8-1 2018年9月11日~9月12日 - 神様との通話
俺はもう何のためにbocketのボケを書いているのか分からない。
高加良と相沢さんに送るボケは適当に作ってすませた。
佐倉さんに送るボケが作れない。
どうせ他人が送った匿名のボケが選ばれて、佐倉さんが辱められるんだろう。
俺が書くことに何の意味がある?
自宅の部屋の中で、机にスマホを放り投げて、ベッドに横になって、考えは進まないのに義務感を捨てきれなくて1時間うだうだ悩んでいる。天井のシミは数え尽くした。
そのときスマホが鳴った。
誰だ? こんなときに……
起き上がってスマホを見たら、佐倉さんからのStringだった。
何があった?
楠木君に送るボケを書こうとしたら、
単語が一種類しか出てこなくて、
「神様と通話をする」
としか作れなくて、
キャンセルもできなかったんです。
神様って、
前に高加良君が言ってた
あの噂の神様でしょうか?
佐倉さんに責任を感じさせてはいけない。
佐倉さん、落ち着こう。
高加良が言ってたのは噂だし
佐倉さんは「ウケた」が少ないから
きっと他の人のボケが選ばれる
今回ばかりは佐倉さんが弱くて助かったよ
神様からの通話は来ないでしょうか?
そう。来ないよ。
安心しました。
俺の言葉は嘘だ。
こういうときに限って佐倉さんのボケが選ばれるだろう。俺には神様からの通話がかかってきて、全てのボケが匿名扱いになって呪いが降りかかる。bocketはそんな悪意の塊だ。それはbocketが悪い。佐倉さんは悪くない。
俺は気持ちがいったん落ち着いて、佐倉さんに匿名のボケを送った。「満点のテストに名前を書き忘れた」という、このときだけはなぜか優しいボケが作れた。
翌朝、スマホを手に取ってbocketを開いた。
神様と通話をする
そのボケは匿名だと書かれていた。
学校に行って、まず高加良に見せた。高加良はしばらく考え込んだ。
「楠木に来るとはなあ」
「俺、どうしたら良いと思う?」
高加良は少し間を置いて、ゆっくりと話し始めた。
「ヒーローっていうのは、こういうときに笑える奴なんだと思う。俺にはもうできない。俺にできないことを、楠木に『やれ』なんて言えない。楠木は、できることをすれば良いと思う」
「まあ、相手は神様だもんな」
「おそらく、bocketを作った張本人、だからなあ」
「きっと相当ひどい奴だろうからなあ」
高加良は答えなかった。
相沢さんにはStringでスクショを送った。3分で返事が返ってきた。
本当に運がないのね。
初めてあなたに同情するわ
日頃から同情して欲しいんだけどな。まあ、そんな相沢さんが同情するほどひどい話だ。
それで終わらせた、つもりだった。
給食を食べて、昼休みはふて寝でもしようかと思っていたとき、教室がざわめいた。
佐倉さんが俺の教室に入ってきた。少し慌てた表情で。
どうして?
佐倉さんは俺の横に来た。口を開こうとして、周囲に人がいることに気づいたようで、慎重に言葉を選んだ。
「内容は言えませんけど、私が送ったボケが楠木君に届いたんですよね?」
俺は否定するそぶりで手を振った。
「そんなの嘘だよ。気にすることないから」
「私のことを考えてくれるのはうれしいです。でも、嘘は言わないでください。相沢さんから聞きました」
相沢さんが考えたことは分かる。一蓮托生のグループメンバーに起きた重大事だから、情報を共有しておきたいんだろう。
でも、本人には言わないで欲しかったな。
「佐倉さん、他の単語を選べなかったんでしょ? キャンセルもできなかったんでしょ? 佐倉さんは悪くない。全部bocketが仕組んだことだから」
「でも、楠木君のことが心配です」
佐倉さんは泣きかけていた。
「大丈夫だよ。俺、こう見えても男だし」
「男でも勝てない相手だと思います」
「bocketで死にはしない。ただ恥ずかしいだけだから。耐えればいいんだよ」
「楠木君が……かわいそうです……」
「心配してくれて、ありがとう」
言葉も途切れ途切れになった佐倉さんを、俺は佐倉さんの教室まで送った。
学校が終わるまで何もなかった。今日はもう皆で話し合う気にもならず、俺たちは各々で家に帰った。夕食を食べて風呂に入ったら、俺は部屋に閉じこもった。スマホはACアダプタをつけないままにしておいた。でも、きっとバッテリーがなくなることはないんだろう。それがbocketだ。
午後の11時30分を過ぎた。まだ電話は来ない。
もしかして、このまま逃げ切れるだろうか。今日は何もなくてすむんじゃないだろうか。
そうだ。きっと何も無いんだ。
55分を過ぎて、スマホが鳴りだした。
画面には受話器のマークが表示されていたが、電話アプリのデザインではなかった。bocketのデザインだ。そう分かった。相手の名は、非通知。
bocketは見逃してはくれなかった。
俺は電話を受けた。
「どちら様ですか?」
「私に名乗らせる気かい?」
相手は男の低い声で、横柄で嘲笑が混じっていた。
「名乗りもせずに電話をかける人とは話したくないです」
「bocketで伝えておいたはずだがな」
やはり神様だった。
俺は何を話せばいいのか分からず黙った。
すると向こうは実に横柄に話しかけた。
「bocketを楽しんでくれているかね? bocketを始めてから、笑いが絶えない毎日だろう。実に喜ばしいことじゃないか」
喜ばしい?
どこが!
ギャグマンガは現実でないと分かっているから楽しめるんだ。現実にやりたくもないギャグに巻き込まれたら、人は笑うに笑えないんだ。
ここで何を言えばいい?
そのとき、高加良がまだ元気だったときの言葉が思い浮かんだ。
こういうときは、笑えばいいと思うよ。
もう人の心は持ってない。それは楠木も分かってるだろ。
そんな人でない存在にやり返すことはできないんだ。
だったら同じレベルに降りちゃダメだ。
そうだ。何をするべきか分かった。相手は一番の人でなしなんだから。
アハハ
アッハッハ
アハハハハハハ
俺は笑った。電話の相手に聞こえるくらい大きな声で。部屋の外に声が漏れて父さん母さんが不審に思うことなんて気にしない。疲れても、腹の底から声を振り絞る。笑って、笑って、笑う。
「何がおかしい?」
電話の向こうでいらだたしげに問う声がした。
「だって、あんなアプリで人々が笑えるだなんて信じ込んでいるのか? みんな巻き込まれて、苦しんでるのに、それを笑ってみていられる、あんたが一番の笑いものだ」
「神に向かって何という口の利き方だ」
相手の声は怒気を含んでいた。
「へぇ。笑われたら名乗るんだ。自分で神様と名乗るのって、恥ずかしくないの。おっかしいや」
アハハ
アハハハ
アッハッハ
「自分が笑っていられる立場だと思っているのか?」
弱い者をいたぶることに慣れきった奴の、脅せば震え上がると高をくくった台詞。
ここで負けたら終わりだ。
「笑いが絶えないことを喜んだのはあんたじゃないか。笑われて何が悪い?」
無言の中に相手のいらだちが伝わる。
「どうなっても知らないからな!」
頭に血が上った捨て台詞を吐いて、相手は電話を切った。そのとき日付が変わった。
先の憂いはある。
でも、これだけ笑ったのは久しぶりだ。
今までの鬱憤、みんな晴らしてやった。
勝ち誇った気分を失いたくなくて、俺はうだうだ考える前に寝ることにした。
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