第一章 始まりの死 04
今から十年まえの、西暦二〇二二年十一月八日――東京新宿上空に、突如として六対十二枚の翼をもつ巨大な異形存在が出現し、東京都心部を壊滅状態にした。
後に《サタナエル》と名づけられるその巨大異形存在は、しばらくして消失したが、以降それを切っ掛けとして世界各地に、同じような翼をもつ大小様々な異形存在が出現するようになる。
そのあまりにもおぞましい見た目から、端的に《悪魔》あるいは《アルコーン》と呼ばれるようになる異形存在は、人間を捕食し、都市を襲い、人類に対して壊滅的な被害を与えた。
おまけに《悪魔》に対しては、通常兵器による物理攻撃の一切が効かなかった。
これにより人類は、いよいよ
世に言う《サタナエル事変》である。
しかし、人類もただ滅亡を待つばかりではなかった。
《悪魔》の発生から時同じくして、物理攻撃無効であるはずの《悪魔》に対して干渉できる特殊能力を持った子供たち――通称《天使》あるいは《アイオーン》が出現するようになる。
人類存続のため、人々はこの特殊能力を研究し始めた。
やがてこの能力は、高次元干渉に端を為す異能であることが判明し、神の叡智を意味する《ハイソフィア》と名づけられる。またハイソフィアを研究する新たな学問は《神智科学》と呼ばれるようになり、世界各地で研究基地が設置された。
日本では、壊滅した東京都心旧新宿区に神智科学研究都市――通称新宿特区が設置され、日本中からハイソフィアを持つ子供たちを集めて研究を始めた。
そしてここ――神智学院はその総本山であり、俺の所属する《天使科》は、《悪魔》に対抗するための戦い方や、ハイソフィアをより強力に磨き上げるための、特殊教育機関なのである。
それからぼんやりと、俺は自分の左腕に目を向ける。これは《サタナエル事変》に巻き込まれた際に得てしまった呪いのようなものだ。
包帯を模した《
「――イザヤ、余計なことは考えるな」
不意に名前を呼ばれ、俺は慌てて埋没しかけた意識を現実へと引き戻す。
目の前の檻神は、心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
「この腕に関与して発生したあらゆる事象は、おまえの責任じゃないって何度も言ってるだろう。その腕は……ただの事故なんだって」
「……そうは言うけど、なかなか割り切れないもんだよ。実際、俺の腕であることは違いないんだし、周りの連中だっていい迷惑だろ」
そこまで言ってから、先ほどの一悶着を思い出す。
「そういえば、さっきクラスのヤツに、俺が天使科に所属してるのはおかしい、って改めて突っ込まれたよ。確かに、俺みたいなハイソフィア能力者でもない凡人が天使科にいるのは意味不明だし、他の連中からしても面白くはないだろうに……」
「……まえにも言ったが、天使科のカリキュラムは《悪魔》と戦うためのものではあるが、それは畢竟、《悪魔》から身を守るための術でもある。つまりハイソフィアの有無にかかわらず、本来であればすべての人類が履修すべき基本的生存術だ。だが現状それは難しいから、特別に師匠の忘れ形見であるおまえたち兄妹に履修してもらっているのだ。大体、ついこのまえだって、《世界崩壊係数》が急に十を超えて、アメリカの片田舎の町が一つ、《悪魔》に襲われて消滅したばかりなんだ。備えるに越したことはない」
「……まあ、確かにありがたい話ではあるんだけどな」
さすがにそこまで言われてしまっては俺も強くは出られない。
引き下がる俺に「もういいよ」と告げた檻神は測定装置を手早く外していく。
制服の袖を戻してから、俺は改めて尋ねてみる。
「で、正直なところどうなんだ? 俺はいつまで――《俺》でいられるんだ……?」
その質問に、檻神は一瞬だけ悲しそうな顔で言葉を詰まらせるも、まるで何かに諦観したかのように覇気なく答える。
「――また少し、《侵蝕》が進んでいる。日常生活に支障はないだろうが……二年……いや……一年保つか……」
そうか――、と呟いてから、俺は努めて明るく答える。
「いや、正直に教えてくれて助かるよ。なんていうか、俺のこれはある意味拾った命みたいなもんで、本当は《あの時》にみんなと一緒に死んでたんだから、今さら余命があと一年だって言われてもそんなにショックじゃないよ。カナンを一人遺していくのは不安だけど……まあ、ドクもいるし大丈夫だろう。迷惑掛けっぱなしで申し訳ないけど……あとのこと頼むよ」
「……ああ、この身に代えても。だが、そう悲観することはないだろう。まだあと一年以上も残ってるんだから、イザヤは青春ってやつを謳歌しなさい。今の時代、そんな少しまえまでは当たり前だったことさえ、満足に楽しめないんだから」
「そうだな……本当に、感謝してる」
何だか湿っぽくなりそうだったので簡潔にそう告げてから、俺は残っていたコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。
「それじゃあ、俺は行くよ。定期検診、いつもありがとうな。次はまた来週の放課後でいいか?」
「ああ、大丈夫。いつものように予定は空けておく」
柔和に微笑んでから、「そういえば」と檻神はどこか期待に満ちた様子で話題を変える。
「ところで、私が誕生日にプレゼントした《無敵装甲》は使ってるか?」
思いがけない質問に、うっ……と一瞬言葉に詰まるがすぐに答える。
「……ありがたく使わせてもらってるよ」
渋い表情で、俺は制服の左胸のポケットから携帯端末を取り出す。
――最新型携帯端末保護ケース《無敵装甲》。
稀代の天才、檻神エカテリーナの趣味の一つが発明であるのだが……。困ったことにその趣味の大半は、我々凡人から見たら実用性皆無のジョークグッズなのだった。
発明自体にはものすごく画期的なアイデアが盛り込まれているらしいのだが、そのアイデアを十全に使いこなせていないというか、発想の無駄遣いというか、とにかく残念アイテムばかりを量産して、俺やカナンに押しつけてくるのである。
例えば今話題に出ているこの《無敵装甲》。最新鋭の神智科学研究の結晶で、多重次元干渉の阻害を実現した《悪魔》からのあらゆる攻撃を無効化できるグラム一千万円は下らない超希少素材でできているとか何とか。
檻神曰く、『《悪魔》が踏んでも壊れない携帯端末保護ケース』とのことだが、ハッキリ言って携帯端末ケースにしては明らかなオーバースペックだし、おまけに薄いくせに異様に重たいので正直使い勝手が悪すぎる。
ただせっかく檻神から貰ったものなのだから、と大切に使わせてもらってはいる。
ちなみにカナンは去年の誕生日に『指向性超音波によりキャビテーションを発生させて対象者の脳みそを粉砕する防犯ブザー』とやらを貰ったらしいが、今も大事に机の奥のほうにしまってあるとか――。
携帯端末を胸ポケットに戻して、俺は再び告げる。
「――じゃあ、俺は行くよ。今度はカナンも連れてくるから、たまには三人で飯でも食いに行こう。だから、それまでに体調を整えて……あまり無理はするなよ」
「ああ、楽しみにしてるよ」
気安げに手を振る檻神に背を向けて、俺は学長室を後にする――。
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