六、
午後一時半。あれから御伽達に連行された伊吹改め桐山小百合と、土屋が確保した王地美紀の取り調べが警視庁にて行われた。
担当するのは金森だ。自分だけ情報共有出来ていなかったことに未だ納得のいっていない様子であったが、ここで名誉挽回するつもりなのか、少しばかり意気込んでいるのが分かる。
桐山に関しては概ね御伽の推理通りだった。既に誤魔化しが利かないと悟ったことで、言い逃れすることもなく、この事件の共犯であったことを肯定した。
「美紀に頼まれたんです。一度、父親と腹を割って話したいから協力して欲しいって。あまり彼と上手くいっていないようだったから驚きましたが、泣き付かれたので仕方なく……」
「上手くいっていない、とは?」
桐山は僅かに口籠るが、金森の厳しい視線に負けて躊躇いながらも続けた。
「美紀は彼の本当の娘じゃないんです。夫が仕事で家を空けている間、何処かの男を連れ込んで作った子でした。相手は分かりません。姉にはそういう男が何人もいたので」
別室からマジックミラー越しに自供を聞いていた御伽は顔を顰める。ここの家庭は明らかにおかしい。誰もかれもが浮気ばかりだ。流石に異常である。隣に並んでいた土屋も引き攣った表情をしている。
「でも、彼だって姉を責めることは出来ません。姉の所業を盾にして私に関係を迫ってきたんですから」
流石に金森も渋い顔になる。
「つまり、あなたは紀和さんと男女の関係にあった、と?」
「ええ。といっても、たった一度の過ちです。彼も妻の浮気を知って自棄になっていただけのようですから。特に君枝さんと出会ってからは、あのことを後悔して酷く悩んでいるようでした。姉が亡くなってからも私を家に置いたのは、余計なことを言われないかと顔色を窺っていたせいでしょう」
追い出しては桐山の動向が分からない。外で君枝に接触し、あることないこと言われては堪らないと考えた可能性がある。
「けれど、そのたった一度を美紀に気付かれてしまったんです。姉にそっくりの薄ら笑いを浮かべて美紀は脅してきました。言うことを聞かないと君枝さんに全て伝える、と」
桐山は疲れ切ったように大きな溜息を吐く。
「関係を持ったことがあるからといって紀和さんに対して愛情があった訳ではありません。お好きなように、と言いたいところでしたが、何も知らない君枝さん達を思うと同情心が湧いてしまい――」
「美紀さんの我儘に従うことにしたんですね」
「正直、あの家に居続けるくらいなら追い出された方がマシでした。だから思い切り美紀の希望通りにやってやりました。案の定、度の過ぎた行為に目を瞑れなくなった君枝さんが解雇通知を出してきたんです。これで解放されると安堵しました」
彼女としても息の詰まる環境だったようだ。解雇されたのを機に、月島家から離れ、一から人生を歩み直そうとしたらしい。ところが、そうは問屋が卸さなかった。
「私がいなくなってから、美紀が家に閉じこもるようになったというのを風の噂で聞きました。関係ないとは思いながらも、やはり何処か身内の情というものがあったのか、ふっと思い立って変装して様子を見に行ったんです。そうしたら偶々顔を出した美紀に気に入られ、家政婦として雇われることに」
運の悪いことに、ちょうど次の家政婦を決めるために顔合わせを行う日だったらしい。君枝達を誤魔化すために別人として面接したところ、なんと採用されてしまったという。
「後から知ったのですが、美紀は最初から分かっていて私を面接させたようです。とはいえ、彼女が嫁いで家を出た後は比較的平和でした。あの日、あんな頼みを聞くまでは――」
頭を抱えながら、彼女は懺悔するように言った。
「普通にお願いしただけでは話を聞いてくれないからと美紀に言われ、代わりに私が『桐山小百合』として紀和さんに連絡しました。一晩だけ会って話をしたい、と。彼は渋っていましたが、熱心にお願いして何とか頷いてくれ、君枝さんが取引先との会合で遅くなるという八月八日の深夜に約束を取り付けました。それを美紀に話すと、『夫に内緒で会うから、気付かれないように自分と入れ替わって欲しい』と頼まれて」
妙だとは感じたようだが、心配させたくないという美紀の言葉を信じたそうだ。結婚して落ち着いたように見え、以前の美紀とは違うと思っていたのもあるという。
そして、八月八日の晩。二人は互いに示し合わせて変装し、入れ替わりを行った。
