二、

 午後三時半を過ぎた頃、洋菓子店に戻っていた御伽達の目に入口から中を覗く小さな人影が映った。青山兄妹が下校してきたようだ。

 御伽が内側から扉を開けると、ぎょっとして飛び退いた二人は見知らぬ相手を呆然と見上げた。男の子は小学校高学年くらいだろうか。一緒に立つ女の子はもっと幼く、小学校一、二年生辺りに見える。

「青山兄妹っすね?」

「あ、あんた誰なんだよ!」

 声を上げた兄が毛を逆立てるようにして妹を背に庇った。

「警視庁捜査一課の御伽っす」

 警察手帳を見せながら彼女は淡々とした態度で名乗る。土屋であればもう少し柔らかな紹介をしたのだろうが、御伽にはそういった気遣いは出来ない。

「同じく金森だ」

 続けて金森も名乗った。猫撫で声で自己紹介するのは不評であると知ってから、相手が子供であっても通常通りに対応することにしたようだ。

「なんで警察が……。風間さんは?」

「実は、そのことで質問があって来たんす」

 戸惑う兄妹に向けて御伽はこの場で起きた事件について説明した。規制線は取り払われていて外からは分からないが、厨房には鑑識が現場検証した名残がある。

「死んだって……嘘だろ……」

 覚束ない様子で後退りした男の子の後ろで、妹がぺたりと床に尻餅を着いた。あまりのショックで腰が抜けてしまったようだ。

「残念ながら本当っす」

 御伽の追及は子供相手にも容赦がない。

「二人はここへよく来るそうっすね。風間さんのことで何か知ってることはありますか? 気になったことでもいいんすけど」

 男の子はすぐに首を振った。

「知らない。あのおばさん、余り物だからってクッキーとか分けてくれてただけだし」

 床に座り込んでいた女の子は、そんな兄の言葉に驚いた顔をしたが、反論する気配はなかった。

「あなたは?」

 女の子は肩を跳ねさせ、首をぶんぶんと横に振った。そんな妹の手を兄がぎゅっと握り締める。

「そうっすか。分かりました。質問は以上っす。帰っていいっすよ」

 御伽がそう言うなり、まるで逃げ去るかのように彼らは店を飛び出していった。その後姿をじっと眺める御伽の隣に並んだ金森が呟く。

「あいつら、何か知ってるな」

「ええ。彼らの周辺と、二人のご両親にも当たってみた方がいいっすね」

 共働きらしい親を訊ねるのは夜の方がいいだろう。まずは彼らの通う小学校を当たってみる方が効率も良い。御伽達はそう結論付け、店を出ようとした。

 その時だ。扉に手を掛けたところで、視界の端に映ったものに御伽は動きを止める。

「どうした?」

「すいません。ちょっと外します」

 訝しそうに声を掛けてきた金森にそれだけ伝え、御伽は扉の外へ躍り出た。彼の引き留める声が聞こえたが、ちらりとも振り返ることなく、路地の向こうを目指す。ここで見失う訳にはいかなかった。



 路地裏を抜け、人の波に逆らい、漸く御伽が辿り着いたのは、ビルの合間に建てられた駐車場レンタルスペースだった。

芽衣めい!」

 薄暗い屋内で御伽の声が反響した。すると、十メートルほど先で人影が振り返る。大上殺害の事件が解決した後に、アパート付近で見かけた女性だ。あの時と同じようにゴス系のワンピースを着ている。

