四、

 本庁に到着した途端、金森におざなりな挨拶だけ残し、御伽は科捜研の研究所まで急いだ。

 入口から中へ駆け込んだ彼女は、各々作業をしている研究員達をぐるりと見回す。目的の相手がいないのを見て、傍にいた若い男性研究員に詰め寄った。名札には梶原かじわらと書かれている。

「准ちゃんは!?」

 彼は迷惑そうに振り返るが、相手が安藤のお気に入りである御伽だと分かると、僅かばかり態度を改めた。

「友人の誕生日会を茶化しに行くから早めに帰るって。あれ、確か御伽さんから誘われたって聞きましたけど」

「いつ?」

「え?」

「准ちゃんがここを出たのはいつ?」

 首を傾げる彼を呆れて見ていた女性研究員が横から割り込んだ。

「ちょうど十五分前よ。入れ違いになったんでしょう。もう着いている頃じゃないかしら」

 それを聞いた御伽は、握っていたスマートフォンから電話を掛ける。数コールで出てきたのは西宮だった。

「どうした?」

「准ちゃんはもうそっちに着いてる?」

「いや、まだ来てないが」

 切羽詰まった様子の御伽に驚いたらしい西宮だが、すぐに固い声で続けた。

「あいつが狙われたのか」

「分からない。創一を狙っているように見せかけて、本当は准ちゃんが目的だったのかも。勘違いならいいけど……」

 御伽は声が震えるのを誤魔化せなかった。

「まず落ち着け。お前は今、何処にいるんだ?」

「科捜研」

「だったらあいつの番号を追跡させろ」

 そう告げられて御伽は我に返る。普段の御伽ならあり得ない見落としだ。焦りのあまりそこまで思考が回らなかったらしい。

「うん。そうだった。頼んでみる」

「こっちも何かあれば動けるようにしておく」

 つまり、場合によっては警視総監も動くことになるということだ。頼もしい限りである。

 もしもの時は協力を得られるようにと話を通し、一旦通話を切った御伽は科捜研の研究員達に安藤の追跡を頼んだ。

 彼女の様子から尋常ではないものを感じたらしい彼らは、手続きがどうとか面倒なことは言わず、すぐさま動き出した。捜索相手は自分達の所長だ。真剣にもなるだろう。

 結果はすぐに出た。場所はここから一キロ先の廃墟ビルだった。こんなところに彼が立ち寄るとは思えない。やはり何かあったのだ。血相を変えた御伽は急いで駆け付けようと研究室の出口へ向かう。

 と、その時だった。スマートフォンが震え、メッセージの受信を知らせた。

 確認すると、相手は安藤だった。メッセージはなく、動画だけが添付されている。御伽は険しい表情でそれを開いた。

 画面に映ったのは、質素な室内だった。窓枠は全てのガラスが取り外され、壁は劣化してペンキが剥がれている。床には撤去途中で放置されたらしい鉄パイプや木板、セメントの袋が見えた。

 そして、画面の中央には、拘束された状態でパイプ椅子に座らされた男性が映っていた。俯いて気を失っているようだが、確かに見覚えのある背格好だ。

「准ちゃん?」

「せーいかーい」

 まるで御伽の呟きを拾ったかのようにスピーカーから声がした。録画されているものだ。そんなはずはないと分かるが、タイミング良く受け答えされたことで生配信された映像のようにも見えてくる。

 声と同時に画面に現れたのは、昼間に出会ったゴス系のワンピースを着た女性だった。御伽のかつての友人である、久遠芽依だ。

「栞からいい返事を貰えなかった腹いせに、安藤さんを拐ってみたの。予想外だったでしょう?」

 久遠は悪戯が成功した子供のように楽しげだ。吊り上げた赤い唇が笑みを象っている。

「でも、栞ったら薄情よね。昔から可愛がってくれてた安藤さんを忘れて、西宮さんの心配ばかりしてるんだもの」

 御伽は表情を歪めた。決して安藤をぞんざいに扱っている訳ではない。西宮の名を出されたせいでそちらに意識が向いてしまったのだ。

 それは久遠も十分に理解しているだろう。だからこそ、敢えて西宮の名前を出して御伽を動揺させた。どうやらまんまと彼女の策に嵌まってしまったようである。

「先に送っておいたメッセージは読んだ?」

 忠臣ヨハネスのことで間違いない。久遠はにこやかな微笑みを湛えながら一歩身体を引き、再び椅子に縛られた男性を画面に映した。

 目を覚ました彼がカメラに向かって力なく御伽の名を呼ぶ。それを見て、御伽は舌打ちした。

「彼を助けたければ、あなたの大切な人の命を差し出してね。じゃないと、ヨハネスみたいに本当に石にしちゃうから。あ、彫刻になった安藤さんとずっと一緒にいたいって言うならそれでもいいわよ」

