第一章 始まりの死 12


 6


 アナの手を引いて――駅前公園までやって来た。

 かつてアルタ前と呼ばれていたこの一帯は、区画整理により緑豊かな公園へと生まれ変わっていた。

 周囲を木々に囲まれ、都会と断絶させることで、東京の中心街にありながらも驚くほどの静けさと穏やかさを実現した人気スポットとなっている。


 夕方ということもあり、それほど人もいないだろうと思っていたが意外にも結構賑わっていた。皆楽しそうで、ここが人々の憩いの場として機能していることを再認識させられる。

 俺たちは自販機で缶コーヒーを買い、芝生に設置されたベンチに腰を下ろす。

 少しだけ気持ちを落ち着けてから――俺は独り言のように滔々と語り始める。


「十年まえの《サタナエル事変》のときにさ……実は俺、その現場にいたんだ」


「うそ……」


 アナは口元に手を当てて言葉を呑む。


「で、でも、確か生存者はいなかったって、政府の発表が……」


「表向きには、な。でも実際に……俺はあのとき現場にいたんだ。一緒にいたみんなは……死んだけどな。母親も、知り合いも……みんな《サタナエル》に殺された。――俺以外は」


 俺の言葉にアナはとてもつらそうに深いため息を吐く。


「そう……だったんだ……。でも、それならどうしてイザヤくんは……?」


「……わからない。あのときのことは朧気にしか覚えてないんだ。でも、一つだけ絶対に忘れないことがある。俺はね……


「――っ!」


 アナは息を呑む。その事実を彼女が上手く消化できるようにと、わざとゆっくり缶コーヒーを啜ってから、俺は左腕を宙に掲げて続ける。


「――原理はよくわからないけど、それ以来俺の左腕は《悪魔》化しちまったらしい。本来《悪魔》は、人間や生物を喰うことでエネルギィを補充して存在を確定させてるんだけど……それができない俺は、この《悪魔の腕》を維持するために、周囲の生命エネルギィみたいなものを強制的に奪う状態になってたらしい。俺を救助しようとしてくれた救急隊員たちがバタバタ倒れて大騒ぎになったとか。だから、それを押さえつけるためにこの特殊な包帯――聖骸布が巻かれてるんだ。この髪もその後遺症だな」


 檻神曰く、わかりやすく言い換えるとこれは『』という異能らしい。ハイソフィアなどではない、俺だけの異能、異常。

 物質には一切作用しないものの、それ以外のあらゆる概念、情報を殺すのだとか。

 それが生物の場合には《命》という形で表現されるため、最終的に《死》をもたらす、と。


 そしていつかは――俺自身をも殺してしまう。

 そんな理不尽な――《呪い》。

 母親は死に、父親はその事故で行方知れず。俺に残されたのは、妹のカナンと……この《悪魔の腕》だけだった。


「ひどい……ひどすぎるよ……。イザヤくんは何にも悪いことしてないのに……どうしてイザヤくんだけがそんな目に……」


「まあでも、生きてただけでも儲けものだろ」


 あえて何でもないことのように、俺は苦笑を浮かべて肩を竦める。


「とにかく、俺の左腕にはそういう呪いが掛かったわけだ。でも、この聖骸布さえ巻いてれば何事もなく生活できるわけだから、基本的にはそんな問題ないんだけど……」


 そこで一旦言葉を切り、気持ちを落ち着かせるために再び缶コーヒーを啜る。


「一年まえ、天使科に入って少し経った頃、今日みたいに不良連中に絡まれたことがあってな。天使科って百人くらいのエリート集団みたいなものだから、畏怖されると同時にやっかみも結構あるんだけど……。実は俺、ハイソフィアが使えないのに理事長権限で天使科に入ったいわゆる裏口入学みたいなもんでさ、そのせいもあって反感を買ってたんだ。で――あるとき他科の連中に呼び出されてぼこぼこにされたんだけど、そのとき面白がってこの左腕の聖骸布を外そうとしたやつがいたんだ。もちろん俺は全力で抵抗したけど、多勢に無勢ってやつで結局聖骸布を引っ剥がされてさ。即その場にいた俺以外の八人全員が昏倒して病院送りになった」


「……そんなことが」アナはとてもつらそうにぎゅっと目を瞑る。


「幸い、命に別状はなくて、一ヶ月くらいしたらみんな元気になって学院にも復帰したらしいんだけど……それから俺に近づくやつはほとんどいなくなった。で、そのときの噂が一人歩きして《死神》なんてあだ名で呼ばれるようになった。まあ、俺の身の上話はそんなところかな」


 ようやくすべてを話し終え――俺は深いため息を吐く。

 これまで隠してきた秘密を打ち明けられて、少しだけ心が軽くなる。

 逸った気持ちを静めるために再び缶コーヒーを呷っていると、不意にアナが俺の左手にそっと手を添えてきた。

 ドキリと胸が高鳴る一方、一抹の不安も拭い去れない。


「お、おい……あんまり不用意に俺に触れないほうがいいぞ……何かあったら、」


「――大丈夫だよ」


 この上なく優しく。

 まるで天上の調べのような温かさでアナは囁く。


「何があってもわたしはイザヤくんの味方でいてあげるから大丈夫。それに、イザヤくんは死神なんかじゃないよ。だって、わたしを助けてくれたんだもん!」


「そ、それは成り行きというか、たまたまその場に俺がいただけで――」


「ううん、それは違うよ」


 きっぱりと、アナは否定する。


「イザヤくんはさ、あのとき、わたしを見捨てることだってできたはずだよ。そもそもわたしは、今日初めて会った、キミを無理矢理連れ回してるだけの迷惑娘なんだからさ。殴られて、痛くてつらい思いをして……むしろあの状況ならわたしを見捨てるほうが正解なんだよ。なのに、それでも立ち上がって、わたしを助けてくれた。嫌いなはずの、左腕の力まで使って――助けてくれた。おまけにそのあと、わたしを傷つけないようにわざと遠ざけるようなことまで言って……。それってさ、絶対普通の人にはできないことだよ。傷ついて、傷ついて、傷ついて――それでも誰かを助けようなんて、普通は思えない。少なくともわたしなら、きっと無理だと思う。だから――」


 そこで一旦言葉を切り、アナは俺の目を真っ直ぐに見つめながら柔らかく微笑んだ。


「だからイザヤくんは、本当はとっても優しい人なんだよ。自分よりも人のことを優先できちゃう――優しい人」

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