1-2 2018年8月28日~8月29日 - 初めてのbocket

 俺らの周囲に他に二、三人しかいなくなったところで、俺は高加良に聞いた。

「俺だってさあ、男らしくなりたいんだよ。堂々と言い返して胸張って、みんなを黙らせる男がうらやましいんだよ。でも俺が言い返してもからかわれるばかりでさ。火に油を注いでるだけで終わるんだ。俺、バカか?」

「『バカじゃない』と言ってもらいたくて聞くのはやめた方がいいなあ。そこが今の楠木の限界かな。笑いのネタになるんだったら、笑われてみればいいのに。笑ってもらえることはなかなかないんだから。だからさあ」

「笑いのセンスを身につけろ、だろ?」

「あれぇ? 俺が言ったんじゃないんだけどなあ」

 高加良はにんまりと笑っている。bocketを始めるのは決まりだという合意を目線でとって、俺は一つため息をつく。まんまとはめられた。落ち込む俺を尻目に、高加良はスマホを取り出す。

「bocketはある程度友達の人数を集める方がいいんだ。今から文佳(ふみか)を呼ぶよ。ちょっと待ってろ」

 え? 文佳って相沢さんだろ?

「頼む。それは勘弁してくれ。俺と相沢さんの相性悪いの知ってるだろ」

「文佳があの態度なら、相手にしてもらってる方だぞ」

「とてもそうは見えないって。おい、Stringで呼び出すのやめろ」

 俺のことは無視して高加良はStringの無料通話をかけた。接続すると、つきあってる中学生男女の会話の始まりの挨拶の後に『楠木をbocketに誘ってさあ』といった話が続いて、二分ほどで接続を切った。十分ほど待ってといわれたので待っていると、廊下から相沢さんが入ってきた。

 相沢さん、容姿をレベルで言うと、中の上、もしかしたら上に入れてもいいかもしれない。でも、中学生の女の子で、眼光強いっていうのはどうしたもんかなあ。整った顔だけど、気の強さが顔からにじみ出しちゃって、人相が厳しい。まあ、そんな彼女を好き好んだ彼氏はいる訳なんだけど。

「悠一(ゆういち。これは高加良のことだ)、bocketの説明をするっていうから来たけど、それだったら悠一の方がうまいんじゃないの?」

 相沢さんは高加良を真正面に見て、俺の方はチラ見だけ。これって相手にされてるの?

「まあ友達になるのに直で会った方が話が早いし。そこに座って」

 相沢さんは高加良の隣に座ると俺を見るなり。

「楠木君だと、ネタで笑わせるというより、笑えなさで笑わせるような気がするけど」

 知らない人に言うと、この冷笑、いつものことなんだぞ。

「相沢さんがにこやかに笑うネタを提供するのって、鬼が来年の話をするようなもんなんだけど」

「フィクションなら作れるわよ。その柔らかさを悠一から学びたいと思ってるから」

 高加良は頭をかいた。

「いやあ、俺なんてさあ、頭のバカさ加減が漏れ出てるだけだからさあ」

「大丈夫。爪があることはちゃんと見てるから」

 相沢さんは高加良に対して少しだけ顔をにこやかにした。

 バカップルがいる。ここにバカップルがいる。

 まともなことを何一ついわない高加良と、学業優秀で曲がったことが大嫌いだけど人付き合いがけんか腰の相沢さんが、なぜかつきあって、なぜか相沢さんの方が高加良にべた惚れ。なぜだ? あんまり冷めた目で世の中を見ると珍獣を愛でたくなるのか? 分からない……

「楠木、ストアでbocketをダウンロードしてくれ」

「ここで? 家でWi-Fiでやりたい。パケ代損だろ」

「目の前でみせないと分からないことがあるから」

 パケットの上限が……と心の中で頭を抱えつつ、俺はスマホを取り出してストアを開いた。

「ボケットってカタカナ?」

「アルファベットでb、o、c、k、e、t」

 検索するとトップに緑色ベースのアイコンのbocketが表示された。星は4つ。大きなバグとか有ったら星はもっと少ないから、まあまともなアプリなんだろう。ダウンロードボタンを押してプログレスバーが少しずつ伸びる時間はとても長く感じる。正確には一分も経っていなくても無駄な時間だ。最初の表示画面は当然ユーザ登録で、メルアドと新規パスワードを設定してメールを待って、認証リンクをクリックしてbocketに戻ると、一人もいない友達リストが表示された。

「じゃあ、友達登録な。俺と文佳は電話帳からの自動登録は切ってるから、直接認証するぞ」

 高加良はそう言って自分のbocketアプリで二次元バーコードを表示させた。相沢さんも同じく。俺のbocketアプリで二人の二次元バーコードをカメラに写すと、友達リストに二人の名前が載った。

「bocketは友達に自分が書いたボケを送って、友達が面白いと思ったら『ウケた』ボタンを押す。『ウケた』の数によってランクが上がるけど、たくさんボケを書けば『ウケた』が集まるわけじゃない。一人の友達に送れるボケは一日一つだけ。それも瞬時に届くわけじゃなくて、午前六時に友達が前日に送ったボケが一斉に公開される」

