第3話 「……」
〇桐生院 麗
「……」
あたしは…寒空を見上げて、マフラーをきつく巻いた。
姉さんが、子供達を連れて帰って…
新しいんだか古いんだか分からないけど…母さんがやって来て…
神さんが、婿養子に来て…
うちは、賑やかになった。
ノン君もサクちゃんも、食べちゃいたいぐらい可愛いし…
あたし、毎日笑っていられる。
見た目のいい彼氏を何度か作ったけど…そういうのは、何だかつまんなくて。
恋愛なんて…
あたしには無意味なんだなって思った。
…誓に、彼女が出来た。
そんな理由で、あたしは不安定になる。
今までも、好きな子が出来たら聞いてたし…全然気にしてなかったのに…
…何となく、自分達が大人になって来て…
誓の恋愛が、今までのそれと違うと思うと…
気持ちがざわついた。
何となく帰る気になれなくて、少し離れた公園を歩いてると…
「おねーちゃん。」
後ろから、声が聞こえた。
可愛い声に振り向くと…
何歳ぐらいだろ…
ポンポンのついた、青い毛糸の帽子。
青いミトンの手袋には、雪の結晶の模様。
白に青いラインのマフラー…
これ、全部手編みだなあ…
「落としたよ?」
首を傾げて差し出されたそれは、あたしのカバンについてたキーホルダー。
夏に、姉さん達が水族館に行った時にお土産で買って来てくれた、マンボウ。
「あ…ありがとう。」
しゃがんで、男の子と同じ目線になる。
寒さで赤くなった鼻が可愛かった。
目もクリクリしてて、この子、将来ハンサムになるんだろうなー、なんて。
「……」
「ん?」
じっと見つめられて、首を傾げてその子を見ると。
「おねーちゃん、好きっ。」
「えっ。」
いきなり勢いよく抱きつかれて。
あたしは、その子を抱えたまま…
「きゃっ!!」
後ろに転んだ。
「……」
「……」
転んだまま、見つめ合って。
「ふふっ。」
「ごめんなさーい…おねーちゃん、痛い?」
「ううん。大丈夫。ボク、一人なの?誰か…」
あたしが上半身を起こして、周りを見渡すと…
「海ー?海ー。」
女の人の声がして。
「う…はっ…!!」
その人は、あたしを見付けて驚いた顔をして。
「すみません!!ごめんなさい!!海、なんで乗ってるの…早くお姉ちゃんから降りなさい!!」
女の人はそう言って、男の子をあたしの上から抱きかかえた。
「本当にすいません…制服、濡れてないかしら…」
この人…どこかで…
「だめでしょ、海。ごめんなさいは?」
「ごめんなさいー…」
男の子は、お母さんに叱られて、唇を尖らせる。
ふふっ…可愛い。
五歳ぐらいかな?
言葉はハッキリしてるけど、仕草がむちゃくちゃ可愛い…
「いえ、大丈夫です。」
スカートの裾を叩きながら、立ち上がろうと…
ズキッ
「いっ…」
右足首に、激痛が走った。
「たあ…!!」
足首を押さえてうずくまる。
「えっ!?あ…た…大変!!万里君!!万里君!!」
女の人が叫ぶと、男の人が走ってやって来て。
何か事情説明をしたかと思うと…
「さ、乗って下さい!!」
「え。」
「早く乗って!!治療しなくちゃ!!」
「え…え?」
二人にうながされて…あたしは、男の人に負ぶわれて…
「え…?」
すごく大きな門構えの屋敷に連れて来られて…
「まことに申し訳ございません!!」
なんて言うか…
強面とは違うけど…
黒服の、少し怖めな人達に…頭を下げられて…
「…ごめんなさぁい…」
泣きそうな顔も、めちゃくちゃ可愛い『海』君に…
「おねーちゃん、痛い?ごめんね?オレ、治るまでついててあげるからね。」
…これって…
ナンパ?
「海君、いくつ?」
「オレはね~、六歳だよ。」
「…そっかあ…」
六歳。
年長さんだよね。
あたしが保育園の頃に、『オレ』なんて言ってる子、いたかなあ…
「ちょっと痛いかもしれないけど、ごめんね。」
あたしを負ぶってくれた男の人が、そう言ってあたしの足首に触った。
「え…痛いんですか?」
あたしが不安そうな顔をすると。
「オレが手握ってるから、平気だよ。」
海君がそう言ってくれた。
「それは助かります。お願いしますね。」
…?
どうして、海君に敬語?
あたしが、海君に手を握られて不思議そうな顔をした途端…
「いーっ!!」
くいっ。と。
あたしの足首、くいっと、何か…された!!
