第35話 「スクリーンはうちから持っていけばいい。会場に入るか?」
〇高原夏希
「スクリーンはうちから持っていけばいい。会場に入るか?」
「搬入路の間口を聞いておきます。」
来週、丹野 廉の娘、瑠歌が結婚する。
相手は、マノンの息子…光史。
すでに家族と同居はしているが、ちゃんと朝霧家に迎え入れるためにも結婚披露宴をやりたい。とマノンが申し出て。
「最初は冗談だろって思ったけど…丹野さんのセレモニーの時に、人に囲まれて嬉しそうな顔をしてた瑠歌を思い出したら…やってもいいのかなーとは思いました。」
相変わらず、クールな表情で光史が言った。
そして、来月は陸が麗と、再来月は聖子が京介と結婚する。
最近の俺は、その祝い事のサプライズプランにまで首を突っ込んで…自分で首を絞めている状態だ。
誰かの幸せに関わる事で、自分を慰めている気がする。
実際、それで幸せな気分になれるんだ。
それで、いい…。
「じゃ、後は会議でまとめて話す。」
「分かりました。」
スタッフと話しながらロビーに降りて。
出掛けようと腕時計を見て顔を上げた瞬間。
「夏希。」
声をかけられた。
「…兄貴?」
そこには、俺より9つ上の兄、
「久しぶりだな…どうしてここに?」
俺が問いかけると。
「…親父が入院した。」
兄は少し痩せたと思わせる横顔のまま、言った。
「……歳だからな。」
「まあな。」
正直…少し動揺した。
歳だからとは言いながらも…
親父は、超人とでも思っている俺がいる。
何があっても、あの人に死は訪れない気さえしている。
「会いたがってる。時間が取れたら、行ってやってくれ。」
親父は…兄が社長に就任して、二人で拠点をアメリカに移した。
日本の家は…もう、跡形もない。
弟の
「出かけるのか?」
兄は俺の隣に並んで。
「周子さんの所か。」
足元を見て言った。
「…ああ。」
「一緒に行っていいか?」
「…驚かせたらすまない。」
「いいさ。」
親父には話していないが…兄には、打ち明けた。
就任パーティーに連れて行ったさくらとは…別れた事。
そして、俺の子供を産んだ周子の存在と…娘の瞳の事も。
独身を貫いている兄は、冗談まじりに。
「瞳ちゃん、俺の会社を継いでくれないかな。」
と笑った。
周子は…暴れなくなったが、笑わなくもなった。
俺が会いに行くと、泣いて謝り…酷く落ち込んだ。
周子に会った日は、必ずと言っていいほど…酒を飲みたくなる。
悪いのは俺だ。
全部俺だ。
そう、繰り返しながら…一人で朝まで飲んだ。
だが…今日は兄が一緒だったせいか…
周子は姿勢を正して座り。
「夏希の…お兄様に会えるなんて…お化粧もしてなくて、恥ずかしいわ…」
久しぶりに、はにかんだ表情を見せた。
「そんな事はない。夏希の言う通り、夏希にはもったいない美女だ。」
「まあ…夏希ったら、そんな事を?」
「上手く言い過ぎたか?」
「もうっ…夏希、意地悪ね…」
久しぶりに…周子が笑った。
それだけで、もう…今日は終わってもいいと思った。
「愛してるのか?」
兄と二人で飲むなんて…初めてだ。
最後に会ったのは、SHE'S-HE'Sが帰国する前に渡米した時だから…三年前か。
「…愛はある。」
「まあ…なければここまでは出来ないだろうからな。」
「……」
小さな店の、奥まったテーブル席。
壁にもたれるようにして…俺はつぶやいた。
「…兄貴は、どうして結婚しなかったんだ?」
「は?何だ…今更。」
兄は笑ってグラスの酒を飲み干すと。
「もう一杯、同じもの。」
バーテンダーに声をかけた。
「仕事をやり遂げる事に必死だったからな…」
空になったグラスの氷を鳴らす兄。
確かに…兄は親父の跡を継ぐために、色んな物を犠牲にして来たと思う。
大学時代も、学友からの誘いは全部断り、何もかもを会社経営のために注いだと聞いた。
実際、その甲斐あって…の今だとしても…
振り返った時に、寂しくはないのだろうか。
「…親父じゃないが、どこかに隠し子がいるんじゃないのか?」
笑いながら問いかけると。
「ははっ。居るなら会いたいね。そして…後継者になってもらいたい。」
兄は…白くなった髪の毛をかきあげて笑った。
居るなら会いたい…か。
兄は…本当に、その存在を知らないのだろうか。
俺は、それを…確かめたくなった。
「…兄貴、社長に就任する一年前に、花に詳しい着物美人と会ってただろ。」
俺がそう切り出すと、兄は。
「……どうして、そんな事を?」
顔から笑みを消して首を傾げた。
「…会ってたんだな?」
「…さあな。」
隠しても答えてくれないと思った俺は…
「…たぶん…俺の知っている女性だ。」
兄の目を見たまま…言った。
「何がキッカケで付き合うように?」
グラスが空になりかけた所で、俺もバーテンダーにもう一杯頼む。
「キッカケ?そんな物、もう覚えてないな…」
それもそうか…
当時、独身の兄目当てに近付いてきた女性はごまんといたはずだ。
小さな紳士服店の二代目だった祖父は、結構な野心家で。
紳士服だけではどうにも金儲けは出来ない。と、女性服や子供服にまで手を広げた。
