第二章 繰り返す死 03


 3


 檻神の定期検診を終えた俺は、特に目的もなく学院内をうろつく。

 確か夢の中では、結局何もやることがなかったので早々に町へと繰り出したはずだ。

 正夢のとおりに現実が進行するのであれば、なけなしの反骨精神で少しくらいは抵抗してやりたいが……さて。


 せっかくなので、と俺は中庭のほうへと足を向ける。

 学院の中庭は、三方を校舎に囲まれた五十メートル四方程度の空間だ。地面には青々とした芝が敷かれ、中央にはなかなか立派な桜の木が屹立している。

 ベンチや花壇なども設置されており、特にこの時期は、暖かな陽気と、桜の美しさから学生たちの憩いの場となっている。


 さて、そんな桜の木の下で――一組の男女が向き合っていた。

 男のほうは、真面目そうな印象の好青年で、微かに緊張した面持ちで立ち尽くしている。

 相対するのは、青みがかった黒髪のミディアムボブが特徴的な小柄な少女。


 ものすごく見覚えのある人物だった。俺は顔をしかめながらも、ベンチの陰に身体を隠して様子を窺う。

 すると意を決したように少年は口を開いた。


「そ、その! 入学したときからの一目惚れです! 付き合ってください!」


 おおう、と俺は思わず唸る。何とも甘酸っぱく、そして気拙い場面に遭遇してしまった。よくある青春の一ページという感じで、なけなしの勇気を振り絞った少年を応援したくなる。


 他人事なのにドキドキしながら固唾を呑んで様子を窺う。

 少年の告白を受け、少女は驚くべき無表情のまま硬質な口調で答える。


「――すみません。あなたに微塵も興味が湧きません。諦めてください」


 居合いの達人が絶対の間合いから放つ必殺技のような一刀両断だった。

 端で見ていた俺でさえ何故か精神的ダメージを負ってしまったくらい。


 鋭利な言葉で真正面から切りつけられた少年は、最初何を言われたのかわからないというふうにぽかんとしていたが、すぐにその言葉の意味を脳が理解してしまったようで、きびすを返して走り去っていってしまった。俺の横を通り過ぎる瞬間、輝く液体が飛散したような気がしたが、気のせいだったということにしておこう。


 さてどうしたものか、と迷うが、結局俺はベンチの陰から立ち上がって少女に声を掛ける。


「――もう少し、穏便な断り方があるんじゃないか?」


 すると少女は振り返り――いつもの鉄面皮のまま告げた。


「――兄さん。見ていたのですか」


 驚きました、と一ミリも表情筋を動かさずに少女――四ノ森カナンはうそぶく。

 四ノ森カナン。血を分けた俺の妹であり――唯一の肉親である。


 歳は一つ下の十五歳。今年から天使科に入ってきたぴかぴかの一年生であるが、中等部時代から《熾天使セラフ》入りを果たした掛け値なしの怪物だ。アイオーン・ランキングは第八位。現状最年少の《熾天使セラフ》ということもあり、進学早々すでに学院中から注目を浴びているとか。


 平穏無事に暮らしたい兄としては、妹の悪目立ちを何とかやめさせたいのだが……。

 俺の憂慮に、カナンは無表情のまま答える。


「穏便、という配慮に意味があるとは思えません。カナンはこれまでもこれからも、誰ともお付き合いするつもりはないのですから、思わせぶりな断り方で微かな希望を抱かせるほうが相手にも失礼です」


「いやまあ、今はそうかもしれないけど……そのうち好きな人ができるかもしれないじゃん。そのときの予行練習みたいな感じで、もう少し人に優しくしたほうがいいというか……」


「カナンが好きなのは兄さんだけです。だからすべてお断りさせていただいているのですよ。兄さんさえ良ければ、カナンはいつでも操を捧げる覚悟ですが」


 そんなことを至極真面目な表情で言う。俺は渋い顔で窘める。


「……そういうの倫理的に良くないからやめよ?」


「この人類存続という目先の危機の前には、倫理なんて路傍の石ほどの障害にもなりません」


「…………」


 愛が……愛が重い……っ!

 どういうわけかこの無感情系妹は、数年まえから唐突に「一人の男性として兄さんのことを愛していることに気づきました。結婚してください」などと世迷い言を宣うようになった。


 これが実は義理の妹で、ということならば多少のロマンスに繋がるのかもしれないが、幸か不幸かばっちり血の繋がりがあるのだから始末に負えない。

 思春期特有の流行病ということで、いずれ自然に治ってほしいのだが……。


「ところで兄さんは何をしていたのですか? 今日はカーチャの定期検診だったかと思いますが、もう終わったのですか?」


 無表情のままカナンは小首を傾げる。カーチャというのはカナンだけが使っている檻神の愛称だ。エカテリーナはカーチャになるらしい。


「定期検診はもう終わったよ。ただ、何となくそのまま帰る気にならなかったから徘徊してたんだ。カナンは……その、呼び出しか?」


「ええ、まあ」


 カナンはどこか面倒くさそうに、しかし眉毛をぴくりとも動かさずに言う。


「でももう終わりましたので。それよりも兄さん。もしもお手すきなのであれば、このあと付き合ってくれませんか?」


「あん? 何か用事でもあるのか?」


「ええ、今日はカナン、町の見回りの当番が入っているのですよ。一人では不安なので是非一緒に行きましょう」


 見回り当番、とは天使科の学生に課せられる課題のようなものだ。町を見回り、もしもそこで《悪魔》と遭遇したら速やかに報告、そして可能であれば撃破することによって、実地の経験値獲得と能力錬成を図るプログラムである。


 もちろん、危険が伴うので撃破は必須ではないが、将来的に天使科の学生は皆、人類を《悪魔》の脅威から守る一翼となるわけで、ならば今のうちからある程度の危険に慣れておいたほうが良いという判断なのだろう。


 ちなみに俺はハイソフィアがないことからこの見回りが免除されており、それもまた周囲から白い目で見られる原因となっているわけだが……ないものは仕方がないのである。


 一人で不安、というカナンの言葉には正直懐疑的であるし、そもそも俺が一緒に行ったところで何の訳にも立たないことは明白なのだが、特にやることもなかったので、俺は苦笑を浮かべて頷く。


「……仕方ない。いいよ、付いて行ってやる」


「やりました。すごく嬉しいです」


「微塵も嬉しそうに見えないけど……」


「そんなことないです。ほら、にこーっ」


「それ能面レベルの無表情だぞ……」


 血を分けた妹の結果を伴わない努力を嘆きつつ――俺たちはのんびりとした歩調で町へと繰り出していく。

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