 傍に置かれていたセメント袋には、そういう目的があったのだと言外に示していた。映像が終わると、一緒に動画を覗き込んでいた梶原が蒼白な顔になる。

「こ、これ、拙いですよね。所長が人質とか……。え、どうするんです?」

「どうもしません」

 御伽が忌々しそうに吐き捨てた。今にもスマートフォンを投げつけたいのを堪え、ギリギリと力一杯に握り締める。

「どうもしないって、何ですかそれ! 所長はずっと御伽さんのために……」

「これ、ディープフェイク動画っす」

 激昂する梶原の言葉を遮り、御伽は冷たく返した。冷静を装っているが、腸は煮えくり返っている。

「准ちゃんは普段、私のこと“ちゃん”付けで呼んでますけど、余裕がない時とか普通に呼び捨てなんす。あの状況でいつもみたいに呼ぶなんてあり得ません」

 梶原は唖然と御伽を見つめた。言われた意味を正確に理解出来なかったのかも知れない。

 そこで再び御伽のスマートフォンが震えた。今度は電話のようだ。相手は西宮である。御伽は素早く通話ボタンを押して耳に当てた。

「はい」

「栞。安藤は無事だ。途中でスマホを落としたことに気付いて、近所の交番に届け出をしていたせいで遅れたらしい。電話に繋がらなかったのもそのせいだ」

 御伽はホッと息を吐くと、安藤に代われるか訊ねた。

「ああ。今、代わる」

 了承を得てすぐにスピーカーモードに切り替え、研究員達にも聴こえるようにする。

「栞ちゃん、ごめんね。心配させちゃったみたいで。こっちは無事に着いたから。栞ちゃんも早く帰っておいで。君がいないんじゃ来た意味ないからさ。オッサン二人で誕生日会とかマジであり得ん。萎える」

「うん、分かった。すぐ帰る」

 本気で嫌そうな声の安藤に噴き出しそうになりながらも、御伽はいつも通りに答えた。研究員達に視線を向けると、彼らも安堵の表情を浮かべている。

 通話を切った御伽は、自身のスマートフォンを傍にいた梶原に手渡した。

「今の動画、調べればディープフェイクだと分かると思います。お願い出来ますか」

「あ、はい。もちろん」

 安藤を見捨てたのではと疑って怒鳴ろうとしていた彼は、何処か恥じ入るように俯き加減でスマートフォンを受け取る。それから手早くパソコンに動画をコピーして、スマートフォンの本体を御伽に返した。

「あ、あの、御伽さん。すみませんでした」

 頭を下げる梶原に驚いた彼女は、微かに笑みをこぼす。

「いえ、自分がこんな態度で誤解させたのが悪いんで。取り敢えずあとは宜しくお願いします」

 動画のデータ解析を頼み、研究室を出た御伽は、足早に廊下を歩いて帰宅を急いだ。



 予約していたケーキを受け取って帰宅した御伽は、玄関で出迎えた安藤に向かって頭突きするような勢いで飛び付いた。

「無事で良かった」

「うん。西宮から少し聞いたよ。本当にごめんね」

 難なく受け止めた彼は、肩に顔を埋めて黙り込む御伽の髪を労わるように梳く。と、そこに現れた西宮が割り込み、二人を引き剥がした。

「感動の再会は以上。さっさと飯食うぞ」

 お前はこっち、といわんばかりに御伽の襟首を掴んで自身の脇に引き寄せた西宮は、犬を追い立てるように安藤を促す。

「え。まだ栞ちゃん堪能してない」

 役得とばかりにへらへらと御伽を抱き締めていた安藤は、急になくなった温もりに不満顔を浮かべる。

 が、握り締めたお玉杓子をぎりぎりと軋ませながら、まるでチンピラの如く「ああん?」と柄悪く凄む西宮に、流石の安藤も口を噤んだ。素直に従った方が利口だと思ってか、肩を竦めた彼はすごすごとダイニングへ足を向ける。

 それを見送った西宮は振り返り、御伽の頬を摘まんだ。

「いくら相手が安藤だからって不用意に抱き着くなって言ってんだろ。というか、お前はいつも下心を隠しきれてない相手に気を抜き過ぎだ。もう少し警戒心を――」

「創一。嫉妬?」

 からかい混じりに言った御伽に向かって笑みを深めた彼は、ますます強く頬を引っ張った。痛い、と涙目で抗議する彼女の耳元に唇を寄せ、西宮が低い声で囁く。

「お前、後で覚えとけよ」

 その言葉は効果覿面だった。一瞬にして固まってしまった御伽を見下ろして彼はニヤッと笑う。

「運のいいことに、今日は俺の誕生日だしな。少しくらい破目を外しても許されるだろ。お前が理解するまできっちり相手してやる」

「何それ。無理して後に響くのいつも創一の方でしょ」

「言ってろ、言ってろ。その生意気な態度がいつまで続くか見物だな」

 身を離した彼はひらひらと手を振りながらダイニングへ向かう。その背をムッとした表情で見送った御伽は、ケーキの箱を持ち直し、挑むように後を追った。

 手を洗って席に着いた御伽は、テーブルに並んだ豪勢な食事に舌鼓を打ちながら、二人にも何が起きたのかを説明した。

「おちょくられたんだと思う」

 御伽の声には隠し切れない苛立ちが含まれていた。

「芽衣は私の弱みを知っているから」

 恐らく最初から西宮や安藤を傷付ける気はなかったのだ。御伽をからかうために演出したのだと思われる。

 きっと慌てふためく御伽を想像して笑っていたに違いない。事実、二人の無事を確認するまで、御伽は尋常でない焦りを見せていた。

 しかし、これは単なる冗談として見過ごせるものではない。相手はやろうと思えば簡単に出来るのだと証明した。そうと気付かせず安藤に接触し、スマートフォンを奪い、事前に準備していた動画を送りつけてきたのである。

 ひょっとしたら御伽の一歩先を行っていることを見せ付けたかったのかも知れない。自分を捕まえられるなら捕まえてみろという挑発のメッセージだった可能性はある。

 とはいえ、今回の件は完全に御伽の逆鱗に触れてしまった。それを分かっていながら行ったのだとすれば、久遠芽衣は相当性格が悪いか、自分に自信があるかだろう。

「あっちがその気なら受けて立ってやろうじゃん」

 どちらにしても、これが御伽の闘志に火を点けたのは間違いない。

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