三、

「勝手に現場を離れて申し訳ありませんでした」

 現場に戻った御伽は、不機嫌な顔で待ち構える金森にすぐさま頭を下げた。普段から奔放な態度で周囲を振り回す御伽ではあるが、流石に途中で仕事を放棄してしまった状況で平然と現場に戻る気はない。

 いつになく殊勝な態度を見せる彼女に、出会い頭に叱りつけようとしていたらしい金森は拍子抜けした顔を浮かべた。

「次からは気を付けろよ」

 咳払いをした金森はそれだけ告げ、無理に詮索することはなかった。御伽の頬に微かな涙の痕を見付けてしまったせいかも知れない。指摘されたら欠伸の名残だと誤魔化すところだが、金森は元気のない彼女の様子から勘を働かせ、見ないふりをする選択をしたようだった。

 それからすぐに、御伽達は青山兄妹が通う小学校へと向かった。

 普段と異なる御伽に居心地の悪さを感じていたのか、金森は車内では始終無言を貫いていた。お蔭で嫌に湿っぽい雰囲気となっている。

 ここで御伽が気を利かせて会話を始めればその空気も払拭出来たかも知れないが、何事にも我関せずな彼女にそういったことを求めるのは無駄だ。

 いつもと違って妙に静かな二人を乗せたセダンは、学校に辿り着くまでエンジンの音だけをひたすらに響かせていた。



 午後四時半。小学校に到着した二人は、まず事務員に話を通し、青山兄妹の担任から聴取する手筈となった。

 応接室に招かれ、担任達と向かい合う。兄の煌太こうたの担任は若い女性で、妹の光里ひかりは男性の担任だった。彼らはそれぞれ滝川たきがわしずく、山中やまなか達馬たつまと名乗った。

「担任の先生としては、青山兄妹の家庭の事情について把握されているんでしょうか?」

「ええ。ある程度のお話は伺っています。国が定めた就学助成金制度もありますので、学校教育に影響はありませんが、普段の生活では苦労されている部分があるようです」

 滝川が同情的な様子でこぼした。

「助成金のことが知られて苛めに発展する、ということがないように注意しておくようにと教頭先生からも言われています」

「学校帰りに近所の洋菓子店からおやつを貰っていたことはご存知ですか?」

「おやつ?」

 山中が怪訝とした顔をした。

「いえ。僕は初耳です。滝川先生は知っていらっしゃいましたか?」

「私も初めて聞きました。失礼ですが、その、おやつが何か関係するのでしょうか?」

 困惑した様子で滝川が問いかける。

「先ほど殺人事件の捜査だとお伝えしましたが、実はその洋菓子店の店主が殺害されたんです。青山兄妹はいつもその店主からおやつを貰っていたそうでして」

 金森の説明を聞き、二人の担任は驚きを露にして顔を見合わせた。

「つまり、その、彼らが事件に関係している可能性があるということですか?」

「それを調べるために、こうして学校まで足を運んでいます。先生方から見て、何か気になったことはありませんか? 最近の青山兄妹の様子でいつもと違った点など……」

「いえ、特に変わったことはありません」

「私も思い当たるようなことは何も」

 彼らはきっぱりと言い切った。

 自分が担任する生徒を信じたい、或いは妙なことに巻き込みたくないという思いもあるのだろう。二人の表情は誰が見ても分かるくらい固かった。

 いくつか青山兄妹の学校での様子を聞き出したが、事件と関わりがありそうなものは引き出せなかった。これ以上は無理に追及しても答えるとは思えない。金森と無言で視線を交わしあった御伽は軽く息を吐いた。