 彼女の下へゆっくりと進み出た御伽は、二メートルほどの場所で立ち止まる。それ以上近付いて来ないと見た女性は小さく笑った。

「こんなところで会うなんて奇遇ね、栞」

 旧友との再会を喜ぶような彼女の態度に反し、御伽は何も答えず、険しい顔で睨み付けた。

「なぁに? なんでそんなに怒ってるの? あ、ずっと連絡取ってなかったもんね。ここのところ忙しくて。ひょっとして心配しちゃった?」

 ふざけるな!――そう叫びたいのをぐっと堪える。御伽の眼力が鋭さを増すが、相手は気にした様子もなく微笑みを湛えていた。

「ああ、そうだ。聞いたわ。風間さんが亡くなったんでしょう? 栞はあそこのケーキ好きだったもの。もう食べられなくなるなんて残念よね」

「私への当て付けのつもりで彼女まで巻き込んだ訳?」

「え? やだ、何言ってるの?」

 笑い飛ばそうとする彼女を許さず、御伽は苛立ちと警戒の視線を投げかけた。御伽が茶番に付き合う相手ではないと分かると、彼女は態とらしく溜息を吐き出す。

「今回のはただの偶然よ。私だってあそこのケーキは好きだったんだから。でも、折角役者が揃っていて、舞台も整っているんだもの。使わない手はないじゃない?」

 新しいオモチャを手に入れた子供のように、何処か興奮気味に彼女は告げた。

「栞も協力してくれたらもっと素敵な物語になるのに」

 思い通りの反応をしない御伽に、不貞腐れた様子の彼女は唇を尖らせる。

「あなただってありきたりな事件ばかり追うなんてつまらないでしょう? 犯罪なんてその辺に沢山転がってるけど、どれも美しくないじゃない。魅力的な役者と、整った舞台、完璧なシナリオがあってこそ、物語は輝くものなの」

 彼女は夢心地に宙を見つめながら語り出す。

「覚えてる? 高校の時、一緒に謎解きした事件」

 御伽は肯定も否定もせず口を噤んでいた。けれど、相手は気にも留めず、話を続ける。

「オチは見えてたけど、物語として完成されてた。まるでミステリー小説の中に入り込んだみたいで、凄く興奮したわ。現実でこんな体験が出来るなんて、って。だけど、実際にはあんなドラマ的な事件に滅多と巡り合えないのよね。それなら自分で作るしかないじゃない」

 彼女は子供のような笑顔で極論を語る。

「ねえ、昔みたいに二人で一緒にやりましょうよ。平凡な事件を追うだけなんて栞に相応しくないわ。一緒に新しい事件ものがたりを作るの。私達、最高のコンビだったじゃない。きっと楽しいわよ」

 しかし、何も返さない御伽に痺れを切らしたらしい彼女は声を荒げた。

「栞だってあの時の快感が忘れられないから刑事になったんでしょう!」

 ここで漸く、黙り込んでいた御伽が口を開いた。

「私は真面目に警察官を目指してやってきたんだけど。事件に取り憑かれたあんたと一緒にしないでくれる」

 硬い表情の御伽を見て、強がりとでも思ったのか、彼女はおかしそうに唇を歪めた。

「へえ。真面目にね。それで、また西宮にしのみやさんの手柄にするのかしら」

 その名が出た途端、御伽の目付きが変わった。

「確か今は警視総監になったんだっけ。最年少で異例の大出世。彼が指揮したらどんな難事件も早期解決するってジンクスがあったって聞いたことあるわ」

「それが何?」

「何って、その殆どはあなたが裏で解決してきた事件じゃない。ご両親が亡くなった時に引き取ってくれた西宮さんへの恩返しとしてね」

 御伽が黙り込むと、ここぞとばかりに笑みを浮かべた彼女が更に勢いを増して言う。

「そうやっていつまでも利用され続けて、あなたは満足なの?」

「勘違いしてるみたいだけど」

 冷めた目をした御伽が正面から彼女を見据える。

「創一の出世に私は関わってないから。全て彼の実力と人脈が成したことだし、警察は無能が昇進出来るような組織じゃないんでね。私を揺さぶるつもりで創一の名を出したのかも知れないけど、お生憎様」

