第23話 「……」
〇浅香京介
「……」
「……」
俺は…わざと視界にこいつを入れないようにしていた。
こいつ。
朝霧光史。
聖子の幼馴染で…朝霧さんの長男で。
SHE'S-HE'Sのドラマーで。
…悔しいけど、俺でも思ってしまうほど…
世界一、ドラムが上手い。
そして…
憎たらしいほど…
いい男だ。
「どうぞ。」
気が付くと、朝霧が俺の前にセルフサービスのお茶を差し出した。
「あ…ああ。」
思いがけない事をされて、少し声がうわずった。
朝霧は俺の正面じゃなくて…はす向かいに座ると。
「俺、ここの玄米茶好きなんですよね。」
そう言って…茶をすすった。
「……」
ここの玄米茶が好き…?
そ…
そんな事を言われても…
無言のまま…どれぐらい時間が経っただろう。
俺だけがそわそわしているように思われるのが嫌で、何ともない風にしてはいるものの…
この、朝霧の全然動じてない雰囲気…
…悔し過ぎる。
何か音楽の話題でも出せば、同じドラマーではあるし…会話はあると思う。
が…
俺は聖子とケンカをした。
こいつの事で。
それに…
俺は…
人見知りだ。
「浅香さん。」
沈黙を破ったのは、朝霧だった。
「…なんだよ。」
「俺と聖子には、誰がどう入って来ても、塗りかえられない歴史があります。」
「……」
「昔から、好きな相手が出来れば打ち明け合うような、何でも話せる相手でした。」
…ああ、眉間に力が入る。
「俺…あいつに何度助けられたか…」
「……」
俺の眉間から、力が抜けた。
気が付いたら、朝霧は俺の前で頭を下げてて。
「…聖子の事、宜しくお願いします。」
その…何の他意も感じられないような声に…
俺は少し唖然とした。
て言うか…
自分が恥ずかしくなった。
俺には、幼馴染って存在がいないから。
聖子の気持ちが分からなかった。
やたらと朝霧を気にかけたり、自慢したりするのが癪で。
なんであいつの事ばっか。って…妬んだ。
もし俺に、そんな存在が居れば…俺も、こうして頭を下げたのか?
よろしく頼むって。
気の合いそうにない相手でも。
大事な幼馴染のためなら、頭を下げるのか?
「…俺なんかに、任せられねーって思ってないのか?」
湯呑の縁を親指でなぞりながら問いかけると。
「聖子が選んだ人なのに、そんな事思うわけないですよ。」
朝霧は…真顔。
「…あいつが血迷ってるだけとか。」
「血迷っても、聖子が好きと思える人なら賛成です。ただ…」
「…ただ?」
「あいつ、強いって思われがちだけど…本当はめちゃくちゃ弱くて寂しがり屋で泣き虫なんです。」
「……」
「会いに行ってやって下さい。」
「…今日、来てんのか?」
「ルームにいます。」
そう言った朝霧は…少し笑顔で。
あー…こいつ、やっぱ腹立つ。と思った。
腹立つほど…いい奴だ。
「…サンキュ。茶も…聖子の事も。」
俺はそう言って立ち上がると。
「…今度、おまえのドラムクリニック覗く。」
小さな声で言った。
すると…
「き…緊張するからやめて下さいよ…」
朝霧は、今まで見た事もないような…困った顔をした。
〇神 千里
「奥様はカウンセリングを受けてみられてはどうかと思うのですが…」
俺はその言葉に、何度か瞬きをした。
「…カウンセリング?」
知花が華月を出産して三週間。
一度は医者に匙を投げられかけた華月も、奇跡的に持ち直した。
だが…
知花の体調が悪い。
出産後、一旦退院したものの…年明けにまた過呼吸と眩暈で入院。
俺は…それを、産後の疲れと華月が仮死状態で産まれた事でのショックだと思い込んでいた。
実際、知花はそれを何度も必要なく謝っていたし…
「出産前に、何か不安定になるような強いストレスがあったようですよね?」
