第40話 「ま、おまえも今は大人だから…話すぞ。」
〇里中健太郎
「ま、おまえも今は大人だから…話すぞ。」
高原さんの言葉に、俺は生唾を飲み込んだ。
「マノンがおまえを助けたあの日…嫁さんは病院で出産の真只中だったんだ。」
「えっ!?」
驚きのあまり、身体が大きく揺れた。
「だが、マノンが病院に行ったのは…深夜。」
「……」
あ…朝霧さん…
なんて事を…
事情を知らなかったとは言え、あんなに泣きじゃくってギターヒーローを困らせた事を後悔した。
あんな俺を見たら…そりゃあ朝霧さんは…
「もちろん、おまえのせいじゃない。ギターの事になると熱くなるマノンのせいだ。」
高原さんはそう言ってくれたけど…
そう言えば…
家に行った時…
かすかに、赤ちゃんの泣き声が聞こえた。
奥さんの足元には、小さな女の子もいた…
「光史はあの時10歳で…自宅で産気付いた母親のために救急車を呼んで、小さな妹と一緒に病院に行って…来ない父親をずっと待ち続けてた。」
「……」
「あの時から…光史はマノンの事を、父親とは思っていないんだ。」
確かに…俺のせいじゃないけど…
朝霧さん…バカだよ…
「父親と思ってないって…でも、事務所で一緒にいる所、見たりしますけど…」
「そりゃ仕事だからな。相手は父親じゃなく、Deep Redのマノンだから、仕方ないってね。そう思って接してる所があると思う。」
「……」
その言葉を聞いて、俺は…高原さんの提案に、乗る事にした。
「11歳の時、ギターレッスンの帰りに高校生に絡まれてる俺を助けてくれたのが…朝霧さんでした。」
俺は、カメラに向かって続けた。
今も…あの光景は忘れられない。
「朝霧さんは泣いてる俺に、大丈夫やから…って優しく声をかけて励まして…めちゃくちゃになったギターも…」
俺は少し間を空けて、その時のギターを取りだした。
「これが…あの時のギターです。」
あれからも何度か修理はしたが…
ずっと、大事に使い続けているギター。
「…でもこれ、朝霧さんのギターですよね。」
俺が大事そうにギターを触りながら言うと、撮影に立ち会ってた高原さんが、顔を上げて首を傾げた。
「俺のギターは…直らなかった。だけど、俺のギターはマノンモデル…朝霧さんのギターと同じで…だから、朝霧さん、自分のギターを綺麗に塗装し直して…俺にくれたんですよね。」
俺がそれに気付いたのは…
二ヶ月ぐらい経ってからだった。
確かに…小さな傷がいくつかあったが、高校生たちに蹴られたり投げられたりしたせいもあると思ってた。
だけど。
買ってすぐに、自分で窓枠にぶつけて出来た傷が…そこになかった。
そりゃあ…朝霧光史も…大変だったよな。
一人っ子な俺には、到底想像もつかないが…
小さな妹の面倒を見ながら、産気付いた母親を目の当たりにして…
しかも、自分だって心細かっただろうに…弱音も吐けない。
Deep Redのマノンだから、仕方ない。
その言葉は…酷く胸に刺さった。
俺達がギターヒーローと崇める裏で…そう思って、朝霧真音を父親としては諦める存在がいる。
だけど…
朝霧さんは、家族の事…
〇朝霧光史
『これ、朝霧さんのギターですよね。』
里中さんが、そう言って…ギターを見せた。
『俺のギターは直らなかった。だけど、きっと…朝霧さんはほっとけなかったんですよね…俺が、息子さんと年が近かったから…息子さんと重ねてしまって。』
会場中、みんな…スクリーンに目が釘付けだ。
立ったままだった親父は…母さんに手を引かれて、やっと…座った。
『朝霧さん、音楽屋で…言ってましたよね。俺の息子もギタリストになんねんでーって。』
「……」
『俺が、ずっと泣いてて…だから、朝霧さん、気を紛らわそうとして、色々話してくれました。うちの息子は、ホンマ優しい子でなー、母親の手伝いもするし、妹の面倒も見るし、俺の肩も揉んでくれるし、ホンマええ子なんやでー。って。』
「……」
『だけど、息子自慢された俺は…反対に自分がダメ人間みたいに思えて、余計泣いちゃったもんだから…朝霧さん、ごめんごめんって。』
何なんだよ…ほんと…
『俺も…両親好きだから、親が自分の事誉めてくれると、すっげ嬉しくて…だから、すごく羨ましかった。朝霧さんの息子…すげー愛されてんなーって。』
