七、

「ただいま」

 午後七時四十分。世田谷区にある自宅へ戻った御伽は、玄関の扉を開け、気怠げな顔で呟くように帰宅の挨拶を告げる。

 脱ぎ捨てた靴を適当に直し、廊下を進んで一番奥の扉を開けると、広々としたダイニングキッチンが彼女を迎えた。

「おう。おけーり。飯出来てんぞ」

 キッチンテーブルの向こうから人影が振り返った。薄青のエプロンを身に着け、手にはお玉杓子を握っている。

 鼻筋が通った二枚目で、くっきりとした涙袋が特徴の男だ。目尻に出来た笑い皺には妙な色気がある。引き締まった体型をしており、服の上からでも鍛え上げられた胸筋や二の腕が見て取れた。道を歩いているだけで女性の注目を浴びるそうなほど、ハイレベルな容姿をしている。

「手洗ったらテーブルに並べてくれ」

「ん」

 短い返事をした御伽は、鞄を椅子の上に置き、洗面台へ向かう。言われた通りに手洗いを済ませ、すぐに戻ってくると、盛り付けられた大皿をテーブルに並べた。

「サンキュ」

 全てを並べ終わると、傍にやってきた彼が頭をくしゃっと撫でてきた。と同時に、嗅ぎ慣れた香りが鼻孔を擽り、思わず口元を緩める。事件によって嫌な思い出に変わりそうだったものが、すぅーっと綺麗に塗り替えられていくようだった。

 二人分の茶碗にご飯を盛り付け、味噌汁も準備出来たところで、御伽は彼と向かい合う形で席に着いた。手を合わせ、同時に「いただきます」と言うと、それぞれが箸を手にして食事を始めた。

「で、今回の事件はどうだったんだ?」

「もちろん解決したよ」

「また一課の奴らを振り回してんじゃないのか?」

「してない」

 即座に否定した御伽だが、少しだけ考えてから訂正した。

「准ちゃんには、ちょっと迷惑かけたかも」

 上の判断を通さずに直接頼んだものがいくつかあったのだ。事後報告として土屋には連絡したが、科捜研を一時的に私物化したようなものなので、褒められることではない。きっと安藤にも余計な仕事を増やさせてしまった。

「あいつはどうでもいい」

 しかし、目の前の男は呆れた顔をした。

「好きなだけ扱き使ってやれ。お前に頼られるのが生き甲斐みたいな奴だからな」

 随分な物言いである。とはいえ、それも気心の知れた間柄である所以ゆえんだろう。安藤とは高校時代からの同級生で、現在に至るまで交友関係が続いているそうだ。本人達は腐れ縁と言っているが、ここまで長く友人でいられるというのは、互いに気が合う証拠である。

 この後も男が話題を振り、御伽が短く返すというやり取りを繰り返しながら食事を終えた。二人はまたもや揃って「ごちそうさま」を口にする。

 実際の会話は少ないが、親しさは十分に伝わる姿であるに違いない。



「着替えてくる」

 片付けを始める彼に一声掛け、御伽は二階にある自室へ向かった。階段を上り、自身の名前が書かれたプレートを吊るした扉を開ける。

「ただいま、ヨモギ」

 部屋に到着するなり、彼女は窓側に設置された水槽ゲージに向かって話しかけた。

 そこには一匹のカメレオンがいた。斜めに立て掛けた木の枝に掴まって、ぎょろりとした目を忙しなく動かしている。

「はあ……可愛い……」

 これまで殆ど表情の動かなかった御伽が蕩けたようにカメレオンを見つめた。彼女が指先でちょんちょんとガラスを突くのに合わせて、カメレオンの目玉がぐるぐると動く姿を眺めて恍惚とする。

 同僚達が見ればパニックになりそうなほどの別人ぶりに違いない。金森に至っては、きっと御伽が壊れたと思って失神するだろう。この姿を目にした相手の反応を何度か見てきた御伽は、頭の片隅でそんなことを考える。安藤であれば可愛いといって写真を撮りまくるのだが、大抵は驚かれることの方が多かった。

 もちろん、だからどうということはない。好きなだけペットのカメレオンの姿を堪能した御伽は、スーツを脱いでシャツと短パンという楽な服装に着替えた。

 身軽になった彼女はデスクに着いてパソコンの電源を入れる。起動してすぐにメールの着信を知らせる音が鳴り、メールボックスを開いて中身を確認した。

 受信は一件だ。知らないアドレスからだった。件名には何も書かれていない。

 迷惑メールの可能性もある。ウイルスに感染している場合もあるかも知れない。通常であれば読まずに削除するだろう。だが、何かしらの勘が働き、御伽は躊躇わずにメールを開いた。

 そこにあったのは短い文章だ。一文が視界に飛び込んできた瞬間、彼女は険しい表情で画面を睨み付けた。


――シンデレラの結末は気に入った?  レディ・グリム

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