「…あ。」
俺はそこで…ようやく思い出した。
知花が…初めて過呼吸になった日の事を。
「…起こしたか。」
病室に入ると、知花はゆっくり目を開けて俺を見た。
「…ううん…何だか…眠れなくて…」
椅子を出して座って、知花の額に手を当てる。
そのまま前髪をかきあげて…髪の毛を撫でた。
「…華月、元気になってるぜ?」
「…早く一緒に帰りたい…」
「…本当か?」
「…どうして…?」
「何か…抱えてるよな?」
俺の言葉に、知花は一瞬眉間にしわを寄せて…
だが、すぐに普通の顔になって。
「…ううん。」
優しく笑った。
「…俺には頼れねーか?」
「……」
知花の手を口元で両手で包んだ。
…病室は暖房がついてるのに、知花の手は驚くほど冷たかった。
「あの日…おまえ、何か様子がおかしかったよな?なのに…ずっと聞いてやれなくて…悪かった。」
俺がそう言うと、知花は唇を震わせて。
「…そんな事…」
小さく、つぶやいた。
「…俺に話せないなら、カウンセラーに話してみるか?」
「…カウンセラー…?」
「医者に言われた。今後の事もあるし…心配事があるなら、今吐き出して治療しておいた方がいいって。」
「……」
知花はしばらく無言で。
俺も、その無言に付き合った。
ただ…握った手は離さず。
ずっと…想いをこめて温めた。
「…千里…」
しばらくして、ようやく知花が口を開いた。
「ん?」
「…抱きしめて…」
「……」
知花からそんな事を言うのは…珍しい。
俺は知花の身体をゆっくりと抱き起して、ベッドの脇に座って抱きしめた。
「…大丈夫だ。何があっても、俺が守るから。」
「千里…」
「おまえだけじゃない。桐生院のみんなを、俺が守る。」
「…あんな大家族…千里大変…」
「任せとけよ。」
「…ふふ……ありがとう…」
知花の背中を摩りながら、またしばらくそのままでいると…
「…うちには…長井さんっていう…庭師さんがいたの…」
知花が、ゆっくりと話し始めた。
「あの立派な庭を手入れてしてた人か。すげーな。尊敬する。」
「…あたしにとっては…おじいちゃんみたいな存在で…無口な人だったけど、すごく…優しい人だった。」
それから、知花は…その長井氏についてを語った。
親父さんと同じ年頃の息子がいた事。
その息子もまた…庭師の修行のため、桐生院家に出入りしていた事。
その頃、時を同じくして『中岡さん』というお手伝いもいた事。
寮生だった知花は、めったに会う事はなかったとは言え…
幼少時に世話になった人達だけに、大事な存在であった…と。
「…だけどね…あたしが桜花に合格して…帰って来た時には…長井さんも中岡さんも…いなかったの…」
「どうして。」
「…おばあちゃまが言うには…麗が家の事を出来るようになったから、中岡さんの手は要らなくなったって…」
「庭は?」
「長井さんは腰を痛めて…息子さんも…違う仕事を始めたから、違う庭師さんを雇ったって…」
「……」
ここまでは…普通に、知花の思い出話だった。
だが…
「…あの日…検診から帰ったら…」
知花の表情が…曇った。
「長井さんの…息子さんが、うちの前にいらしたの…」
「…何をしに来てた?」
「…分かんないけど…あたしを見て…結婚したのかって喜んでくれて…」
俺の胸にすがる知花の手に、力が入った気がした。
俺は…右手で知花の頭を撫でる。
大丈夫…大丈夫…と、念じながら。
「…何となく…様子がおかしかった…」
「…それで?」
「郵便受け…見たら…差出人も、宛名もない手紙が入ってて…」
「……」
「見ちゃいけない…でも、見なきゃいけない気がして…」
「…見たのか?」
「……」