「ホテルに到着して、美紀の旦那さんを初めて見ました。自分の妻だというのに変装に気付いた様子もなく、全くの無関心で、こちらを見る目には嫌悪すら浮かんでいる。とても驚きました。部屋も別々で――変だと思ってフロントまで後を
二人の浮気に気付いたらしい。この瞬間、少なからず持っていた君枝に対する同情心も吹き飛んだようだ。
「翌朝、大阪から戻り、出勤してすぐに紀和さんが亡くなっていることに気付きました。屋敷中に異臭が漂っていたので分からないはずもありません。美紀がやったのだと理解しましたが、責める気力はありませんでした」
月島家の人間に対するどうしようもない脱力感を抱いたそうだ。話を聞いているだけの御伽にも何となく分かる気がした。呆れとも失望ともつかない冷めた気持ちが胸に過る。
「警察へ通報する前に、美紀の痕跡を消そうと思ったのは、叔母としての情というより、君枝さんへの不満があったのだと思います。それに、あのままだと私の犯行に思われていたかも知れない。美紀はそのつもりだったはずです。本気で彼女に罪を着せるつもりはありませんでした。困らせてやりたかった――それだけです」
桐山の言葉に偽りはないようだった。しかし、結果として捜査を混乱させたこと、更に犯行の手伝いをしたことは覆しようのない事実だ。相応の処分が下るだろう。
問題となる美紀の取り調べは、交代して御伽が受け持つことになった。テーブルを挟んで向き合い、温度のない御伽の目が真っ直ぐと美紀へ向けられる。
「今回の事件、シンデレラ贔屓の魔法使いのお蔭で随分と手間取らされました」
思いがけない言葉だったのか、少し驚いたように目を丸くした美紀は、次の瞬間には少女のようにフフッと微笑んだ。
「意外です。刑事さんもシンデレラがお好きなんですか?」
「知り合いが童話好きなんすよ。耳にタコが出来るくらい聞かされました」
「まあ」
上品に口元を抑えて笑う美紀は確かに育ちの良いお嬢様だ。見ようによれば、物語の中から飛び出してきたお姫様のようでもある。
「その知り合いは、シンデレラは絶対に幸せになれない、というのが持論でしてね」
「どういうことです?」
笑みを象っていたはずの美紀の顔が変貌した。今度は逆に御伽がニヤッと笑う。
「王子様とは育ちが違うから、二人の夫婦関係には擦れ違いが起き、いずれ無理が出て破綻するだろうというのが一つ。まともな教育もされていなかった平民の娘には、現実問題として妃としての器量はないというのが一つ。もちろん結婚が決まってから学べばいいでしょうが、些細な仕事さえ動物にさせて楽をする娘に堪えられるはずがないとのこと。それから――」
「待って下さい。その人はシンデレラをご存知ないのでは? 意地悪な継母や姉達から酷い扱いを受けながらも、健気に頑張っていたシンデレラが王子様に見初められて、今までの努力が報われる話ですよ」
御伽はすました顔で「いいえ」と首を振る。
「グリム童話の初版から読破している強者っすよ。彼女曰く、シンデレラは怠け者の癖に被害者面で王子に取り入って結婚し、姉達や父親に復讐して嘲笑う性格の悪い女らしいっす」
「何ですかそれ……」
「実に興味深い考え方っすね。けど、だからこそあなたが選ばれた」
「え?」
意表を突かれたような顔をする美紀に向かって、御伽は持ち込んでいたファイルを差し出した。
「一月前に、あなたのお姉さん達が遭遇した交通事故をご存知っすか?」
「え、ええ。少しだけですが……」
「居眠り運転が原因として処理された事故っすが、この時のトラックの運転手は不可解なことを口にしていたそうっす」
ファイルを開くと、調書の写しが現れた。個人情報に関しては黒く塗り潰されていあるが、必要な部分は読めるので問題ない。御伽はトラックの運転手が発言したとされる箇所を読み上げる。
「一休憩入れようと思って自動販売機に立ち寄ったら、先に綺麗な女性がいて『良かったら貰ってくれませんか』と紙コップのコーヒーを渡された。ブラックは飲めないのに押し間違えてしまったと言っていた。困っている様子だったし、タダで貰えるんなら得だと思って受け取った。貰ったコーヒーを飲み干して運転を再開したが、途中から記憶がない。気付いたら事故が起きていた」
彼以外にその女性の姿を目撃した者はおらず、証言に出てきた紙コップも見付からなかったので、運転手の作り話として担当の警察は取り合わなかった。
更に、間の悪いことに、運転手はこの時、風邪薬を服用していた。薬物の検査もしたが、風邪薬の成分しか検出されなかったという。女性に薬を盛られたとの証言は認められなかった。