「まりー!!痛いのかわいそうー!!」
なぜか海君が泣きそうな顔になって、『まり』って男の人を、ポカポカと叩く。
「あ…だ…大丈夫よ、海君…」
「こら、海。元はと言えば、海が悪いんでしょ。お姉ちゃんにも万里君にもごめんなさいして。」
ママにそう言われた海君は、唇を尖らせて。
「ごめぇんなさぁい…」
上目使いに、あたしを見た。
「落し物、拾ってくれたんだもんね。ありがと、海君。」
あたしが海君の頭を撫でると、海君は満面の笑み。
…可愛いなあ。
年長さんぐらいになると、生意気なガキ…子供って多くなるけど、みんな海君ぐらい可愛ければいいのに。
「湿布と包帯まくわね。」
海君のママがそう言って、優しく足首に包帯を巻いてくれた。
…綺麗な人。
あたしが海君ママに見惚れてると…
「何の騒ぎだ?」
見た事ある男の人が…
「あ。」
あたしがハッとした顔をすると、その人はあたしに指を差して…
「えっと…何だっけ。知花んとこの…」
一応…覚えてるんだ?
「…麗です。」
「あ、そうそう。」
この人は…姉さんのバンド、SHE'S-HE'Sのギタリスト。
二階堂陸さん。
「陸、知り合い?」
「知花の妹だよ。」
「まあ…じゃ、大変。」
「何が。」
「お華とか…するんでしょ?足首がこれじゃ、正座ができないわ。」
…そっか。
誰かに似てると思ったのは…陸さんに似てたからか。
「どうしたんだ?」
「公園で、海が抱きついて…」
「…ったく、海の女好きは誰に似たんだ?」
陸さんが海君を抱っこして、めっ。とか言ってる。
…カッコいい人だな…
「あたし、車だすから。」
「ああ、いいよ。俺が送る。」
「いいわよ、陸はゆっくりしてて。久しぶりだし。」
「いいって。おまえ、あんまりバタバタすんな。」
…二人の会話を聞いてて…
少し羨ましくなった。
あたしと誓は…
大人になっても、こんな風に思いやっていられるのかな。
彼女が出来た途端、あたしの事は関心なさそうになった誓。
…そりゃ、双子の姉の事なんて…そんなに気にし続けられるもんじゃないかもしれないけど…
「オレも送る!!」
海君があたしに抱きついて言って。
「おま…どこのませガキだ。『オレ』なんて言うなよ。」
陸さんがそう言いながら、あたしから海君を引き離そうとすると…
「カッコいい男は、みんな『オレ』って言ってるもんっ!!僕もカッコ良くなりたいんだもんっ!!」
海君はそう力説したけど…
「海。俺が超カッコいいって思ってる万里と沙耶は『私』って言ってるぜ?」
「……」
「それに、環も…おまえの父さんも、仕事の時は『私』って言ってるぜ?」
「……」
陸さんの言葉に、真顔で考え込んでる。
「もう、陸。そんな事吹き込まないで。」
「いいからいいから。さ、帰るぞ。」
あたしに向けて、差し出された手。
あたしは…その手を見ながら。
誓から卒業したい…。
そう、思った。
〇桐生院さくら
「……」
あたしは、門の前に停まった車の中を見て、しばらくそこを見つめてしまった。
だって…見慣れない車…
それも、高級車だよね、これ。
運転席にいる…ちょっとカッコいいハーフ顔…
見た事ある。
えーと…あっ、そうだ。
知花のバンドの、ギターの男の子。
『陸ちゃん』って、知花は呼んでたっけ。
で、その陸ちゃんが運転席から降りて来て…後部座席のドアを開けて、出て来たのは…
「麗。」
あたしが声をかけると、麗は少し驚いたように肩を揺らして。
「か…母さん…」
「……」
じーん。
あたし、つい…また感動しちゃってた。
麗があたしの事『母さん』って呼んでくれるようになって、どれぐらいかなあ…
まあ、毎日…は、呼んでくれないんだけどね。
『ねえ』とか『あのさあ』とかって、言われる事多いし。
だけど、男の人の車から降りて来ての…『母さん』…
あ~、あたし、母親として認められてるって感じ!?
「母さんって…」
知花のバンドの陸ちゃんは、目を丸くしてあたしを見てる。
「初めまして。麗の母です。」
あー!!言っちゃった!!
ドキドキするー!!
「あ…はじめまして。二階堂陸と言います。」
「……」
「知花さんと同じバンドで、ギター弾いてて、えー…と、今日はその…」
「……え?」
あたし、つい…聞き返してしまった。
「え?」
「…えーと…」
「あ、今日は、うちの甥が麗さんを怪我させてしまって…」
「………」
「…あのー…」
「えっ!?怪我!?」
ちょっとボーッとしちゃって、反応が遅れた!!
