に鑑識官がオーブンから出しており、ブルーシートに包んで床に寝かされていた。まずは手を合わせて黙祷した彼女は、シートを捲って遺体の状態を観察する。

 皮膚の所々が焼け爛れているが、それほど酷い状態ではない。オーブンで焼かれたことが直接の死因であるようには見えなかった。

 オーブンの方も覗いてみると、焼けた皮膚が付着している箇所がいくつかある。ところが、もがいた痕跡がない。生きたまま入れられた訳ではなさそうだ。

被害者ガイシャの名は風間かざま悠香ゆうか。三十七歳。独身で前科、免許の違反歴、共になし、と。模範的な市民らしい」

 後から来た金森が被害者の情報を読み上げた。

「それにしても惨いことをするもんだ。犯人ホシは相当な恨みを抱いてたみたいだな」

 顔を歪めた金森は、いつもより少し長めに手を合わせる。せめてあの世では苦しまぬようにと願ってのことだろう。

「まずは第一発見者に話を訊きたいところだが」

「それはちょっと無理っすね」

 発見者の店員はまだ話せる状態ではない。ずっと放心していて、御伽が声を掛けても殆ど反応がなかった。

 どうやら人が亡くなる姿を初めて見たようだ。動揺してしまうのも仕方がない。普通に生きていればお目にかかることのない異常な死に方だった。怖れもするだろう。身近な存在であれば尚更である。

「一旦、この件は持ち帰ってご遺体を調べた方がいいと思います」

「ま、そうなるか」

 金森はガシガシと頭を掻きながら頷くと、ちらっと御伽に視線を向けてきた。

「お前も居合わせたんだよな。何か気付いたことはあるか?」

「それに関しても本庁で話しますよ」

 素っ気ない返事を返しながら、御伽は険しい顔で遺体を見下ろした。



 第一発見者からの聴取は後日に見送り、御伽達は本庁へ戻って、まず鑑識からもたらされた情報を纏めることにした。

 遺体が発見されたのは午後一時半。先ほど御伽も確認したのと同じように、オーブンには被害者が暴れた痕跡はなく、死亡してから運ばれたのだろうと推測される。

「焼け痕によって判断がつきにくいところはあるが、死亡推定時刻は昨日、二十六日の午後十一時から十二時の間ということだ」

 ホワイトボードに被害者の写真が貼られ、氏名と死亡推定時刻が記された。

「被害者の風間悠香は、あの商店街で十四年前から営業している洋菓子店『H&G』の店長だそうだ。このH&Gというのは……」

「ヘンゼルとグレーテルの略称っす」

 途中で御伽が言葉を繋いだ。刑事達の視線が一斉に向けられたのに気付くと、彼女は改めて説明を加える。

「子供の頃からあの店には足を運んでいて、被害者の風間さんに聞いたことがあるんすよ」

「知り合いだったのか?」

 思いがけない言葉だったのか、土屋が目を見開いた。

「顔見知り程度っす。自宅から一番近いケーキ屋があそこなんで」

 捜査から外した方がいいかと気遣われる前に、御伽は私情を挟むような相手ではないときっぱり告げる。それを聞いて周囲も少し安心したようだ。

遺体ホトケの皮膚の焼け具合から見て、長時間焼かれたものではないとのことだ。せいぜい二分から三分くらいだな」

 土屋の説明に御伽がさっと手を挙げる。

「自分が店に入って第一発見者の林田はやしださんと会話したのは三分くらいっす。それ以前からカウンターで店番をしていたようなので、彼女の犯行という線は薄いと思われます」

 彼女の説明に土屋も頷いた。あれだけ憔悴している人間がやったと見るのは無理がある。演技という可能性がない訳ではないが、そうだとするなら相当の役者だ。

「外部の者による犯行と見ていいだろう。まずは被害者ガイシャの交友関係を洗うぞ。商店街の近隣住民を当たれ。林田りつが落ち着いたら、これまで不審な客がいなかったか訊いてみるとしよう」

