第二章 繰り返す死 04
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『――《聖白色委員会》発表、二〇三二年四月七日午後四時の《世界崩壊係数》はゼロとなっております。本日も《
駅前スクランブル交差点の街頭ビジョンに映し出されたAIキャスタをぼんやりと眺めながら、俺たちは信号が変わるのを待つ。
周囲は学校帰りの学生や、まだお仕事中のスーツを着た大人たちで溢れていた。
この空間だけを切り取れば、おそらく《サタナエル事変》が起こる以前の新宿と何ら変わらないのだろうが、実際には世界中でこの新宿特区にだけ残された幻影のようなものなので、些か感慨深くも思える。再び視線を上げると、目敏くカナンが突っ込んでくる。
「……街頭ビジョンなどちらちら見てどうしました? もしかして、AIキャスタの女の子が好みなのです?」
「いや、違うけど……」
良からぬ誤解をしているカナンを即座に訂正する。
本当は先ほどの檻神との話から、《世界崩壊係数》に気を取られてしまったのだ。
今、俺の身に起こっている不思議な既視感現象。
それが《世界崩壊係数》を算出するための《因果律演算》と、同様のことが俺の中で起こっている可能性があるなんて言われても……まったく実感は湧かない。
そのあたりの話を正直に伝えたものか一瞬迷うが、また変なことを言い出されても面倒なので、上手い具合に誤魔化す。
「――ただ《世界崩壊係数》って、大仰な名前のわりには全然変動しないから意味あるのかなって」
「ああ、そんなことですか。実は密かに変動はしているのですよ。《因果律演算》はあくまでも確率的にしか未来を予測できませんので、些細なイベントで変動してしまいます。変動幅はゼロから99までですが、10%以上の変動が発生した際には、速やかに我々《
「ならそもそも、こうして公表する意味はないんじゃないか?」
「それはそうなのですが……人々に安心感を与える、というのが実際の目的なのでしょう。……みんな不安なのですよ。それだけ《サタナエル事変》は、人類にとってまったく予想していなかった新たな脅威だったのですから……」
一瞬だけ微かにつらそうな表情を浮かべたカナンだったが、すぐにいつもどおりの無表情に戻って続ける。
「ですが、変動しないのは良いことですよ。それにこれは、我々が表なり裏なりで色々と頑張っているからこその無変動です。兄さんも天使科の一員として胸を張ってください」
「……俺は何もしてないんだけど」
「カナンが兄さんの分も頑張っているのですから、これは実質兄さんの手柄です」
「俺を少しずつ依存させていって、おまえがいないとダメになるように仕向けるのはよせ……」
何というかダメ兄貴で本当に申し訳ない。兄の威厳を投げ捨てて心の中で謝罪をしていると、信号が青に変わった。
カナンと並んで歩き出したところで、彼女は唐突に話題を変える。
「そういえば――今年であの《事故》から十年目ですけど……。今年はその、お母さんに挨拶にいけますか……?」
珍しく、恐る恐るこちらを窺いながら尋ねてくる。話題が話題なだけに、さすがのカナンも慎重にはなる、か――。
俺は少しだけ過去に思いを馳せる。
事故――そう、事故だ。《サタナエル事変》は、世間一般的には、天災だと認識されているが……実際には、完全なる人災だった。
俺もあまり詳しいことは知らないのだが、当時、俺たちの母が主任研究者として、何やらヤバい研究をしていたらしい。そしてその最終段階であった実験の最中に原因不明の事故が起こり――その結果、《サタナエル》が降臨したのだとか。
どうやらそのやっていた研究というのが相当にヤバいものだったらしく、政府は情報漏洩と責任問題回避のため、あたかも天災であったかのように公表したのである。
そしてそのヤバい研究の生き証人でもある俺は、本来であれば秘密裏に殺されていてもおかしくないのだが……。《悪魔の腕》のこともあり、当時母の部下であった檻神が上手い具合に存在を消してくれたおかげで、こうして今も生き延びている次第。