ところが、若くして病に倒れ、その野望は親父に託された。
祖父ほど野心家ではないが、金儲けに関しては才能があったらしい親父は。
世界の流行に敏感に動き、あっと言う間にアパレル業界のトップに昇り詰めた。
しかし、労せずトップに立ったのが災いしてか…
アパレル業界だけでは物足りなさを感じ、俺の知らない間に全く畑違いの分野にまで手を広げていた。
それは、造園であったり、アミューズメント系であったり…
その尻拭いをさせられていたのが、継母と兄だ。
親父は、失敗を許さなかった。
とにかく、辞める事はしない。
上手くいかなければ、上手くいくまでやる。
本業を潰しかねない時期もあったらしいが、それを越えて…親父の会社は大きくなった。
俺は親父の仕事に全く興味がなく。
兄が社長に就任した時、初めてそれらの話を詳しく聞いた。
…俺も冷たいもんだ。
家族の職業もきちんと知らないなんて。
「最初は、全然俺にもそんな気はなかった。」
酒の力も手伝ってか…
兄は少しずつ話し始めた。
「どうして。」
「歳が離れてたからだよ。」
そう言えば、兄と彼女の歳は…俺とさくらより離れてる。
だが、何度か見せてもらった遺影以外の写真は、年齢より落ち着いて見えた。
「一度、結婚をせがまれた事がある。」
「えっ?」
さすがに…驚いたし、もしかしたら相手が違うのか?とも思った。
「それで…どう答えたんだ?」
「もちろん断ったさ。申し訳ないが、都合のいい相手は欲しかったが…結婚なんて、余裕の欠片さえなかったからな。」
「……」
「…誰にも必要とされない人生は嫌だ…って泣かれたよ。」
誰にも必要とされない人生…
そう言われると、それは…やはり容子なのだろうか…と思わなくもなかった。
「だが、他の男との間に子供が出来たから、別れると言って…一方的にフラれた。」
「え?」
「結婚をせがんだクセに、他にも男がいたのかと思うと悔しい気もしたが…都合のいい相手として見ていた俺には、彼女もそうするしか割り切る術がなかったのだろうな。」
兄はそう言うと、溜息まじりに。
「美しい女だったが…いつも寂しそうで可哀想だった。」
どこか…懐かしむように遠くを見た。
兄の中では…その女との束の間の恋は、美しく儚い物だったのかもしれない。
それを…崩す気にはならなかった。
この様子だと、兄はその女性が人妻だったとは知らなかったようだ。
…今更、夢を壊す事もない…。
兄には…何も告げまい。
俺が…貴司から精子をくれとせがまれた時。
貴司が言った。
「私は全く気付いてなかったが…容子の素行を怪しんでいた母が、探偵を雇って調べていたんです。」
貴司の言う『全く気付いてなかった』は…容子の浮気にではなく。
母親が、貴司以上に容子の素行を怪しんでいた事だ。
「そして…母はその結果を、ずっと…私に打ち明ける事なく、一人で抱えていたんです。」
その結果…とは。
兄の陽路史と、容子がホテルのロビーで会っている写真と…
兄と…誓と麗のDNA鑑定。
俺は、貴司からそれらを突きつけられた時、かなり動揺した。
兄には…敵が多くいる。
兄にとっては、隠し子なんて嬉しい誤算にしか過ぎないかもしれないが…
俺は困る。
色んな輩に土足で桐生院に踏み込まれて、さくらの幸せを壊されたくないし、高原はどうにでもなるとしても…麗達を傷付けたくない。
それに…
一つゴシップが生まれると、根こそぎ調べられる。
…俺達は、叩けば埃が出る。
良家に隠された秘密…
それだけじゃない。
さくらの…あの事件の事や、二階堂の事…
「私が…あなたと付き合っていく上で、何か不都合が生じた時に…使えばいい…と、母から渡された物です。」
貴司は、書類の事を…そう説明した。
全ては…母親が用意した物だ…と。
貴司はそれで、俺の精子を手に入れた。
だが、母親には話していないはずだ。
なぜなら…母親は、誓と麗は容子がよそで作った子供だと知っている事になるが…
貴司に精子がない事は知らないらしい。
母親をガッカリさせたくない貴司は、それだけはどうしても…打ち明けられなかったと言った。
貴司と母親は…常にバディのようであり、だが…どこか相手を思いやり過ぎて、秘密の多い関係のようにも思える。
…もっとも…
そんな秘密を手の内に隠し持って、誰かを動かすなんて事自体…間違っているのだが。
「今更だが…一度ぐらい結婚しておくんだった。」
兄が苦笑いしながら言った。
「今からでも遅くないんじゃ?」
「ふっ…親父が死んだら考えよう。」
兄の顔を見ていると、何も知らない事に感謝さえした。
そして、今日…周子が久しぶりに笑った事。
「兄貴。」
「ん?」
「乾杯。」
「ははっ。何にだよ。」
「いい夜だと思って。」
「…そうだな。おまえとこうやって飲むのは、初めてだ。」
今日は、さくらの誕生日だ。
今も…リトルベニスに旅立てなかったあの日を思い出すと、苦い疼きが残るが…
今は…さくらの、今の幸せを…
何があっても、守りたい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます