第15話 「…結婚?」

 〇二階堂 陸


「…結婚?」


 俺はその報告を聞いて、少し胸の奥が痛んだ気がした。

 目の前の光史は真顔だが…どことなく、前よりも冷たさは取れた気がする。


「ああ。」


 今日は、久しぶりに二人で飲みに出た。

 最近は、俺が気乗りしなかったり…

 反対に光史が忙しそうで断られる事もあって、本当に、久しぶりだ。


 今思えば…

 その女の事で忙しかったのか?



「いつ。どこで。誰と。」


「何だよ…その聞き方。」


「いや…だって、おまえ…この前までナンパばっかしてたのに…」


 そうだ。

 光史は暇があれば、俺とナンパしてた。

 えーと…でも…あれか?


「…知花の結婚式の後から、ナンパしなくなったな。」


 俺が記憶を頼りにそう言うと。


「頭のいい陸の事だから、何か察してるかなとは思ってたけど…そこだけ覚えてるなんてな。」


 光史は苦笑い。



 光史から告白されたのは…高校一年の時だった。


「おまえが好きだ。」


 目を見てハッキリ言われた。


「俺は…男しか好きになれない。」


 そうも言われたな…。


 だが、光史は知花の事も好きだったと思うし、男しか好きになれなくても、ナンパして女を抱くあたり…恋愛感情と肉体的な欲求の着地点は違うのだろうか。と、少し疑問にも、そして…少し不憫にも思った。


 そんな光史が告白してくれたんだ。

 俺は選ばれた奴だったんだなと、後で気付いた。



 だが。

 その光史が…

 結婚!?



「丹野さん、知ってるか?」


「丹野?ああ…FACEのボーカルだった丹野廉?」


「その、丹野廉の娘。」


「…は?」


「丹野廉の娘と、結婚するんだ。」


「そ…」


 それは、ちょっとした衝撃だった。

 丹野廉は、俺達がガキの頃に銃弾に散ったボーカリスト。

 その姿はリアルタイムで見た事はないが…

 最近、事務所の至る場所に、丹野廉の名前が出始めた。


 それは、来月…丹野廉の追悼セレモニーをする。という、なんとも唐突な発表を高原さんがした事から始まった。

 もちろん、音源は聴いた事はあるが…

 俺にとっては、浅井さんのギタープレイの方が耳にこびりついてたからな…



「浅井さんか臼井さんが仲を取り持ったのか?」


 丹野さんの娘となると、浮かぶのはその二人だ。



「んー…ま、その辺は何とも複雑なんだけど、取り持ってくれた人…って言ったら、誠司さんなのかな。」


「はあ?なんで誠司さん?」


 俺の問いかけに、光史は笑いながら。


「酔っ払った俺に、婚姻届書かせてたんだよ、あの人。」


 そう言って、グラスの氷を回した。


「……って、もう…入籍してるって事か?」


「いや、名前は書いてあるけど、まだ持ってる。色々ちゃんと終わってから届けようって事になったし。」


 そう言って前髪をかきあげる光史を、マジマジと見た。


 …こいつ、元々いい男だったけど…

 こうして見ると、本当…カッコいい奴だな。


「…何、ジロジロ見て。」


 あまりにも俺の視線が突き刺さったのか、光史は体を少し離しながら言った。


「いやー…おまえ、やっぱカッコいいわ。」


「…は?」


「マジで。」


 俺は少し離れた光史の肩を、ぐいっと引き寄せて。


「あの時…フッた事、今さらだけど…悔やんでる。」


 耳元で言った。


「……」


「……」


「……ぷはっ。やめろよ。今となっては、あの時フッてくれて感謝しかねーよ。」


「ははっ。そりゃそうだ。」


 肩を組んで、お互いの肩をたたき合った。



 今年は…センに息子が産まれて…

 冬には、知花が三人目を出産予定。

 SHE'S-HE'Sは変わらず素性を明かさないスタンスで、活動を続ける。

 結婚や出産を優先したバンドのスタイルでも…

 俺は十分、やり甲斐を感じている。



「そう言えば、聖子の…聞いたか?」


 光史が小さく笑いながら言ったが。


「聞いたっつーか、俺は現場を見た。」


 俺も小さく笑いながら答える。


「マジかよ。見たかったな。」


 今までずっと…男には興味ないって顔してた聖子が。

 知花の結婚式ぐらいからずっと…浅香さんに付きまとわれてた。

 すっげー嫌そうな顔してたかと思ってたのに…


『京介!!』


 ロビーに響き渡った、聖子の声。

 当然、浅香さん以外の奴らも振り返る。


 …あんな公衆の面前で…

 キスだもんな。


 …やれやれ。

 光史も、聖子も…か。


 俺とまこに、春は来るのか…?