「既読マークとか無えの?」

「Stringと違ってリアルタイム性は追求してなくて、どうせ午前六時までは相手に届かないから、読んだか確認する必要性が薄いのね」

 高加良が説明して、俺の質問に相沢さんが返す。二人はよく分かっているんだろう、話の筋は合っている。

「文字数の制限とかはどうなるの?」

「字数の制限もあるけど、そもそも自分が書きたいように書けないのがbocketの特徴なんだ」

 高加良は自分のbocketアプリで俺を選択してボケ編集画面を開いた。普通ならキーボードがあるところが予測された単語で埋め尽くされていて、キーボードがない。

「bocketのボケ編集画面では、単語がアプリから表示されて、利用者は単語をつなげてボケを作るんだ」

 いま、高加良のbocketアプリには「明日の」「眠たい」「テレビ塔に」「妹がさあ」等々……の単語が表示されていて、高加良は「テレビ塔に」を選んだ。すると次は「山手線から」「原油価格」「大福を」「小学校で」「転んだ」等々……の単語が表示された。高加良はそこから「大福を」を選んだ。

「ちょっと待て! 『テレビ塔に大福を』じゃ、意味通じなくねえか?」

「それがbocketのおもしろさなんだな」

 高加良はにやりと笑った。訳が分からないままの俺に、分かれ分かれと無言の合図を送っている。それってなんだ、ナンセンスギャグか?

「bocketは通常ではつながらない単語を提示するから、ただつなげるだけでおかしな話になる。ストアのサンプルだと『こうもり傘からミシンまで』とかつながったりする。単純に単語がランダムに表示されると最後には意味のない文章になってしまうけど、bocketはそこに独自のアルゴリズムがあって最後には日本語として意味が通る文章になる。だから、あまり面白いことを考えられない人でも、最後までつなげれば一応はギャグができあがる。それがお笑いを多くの人に広める独自の工夫なんだ」

「それじゃあさあ、ギャグセンスの差ってなくならねぇ?」

「提示された単語が気に入らなければ、新しい単語を要求することができる。新しい単語もbocketが指定するんだけど。ユーザの間では『待ち』という用語があって、気に入る単語が出るまで新しい単語を要求し続けることもある。友達が多くなりすぎると単語を選んでる暇がなくなるんだけどな」

 そう言って高加良は単語を選び続けて一通りのボケを作った。

「ただ、最後、bocketには特殊な機能がある」

「なんだよ、改まって」

「ちょっと見てみろ」

 高加良は自分のbocketアプリで俺を選んでボケの文章を作り、投稿のボタン

を押すだけにしたところで、画面を俺に見せた。

 そこには『匿名』というチェックボックスがある。

「bocketは、一日に一人の相手にだけ、ボケを匿名で送ることができる。受け取った側は、名前を明かして送られたボケは全部表示されるけれど、匿名で送られたボケは一つしか表示されない。そこで効いてくるのがさっき言ったランクだ。匿名で送ったボケはランクが高いほど表示される確率が高くなる。匿名で送ったボケでも『ウケた』をもらうと自分の『ウケた』になるから、ランクの高い人間は名前を明かすことなく『ウケた』を集められるようになっているんだ」

 それ、ちょっと変だろ。

「それ、なんのために使うの?」

「信頼している同士なら要らないんだけど、まあなんて言うか、下ネタ? 人間が笑うネタって、きれいなものばかりじゃないだろ。ちょっと恥ずかしいネタでも一応は送ることができる。ただし表示されないリスクは覚悟した上で。ということだ」

 俺は怖いもの見たさで相沢さんを見た。思った通り、不機嫌そうだ。下ネタに一番厳しそうなタイプだもんな。

「じゃあ楠木、ここで入力の練習しようぜ」

「今すぐ?」

「やらないと分からないだろ」

 高加良は俺のスマホの画面をのぞき込んだ。急かされるので、俺は友達リストから高加良を選んでボケを入力し始めた。まず「目覚まし時計を」を選び、次に「ダンプカーが」を選び……

「送るぞ」

「ちょっと待て」

 高加良が俺を制止した。

「ここで俺が見てただろ。分かっているものが届いたって面白くないんだよ。朝に届いたボケを見てクスリと笑ったり大笑いするのがbocketなんだから」

「じゃあ、やりなおし?」

「がんばれよ」

「せいぜい期待は超えてよね」

 高加良はにやにやと笑い、相沢さんは冷ややかに見ている。なんだか、めんどくさいことになったなあ。

 家に帰ってから、誰にも見られないように、二人へのボケを作った。単語をつなげただけだから、ウケるかどうかは分からなかったけど。

 翌朝。

「『豆腐だと思って醤油かけてるそれ、カマンベールチーズだぞ』って、ひねりがないなあ」

 学校で高加良に会うなり大笑いされた。ネタが受けたのではなく、つまらなかったのが理由で。

「高加良だって『銀行強盗しようとナイフを持っていったら銀行員が入れ墨入れて拳銃持ってた』じゃないか」

「まあ先は長いさ」

 高加良は俺のからかいを意に介さない。

 相沢さんからはStringのテキストで来た。


『棒高跳び選手がマンション3階ベランダに

 押し入り強盗』

なんて

期待通り笑えなくて

予定調和ね


  『のこぎりでキャベツの千切り』には言われたくない


 今にして思えば、これがbocketで他愛なく笑えた最後の日だったんだ。

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