8-3 2018年9月13日~9月14日 - 俺は笑った
帰り道では、まず、よろけてぶつかった壁が偶然にペンキ塗り立てで顔と制服がペンキまみれになった。次にキャッチセールスに絡まれ1時間逃がしてもらえなかった。ペンキまみれの中学生の何がいいと思ったんだろう。最後に道を歩いていたおばさんに痴漢扱いされて交番に連れて行かれて誤解を解くのに3時間かかり親に迎えに来てもらう羽目になった。
散々だった。その一言しか出ない。
夕食を食べて風呂に入って(ペンキがなかなか落ちないんだ)、自分の部屋に閉じこもった。
これから、これと同じことが毎日続くと思うと、今にも心が折れそうだった。こんなときは楽しいことを思い浮かべるに限ると、女の子と付き合う妄想をしたら、妄想の中の女の子は当然に佐倉さんの顔をしていて、bocketの暴力を思い出してさらに深く落ち込んでしまった。
何もかもが嫌になったとき、机に上に放り投げていたスマホが鳴った。人づきあいは義務だからと渋々スマホを手に取ると、非通知の相手からの電話だった。
俺は怒りにまかせて電話を取った。
俺が黙っていると、相手はあの横柄な態度で話しかけてきた。
「どうなっても知らないと言ったはずだ。これでもまだ私を敬う気はないのかね?」
敬う?
どこを敬えと?
怒りにまかせて声を上げそうになったとき、今まで俺と一緒に耐えてくれた三人の顔が脳裏に浮かんだ。
ここで投げ出しては、ダメだ。
「いやあ、笑ってますよ。大笑いですよ。世界を動かせる神様が、こんなに品がないとは思いませんでしたよ」
「品がないとは失礼な言い方だな。私は人々に笑いをもたらしたんだよ」
「そうですよ。あなた自身が一番笑える芸人ですよ」
そりゃあ怒っている。でも、怒っても始まらない。だから笑うんだ。
自分が信じた笑いをおとしめられた男の子がいた。
そんな男の子を信じるしかない寄る辺ない女の子がいた。
そして信じた男の子の記憶を消された女の子がいた。
そんな皆の希望をへし折った奴は、世の中で一番、笑われるべきだ。
笑ってやる。笑い飛ばしてやる……
「私は君が好きな女の子を苦しみから解放したんだがね。君は無力で、私は万能なのだ」
俺の笑いが止まった。
俺が心をくだいて、それでも心を表に出すのをためらっていた佐倉さんは、一夜にして心を豊かに出せる人間になった。
俺では佐倉さんを幸せにするには力が足りなかったのか?
自分がちっぽけに見えたそのとき、いじめっ子に辱められて泣いた佐倉さんが、それでも俺と一緒にいたいと言ってくれたことを思い出した。
人が人を選ぶのは、力だけじゃない。
俺は、立ち向かえる。
「そうやって人を自己嫌悪に陥らせるのがあんたの手だろ? 自分を信じられなくすれば奴隷になると分かっててやってるんだろ? 記憶を変えられる前の佐倉さんは、俺と一緒にいたいと言ってくれた。俺は信じられていた。俺は小さいけど、あんたが言うような劣った存在じゃない。そんなことを信じ込ませる言葉は聞いちゃいけないんだ。
人は、どんなに苦しいときだって、笑いを奪われてはいけないんだ」
アハハ
アハハハ
俺は再び笑った。なけなしの気力を振り絞って。
「笑いで何かを変えられると思っているのか?」
相手のあしらうような声。傲慢さに満ちている。それでもいい。
「変えられない。でも立ち向かえる」
悲劇に最後に立ち向かうものは、笑いなんだ。
電話が、プツン、と切れた。
俺は気力を使い果たした。眠らなきゃ……
気がつくと窓の外は既に明るく、俺は床に倒れていた。朝食を食べる気も起きない。寝癖を直さずに出ようとしたら母さんに止められた。家を出ても、世の中が全て暗く見えた。
スマホなんて見る気がしなかった。どうせ全て現実になるのだ。
しかし、どうしてだ、学校の中は光に満ちている。生徒たちが活気にあふれている。高加良も、以前の明るい表情を半分ぐらい取り戻している。祝祭という言葉が頭に浮かんだ。何かがおかしい。
こういうとき、高加良にものを尋ねるのはしんどい。他の奴に声をかけよう。俺は席を立って男子に話しかけた。
「みんな楽しそうだけど、なにかあったのか?」
相手は馬鹿を見下すような態度を見せた。
「おまえ、知らねぇの? bocketが止まったんだよ。スマホ見てねぇのか?」
スマホを取り出してドロワーを見たらbocketはあった。騙されたくないとbocketを開く。
現在、通信できません。
そう一言表示されていた。
その瞬間、床が俺の尻にぶつかった。みんなの顔が俺の上にあった。
驚くと、本当に腰が抜けるんだな。
「……と言うわけだ」
昼休み、俺は高加良と相沢さんに、2日間の電話の内容を伝えた。
「楠木は俺にできなかったことをやってくれたよ。楠木が友達でよかった」
高加良は俺を褒めちぎった。
「あんたにしては上出来ね」
相沢さんは微妙な表現で俺を初めて褒めた。
うれしそうな高加良に対して、呆れた様子を見せているのは相沢さんだ。
「しっかし神様もわがままなものね。人を散々笑いのネタにしておいて、自分が笑われたらへそを曲げちゃうなんてね」
高加良は、それに同意しなかった。
「案外、神様は本当に人々に笑って欲しかったんじゃないのかな。それで、きちんと笑ってくれる人間がいるのを見て、満足してbocketを止めたんだよ」
「あれで人々が笑えると思ったわけ?」
「そのくらい悪趣味じゃなきゃ、bocketなんて作らないさ」
高加良の言葉に、俺と相沢さんは深くうなずいた。
そこに佐倉さんはいなかった。
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