 〇高原夏希


「高原さん。」


 朝から呼び止められてばかりの俺は、いまだに会長室に行けてない。


 ま…仕方ないか。


 無理矢理、廉のセレモニーを詰め込んだのは俺だ。


「高原さん。」


 また呼ばれて振り返ると…今度は…


「千里、この前は悪かったな。」


 歩いて来た千里の肩を抱き寄せて、ポンポンとすると。


「ほんと、麗の奴…あ、色々気晴らしさせて下さったみたいで…ありがとうございました。」


 千里はすっかり、兄貴の顔だ。


「麗のように不器用な子を見ると、放っておけなくてね。」


 エレベーターに乗り込んでそう言うと。


「俺も、あいつを見てると自分を見てるみたいな気がして、放っておけなかったんすよね…」


 千里も同感した。


「おまえと麗に似てる所が?」


「周りは全部敵。みたいに思ってた時期が。」


「ああ…」


「麗も、自分に味方は居ないって思ってたんじゃないすかね。」



 家族みんなが知花を愛する中…

 麗だけは、知花を敵対視していたと聞いた。

 それは、麗の母親がさくらと知花を恨んで、そう言い聞かせていたらしいが…

 元はと言えば、貴司が…


 …今となっては、そんな事を思っても仕方ないな。



「麗は、あれからどうだ?」


「失恋でもしたんじゃないっすかね。大事にしてたキーホルダーをくれたり。」


 そう言って、千里は自転車のキーについているペンギンのキーホルダーを見せた。


「ははっ。おまえが持ってると、可愛く思えないな。」


「…どういう意味っすか。」


 千里は何も言わずに会長室までついて来ると。


「…高原さん。」


 コーヒーを入れてる俺に向かって。


「ずっと聞きたかったんですが…」


「何だ?」


「桐生院の親父さんと、懇意にしてるのは…なぜですか?」


 真顔で問いかけた。


「…おかしいか?」


 コーヒーを二ついれて、一つを千里に渡す。

 ソファーに座って一口飲むと…千里が遠慮がちに向かい側に座った。


「…親父さんは、高原さんからさくらさんを奪った形に…」


「それは、もういい。」


「…苦しくないんですか?間近で…別の人の妻になったさくらさんを見るのは…つらくないんですか?」


「……」


 苦しくないか?

 辛くないか?


