第29話 「義母さん。」

 〇桐生院さくら


「義母さん。」


 天気のいい午後。

 二月なのに、暖かいなーと思って、今日は華月ちゃんと聖をバスケットに入れて、広縁で日向ぼっこ。

 ノン君とサクちゃんは、お義母さんと図書館に行ってる。



「え?千里さん、午後から仕事じゃないの?」


「休みになったんすよ。」


「あら、そう…お茶でも入れようか?」


 あたしが立ち上がると。


「いや、たまには買い物にでも出かけたらどうっすか?」


 千里さんは子供達のそばに座って。


「俺が見てますから。」


 愛しそうに…二人の顔を覗き込んだ。


「…大丈夫なの?」


 あたしもだけど、千里さんも最初からの子育ては初めて。

 お義母さんや知花に色々習いながら、何とかやってる感じ。


「てんてこまいも勉強の内っすよ。それに、二人とも思ったよりおとなしいし…」


「うーん…確かにね。でも、出かけるって言ってもなあ…」


 あたし…今まで出かけるって言ったら…

 病院と、図書館と…走りに行ったり…


「…前から気になってたんですけど…」


 ふいに、千里さんが声のトーンを落として、遠慮がちに言った。


「何?」


「義母さん、買い物とか出来るんすか…?」


「……」


「……」


「しっつれいねー!!出来るに決まってるじゃなーい!!」


 あたしがバーンって千里さんの背中を叩いて言うと。


「あたっ…いや…でも、見た事ないと思って…だいたい買い物って、ばーさんか知花か…配達してもらうかだし…」


 千里さんは大袈裟に痛がりながらも…正直に失礼な事を言ってのけた。


 そうだ…

 桐生院には、昔から小々森こごもり商店さんという贔屓にしてるお店がある。

 買い物ってほんと…


「…確かに…ないかも…」


 それでなくても、寝た切り期間が長かったから…

 一応物価なんかは調べて知ってるにしても、実際自分で買い物したのって…


 …ない!!

 ないよー!!



「…美容院でも行くとか…」


「…自分で切ってる…」


「…服を買いに行くとか…」


「…自分で作ってる…」


「…お茶でも飲みに行くとか…」


「わざわざ外で?」


「決まり。お茶して来て下さい。」


「えっ。」


 千里さんは、ポケットからクリップみたいな物で挟んでるお札を取り出して。


「お小遣い。」


 あたしに渡した。


「も…もー…あたしの事、麗と同じぐらいに見てない?」


 お札を受け取らずに、目を細めて見てると。


「ははっ。でも尊敬してますよ。頼むから、少し外に出て新しい物でも見て来て下さい。」


 千里さん…何だか最近よく笑うようになったなあ…って思うような、笑顔。

 その笑顔がちょっと嬉しくて、つい…


「…うん。じゃ、ちょっとお茶して来ようかなー…」


 言ってしまった。


「表通りってあまり行った事ないんすよね?」


「表通り?うん。ないかも。」


「雑貨屋とか楽器屋もあるし…あ、楽器屋には名前や顔は出てないけど、知花のインタビューが載った雑誌出てますよ。」


「えっ!!買うー!!」


 そう言えば、インタビューされたって言ってた!!

 写真がないのは残念だけど、読みたーい!!


「ははっ…あと、子供服のお店も。その『音楽屋』の裏の通りにあります。」


「カナリア!?わー!!行きたい!!」


 縫製すごくしっかりしてるんだよねー!!

 何かお店でヒントが得られないかなあ!?