しかし、目の前で母を失い、おまけに左腕まで喰われてしまったトラウマから、これまで母の命日には一人でふさぎ込んでしまっていた。カナンは俺の代わりに、一人で、あるいは檻神と一緒に毎年、母に挨拶に行っていたらしいが……。
俺は不安そうに顔を見上げてくるカナンの頭をそっと撫でてから、努めて優しく答える。
「そう、だな――。今年は、一緒に行こうか。そろそろ俺も、前を向いて歩かないといけないと思ってたところだ」
「本当ですか!」
珍しくカナンが嬉しそうに少しだけ口元を緩ませる。
「是非一緒に行きましょう! さすがは兄さんです。いつか必ず、お母さんの座右の銘のとおり、前を向いてくれると信じていました」
「大げさだよ……。でも――うん。少しだけ前向きに生きてみてもいいかな、って思えるようになったのはいい傾向なのかもな」
そうカナンに告げてから……何だか気障ったらしいな、と急に恥ずかしくなってきた。
最近はあまりカナンとこういう真面目な話をしていないこともあり、どうにも気まずくて仕方がない。とりあえずせめて空気を変えようと、強引に話題を逸らす。
「そ、そういえば俺、見回りって初めてなんだけど、どこで何するんだ?」
あまりにも急制動な話題転換だったが、幸いカナンも空気を読んだらしくいつもどおりの無表情を浮かべ直して普通に答える。
「大したことはしませんよ。ただいくつかの決められた巡路を歩くだけです。一応、町の治安維持にも貢献しているようです。我々《天使》は、正直そこらのお巡りさんより遥かに強いですから」
確かに《天使》は《悪魔》だけでなく、人類に対しても脅威と言えるだろう。一昔前で言うところの超能力者みたいなものなのだから。
「そして途中で《悪魔》がいたら即殲滅」
「……すげえ簡単に言ってるけど、普通の天使科の学生は見つけても上に報告するので手一杯だからね?」
「報告なんて面倒くさい。さっさと倒してしまえば報告する必要もありません」
「おまえ進学早々フリーダムすぎるぞ……」
カナンの協調性のなさに危機感すら覚えながら歩いていたら、視界の隅に気になる学生服の集団を捉えた。
五、六人の柄の悪そうな男子学生が
別にさして珍しくもない光景の何が気になったかというと……その学生たちの後ろ姿にどうしようもなく見覚えがあったからだ。
それは、夢の中で俺に絡んできた不良集団と――完全に一致した。
なん、で――。
理解が及ばない。何故、夢の中の登場人物が現実に存在するのか、まるで意味がわからない。
だが――そんなことさえ些末事に過ぎなかった。
彼らが路地裏へ入る直前、一瞬だけ、周囲から隠すように彼らの真ん中に金髪の少女の姿が見えたことが、今度こそ完全に俺の思考を停止させる。
まさか――あり得ない。
それは、夢の中に登場した金髪少女、明星アナであった。
一瞬しか見えなかったが、輝くような金髪も、頭上に伸びるアホ毛も、整いすぎた横顔も、清楚な服装も……夢の中で出会い、わずかな時間共に過ごした少女と完全に同一の存在だった。
いったい……何がどうなってるんだ……。
困惑する俺をよそに、同じように不良集団に気がついたカナンはまるで他人事のように言う。
「――兄さん。カナンはこれからちょっとしたゴミ掃除をしなければならなくなりました。兄さんのお手を煩わせることもないので、ちょっとこの辺で待っていてください」
「いや――俺も行くよ」
俺を危険から遠ざけようとしてくれたカナンの心遣いを拒否して、俺は同行を申し出る。
俺が付いていっても何の役にも立たないだろうけど……さすがに放っておけない。
カナンは少しだけ不思議そうな表情を浮かべながらも、「そうですか」と頷き、不良連中たちが入っていった路地裏へ進んでいく。
その躊躇ない足取りに安心感と一抹の不安を覚えながら、俺はその小さな背中を追っていく。
やがて突き当たった狭い行き止まりで、何やら下卑た笑みを浮かべながらこちらに背を向ける不良連中へ、カナンは一切の遠慮なく声を掛ける。