 土屋の指示を受け、揃って返事をした御伽達はそれぞれ動き出した。



 金森と共に再び商店街へ戻ってきた御伽は、早速近隣住民に聞き込みを開始した。

「風間さん? 凄くいい人だよ」

「いつも笑顔で元気に挨拶してくれてね。彼女のお蔭でこっちも頑張ろうって気持ちになるんだ」

「地区の催しにも積極的だし、色々手伝ってくれて助かるんだよね」

 誰に訊いても同じような答えが返ってきた。妙な噂が立っているということもなく、明るくて気立ての良い女性として風間は住民達からの評判は良いようだ。

「誰かに恨まれていた、なんてことは――」

「まさか。この十数年同じ商店街で働いているけど、そんな話聞いたことないよ」

 人通りも多いので言い争いが起きればすぐに目につく。あっという間に商店街中の噂になっていただろう。けれど、そんな気配は一つもなかった。不審な人間が出入りしていた様子もないそうだ。

「では、最近彼女に変わったところは?」

「あ、最近というか、ここ二、三年のことなんだけどね」

 御伽の問い掛けに対し、恰幅の良い洋装店の女性が思い出したように口にした。

「この近くに住んでる兄妹に、よく試食と称して焼いたお菓子をあげていたみたいだね」

「お菓子を?」

「そう。軽めのドーナツやクッキーをね」

「どうしてまたそんなことを――」

 金森が怪訝として聞き返す。

「あまり大きな声じゃ言えないんだけど、その子達、いい暮らしをさせて貰えてないみたいなんだ」

 途端に金森の顔が険しいものに変わる。それに気付いた彼女は慌てて付け加えた。

「あ、もちろん虐待ではないよ。三年前に父親が働いていた会社が倒産したとかでね。再就職も上手くいかなくて、日雇いで働いているらしい。母親もパートで稼いではいるんだけど、子供二人を養うのは大変だしね」

 事情を察したらしい金森が空気を和らげた。虐待の疑いがあるとなれば役所に連絡をしなければならないところだ。

「学校から帰っておやつを食べるなんて贅沢も出来ないんだろうね。店を覗いている二人を見付けた風間さんは、二人の身の上に同情しておやつを与えるようになったみたいだよ」

 住民同士の距離が近い商店街であれば、それほど珍しいことでもないだろう。大人であっても、昔からの誼で、ツケで払うという者も少なくないはずだ。

「因みに、その子達の家はご存知っすか?」

「ここの裏手から三軒先の青山あおやまさんちの子達さ。あの子達に話を聞くなら、暫くこの辺で待ってたらいいよ。学校帰りにいつも風間さんとこに寄ってるからね」

「ありがとうございます」

 礼を言った御伽はくるりと踵を返し、現場となる洋菓子店へ足を進めた。あまりの早足に金森は驚いたようだ。慌てて追いかけてきた彼が、咄嗟に御伽の腕を掴んで引き留めた。

「おい。なんかお前、今日ちょっと変じゃないか? もし知り合いが関わっているせいなら……」

「金森さん」

 振り返った御伽は呆れた眼差しを向けた。

「自分、まだケーキ買えてないんすよ。折角注文したものもキャンセルせざるを得なくなっちゃいましたし、帰りに別の店に駆け込んで間に合うかどうか」

「は?」

「という訳なんで、早く解決してしまいましょう。その方が風間さんも浮かばれますよ」

 ポカンとしていた金森は、次第に意味を理解したようで眉を吊り上げた。

「お前、仕事中に不謹慎だろうが!」

「だから黙ってたのに、金森さんが聞いてくるから。捜査は真面目にやってるんで、あんまり怒らないで下さいよ」

 御伽はそれだけ告げると、彼の返事も聞かずに再び歩き出す。

 後ろでぶつくさと文句をこぼしている金森を他所に、前を見つめた御伽の表情は、今までにないくらい険しいものとなっていた。

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