ごめん!!麗!!
あたし、車に駆け寄って、麗を上から下まで……足!!
「どうしたの!?」
麗の手を持って言うと。
「…そんなに大袈裟に言わないでよ…捻挫だから。」
「捻挫…」
麗は目を細めて、あたしを見た。
「捻挫っつっても色々あんだぜ?明日も酷く痛むようなら、医者行けよ?」
「…気が向いたら。」
…あら。
あらあらあらあら。
何だか…この二人、いい感じ?
あたしが首を傾げて見てると。
「…どこ行ってたの。そんな格好して。」
上下ジャージ姿のあたしを見て、麗が胡散臭そうな顔をした。
「あ、ちょっと走って来たの。運動不足だなと思って。」
「ま…それぐらいした方がいいかもね。体力持て余して、家の中で暴れられても困るし。」
「もー、やだなあ。それじゃあたしが毎日暴れてるみたいじゃない。」
「暴れてるでしょ。知ってる?誰よりもおばあちゃまに怒られてるのよ?」
「がーん…」
あたしと麗が話してると。
「…ぷっ…」
陸ちゃんが、吹き出した。
「あ…失礼…」
そう言って謝ったものの…陸ちゃんは、クスクスと笑い続ける。
「…あの…」
「はい?」
「…どこかで、お会いした事が?」
あたしがマジマジと陸ちゃんを見て言うと。
「え?いえ…話しは聞いてましたが、お会いするのは初めてです。」
陸ちゃんは、笑いを堪えた顔で言った。
…そっか…初対面か。
でも…なんだろ。
何となく、懐かしい匂いがしちゃう。
…声…かな?
「車、ここに置いて家まで連れて行かせてもらっていいですか?」
あたしが考え事をしてると、陸ちゃんが麗の腕を持って言った。
「あっ…ええ。どうぞ。是非。」
つい…目をキラキラさせちゃったかも。
だって、麗って可愛いのに…全然浮いた話を持って帰らない。
誓は何となく彼女がいて、時々思い出してニヤけてたりするんだけど。
「じゃ…さっきみたいに抱えるから、俺の首の所持て。」
「えっ…いっい…いい。自分で歩くから…」
「痛いんだろ?無理するな。」
真っ赤になった麗を、ひょいっと抱える陸ちゃん。
ああ~!!素敵~!!
「じゃ、あたしカバンと靴持つね。」
車の中から麗のカバンと靴を持って、門の横にある潜り戸を開ける。
「どうぞ。」
そして、庭に入った陸ちゃんは、はるか前方の上にある我が家を見て。
「…おまえ、やっぱ歩く?」
目を細めて麗に言った。
そんなー!!
頑張ってー!!
〇二階堂 陸
「お…」
俺にとっては、初めての桐生院家。
光史から『別世界だった』と聞かされた事があったが…
これは…まさしく…
別世界。
一度抱えてしまった麗を下ろすのもどうかと思って…頑張って玄関まで運んだ。
背後から、期待に目を輝かせたおふくろさんもついて来てたし…
「ありがとうございました。あ、せっかくだからお茶でもどうぞ。」
おふくろさんにそう言われたが。
「いえ、もう帰…」
「お義母さーん。お茶入れてもらえるー?」
「る…」
俺の言葉が全部終わらない内に、おふくろさんは廊下を走って行ってしまった。
「…ビックリでしょ。」
麗が首をすくめる。
「…わけーな。」
「でも…あの人が騒がしいおかげで、少し気が紛れてるの。」
「……」
足の手当をして、うちを出た後…
麗は帰りたくないと言った。
それで、一時間ほど…車で話をした。
…双子の弟を好きな事を打ち明けられた。
そして…俺にも。
『お姉さんの事、好きなんでしょ』と。
「…帰る。おふくろさんに、よろしく伝えてくれ。」
「え…?ちょっと待って。」
これ以上、麗といるのは危険だ。
そう思った俺は、麗の言葉を聞こえないフリをして…玄関を出た。
織を想う気持ちは…口にすると本物になる。
以前、光史に告白されて、初めて…織を好きだと口にした。
あの時…言って後悔した。
心の中で、錯覚だと言い聞かせていた物が…一気に形になった気がした。
もう…この気持ちを口にしたくない。
ましてや…
第三者に悟られて言われるなんて…
もっての他だ。
織が、護衛をしていた環と結婚して、俺は家を出た。
間近で…織の幸せを見ているのが、辛かったからだ。
環になら…織を任せられる。
そう思うのに…
俺はどこかで、常に妬いている。
織を妻にした環に…
そして、織に心から愛されている環に…
織の幸せを一番に願いながらも…
それを叶えるのが自分じゃない事が…
俺の、最大の不幸だった。
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