第二章 繰り返す死 02
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「――正夢?」
予想外の質問だったのか、檻神は不思議そうな声を上げる。
ああ、と頷いて、俺はもう少し詳しく話す。
「なんて言うのかな……。夢で見たことが現実でも起こるみたいな、そういうのって科学的にあり得ることなのか?」
左腕の定期検診の最中、俺は自分の身に起こっている現象の説明をつけたくて、さり気なく檻神にお伺いを立ててみた。
《人類最後の天才》とさえ称される彼女なら何か知っているに違いない。檻神は測定装置と睨めっこをしながらも、「そうだな……」と言葉を選んで答えてくれる。
「記憶の蓄積――つまり、情報の収集と分析の結果、ある種《未来視》のような現象が起こる可能性はあるのではないか、と私は考えている。あくまでも個人の世界に限定した話、だがね」
「《未来視》? どういうことだ?」
「――《ラプラスの悪魔》だよ。一年の講義で習っただろう?」
檻神の言葉に、俺は思わず眉を顰める。
「……何となく覚えてはいるよ。なんか、未来がわかるとか何とか」
「……頼むから少しは真面目に講義を聞いてやってくれ。さすがに私の立つ瀬がない」
「……面目ない」
頭を下げる俺に、檻神はため息交じりに答える。
「ラプラスの悪魔――。十九世紀のフランスの数学者、ピエール=シモン・ラプラスによって提唱された超越的存在の仮定だ。さっきイザヤが答えたのも間違いではないが、正確に言うと《ある時点における宇宙の全物質の状態量を観測、分析できる存在は、宇宙の状態を未来まで確定的に知ることができる》だな。これは、全知全能の存在――つまり神のことであり、そういった超越的知性は存在しうる、という主張だったんだが……二十世紀に入り量子力学の隆盛によってこの超越的存在は否定された。ハイゼンベルクの不確定性原理によって、原子の位置と運動量を同時に観測することが不可能であることが明らかにされたからだ」
そんな早口で捲し立てられても学習の積み重ねがない俺には理解が遠い。そんな俺に不理解を早々に察したらしい檻神は、再びため息交じりに言う。
「……つまりだ。千里眼とでも言えばわかりやすいかな。未来を予知するような超能力は、あったら素敵だけど実在しませんよ、ってことが科学的に証明されたってこと」
なるほど。それなら理解できる。得心いったとばかりに、視線だけで檻神に先を促す。
檻神は満足そうにマグカップに入ったコーヒーを啜ってから続ける。
「――だが。
「……《世界崩壊係数》を算出してる機械だよな?」
「そうだ。《ラプラス》は、ミーム粒子によって全世界を観測し、《因果律演算》と呼ばれる特殊な分析を行うことで、確率的そして極めて限定的にだが、簡単な近未来予測を可能とするシステムだ。そして、《悪魔》の脅威から人類を守るため、人類存続に関わる重要な解析結果を数値化したものが《世界崩壊係数》として表現され、毎日一時間毎に国民に公表されている」
檻神の言葉を頭の中で咀嚼しながら、俺なりの結論を導く。
「ええと……つまり、《ラプラス》の《因果律演算》と同じようなことが、人間の脳の中でも行われているってことか……?」
「あくまでも私見だがね……。インプットされた情報の分析、という意味で両者の行いは同質であると言えるだろう。正夢、あるいは予知夢、場合によって
「……なるほど」
つまり俺の身に起きていることも、そういった《未来視》の類いである可能性があるわけだ。
でも、それにしては妙にリアルな夢だったし、そもそもアナみたいな美少女にはそれこそ出会ったこともないわけで……。
そう考えるとあの夢は、理想の女の子と楽しいことがしたいという願望が表現された、フロイト先生お得意のアレということになるのだろうか。
何だか、考えれば考えるほどわけがわからなくなってくる。
「……大丈夫か? 何か良くない夢でも見たのか? つらかったら私の胸で泣いていいぞ?」
「……いや、遠慮しておくよ」
つい最近、誰かの胸に抱かれて励まされたような気がして、そんなのばかりだと苦笑する。
「確かに少し悪い夢を見たけど……うん、気にしてないから問題ない」
「そうか……。だが、予知的な悪夢というものは、突き詰めれば吉兆とも言い換えられる。そうすると悪いことが起きる、という知見は、行動により回避できるわけだからな」
「なるほど……そういう考えもあるのか」
確かに……たとえそれが夢であったとしても、良くないことが起こりうるのであれば、それを回避するよう行動するのが建設的というものだろう。
「ありがとう、ドク。ちょっと前向きに検討してみるよ」
何となく、心のつかえが取れたような気がして。次第に先ほどまでの言いしれぬ不快感というか、記憶と現状の不一致は薄らいでいったのだった。
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