知花は、俺の問いかけに…返事はしなかったが、小さく頷いた。
「…何が書いてあった?」
「……」
俺の腕の中。
知花は…小さく…そうかと思えば大きく深呼吸をして…
「…お母さん…」
「…さくらさん?」
「ううん…」
「麗と誓の母親か。」
「うん…」
そこまで話すと、少し…過呼吸気味になった。
「もういい。続きは今度に…」
俺が知花の顔を覗き込んで言うと。
「今…い…言わなきゃ…もう…話せない…」
知花は…泣いてそう言った。
「…何があったんだ?」
「……」
知花は、一度乱暴に涙を拭いて…
「…中岡さんと…な…長井さんが…」
「……」
「…お母さんを…こ…」
「こ…?」
「殺した…って…」
「……」
「む…息子さん……誰かに…」
「…知花、もういい。」
知花を抱きしめる。
強く…抱きしめる。
「うちの…誰かに…」
「知花。」
「…あなたが……」
「……」
「首謀者……ですよね…って…」
知花の頭を、強く…抱きしめた。
確か…
麗達の母親は…病死したはずだ。
「…その手紙は?」
「…郵便受けに…戻したから…誰か…」
「…誰かが読んでるって事か…」
俺がそう言った所で、知花はハッと目を見開いて。
「あたし…なんで…捨てなかったんだろ…」
大粒の涙をこぼした。
「知花、それはいいから。」
「良く…良くない…あたし…」
「……」
「あたし…誰かを…」
「……」
「誰かを……疑ってるのかも…しれない…」
そう言った知花は、まるで力尽きたかのように…俺の腕の中でグッタリとなった。
「知花…」
俺はゆっくりと知花をベッドに横にすると、ナースコールを押して、知花が話していて気を失った事を告げた。
すぐに医者が来てくれて、内容は話さなかったが…ストレスの原因は分かったと伝えた。
「……」
眠る知花の頬を撫でて…少し落ち込んだ。
あの日の様子は…ただならなかった。
なのに…今日まで聞いてやれなかった。
なんて情けないんだ…俺は。
知花にとって、桐生院家の誰かを疑うなんて…相当なストレスだ。
そしてたぶん…
知花が疑ってるのは…
…桐生院雅乃。
…ばーさんだ。
知花が目覚めるまでそばにいた。
時々華月の様子を見に保育器の前まで行くと、そこには小さな我が娘が…ちゃんと育っていた。
「…知花。」
うっすらと目を開けた知花に声をかける。
「…あたし…」
「大丈夫。話してくれて、ありがとな。」
「……」
涙目になった知花の頬に触れて。
「おまえ一人に…ずっと抱えさせて悪かった。」
優しく…そう言うと。
「こんな事…千里に…」
知花は、ポロポロと泣き始めた。
「バカだな。俺はもう桐生院の人間なんだぜ?何でも知ってて当たり前ぐらいになりてーんだから、話してくれなきゃ困る。」
「千里…」
「疑っても仕方ない話だ。みんなを信じようぜ?」
「……」
俺は、あえて笑顔で言う。
「うちに、そんな事が出来る人間なんて、いやしねーよ。」
「…千里…」
「な?」
「…うん…うん…」
知花の涙を拭って、額にキスをする。
「早く元気になって、帰って来てくれ。おまえがいねーと、俺マジで困る。」
耳元でそう言うと、知花は小さく笑った。
「ま、ここで二人きりでいれるのも嬉しいけどな。」
「…もう…」
「みんな、待ってる。」
「…うん…」
知花の表情が…昨日までとは違う気がした。
もっと早く…ちゃんと、こうして話を聞いてやれば良かった…
あー…ほんと俺って…
ともかく…桐生院に戻ろう。
帰って…
ストレートに、ばーさんに聞こう。
麗と誓の母親は…
本当に、病死だったのか、と。
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