第一章 始まりの死 07


 4


「うわあ……すごい……やばい……ねえちょっとイザヤくん、これはもしかして夢かな?」


「……紛れもない現実だから、安心していいぞ」


 以前カナンに紹介されたスイーツに定評のある喫茶店の隅のボックス席にて、やや辟易しながら俺は応える。

 頬を喜色に染め、元々大きな瞳をさらに見開いてきらきらと輝かせるアナの前には、肉厚のパンケーキが置かれ、皿は色とりどりのベリーや生クリームで飾りつけられている。


 確かに見た目も美しく、この手のものを初めて見たのであれば、その一皿はさながら、夢の如き幻想的なものと映ることだろう。

 その例に漏れず、どうやらアナも初めてそれを見たらしく、いたく感激した様子だった。

 震える手でナイフとフォークを操って、アナは告げる。


「それじゃあ……いただきます……っ!」


 一欠片にブルーベリーと生クリームを添えてぱくり。

 瞬間、童女のように無警戒に表情を蕩かして、にへへ、と笑う。


「これは……笑っちゃうレベルの美味しさだねえ……生まれてきて良かった……」


「……そんなに?」


 少し大げさすぎやしないだろうか、とは思ったが、心底幸せそうな顔で一所懸命にパンケーキを頬張るアナを見ていたら何故だか少しだけこちらも幸せな気持ちになってきたので、無粋なことは言わずに、黙って俺はテーブル向かいでブラックコーヒーを傾ける。

 少しビターだけど香り高くてとても好み。

 それから気を取り直して、隙だらけのタイミングを見計らって尋ねてみる。


「――で、おまえなんで追われてたの?」


「んぐっ!?」


 不意の質問に、アナは頬張っていたパンケーキをのどに詰まらせる。胸のあたりをトントンと叩き、何とか飲み下してから、恨みがましい視線を向けてくる。


「ひどいよイザヤくん……せっかくお口の中幸せいっぱいだったのに……」


「おまえの都合など知らん。そんなことよりいい加減事情を説明してくれ」


「じ、事情って言われても……」


 急にアナは表情を暗くして俯く。しかしすぐにまた破顔して勝ち誇ったように言う。


「まあね、それはあれだよ! 私が世界一可愛いからだよ!」


「真面目に答えないと帰る」


「わああ! ごめんよ、イザヤくん! 帰らないで!」


 わたわたと両手を振り回すアナ。本当に見た目に反して仕草は子供そのもので、どうしても毒気を抜かれてしまう。それからアナは、言いにくそうにもじもじと身体を動かす。


「ううっ……お話したくてもできない事情もあってね……。で、でもね! 別に悪いことして追われてたわけじゃないから! そこだけは信じてほしいな!」


「……まあ、事情がありそうなのはわかるけど」


 さすがに万引きレベルであんな堅気じゃない連中に追われるとは考えにくい。というか、そもそも人生に於いて黒服サングラスの集団に追われる状況というものがちょっと思いつかない。

 しかしながら、どう贔屓目に見たところでこのアナという金髪娘は人畜無害であり、逆立ちしたって人の嫌がることなどできそうもないので、肩入れしたこと自体は間違いではなかったのだろうけれども。


 ただ何となく、表情の明暗のギャップが気になると言えば気になるが……まあ、気にしても仕方ない、か。

 はあ、と深いため息を零す俺に、アナは邪気のない笑顔を向けて言う。


「まあまあ、そんなことよりもイザヤくんのお話聞きたいな。わたし、神智学院の学生さんとお話するの初めてだから色々教えてよ。制服の胸の翼の刺繍、天使科でしょ?」


「ああ……まあ、一応な」


 俺は曖昧に頷く。半ば裏口入学みたいなものなのであまり胸を張れる立場でもない。

 しかし、アナはナイフとフォークを置いて「すごーい!」と尊敬の眼差しを向けてくる。


「じゃあ、イザヤくんも《悪魔》と戦うんだね! イザヤくんたち《天使》のみんなが《悪魔》をやっつけてくれるから、《世界崩壊係数》が変動せずにみんな平和に暮らせてるんだよね。もう感謝しかないよ!」


 ニコニコ笑顔が眩しくて、つい俺は視線を外す。


 この状況で、実は俺には《悪魔》と戦うための能力――ハイソフィアがないんだ、と告白することは彼女の期待を裏切ってしまうような気がしたのでさり気なく話題を逸らす。


「――そうは言っても、《悪魔》討伐で実際に活躍してるのは、《熾天使セラフ》を中心にしたごく一部の《天使》だけで、俺を含めたその他は普通の学生とほとんど変わらないよ」


「おお、なんか《熾天使セラフ》って聞いたことあるね。よくわからないけど強い人ってことくらいしか知らないけど……強いの?」


「おまえ《熾天使セラフ》知らないとか、どんな田舎の奥地から出てきたんだよ……」


 この町では誰もが知っていることに対する無知に半ば呆れながら、俺は腕組みをする。


「ええと、簡単に説明すると、この新宿特区には大体百人くらいのハイソフィア能力者がいて、みんな天使科で毎日、対《悪魔》戦闘用に能力を磨かれてるんだけど……。中にはハイソフィアを獲得した直後から化け物染みて強力に能力を行使できるやつもいて、そういうやつは能力の精製みたいなことをしなくても《悪魔》と戦えるんだ。で、ハイソフィアの強さや有用性、あるいは《悪魔》の討伐数みたいなものを総合して可視化した《アイオーン・ランキング》って番付があって、それの上位八名の化け物が《熾天使セラフ》って呼ばれてるわけだ」


「何だかよくわからないけど、とてもすごいんだね」


 雑に感想を述べてから、ロイヤルミルクティーを一口飲んでアナは続ける。


「たとえばそういう人たちには、どういう能力があるの?」


「そうだなあ……。自分の血の一滴に含まれる鉄分から数十キロの鉄塊を作り出して《悪魔》にぶつけて倒すようなヤバいやつもいる」


「なにそれこわい!」


 アナは目を剥く。言ってて俺も化け物だと思う。


 ――《鮮血の製鉄所アイアンワークス・オブ・ブラッドレイン


 そんな物騒な名前で呼ばれるのは、アイオーン・ランキング第四位の怪物である。

 本来、国家間牽制のため《熾天使セラフ》の能力詳細は秘匿されていて、俺がそれを知ったのも偶然というか本人から教えてもらったというか、本当にたまたまだったりする。本来であれば、すべてを秘匿としてランキングなどやるべきではないのだろうが、国民を安心させるための広告塔として上位八名は利用されているというのが本音のようだ。もっとも、知名度が高いのは上位三名くらいでそれ以外はほとんど話題にも上らないのだが……。

 納得したのか「なるほどねえ」と呟くと、アナはパンケーキを崩しながら話題を変える。

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