「……」
もう…会場中が、涙だった。
だが…俺だけは、泣かなかった。
何なんだよ。
この…茶番は。
溜息をつきながら、俺は手元のビールを見つめた。
…早く…早く終われ。
『あの時、朝霧さんがすごく息子自慢してたから…俺、勉強も音楽も、親孝行も頑張ろうって決めて…やっとデビュー出来た。でもなんか中途半端で…朝霧さんにも名乗り出れないまま…』
画面の里中さんも…なぜか、目を潤ませている…
『本当は、違う形で告白したかったけど…でも、俺がずっと温めてた想いが…サプライズになるならと思って…。』
…こんなサプライズ…
イライラして眉間にしわが入ったまま、俺は手元のグラスを持ち上げようとして…
『朝霧光史。』
名前を呼ばれて、映像なのに…つい、里中さんを見た。
『おまえの親父さん、世界のDeep Redのマノンで、F'sのマノンで…』
「……」
『おまえの、最高のヒーローだよな。』
な…
何がヒーローだ。
ヒーローなわけが…
『音楽屋の人も言ってた。家族自慢が始まると終わらないんだよ~ってさ。俺、会った事もないおまえの事、すっげー羨ましかった。』
…何が…家族自慢だよ…
渉が産まれた日。
深夜の病院で…俺は不安に泣き疲れて眠った鈴亜を背負って、廊下を往復していた。
いつも頼りにしてると言うか…家族同然の付き合いをしていた聖子の家族は。
イギリスに留学中の長女の愛さんが怪我をしたと連絡が入って、一家そろって渡英したばかりだった。
…タイミングが悪かったのは分かる。
色んな…不運が重なっただけだ。
不運どころか、親父は人助けをした。
名誉な事だとは思う。
だが…
どうして、母さんが大変な時に?と…
どうしても…
許せない気持ちが湧く。
あれから、親父は毎月花束を買って帰る。
二人の間に、そういう約束が交わされたのかどうかは知らないが。
とにかく…毎月。
親父がそれを忘れている月の母さんは…
俺以上に冷たい気がする。
『結婚、おめでとう。お幸せに。』
里中さんがそう言った後、スクリーンが暗転した。
…はあ…
やっと終わった…
そう肩の力を抜きかけた所に…
『光史、瑠歌ちゃん、結婚おめでとう。』
……母さんが、映った。
「え?」
「は?」
「んん?」
会場からも、不思議そうな声が…
『そして…真音、ごめんね。さっきの里中君の映像、ずーっと、あたしが隠し持ってました。』
親父が口を開けたまま、隣にいる母さんを見る。
『理由は…ただ、悔しかったから。それだけ…』
瑠歌が、俺の手を握って。
「…これ…大丈夫なの…?」
小声で聞いてきた。
「…さあ…」
『どうしても、あたし達は…真音の一番になれないんだなあって……ごめん。』
近くの席にいた浅井さんが、何か思い当たるのか…小さく笑った。
…浅井さんが笑うって事は…
親父と母さんは、昔から、こうなんだろうな…
『今日、ここに来て下さってる皆さん、ごめんなさい。すごくすごく、みっともないのを覚悟して…喋ってます。』
そう言って、母さんは深々と頭を下げた。
『夫の仕事を理解してるつもりでも…ずっとヤキモチも妬いて…あたしのそんなくだらない想いで、朝霧家はうわべだけの家族でした。』
…母さんは…音楽家の家に生まれた箱入り娘だった。
そんな母さんを好きになった親父は、音楽とは言っても畑違いなハードロックな世界に母さんを引っ張り込んだ。
母さんは今も一人で家にいる時には、クラッシックを聴く。
それを…きっと、親父は知らない。
『あたし達…ずっと…家族になれてなかったね…』
母さんの言葉に…親父が立ち上がった。
立ち上がって…母さんの手を取ると…ギュッと抱きしめた。
『だけど、もう…我慢とか、嫌なの。』
会場がざわめいた。
こんな席で…離婚か?と、囁く声も聞こえた。
が…
『光史、この機会に…あたし達、みんな家族になりましょ。』
母さんは…涙目だったけど、笑顔だった。
『真音には、一番も二番もないって解ってる…解ってるつもり…だったけど…やっぱりダメね。あたし…昔とちっとも変わってない。ずーっと音楽にヤキモチやきっぱなし。』
その言葉に、会場のあちこちで胸を押さえる仕草が見えた。
…親父と同類は多いらしい。