ドライブレコーダーにも彼の証言を裏付けるものは映っていなかった。幸いなことに月島姉妹は命まで奪われることはなかったが、一生残る障害を負わせてしまったため、運転手は過失運転致傷罪で起訴され、実刑を受けたのだ。
「まさか、私の仕業だというんですか?」
「そうだとしたらどうします?」
御伽は準備していたタブレット端末を掲げ、手慣れた様子で操作する。画面に現れたのは一枚の写真だった。若い女性が白い軽自動車を走らせる姿が激写されている。ナンバープレートまでくっきりと映っていた。隅に記された日付は一ヶ月前のものだ。
「事故が遭った当日、スピード違反で捕まったのを覚えていますね? 現場からそれほど遠くない国道っす。記録に残っているんで間違いありません。焦って現場から離れることばかり考えていて、速度にまで気に掛ける余裕がなかったみたいっすね」
「言いがかりよ!」
血相を変えた美紀が叫んだ。
「あの場所にいたのは偶然です。私は何も知りません。事故のことだって後で聞いて驚いたくらいで――」
「証言にはこうもあります」
再びファイルに目を落とした御伽が読み上げる。
「白いブラウスと、ベージュのスカートを穿いた、モデルみたいにスレンダーな美女だった。少しだけ世間話もした。意地悪な継母と二人の義理の姉がいて、とても苦労してきたって。シンデレラみたいだな、って言ったら『そうなのよ』と嬉しそうに笑った。理想の王子様と出会って幸せに暮らしていたけど、やっぱり悪いことをした人間が罰を受けないなんて良くないから、自分が立ち上がるんだと言っていた」
画像に映っている美紀の服装は確かに証言の通りに見える。何よりもその女性が口にしたという“世間話”が全てを語っていた。相手を油断させるために切り出したのかも知れないが、成人してまでこんなことを臆面もなく言えるのは美紀くらいであろう。
あまりに非現実的な女性像であったことから、残念ながら取り調べでは運転手が罪を逃れたいがために作り上げた妄言とされたらしい。
御伽は画像をスライドさせ、別の写真を映し出す。自動販売機の前に立つ男女の姿があった。女性の方は、白いブラウスとベージュのスカートを穿いている。
「近隣の防犯カメラの映像も洗い直しました。美紀さん。確かにあなたが男性に紙コップを渡している場面が向かいのコンビニのカメラに映っていました。これでも“偶然”と仰りますか?」
御伽の冷めた目が真っ直ぐに美紀を捕らえる。咄嗟に反論しようと口を開きかけた彼女であったが、結局は何も言えず、観念したように項垂れた。
「ええ。そうよ。認めるわ。あの事故も私が仕組んだの」
既に紀和殺害も合わせ、証拠が出揃っている状況で言い逃れは出来ないと悟ったようだ。
「だって、信じられる? あいつらこの私を差し置いて自分達だけ幸せになろうとしてたのよ。許せるはずがないじゃない」
憎しみに歪んだ醜悪な顔で美紀が吐き捨てた。どうやら英理と真理にも長年付き合っている男性との結婚の話が持ち上がっていたようだ。しかし、どうやら事故が原因で白紙になるかも知れないとのことであった。
「いい気味よね。歩けないどころか視力まで失って。あんなお荷物二人、誰も面倒なんてみないわ。冷たい病室で、姉妹二人だけで寂しく生きていけばいいのよ」
「あなたが幸成さんに愛されないことと、お二人が結婚されることは関係ないと思いますが」
御伽がそう告げると、美紀は射殺さんばかりの強い眼差しで睨み付けてきた。
「何言ってんのよ。私が幸せになれないのは意地悪な継母と姉達のせいに決まってるじゃない。私はシンデレラなの。王子様とハッピーエンドを迎えるはずなのに、あいつらがお話通りの結末にならないから、この私がいつまでも灰被りなんてやらなきゃならないんじゃないのよ」
傍目からすれば意味の分からない発言だろう。別室から見ている土屋達はきっと唖然としているに違いない。とりわけ美紀に夢を見ていた金森は、相当ショックを受けていそうだ。
「灰被り、とは面白いっすね。望んで今の立場になられたのでは?」
御伽がそっと一枚の写真を差し出すと、美紀は息を呑んだ。そこには、美紀の姿と一緒に年配の男性が親密そうに並んで映っている。彼女の父親、紀和ではない。腹の突き出た、髪の薄い、見るからに中年親父という風貌の男だ。背景からしてホテル街だろうことも窺えた。
「幸成さんから提供して頂きました。離婚を考えていらっしゃった彼は、裁判が有利に運べるよう、美紀さんと彼のお父さんの関係を探っていたようっす。証拠もいくつか押さえていらっしゃるとか」