 舌でも突き出すような態度で皮肉をこぼす御伽に対し、彼女は笑みを深めた。

「でも、相変わらずあなたにとって彼が特別だと分かっただけでも十分だわ」

 一瞬にして御伽の顔色が変化する。これまでの会話は全て誘導されていたものだったのだ。

 慌ててスマートフォンを取り出し、電話を掛けるが、呼び出し音が鳴るだけで相手が取る気配はない。相変わらず笑っている女性を睨み付けた。

「創一に何かしたら絶対に許さない」

「何のことかしら。それより早く帰ってあげたら。確か今日は彼の誕生日だったわよね?」

 余裕の微笑みを浮かべる彼女に舌打ちし、御伽は踵を返した。ここで詰め寄ったところで、上手くはぐらかされるのは彼女とて分かっている。追及をやめて自宅へ急いだ。

 何の証拠もない以上は警察として捕まえることも出来ない。御伽としては口惜しいが、ここは堪えるしかなかった。



 呼び出し音はいつの間にか留守電に切り替わっていた。電話に出るように伝言を残した後、SNSでメッセージを送信し、再び電話に切り替えてコールする。その間、御伽は足を止めず、自宅まで一直線に走っていた。

 目的地まで辿り着いたのは約十分後だった。慌ただしく玄関を開け、靴を乱雑に脱ぎ捨てると、廊下を滑るようにしてキッチンへ飛び込んだ。

「創一!」

 次の瞬間、視界に飛び込んできたものに御伽は膝を着いた。

 そこではエプロン姿の西宮創一が機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら料理を作っていた。脱力感に襲われた御伽は大きな溜息を吐く。

「おけーり。ちょっと待ってくれな。もうすぐ唐揚げが完成するから」

 顔だけ軽く振り返った彼は、どう見てもピンピンしている。事件に巻き込まれたような様子もない。頭を抑えながら顔を上げた御伽が責めるような視線を向ける。

「何度も電話したんだけど」

「ああ。揚げ物をしていたから手を離せなくてな。緊急だったのか?」

 仕事関係なら無理にでも出ただろうが、着信音から御伽からだと分かり、後で掛け直せばいいと放っておいたようだ。相手に遠慮がないからこそ出来てしまったすれ違いである。

「創一までいなくなったらどうしようかと……」

 小さく落ちた御伽の弱音は油の跳ねる音に掻き消された。

「何だって? すまん。聞こえなかった」

「ううん。何でもない。ちょっと忘れ物を取りに帰っただけだから。手が空いてるなら持ってきて貰おうと思って電話した」

「ん、そうか」

 上手い言い訳である。西宮はそれに納得したようだ。

 仮にも警視総監の立場にある彼が忘れ物を届けに来ることになれば一課は騒然となるだろうが、御伽はそういうことを気にするタイプではない。彼を郵便係扱いすることに躊躇いなどないと思ったのだろう。

「あとケーキだけど」

「いつもの店で殺人が起きたらしいな。気にしなくていい。何なら俺が自分で買いに行っても――」

「ダメ!」

 咄嗟に御伽が声を上げる。驚いて振り返った西宮を前に慌てて誤魔化した。

「主役が自分の誕生日ケーキ買いに行くって意味分かんない。ていうかケーキの担当は私だから。人の楽しみ奪うのやめてよ。聞き込みのついでに何処かで予約してくるから、創一は家でじっとしてて」

「お、おう」

 鬼気迫るような御伽の迫力に驚きながらも彼は素直に頷いた。だが、ここまで来ると流石に様子がおかしいことに気付いたようだ。

「何があった? まさか久遠くおん芽衣の件か?」

 御伽はその問いには答えず、代わりというように彼の後ろから抱き着いた。

「おい、危ないぞ」

 窘める彼の背に頭を預け、しがみつくように一度だけきつく腕を回した御伽は、ほんの数秒で身を離す。

 ところが、ガスを切った西宮が苦笑と共に振り返り、離れたはずの彼女を引き寄せた。正面から力強く御伽を抱き締め、頭を少し豪快に撫でる。

「心配するな。これでも警視総監だ。いくらデスクワークがメインだっていっても、訓練もしてない女相手にそう簡単に後れを取るようなことはないさ」

「うん……」

 微かに頷いた御伽を優しい眼差しで見つめた彼は、コツンと互いの額を突き合わせ、励ますように笑いかけた。

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