「あの界隈、義母さんが好きそうな店がたくさんあるんで、楽しんで帰って下さい。」


「うん!!行く行く!!」


「ふっ…」


 千里さんは小さく笑って、本当にあたしにお小遣いを…


「って、いやいやいやいや…もらうわけには。」


「いえ、気持ちなんで。」


「…気持ち?」


「これからも宜しくお願いします。の。ワイロ。」


「…ふふっ…そっか。」


 あたしはありがたくお金を受け取る事にした。

 このお小遣いで楽しんだ方が、千里さんも喜んでくれるよね。



「じゃ、行ってきまーす。」


 千里さんが玄関まで見送ってくれて。

 あたしは、スキップしそうな足取りで『表通り』に向かった。




 〇高原夏希


「…悪かったな。」


「いいっすよ。」


 俺は…戸惑いながらも、裏口から桐生院に入った。


 今日、午後から貴司から誘われていたが…貴司が急な仕事で帰れなくなった。

 そこで…俺もまた日を改めようと思っていたが…

 千里が。


『親父さんから聞きました。俺、今日は午後からどうにでもなるんで家に居ます。来て下さい。』


 そう、電話をくれた。


「…いや、遠慮しとく。」


『じゃ、さくらさんに出かけてもらいます。それでどうですか?』


「…出かけるかな。」


 さくらは、昔から家に居る方が好きだった。

 裁縫をしたり、料理をしたり…家の近くで見つけた何かで、色々楽しんでいた。

 桐生院に行ってからも、そうだったようで…

 想像以上の出不精だと、貴司がボヤいていた。


 が…


『今から口説くんで、すぐ事務所を出て、裏口に車を停めて待っててください。』


 千里はそう言った。

 半信半疑ではあったが…千里の言う通りにしていると。


「お待たせしました。どうぞ。」


 裏口に到着して数分後には…千里が、迎えに来てくれた。



 千里に続いて廊下を歩く。

 すっかり…桐生院の人間になったな…と、千里の背中を眺めた。


 いつもの大部屋と呼ばれている部屋に行くのかと思ったら、広縁で。

 聖と…千里の娘の華月は、バスケットに入った状態で眠っていた。



「……」


 二人の前にしゃがんで、顔を眺める。


 華月は…俺の孫で…

 聖は…

 いや、聖は…貴司の息子だ。

 俺は、自分の孫と…親友の息子の出産祝いに来たんだ。



「…二人とも、可愛いな。」


 目元がほころぶ。

 聖は…黒い髪の毛で…

 眠っていても、さくらに似ているのが分かる。


「同じ日に産まれたから、華音と咲華はこいつらも自分達と同じ双子だと思ってるんすよね。」


「なるほどな…そう思っても不思議じゃない。」


「みんな成長すると共に、ややこしい関係図に頭を悩ます事になりそうっすよ。」


「ははっ…間違いないな。」



 それから…静かな時間が流れた。

 千里は本当に、ここの庭が好きなのだろう。

 俺が華月と聖を交互に抱き上げるのを、たまに見向きはするものの…

 ずっと、俺に背中を向けて庭を眺めていた。

 そうかと思えば、いつの間にかお茶を入れてくれていたり…

 泣き始めた華月を抱く姿は、すっかり父親だった。



 それから…

 千里が華月を。

 俺が聖を抱いて、ミルクを飲ませた。

 …まさか、千里と並んで、こんな事を…な。


「…なんすか?」


 俺が小さく笑うと、千里も少し笑ったまま顔をあげた。


「いや…F'sの神千里が、娘にデレデレになりながらミルクやってる姿を目の当たりに出来るなんてな…」


「俺も思ってたとこっすよ。Deep Redの高原夏希の貴重な姿、ドキドキしてます。」


「俺はもう、普通のじじいさ。」


「じじいって呼ぶにはまだまだっすね。孫がいるようには見えません。」


「…こいつらのためにも、いつまでもカッコいいじじいでいなくちゃな…」


 腕の中の聖は…とても小さく思えた。

 だが…間違いなく、かけがえのない存在だ。

 ここ数日の忙しさの疲れも…すっかりなくなった気がする。



「…ありがとな。」


 さくらがいつ帰るか分からないと思って、キリのいい所で帰る事にした。


「親父さんが気にしてたんで、良かったです。」


「貴司にも連絡入れておくよ。」


「ありがとうございます。」


 千里に礼を言って、裏口から出る。

 そして、華月や聖の重みを思い出しながら…

 また、事務所に戻った。




 〇桐生院さくら


 千里さんの言葉に甘えて、あたしは『表通り』に繰り出した。


 うーん…

 すごく久しぶり!!

 こういう…ドキドキするようなお店が並んでる通り!!


 まずは、雑貨屋さんに入った。

 あっ、麗に似合いそうな髪飾り~!!

 これ、どうやって作ってあるんだろう?


 あたしは、それを手にして、裏までじっくり見た。

 ふむふむ…ここをボンドでくっつけてるのか…

 糸で固定する手もあるね…


 あまりにも一つ一つの商品をジロジロと眺めすぎて、店員さんが怪しそうな目で見てる事に気付いた。

 あたしは苦笑いをしながら、雑貨店を出る。


 ふう…

 あっ!!音楽屋!!

 これが千里さんが言ってた楽器屋さんねー!?



「……」


 入ろうとして…足が止まった。

 …何だろう…この感覚…

 あたし…ここ、来た事…ある…?



「すいません。」


「あっ…ごめんなさい。」


 後ろに人がいる事に気付かなくて、慌ててドアの前から避けた。

 ドアの向こうには、知花が載ってるかもしれない音楽雑誌のコーナーとか…

 その奥には、楽器のコーナーもあって…

 そこには、マノンさんのポスターが見えた。


 …いつだろう…

 あたし…ここに…来たよね…?

 それで…何か雑誌を読んだような…


「……」


 すごくモヤモヤしてしまった。

 せっかく千里さんに出かけさせてもらったのに…


「…ダメダメ。」


 あたしは音楽屋に入るのをやめて、その近くにあると聞いた『カナリア』に足を運んだ。



『カナリア』は…間違いなかった!!