 …それは…


「もう、苦しみとか辛さみたいな物は…感じなくなった。」


「……」


「ただ、人の幸せに触れていたい。そう思うが…俺が桐生院に出向く事は、みんなの幸せの妨げになるか?」


 俺の言葉に、千里は…しばらく何も言わなかった。

 二人で静かにコーヒーを飲んで。

 そして、千里が腰を上げたのは、無言になって10分以上経ってからだった。


「…高原さん。」


「ん?」


「上手く言えないんすけど…」


「……」


「俺、誰にも幸せになる権利はあるし、それは誰にも邪魔はできないって思ってます。」


「……」


「だから、誰かの幸せに触れる事で高原さんが幸せなら…それは、誰にも止める権利はないっすよ。」


 そう言った千里は、柔らかい笑顔で。

 少しだけ…ここ数日多忙だった俺の癒しとなった。

 …まさか、千里の笑顔が癒しになるなんて、俺も…どうしたものか。

 と、少し笑えた。


「また、来て下さい。華音と咲華が、歌ってくれますよ。」


「…それは、是非とも聴きたいな。」



 千里が部屋を出て行って、俺は小さく溜息をつく。


 もう…俺はいい。

 自分の幸せなんて…



 もう…


 あの時に終わった。




 〇神 千里


「千里君、一杯どうだい?」


 仕事から帰ると、大部屋(さくらさんがそう呼ぶから、うつった)に、親父さんが一人でいた。


 本音を言えば…早く子供達の寝顔を見て、シャワーして、知花の隣に潜り込んで眠りたい。

 だが…

 まあ、色々思う事もあって、付き合う事にした。



「忙しそうだね。」


「おかげさまで。」


「知花が言っていたが、アメリカに?」


「まだ本決まりではないんすけどね。行く事になったら、二ヶ月ほど。」


 そう。

 F'sのアメリカ進出を、何とか早く。と…高原さんが詰め込む詰め込む…


 俺としては、知花の出産が終わってからが良かったが。

 でも、産まれたら産まれたで離れたくないからな。

 向こうの事務所との兼ね合いもあって、年内…しかも早ければ来月渡米する事になりそうだ。



「有言実行だね。」


「まだまだっすよ。」


 親父さんと、ちびちびと酒を酌み交わす。

 …そう言えば、親父さんは何で一人で飲んでるんだ?



「いつからここで?」


 とりあえず、そう切り出してみると。


「ああ…高原さんと飲んで帰ったんだが、何となく飲み足りなくてね。」


「…そうすか。」


 俺が思うに…

 親父さんは、ここ数ヶ月。

 随分と酒を飲むようになった。


 まあ、楽しそうに飲んでるからいいんだけどな。

 ヤケ酒…では、なさそうだが…違う意味が含まれてるんじゃねーか…?って。

 つい、勘繰ってしまう。



「…聞いていいっすか?」


「なんだい?」


「…以前、親父さんには精子がないって。」


「ああ!!」


 俺の問いかけに、親父さんが大声を出して。


「そうだった‼︎君には誤解させたままだった!!」


 そう言って、自分の膝を叩いて笑い始めた。


「……」


 その剣幕に、つい…俺がキョトンとしてしまうと。


「ああ…悪かったね。いや、実は…さくらにもう一人欲しいと言われた後に、検査に行ったんだよ。」


 親父さんは、くっくと笑いながら、話した。


「それで…実は精子がある事が分かって。」


「それは…良かった。」


「それで、ついでと言っては悪いんだが…」


「はい。」


「誓と麗のDNA鑑定もね…したんだよ。」


「…え?」


「本当に…ずっと悪い事をしたと思う。」


「……親父さんの、子供だったんですか?」


「ああ。」


「……」


 それを聞いた俺は…

 嬉しいような、だが今までの二人への親父さんの態度を思うと…複雑な気持ちでいっぱいだったが…


「…今は、二人にも愛情が?」


 俺は、親父さんの目を見て問いかける。


 俺が知花と付き合い始めた頃…

 親父さんは、あきらかに…双子に対して愛情が足りない風に見えた。

 知花に注ぐそれ程の物が、二人に対しては感じられなかった。



「…時間を取り戻せるとは思わないが、誓と麗には…これからたくさんの愛情を持って、償いたいと思ってる。」


 そう言った親父さんは、今までの笑顔を引っ込めて…真剣な目。

 …嘘には思えなかった。

 それに、俺がここに婿養子として入ってからは、仕事で海外に行く事が増えた親父さんは、不在が多い分、家に居る時ぐらいは…とでも思うのか。

 笑顔も増えたし、双子とも以前より接しているようにも見える。



「千里君。」


「はい。」


「君には…本当に感謝しているよ。」


「……」


「君のおかげで、家族が一つになれた気がするんだ。」


 そんな事を言われた俺は…少し、のぼせ上ってしまったのかもしれない。

 人数は多くても、バラバラだった兄弟。

 自分の家、自分の居場所と呼べる物が見つからなくて、じーさんちに居座って…

 そんな俺に、家族を一つにする力なんて…


 しかし、素直に嬉しかった。


「…俺こそ、ここのみんなと家族になれて、マジで嬉しいっす。」


 照れ臭かったが、そう言うと。


「これからも、よろしく頼むよ。」


 親父さんが、猪口を掲げた。

 俺は、くすぐったい気持ちでそれに応えて…

 何も…



 疑う事などしなかった。

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