「分かりました。では、もしも後で何か思い出したとか、気になることがあれば、いつでもご連絡下さい」

 定番のような言葉を告げた御伽は連絡先を残すと、金森と連れ立って応接室を後にした。



「どう思う?」

 セダンに乗り込んですぐに金森が神妙な顔で訊いた。先ほどの聴取で引っ掛かるものがあったようだ。

「山中先生は本当に何も知らないようっすね。驚き方にも嘘は感じられませんでした。けど、滝川先生は……」

「ああ。どうも落ち着き過ぎているように思える」

 困惑した姿も態とらしさがあった。咄嗟に出る反応と、待ち構えていたタイミングで出す反応とは、やはり他人の目から見ても微妙な違和感が残るのだ。

 普通なら見落としていたかも知れないが、隣に本気で戸惑っていた様子の山中がいたからこそ、その対比が目についたのだろう。

「もう少し周囲を当たってみましょう。生徒達から何か聞けるかも知れません」

「二人の両親にも話を聞かんとな」

 互いに頷き合った御伽と金森はひとまず学校から立ち去った。

 青山の家を訪問するまで時間もあることから、御伽達は先に青山兄妹の同級生を当たることにした。

 近所に住む者から殆どしらみ潰しに調べたが、思うような成果は得られなかった。

 兄妹はあまり友達と遊ぶことがなく、いつも二人きりで身を寄せ合っているらしい。どんな子かと聞かれても同級生達は上手く答えられないようだった。

 家庭環境もあって輪に入れないのだろうか。けれど、それだけにしては妙に引っ掛かる。互いに釈然としないものを感じながら御伽達は次の聞き込みに向かった。

 最後の家を廻り終えると、続いて後回しにしていた青山宅へやってきた。

 午後六時半。パートから帰ったばかりの母親も夕食の段取りで忙しいだろうが、そこは捜査のためと思って目を瞑って貰いたいところだ。

 案の定、迷惑そうな顔をした相手に形ばかりの謝罪をし、御伽達は聴取を行った。

 母親の名は亜香里あかりというらしい。名前に反して、見るからに不機嫌そうな顔付きをしており、あまり愛想の良い性格ではないのか、警察を前にしても作り笑いすらしなかった。

「ああ、亡くなったのって、あそこのケーキ屋の店長さんですよね。休憩時間に聞きました。結構広まってるみたいですよ」

 真っ昼間に起きた事件だ。それほど広くない商店街であれば、噂も瞬く間に浸透するに違いない。

「お子さん達がいつもお菓子を貰っていたようなのですが、何かご存知ではありませんか? お母さんの目から見て、気になったことなどがあれば……」

「ちょっと待って。お菓子ですって?」

 金森の問い掛けを遮り、眉を吊り上げた青山は家の中を振り返って怒鳴った。

「あんた達! また他所様に集ったの? みっともないことするんじゃないって言ったでしょう!」

「ま、まあ、落ち着いて下さい。それはあくまでも風間さんのご厚意で……」

「刑事さん。これはうちの家族の問題なんです。余計な口出しはご遠慮願えますか」

「あ、はい」

 あまりの迫力に金森は腰が引けてしまっていた。こういう肝っ玉と呼ばれる類いの女性は苦手のようだ。

 呆れた眼差しを向けた御伽が代わりに引き継ぐ。

「そこは後からご家族でじっくり話し合って下さい。まずはこちらの質問にお答え頂けますか」

 仕方なさそうに視線を戻した青山は暫く考えるようにしてから改めて口を開いた。

「親として情けないことですが、そもそもあの店に通っていたことも知らなかったんです。お答え出来るようなことはありません」

「そうっすか」

「ただ、うちの子達は、主人には何でも話しているようなので、あの人なら知っていることもあるかも知れません」

 このまま何も掴めない状況が続きそうだったが、可能性があるのなら賭けたいところである。御伽と金森は顔を見合わせ、頷き合った。



 父親はこの付近の道路で旗ふりとして働いているらしい。午後七時を過ぎた頃、青山から教わった地図を頼りに訪れた工事現場で相手を探していると、三人目に至って漸く対象の人物に接触が叶った。

 警察が来たということで、僅かに警戒していた父親は、こちらが昼間の事件について訊ねると、漸く捜査の目的を理解した様子で緊張を緩めた。

 疚しいことがなくても警察から事情聴取を受けるとなれば身構えるのは当然のことだ。逆にリラックスしている人間の方がありえないので、彼の反応を御伽達が不審に思うようなことはなかった。

「お仕事中に申し訳ありません。ご近所の洋菓子店で起きた事件の捜査で参りました。ご協力頂けますか?」

「あ、ええ。構いません」

 少し拍子抜けした様子で彼が了承する。首に掛けていたタオルで汗を拭いながら「こちらへどうぞ」と言って休憩室プレハブに案内した。

 互いに向かい合う形で椅子に座った御伽達は早速、青山兄妹が風間から毎日おやつを与えられていたことについて説明した。

「ああ、二人から聞いています」

 母親とは異なり、父親の光孝みつたかは驚かなかった。

「何度かお礼にも向かいました。とても親切な方で、自分が好きでやっていることだから、と仰って」

 光孝はその時のことを思い出すかのように目尻を下げる。

「恥ずかしながら、ここずっと贅沢などさせてやれなかったので、正直なところ助かっていたんです。それで、ご迷惑でないならとご厚意に甘えさせて貰っていました」

「その時、風間さんのご様子で何か気になったことはありますか?」

「いえ。特には」

「子供達から何か聞いたりは――」

 問い掛けに首を振ろうとしていた光孝はハッと思い立った様子を見せた。目敏く気付いた御伽が追及する。

「何かありました?」

「あ、いえ。大したことではありませんので」

「たとえ小さなものでも事件を解決する糸口になる可能性もあります。お答え頂けますか?」

 光孝は僅かばかり渋ってはいたが、じっと見つめてくる御伽に気付き、仕方なさげに口を割った。

「昨日、息子のクラスで家庭科実習があったそうです。その際に作ったマシュマロを、普段のお礼として風間さんにプレゼントしてきた、と」

「マシュマロっすか」

「届けた時に何かを見てしまったりしたんでしょうか? あの子達に危険なことは――」

 話していて急に怖ろしくなったようだ。光孝は子供達を心配して御伽達に訊ね返す。

「まだはっきりとは分かりませんが、可能性がないとも言い切れませんので、ご両親の方でも気を付けるようにして下さい。我々も犯人早期逮捕のため、全力を尽くしますので」

「分かりました」

 やはりどうしても不安はあるようだが、ここで詰め寄っても何か変わるものでもないと理解出来る程度の理性はあるらしい。光孝は自身を納得させるかのように重く頷いた。



「やはりもう一度あの兄妹に話を聞いた方がいいな」

 工事現場から離れたところで金森が呟いた。御伽もそれに同意しながらスマートフォンを操作する。

「まずは死因の特定を待ちましょう。そこから崩して行った方が容疑者も絞りやすくなるはず……」

 話の途中で段々と御伽の声が小さくなる。何事かと訝しむ金森が視線を向けた先で、御伽は険しい表情で手元の液晶画面を睨み付けていた。

「御伽?」

「金森さん。ちょっと科捜研に寄りたいんで車出して貰っていいっすか」

 いつになく真面目な顔をした御伽が訊ねる。それを見て金森は目を丸くした。

「構わんが、結果が出るのは明日じゃないのか?」

「それとは別件っす」

 素っ気ない彼女の返答に、また伝手を使って勝手に調べさせているのだろうと考えたようだ。

「帰宅が遅くなるぞ」

「大丈夫っす。遅くなることは伝えてあるんで」

 待ち時間を使ってケーキの予約も既に済ませている。あとは受け取りに行くだけだ。待っている相手も幼い子供ではないし、少しくらい時間が伸びても駄々を捏ねたりはしない。

「分かった」

 何処となく違和感を抱いているようだが、金森はそれ以上深く追及しなかった。セダンに乗り込み、何も言わず警視庁へと走らせる。

 助手席に座った御伽はもう一度自身のスマートフォンを見下ろした。そこにはメール画面が表示され、短い言葉が綴ってある。


――石になった忠臣ヨハネスを王様は救い出せる?


 いつもと同じように意味深なメッセージだ。

 送信元は不明であるが、御伽には相手が誰であるかは既に分かっている。そして、この言葉が何を指しているのかも予想がついていた。

 御伽はメール画面を閉じると、SNSを開いてメッセージを送る。何度か続けて送信するが、返事が届くどころか、既読にすらならない。ますます厳しい顔付きになった彼女はぎりっと唇を噛み締めた。

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