「この刺繍、すごい…」


 あたしがベルベッド生地のワンピースを手に、わなわなと震えていると。


「それ、素敵でしょう?」


 メガネが素敵なご夫婦が、ニコニコしながら近寄って来られた。


「ここまで細かくやってあるのに、重たくないですね。」


「特殊な刺繍糸らしいですよ。独特な光が何とも言えないでしょう?」


「血が騒ぎます…」


 あたしがそれを手にしたまま唸ってると。


「お裁縫、お好きなんですか?」


 奥様の方に問いかけられた。


「ええ、好きです。自分が着る服は、ほとんど作ってます。」


「えっ!!」


 そのご夫婦、あたしを上から下まで眺めて。


「今日のこの服も?」


 目を丸くされた。


「はい…ちょっと、この辺ほつれちゃってるけど…」


 今日のあたしは、膝下までの丈のワンピースの上に、がっつり縄編みをしたセーター。

 その上に、ダッフルコート。

 お義母さんが裁縫箱に溜め込んでた、クルミみたいなボタンがお気に入り。



「すごい…この縄編み、すごく独特…」


 二人に褒めちぎられて、ちょっと嬉しいけど恥ずかしい…


「服飾関係の学校に行かれたの?」


「いえ…ただの趣味で…」


 そこですごく話が盛り上がって。

 さっきまでのモヤモヤが吹っ飛んだ。

 カナリアのご夫婦に感謝!!



 結局、あたしは何も買う事なく…

 ご夫婦とは、連絡先交換をした。

 千里さんが、ここの常連だと話すと…


「もしかしてご主人!?」


 って…

 娘婿と言っても信じてもらえそうにない気がして、身内の婿です…って笑って誤魔化した。


 そんなに若く見られてるって思うと…

 ちょっと…嬉しいって言うより…トホホ…って気持ちになった。

 知花にも、千里さんにも申し訳ない気分。


 だってあたし…

 4月で40歳だよ!?



 カナリアを出て、もう一度表通りに戻ると…

『ダリア』ってお店が目に入った。


 んー…

 いい香りがする。

 千里さんにも、お茶して来いって言われたし…

 入ってみようかな。



 ドアを開けて中に入ると、外から見たよりもずっと広いお店だった。

 奥の方はテーブル席がたくさんあって、若い子が集まりそうな雰囲気。

 だけど、カウンター席はシックで大人な雰囲気。

 さっきすごく若く見られたのを思い出したけど…あえて、あたしはカウンター席に座った。



「いらっしゃいませ。」


「こんにちは。」


「メニューどうぞ。」


「あ、どうも。」


 メニューを渡されて、上から下まで眺めて…


「んー…アメリカンコーヒー。」


 珍しく、コーヒーを飲んでみる気になった。


「はい。少々お待ちください。」


 マスターかな?

 優しそうな男の人。

 貴司さんより少し上ぐらいかな。


 さりげなく店内を見渡す。

 観葉植物…きれいにしてあるなあ…

 それと、至る所に飾ってあるレコードジャケット…


 …あ。

 Deep Redのレコードだ…

 つい…目が釘付けになった。


 …もう、思い出。

 あたしの想いは、現在進行形じゃない。



「お待たせしました。」


 目の前にコーヒーが運ばれて。

 あたしは、そのいい香りに目を細めた。

 久しぶりだなあ…コーヒー。



 窓の外を眺めたり、流れてくるBGMに耳を傾けながら、コーヒーを楽しんでると…

 ふと…

 聴いた事のある声が…



「このバンド…」


 あたしがつぶやくと…


「知ってますか?俺の友人のバンドなんですよ。」


 マスターが笑顔でそう言われた。


 友人のバンド…

 友人…

 この声…



「あたし…このボーカルの人から、話を聞きました。」


 …あたし…何言ってるんだろ。

 でも…そうだ…

 あたし、この声の人から…


「え?廉の…知り合い?」


 廉…?


「…名前は…思い出せないけど…」


 そう…

 名前は分からないけど…

 彼は…あたしに…


「宝石店で、彼女に指輪を…」


「……」


 マスターは、驚いた顔であたしを見てる。


「彼女が…この人の声を聞いた時に、『あなたの声は瑠璃色みたい』って言ったから…娘さんの名前は『瑠歌』にした…って。」


「え…き…君は…その話をどこで…?」


「…どこだろう…でも…この声の人に聞きました。それで、誰かに…彼女と娘さんを紹介するって…」


 …どこで?

 あたし…この話、どこで聞いたの?

 どこの宝石店?



 急に…胸の奥の方がざわついて。

 頭の中のモヤモヤが、少し晴れて来る気がした。

 それが晴れたら…あたし…


 何か…

 思い出すの…?



「君…その話…」


 マスターに声をかけられて顔を上げると、時計が目に入った。


「あっ!!こんな時間!!」


 わー!!ヤバいよー!!

 千里さん、一人で大丈夫かなあ!?


「ごちそうさまでした!!」


 あたしはお金をカウンターに置くと、マスターに呼び止められてるのにも気付かずに、外に走り出た。



 そこから桐生院まで走って帰って。

 慌ててた事と…

 さっきの…あたしの思い出なのか…妄想なのか…

 あの声の主を知りたいと思う気持ちとで…



 いつもなら気付く、なっちゃんの気配に。


 あたしは…気付かなかった。

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