第二章 繰り返す死 01


 1


 ――……ィン……ゴーン……。


 遠くで、鐘の音が聞こえる。

 非常に勝手な印象だが、天国の入り口には、黄金の鐘が設置してあるイメージがある。

 そしてそれを打ち鳴らして、やって来た人々を祝福するのだ。


 祝福の鐘カムパネルラを――。


 だから俺は、自分が天国へ来たのだ、と曖昧な思考で結論づける。

 死んでしまったことは残念だが、せめて地獄へ堕ちなかっただけマシというものだろう。

 だが――とそこでふとした疑問。


 天国へとやって来た人々を祝福するための鐘にしては……所帯じみてはいないだろうか。

 安っぽいというか電子的というか。例えるのなら、まるで学院の始業ベルのような――。


「……っ、……もりくん……」


 それに先ほどから鐘の音に合わせて耳朶に響く、聞き馴染みのありすぎるクラスメイトのお節介な声がまた学院感を増幅させているというか……。

 なんとなく。記憶と現状の不一致に違和感を抱きつつ、回らない頭でその正体について考え始めたところで――。


「四ノ森くん!」


「――――っ!?」


 極めて至近距離で名前を呼ばれ、俺は驚きのあまり飛び上がった。

 ドカン、ガタンと周囲の物をなぎ倒して尻餅をつく。


 逸る鼓動を抑えながら、何が起きたのかを本能的に探る。

 そして思い至る決定的な違和感。

 逸る鼓動……?


 ? 

 俺は死んだのではないのか?


 それに……よく見たらここは学院の教室ではないか。

 何故俺はこんなところにいる。いつの間に運ばれたのか。


 そしてつい先ほどまで金髪の少女を抱きしめていたはずなのに、何故今、俺の目の前には、流麗な黒髪の少女が――。


「――い、委員長……?」


 ほとんど無意識に声を掛ける。すると黒髪の少女――雨宮シズクはばつが悪そうに口を開く。


「いや、その……ごめんなさい……驚かせるつもりはなかったんだけど……」


 シズクは、申し訳なさそうに眉尻を下げる。


「で、でも、寝てるところを起こしたくらいでそんなに驚かなくてもいいでしょう……? 私だってその……そんなに怖がられたらショックというか……」


「…………は?」


 話が見えない。というか状況に対して理解が追いつかない。

 惚けたようにシズクを見上げて動こうともしない俺。しびれを切らしたのか、困ったような呆れたような何とも言えない複雑な表情でシズクは手を差し伸べてくる。


 何も考えず、そのほっそりとした手を掴み、立ち上がる。立ち上がってもまだぼーっと立ち尽くす俺。シズクは妙に甲斐甲斐しく、俺の制服についた汚れを払っていく。

 一頻り終えてからシズクは改めて俺の前に立ち、これ見よがしにため息を吐いた。


「もう……しっかりしてよ。大丈夫? 怪我はない?」


「…………怪我?」


 反射的にみぞおちに触れてみるが、当然のようにそこには、傷一つなければ血痕すらもない。

 首を傾げる俺に、シズクは心配そうに顔を寄せてくる。


「――ねえ、本当に大丈夫? もしかして頭とか打った?」


「……いや、頭は打ってないと思うけど……」


「じゃあ、悪い夢でも見た?」


「悪い……夢……?」


 まさか……全部夢だったってのか……?

 アナとの衝撃的な出会いも。アナとの楽しかった時間も。


 アナに救われた身震いするほどの喜びも。アナを失った慟哭するほどの悲しみも。

 すべて俺が脳みその中だけで作り上げた幻想だったということなのだろうか。


 だが――現状そうとしか考えられない。

 ここは学院の教室で、時刻は午後三時過ぎの圧倒的放課後で、目の前にはお節介のクラス委員長が立っていて、そして――。


「――なあ、委員長。こんなヤツに絡むだけ時間の無駄だぜ」


 そうそう、確かこんなふうに横から絡まれて――。

 瞬間ハッとして、声のほうへ視線を向ける。するとそこには――先ほど夢で見たものと相違ない、品のない笑みを浮かべたクラスメイトの鷹無が立っていた。

 パニックになり、思わず俺は鷹無の襟首に掴みかかる。


「おいっ! おまえ今なんて言った! もう一度言え!」


「ちょっ! 四ノ森くん! 落ち着いて! ケンカはダメ!」


 慌てて仲裁に入ろうとするシズクだったが、今はそれどころではない。

 鷹無の襟首を掴んだまま、首をがくがくと揺らして俺は問い詰める。


「それ、まえに一度でも俺の前で言ったか!? 俺は記憶にあるがおまえの記憶はどうだ!?」


「な……ないよ……そ、そこまでキレることないだろ……冗談だよ……」


 しどろもどろになりながら鷹無は苦しげに答える。


「四ノ森くん! もうやめて! 暴力沙汰なんて起こしたら退学になっちゃう!」


 今にも泣き出しそうな必死の形相で俺にしがみつくシズクを見て、多少冷静さを取り戻す。

 どうやらシズクも鷹無も、俺が侮辱されたことに怒っているのだと考えているようだ。


 だが――問題はそんなことではない。


 俺は確かに――先ほどの鷹無の侮辱と同じ言葉を、夢の中で投げ掛けられた。

 夢の中と同じように現実が進行するなんて――ありえない。


 だから真っ先に考えるべきは、俺が忘れているだけで過去に同じようなことを鷹無から言われたことがあり、それを無意識に脳内で処理して夢の中で経験した、という可能性だ。

 鷹無から手を放し、悪い、とだけ告げて、今度はしがみつくシズクを引きはがして尋ねる。


「……なあ、委員長。まえに同じような場面に遭遇したことなかったか……? 俺と委員長が話してるとき、横から鷹無が割り込んでくるみたいな」


「な……ないと思うけど……」


 怯えをはらんだ表情でシズクは頷く。


「その……四ノ森くんが怒るのも当然だと思うわ……でもそれは、クラス内の四ノ森くんに対する差別的な意識を許容していた私の責任よ……。鷹無くんはあとでしっかりと叱っておくから許してあげて……」


「いや……悪い、委員長。別に怒ってるわけじゃないんだ。ただその……うん、委員長の言うようにちょっと夢見が悪くてな……それで我を忘れたみたいだ。怖がらせて、ほんとごめん」


 今にも泣き出しそうなシズクに謝ってから、今度は鷹無に向き直る。


「鷹無も悪かった。今度なんか奢るから勘弁してくれ」


「ま、まあその……僕も言い過ぎたよ……悪い……」


 そういった素直な反応は予想外だったのか、ばつが悪そうにそう言うと、鷹無は教室を出て行った。それを見届けてシズクも安堵の息を吐く。


「あの、もし調子が良くないようだったら、医務室まで付き添うけど……?」


「いや……いいよ。それよりも、騒がせて本当に悪かった」


 気遣うようなシズクの提案をやんわりと辞退して、俺も教室を出る。

 確かこのあとは、檻神の定期検診のはずなので、学長室へ向かって歩き出す。


 わずかに底冷えする廊下を歩きながらぼんやりと考える。

 いったい、俺はどうしてしまったのだろうか……?

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