『だけど、ギターを弾いてる真音が好きなのも事実なのに…矛盾してるよね。』
親父は…母さんを抱きしめたまま。
母さんのセリフのたびに、何かを呟いて涙を拭っている。
『瑠歌ちゃんが来てくれて…家族が増えた。だから…ちゃんとした家族になりましょ。もう…我慢なんかしない。言いたい事は言って、時々ちゃんとぶつかって…もう…物分かりのいいフリなんて、しない。』
「……」
『時間かかったけど…家族になりましょ?』
「光史…」
瑠歌が、俺を見上げる。
『あたしは、そうなりたい。』
鈴亜と渉には…何の事か分からないと思ったが…二人もハンカチを手に泣いている。
『お兄ちゃん、お父さんに冷たーい。』
何度も…二人には、そう言われて来た。
そして…
『父さんって優しいけど…怒らないよね。それに、あまり家に居ないしさ…。あたし達の事、どうでもいいのかなあって思っちゃう。』
鈴亜は…親父に、そんな印象を持っていた。
メンバーにも…言われた。
『おまえ、時々朝霧さんに冷たいな。』
『光史、どうしてたまに朝霧さんに敬語になるの?』
そんなの…
…親父は…
『マノン』だからだよ。
『光史、真音は…Deep RedとF'sのマノンだけど…』
「……」
『あたし達の、朝霧真音よ。』
「…光史、行こう。」
突然、瑠歌が俺の手を取った。
「え?」
「あたしは、家族になりたいの。光史とだけじゃない。朝霧家のみんなと、家族になりたいの。」
「……」
瑠歌に手を引かれて…親父達のテーブルに行く。
待ってましたと言わんばかりに…スタッフから花束が手渡されて。
すると…
『本日はお忙しい中、若い二人のためにお集まりいただき、ありがとうございます。』
画面に…親父が映った。
「…えっ?」
俺と瑠歌、そして…母さんも驚いて顔を上げた。
『…ここに居るほとんどがビートランドのアーティストやな。遠慮なしに喋らせてもらうで。』
俺は…ポカンと口を開けたままになった。
何やってんだ…?親父…
『俺、ホンッッッマ…ギターバカやねん。あ、もうみんな知ってるよな。』
会場のあちこちから、色んな声が飛ぶ。
『そのギターバカは、昔っからで…それは今もずっと変わってへん。』
「……」
親父の腕の中で、母さんは無言で画面を見つめた。
『るーと結婚して…光史が生まれて、鈴亜と渉も生まれて…音楽と家族、大好きなもんに恵まれた俺は、ホンマ幸せもんやなあ…』
そこまで喋った所で…画面の親父は伏し目がちで無言になった。
そして、しばらくすると。
『…けど、幸せもんなんは、俺だけやったんかもしれん。』
「真音…」
『俺の家族に限って、そんなん言うわけないのに…ギターバカな親父なんか要らんとか、家族蔑ろにして何が幸せやねんとか…そう思われとんちゃうかなーって内心ビクビクしとる俺もいて…』
鈴亜と渉が席を立って、親父の腕に手を掛けた。
「…鈴亜…渉…」
『情けない事に…嫌われたくない一心で、ええ顔しか見せてなかった思う。ホンマ…どうなんやって感じやな…世界のマノンが聞いて呆れるで。』
「心配するな。俺も似たようなもんだ。一緒に反省しようぜ。」
ナオトさんが大声でそう言うと、あちこちから似たような声が上がった。
『…こんな俺やけど…まだ間に合うなら…光史の結婚を機に…ちゃんと、みんなと向き合いたい思う………どうか…よろしゅうたのんます…』
親父が頭を下げた所で…映像が終わった。
すると…
「お義父さん、お義母さん、宜しくお願いします。」
瑠歌が…涙ながらに言った。
…だが俺は…前髪をかきあげて、そっぽを向こうと…
「光史。」
「…っ。」
花束を持ったままの俺に、親父が抱きついて来た。
「おっ…おい。」
「悪かったな…おまえ、心細かったよな…」
「……」
「ホンマ、アホやな俺。けど…あの子が泣いてるの見た時、おまえが泣いてるみたいで、ほっとかれへんかってん…」
「……」
「許してくれ…」
なん…なんだよ…これは…
親父の後で、母さんが泣きながら俺を見る。
…そんな顔して…見るなよ…母さん。
渉が産まれる前の日。
頼むで、兄ちゃん。
そう言って抱きしめられたのが…最後。
俺は、あれ以来…親父の腕を拒否し続けてきた。
親父…こんな腕してたんだっけか?
