第一章 始まりの死 05
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『――《
駅前スクランブル交差点の街頭ビジョンに映し出されたAIキャスタをぼんやりと眺めながら、俺は信号が変わるのを待つ。
付近には、俺と同じような暇を持て余した学生や社会人の姿がちらほら。みんなどこか真剣なまなざしを街頭ビジョンに向けつつ、《世界崩壊係数》を知り安堵の息を漏らしている。
時刻は午後四時少し過ぎ。寮の自室へ戻るには早すぎるし、何かをするには些か心許ない時間帯――俺はあてどもなく町を徘徊していた。
神智科学研究都市――通称新宿特区は、現在人口十万人の大都市となっている。世界中の研究機関を誘致しているいわゆる学研都市ではあるのだが、元が新宿という世界的に有名な混沌都市だったこともあり、《新宿特区駅》周辺部は、学術研究とはほど遠い繁華街と化している。
現在、《悪魔》の発生により人類は存続の危機にあり、世界的にもほとんどの大都市は壊滅状態のため、この新宿特区は実質的に《人類最後の楽園》とさえ呼ばれているとか何とか。
故あって、発足当初からこの新宿特区に住んでいる俺にはあまりぴんと来ないが、事変まえとほとんど変わらない生活を送れている現状というのは、それだけでも幸せなことなのかもしれない、と思ったり思わなかったり。
正直よくわからないというのが本音。
真面目なようで中身のない思考にリソースを割かれていると信号が青に変わる。
調子外れのデジタルカッコウを意識のすみで捉えながら、俺は交差点を渡っていく。
特に目的があるわけではないが……さて、どうしたものか。
この先の予定を考えあぐねていると、不意に先ほどの檻神の一言が脳裏によみがえる。
〝――あれから十年か〟
その言葉を改めて反芻して――半ば無意識に足を止める。
「……そうか……十年か……」
人類にとって十年まえの《サタナエル事変》は、それまでの生活を一変させるほどの大事件であったのだが……俺にとってはもう少し複雑な思い出でもある。
思い出というかトラウマというか。
ふと心の底から黒い靄のような感情が湧き上がって来たので、俺は空を見上げて気を紛らす。
春特有の柔らかな風が髪を撫でる。
西日がやや茜色に雲を照らし始めているが、夕方と呼ぶにはまだ早い時間だ。
あれ以来、なるべく近づかないように、そしてなるべく意識しないようにしてきたが……そろそろ良い頃合いなのかもしれない。
不意に、母の言葉を思い出す。
〝――人生は後ろ向きにしか理解できないが、前向きにしか生きられない〟
それは母の口癖のような言葉だった。あとになって、それが昔の哲学者の言葉なのだ、ということを知ったのだが、当時幼かった俺はその意味がわからなかった。今思えば、母はわざと難しい言い回しをして、俺の反応を楽しんでいたような気配すらある。正直悪趣味だとは思うが……それでも、研究で忙しかった中しっかり俺と向き合ってくれていたのだから、大したものだと思う。そして母は、俺の頭を撫でながら、いつも続けて俺にも理解できる言葉でわかりやすく言い直した。
〝イザヤ、笑いなさい。つらいときこそ、悲しいときこそ、不敵に笑ってやりなさい。そうすれば、あなたの未来はきっと明るくなるから――〟
大好きだった母の言葉だが……それを現状実践できていない俺は親不孝者なのだろうか。
思うところは色々とあるが、もう少し前向きに生きてもいいかな、とは思う。
まだ少し怖いけど……いつまでまともに生きられるかもわからない現状、そろそろ覚悟を決めないといけない。一度深く深呼吸をする。
「――よし、行ってみるか」
そうして俺は意を決して――始まりの場所へ向かって歩き始める。
大通りから外れ、狭い小道に入る。
場所が場所だけに、必然的にどんどんと
進むにつれて緊張感が増してくる。心なしか、左腕が騒ぐ。
どうしても気持ちは乗らない。気持ちというか身体が拒絶反応を起こすというか。
やはりこのトラウマを克服するのはまだ早かったのかもしれない。
そしていよいよ、帰ろうかな、と多少後ろ向きなことを考え始めたところで――。
「わきゃっ!?」
「うおっ!?」
――俺は、天使と出会った。
突き当たりのT字路に差し掛かった瞬間。
何か小さな影がものすごい勢いで飛び込んできて――俺は思わず抱き留めた。
ふわりと立ち上る甘い芳香が鼻腔をくすぐる。
そんな芳しい見知らぬ誰かは、俺の胸部に顔面を強打して、「ふぎゃっ!」としっぽを踏まれた猫のような奇声を発した。
何事かとわずかに視線を下げる。すると俺のすぐ目の前に、黄金色の輪っかがふわふわと浮いているのが見えた。
なんじゃこりゃ?
よくわからないまま、無造作に掴んで引っ張ってみる。
「ぴぎぃっ!?」
腕の中の何かが再び奇声を上げ、慌てた様子で俺から距離を取る。
そこでようやくその人物の全体像を見て――俺はしばし言葉を失う。
――目が覚めるような美少女だった。
背中に届くほどの長さに伸ばされた、ふわふわもこもこの柔らかそうな黄金色の髪。
色素の薄い肌は、整った顔立ちの影響もあり作り物めいてさえ見えるが、それを否定するようにわずかに朱が差しており、それが血の通った人間であることを示している。
年頃は、俺と同じくらいだろうか。頭一つ分ほど小柄で細身ではあるが、痩せぎすな印象はなく、むしろメリハリのある良い体つきをしている。
控えめにフリルをあしらった乳白色のブラウスに、胸元を強調する濃紺のジャンパースカートという清楚な佇まいは、まるで良家のお嬢様といった雰囲気を漂わせているが、髪と同じ黄金色の双眸は、星々を散らしたようにきらきらと輝いており、清楚というよりは、むしろエネルギッシュにも見える。
そして、俺が先ほど掴んだ天使の輪の如き物体は、どうやら頭頂部から伸びた髪の一部であったらしい。
少女は頭頂部を両手で押さえながら涙目でこちらを睨みつけてくる。
「いっ……いきなり何するのっ!?」
「いや、その……悪い」
少女の美しさに圧されて思わず素直に非を認めてしまったが、冷静に考えてみたら俺は俺で被害者な気もしてきた。
「待て待て。そもそもおまえがろくに前も見ずに突っ込んできたんだろうが。まずは、そのことに対する謝罪を述べるのが筋だろう」
「うっ……それはその……ごめんね……?」
急にしおらしくなって少女は頭を下げる。それに合わせて頭上の輪もこちらへ差し出されるので、俺は半ば無意識に再びそれを掴む。「ぴぎゃあ!」と聞いたこともない悲鳴を上げて、少女は俺の手を払う。
「ちょ、ちょっとキミ正気!? 初めて会った女の子の髪を二回も引っ張るとか、おおよそまともな人類のすることじゃないよ!?」
「いや、なんかその……チョウチンアンコウ的なサムシングを感じてな……。釣られるように手が動いたんだよ、悪い」
「まったく悪びれた様子がない!?」
「まあでも、掴まれたくないならどうにかしたほうがいいぞ、そのアホ毛」
「あ、アホ毛じゃないよ! 毎朝セットしてるんですけど! オシャレなんですけど!」
少女はオーバーリアクション気味に目を見開く。
何というか……見た目に反してコミカルな人格の持ち主のようだった。
それからすぐにハタと何かを思い出したかのように表情をこわばらせる。
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