「――そこで何をしているのですか?」
まさか声を掛けられるとは思っていなかったのか、男たちは驚いたように振り返る。そしてそこに立っていたカナンと俺を見て、小馬鹿にしたように口元を歪めた。
「なんだ、お嬢ちゃん。欲求不満で混ざりたいのか?」
リーダー格の男がわずかに身体をずらす。すると、男たちの隙間から金髪の少女の姿が見えた。それは記憶の中の少女と完全に一致した。
やはり――見間違いなどではなかった。
安堵のような驚愕のような不思議な感慨に耽っていると、金髪の少女がつらそうに叫んだ。
「あ、危ないから、逃げて! わたしのことは放っておいていいから!」
「そういうわけにはいきません」
聞く耳を持たないというふうに、カナンは無表情のまま少女の言葉を拒絶する。
「路地裏の美女と知能指数の低そうな猿の集団と来れば、これはもう問答無用の制裁案件です。ゴミがないことこそが、美しい町の条件でしょう」
あまりといえばあまりの暴言に、男たちはこめかみに青筋を浮かべながら凄む。
「……言うじゃねえか。正義の味方ごっこのガキが……。いいぜ、そこまで言うなら一緒に相手してやるよ。二度と生意気な口が利けねえようにな」
下卑た笑みを浮かべながら舌なめずりをするリーダー格の男。
どうやらカナンが《
普通の女の子ならば震え上がってしまいそうなほどおぞましい男の言葉に……しかし、カナンはこれ見よがしのため息を吐いて、無表情のまま淡々と告げる。
「脳みそを母体の子宮に忘れてきてしまったのですね。下半身でしか思考できないのはお気の毒ですが……生憎とそれを気にするほど動物愛護の精神も持ち合わせていないので」
そしてカノンは、無造作に下げた両の手の平を何気なく男たちへ向けながら問う。
「――上は猛吹雪、下は大火事、なぁーんだ?」
突然の話題転換に男たちはたじろぐ。あまりに脈絡がなく、そしてあまりに唐突な出題。
本来であればその意図を察すべく多少は黙り込んで考えたりするものなのだが、どこの世界にも空気の読めないやつというのはいるもので。
夢の中で《悪魔の腕》を露出した俺に突っ込んできたその男は、首を傾げながら答える。
「そのなぞなぞの答えなら知ってるぜ! 答えは『風呂』だろ!……あれ? でも吹雪ってなんだ……? 風呂なら上は洪水だったような……?」
その言葉に。カナンは機械的に口元を歪めてにこりと笑う。
「正解は――貴様たちの未来です」
言って。カナンの両腕から熱気と冷気が溢れ出す。
――ハイソフィア《
低温から高温まで、あらゆる温度を自在に操るハイソフィア。
アイオーン・ランキング第八位、四ノ森カナンが持つ異能の一端である。
左腕には火の粉を、右腕には氷の粒を纏いながら佇むカナンを前に、さすがの男たちも現状の深刻さを理解する。
「や、やべえ! こいつ、ハイソフィア能力者だ!」
男たちは恐怖に顔を歪めながら、きびすを返して逃げようと試みるが、残念ながらその先は行き止まりだ。そんな哀れな男たちを、道端のゴミでも眺めるような冷めた目で見つめながら、カナンは平坦な口調で告げる。
「――貴様たちに残された道は二つ。一つは無謀にも立ち向かい、全身に火傷と凍傷を負って全治半年の重傷を満喫するか。そしてもう一つは、今日この瞬間から心を入れ替えて、真面目に生きるかです。私はどちらでも構いませんので……十秒で決めてください」
あまりにも冷徹で無慈悲な警告。
しかし、さすがに強力なハイソフィア能力者を相手取るのは、割に合わなさすぎると判断したらしい。男たちは顔を見合わせ、わずかな逡巡を見せた後、心底苛立たしげな表情でこの場を立ち去っていった。
「二度目はありませんよ」と、カナンは追撃を忘れない。
そして、男たちが立ち去るのを見届けてから――金髪少女は、くにゃくにゃとその場にへたり込んだ。
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