「甘え過ぎてたな…ホンマ…」
…この歳で親父に抱きつかれるとか…
恥ずかしくてたまんねーよ。
…早く終わらせてくれよ…
心の中で、毒を吐いてる俺の目から。
有り得ない涙がこぼれた。
…何なんだよ…
「俺…おまえらのためなら…ホンマ…もう、音楽やめてもええ…」
俺をギュッと抱きしめたまま、親父が言った。
…やめられるかよ。
出来もしない事、言うなよ。
「普通の…普通の親父になれるよう…努力する…」
花束を持った母さんが、親父の背中を摩った。
「…バカね。真音から音楽を取ったら、カッコいい所なんかなくなっちゃう。」
「…せやけど…お…俺は…今まで…好き勝手やらせてもろて来たやんか…もう…」
…ああっ、もう…
俺は、ガシッと親父の背中に手を回して言う。
「まだまだF'sで頑張んなきゃいけないんだろ?今まで母さんに我慢させて来た分も、そっちでもっと頑張れよ。」
「…光史…」
「ただ…もっと家族の内側を見てくれよ…優しいだのなんだの…上っ面だけじゃなくて…」
「……」
「母さんも俺も…こんな事をずっと根に持つような、根暗な人間なんだぜ?」
俺は、親父の身体は引き離すと。
「負い目があったから文句も言わなかったんだろうけど、ちゃんと叱れよ。」
ちゃんと…目を見て言った。
「…そしたら…家で一緒にセッションしたり…してくれるか?」
「…何だよそれ。別に家じゃなくても…」
「家でしたいねん。」
「……」
「昔みたいに…るーの前で、ギター弾きたいねん…」
「…ええ歳こいて、アホちゃうか。」
俺はそう言って、花束を親父に押し付ける。
「ふっ…なんや…その関……」
止まらない涙をゴシゴシと拭く親父は、言いたい事も最後まで言えない状態。
「あたし、父さんとお兄ちゃんのセッション聴きたい。」
鈴亜が俺と親父の腕を取って言って…
「…楽しみが増えたわね。」
母さんが…渉と腕を組んで言った。
「ははっ…ホンマ……ふっ…」
涙が止まらない親父に、瑠歌用に三枚用意していたハンカチを取り出して押し付ける。
「…もうちょい…優しゅうしてくれ…」
「…甘え過ぎ。」
「光史~。」
「ちょっ…抱きつくなよ…」
こうして…
何だかよく分からないけど…
俺と瑠歌の結婚披露宴は、朝霧家の関係修復の宴のようになってしまった。
だが、瑠歌は…
「あたし、すごく幸せ。本当の家族の一員にさせてもらえるなんて…本当、幸せ。」
何度も…そう言って笑顔になった。
俺達は式の後に新婚旅行に旅立ったが、旅先から連絡を入れると…
『あ、光史?待ってね。みんなに代わるから。』
母さんは…嬉しそうな声。
『お兄ちゃん?今どこ?お土産にネックレス買って来て!!可愛いやつね!!』
鈴亜は耳が痛くなるような大声。
『兄貴?瑠歌さんに迷惑かけてない?しっかり頑張れよ。』
高校一年の渉は、生意気にもそう言って。
『光史~、はよ帰って来いや~…』
…親父は、気持ち悪いぐらい甘えた声で言った。
旅行から帰って、久しぶりに事務所に行くと。
「いい式だった~…もう、涙腺崩壊。」
「……」
「本当、良かった…朝霧さんと光史の抱き合ってる場面、ドラマみたいだった。」
「……」
「しかし、まさか里中さんとはな…」
「……」
「光史、感動シーン、ばっちり写真撮ったからな。」
「あのなあ。」
式から一ヶ月経ったのに、メンバーはまるで昨日の事のように言う。
「頼むから、もうやめてくれ。」
「どうしてよー。感動だったのに。」
聖子は頬を膨らませたが、そうしたいのはこっちだ。
事務所を歩けば…
「聞いたぞ。感動秘話。」
知らない奴からも…そんな事を言われる。
「でも良かったじゃん。俺は式の翌日、里中さんにお礼言いに行っちゃったよ。」
センがそんな事を言って、俺が驚くと。
「えっ、センも?あたしと聖子も行ったのよ?」
「えっ、知花達も?俺も行った。」
「えー?僕も…」
「……」
なんだかんだ言って…
俺は…
「…大家族だな。」
小さくつぶやくと。
「何。子だくさん計画か?」
陸が隣で笑った。
「…おまえ、来週覚えてろよ?」
さあ…俺は終わった。
次は…
陸の結婚式だ。
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