美紀を連行する土屋を呼び止めて、幸成が渡してきたという。
正直なところ、君枝と不倫をしていた幸成も証拠を突き付けられたら不利になるだろうが、彼にはそれを美談に変える手筈があるらしい。実際に社員達のイメージもそれほど悪くないように感じられた。
恐らく随分と前から水面下で都合の良い噂を流し、プロパガンダを行っていたのだろう。無理矢理結婚させられながらも愛を貫いた彼に正義があると言いたいのかも知れない。
「あなたのいうシンデレラが幸せになれないのは、王様を誘惑して結婚を取り付け、王子様が本当に愛する女性と引き裂いたからじゃないっすか?」
「煩い! 煩い! 煩い!」
美紀にもその噂は耳に入っていたようだ。頭を振り乱しながら泣き叫ぶ。
「仕方ないじゃない。幸成さんと結婚するには、お義父さんを取り込むしかなかったのよ。結婚するまで堪えればいいはずだったのに、肝心な幸成さんは夫婦になっても私に見向きもしなくて……彼と一緒にいるためにはお義父さんの力を借りなくちゃいけなくて……」
相手の気持ちも考えずに人生を狂わせれば避けられるのも当然だ。自ら努力すれば違ったのだろうが、幸成を振り向かせるために、そこで再び彼の父親を頼ったのが運の尽き。美紀はその後もずるずると関係を続けるはめになったということだ。
同情は出来ない。幸成の気持ちを軽く見た結果だ。幸成の父親もそれを理解した上で、美紀を自身の愛人に仕立てた可能性もある。
「そして、上手くいかない不満をお姉さん達や紀和さんへぶつけた。シンデレラのストーリー通りに」
抑揚なく告げる御伽の言葉に、彼女は力なく頷いた。
「本当はお父さんじゃなくて継母を殺してやるつもりだったの。でも、愛する夫を失う方があの女には一番の罰になるでしょう。娘達も役立たずのお荷物になったしね。叔母さんが上手い具合にあの女を犯人に仕立ててくれたし、あの女が代わりに逮捕されたら、今度こそ幸せになれると思ったのに――」
仮にも父親に手を掛けたという罪悪感は、美紀には一つもないようだった。自分が幸せになるためには家族さえどうでもいい。そういう人間なのだと分かり、御伽は何とも言えない苦いものを感じて溜息を吐いた。
王地美紀と桐山小百合の証言に食い違いはなく、警察側で捜査した証拠とも一致し、二人は各々の罪状で改めて逮捕されることになった。
この事件に関わった土屋班の殆どが後味の悪そうな顔で執務室へ戻る。仕事柄もあって男女のそういった後ろ暗いところは多く見ているはずだが、ここまで拗れているのも滅多にない。夢見がちでは済ませられない美紀のお姫様願望にも精神的な疲れを感じているようだ。
特に美紀の見た目に騙されていたところのある金森は、彼女の本性に誰よりも堪えているらしい。椅子にどっかりと座ると、頭を抱えながらデスクに突っ伏す。他班にも話は伝わっているようで、周囲からちらちらと同情的な視線を向けられていたが、どうやら気付いていない。
重たい溜息を吐き出す彼を横目で見た御伽は、大して気にも留めず、引き出しに鍵を掛けて立ち上がった。肩に鞄を引っ提げれば準備は完了だ。
「んじゃ、お疲れっす」
「はあ?」
さっさと部屋を出て行こうとすると、勢い良く顔を上げた金森が怒鳴り声を上げた。
「何が『お疲れ』だ、新人! 報告書も書いてねえのに帰れる訳がねえだろうが!」
「出来てます」
「は?」
「だから。報告書は纏めて警部のデスクに置いてあります」
御伽が指差したそこには、確かに書類がクリアファイルに綴じられた状態で置かれている。
「勤務時間も過ぎてるんで帰ります。皆さん、お疲れっした」
軽く頭を下げて挨拶する御伽に、一課の刑事達は「お疲れ」と声を掛けたり、片手を挙げて応えたりと反応を示した。
対する金森は、まだ状況が呑み込めていないのか、唖然として固まっている。それを放置して、机を避けながらすいすいと出口へ向かう彼女の耳に、苦笑混じりの落ち着いた声が届く。
「ま、天才肌ってやつだね。御伽さんは何をやらせても卒なくこなしちゃうから。羨ましいよ、本当に」
「芝さん……」
「金森くんも今日は大変だったでしょ。帰りに寄っていこうか」
「はい!」
背後から金森の元気な声が聞こえた。またオッサン二人で暑苦しいやり取りをしているに違いない。会話から察した御伽はそちらに視線を向けることなく、最後に一礼だけして執務室の扉を閉めた。
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