3-4 2018年9月4日 - 花がほころぶ

 翌日も相沢さんのボケは防御にならず、俺は黒板のチョークを鼻に突っ込まれた。ひどい目に遭ったと思いながら男子トイレ(俺は生物学的に男だから!)に行って出てきたとき、たまたま同じタイミングで隣の女子トイレから出てきた女子が笑っていた。

「サクラ、すげえ笑えるよね」

 サクラ、の一言が佐倉さんを呼び捨てにするものだと思えた。

 俺は女子の後をつけることにした。

 女子は三人。幸いなことに後ろは見ていない。

 箸が転げても笑う年頃の女の子の笑い顔は、後ろからちらと見える限り、卑しかった。

「Stringで『バケツかぶって』って送ったら、はいはいって従ってさあ。まあ、bocket で送ってたから絶対にやる訳なんだけど、あの子bocketなくてもやったんじゃない? 頭空っぽなんじゃないの?」

「ほんと、馬鹿はオモチャだよね」

「あのルックスだったら絶対女子の敵だけど、うち、佐倉好きだよ。笑えるもん」

「あっはっは」×3

 本当は情報収集しなきゃいけないんだけど、あまりの暴言を聞き続ける気になれず、俺は三人から離れた。

 これは、イジメだ。

 放課後、俺は佐倉さんのクラスに行って佐倉さんを連れ出した。またコンビニによってペットボトル飲料を買った。俺といれば飲み物を買ってもらえると思うかもしれないけれどそんなことはかまわなかった。昨日と同じベンチに座って、また飲み物を勧めて、話を切り出した。

「今日、女子が話すのを聞いたんだけど、昨日のバケツをかぶったの、bocket でやらされたんでしょ? 事実だったら、首を縦に振って」

 佐倉さんはこくんと頷いた。

「やらされてたの、言えなかった?」

 佐倉さんはこくんと頷いた。

「助ける人、いなかったんだね?」

 佐倉さんはこくんと頷いた。

「抜き打ちの持ち物検査でエロビデオが見つかった日、bocket の初日だったよね。あれも呪い? あ、女の子が口にすることじゃないよね」

「あの日は……」

 佐倉さんが口を開いたのは意外だった。

「登校中にクラスメイトに鞄をとられて、走って逃げるところを追いかけようとしたら腕を捕まれて、すぐに鞄は戻ってきたんだけど中を確認してなくて」

「仕返しが怖くて、黙ってたんだ?」

 佐倉さんはこくんと頷いた。

「大変だったね」

 佐倉さんはこくんと頷いた。

 大変だったなんてもんじゃない。学校の中で孤立無援だったんじゃないか。bocket だって、一方的にもてあそばれるばっかりで、佐倉さんは黙って耐えてたんだ。

「笑い顔が汚いって言われたの、今いじめてる人たちから?」

「それは、違うんです」

「違うって?」

「汚いって言われたのは小学校一、二年生の頃で、男子女子関係なく嫌がられたんです」

「馬鹿にされてる、って思わなかった?」

「あんなにたくさんの人が嫌がったから、きっと本当なんです」

 この話になると、佐倉さんは顔を背けてしまう。俺が待っていると、じりじりと時間だけが流れる。

 こうなるとらちがあかない。ここは強引に行かせてもらう。

 俺はペットボトルを脇に置くと両手で佐倉さんの頭をつかみぐいっと顔を俺の方に向けた。

「ここで笑ってみて」

「そんなこと、できない」

 佐倉さんの言葉からですます調が消えた。

「佐倉さんの笑い顔、俺が見るから」

「楠木君も嫌だと思う」

「いいから!」

 佐倉さんは『どうにか』笑い顔を作ろうとし始めた。その顔はこわばっていて、目と口の動きが合っていなかったりして、なんだか脅されてるときに無理に笑い顔を作ろうとしているような、ある意味笑える顔だったのだけれども、素が最上級だから、決定的な破綻はしない。

 俺は手を離した。佐倉さんの顔がいつもの無表情に戻る。

「佐倉さんの笑い顔、見たけど、そんなにおかしくないよ。周りの子が馬鹿にしてたんだと思う」

「本当ですか?」

「本当だよ」

「嫌な気分になりませんでしたか?」

 変だったんだけど、ここはオブラートに包もう。

「微笑ましかったかな」

「よかった……」

 その瞬間、俺は、花がほころぶという言葉の意味を知った。

 あれは何のニュースだったか、大手企業が、受付嬢の代わりをするアンドロイドを開発したという映像を見た。それは、確かに整った女性の顔を模してはいたのだけれども、調和は全くなく、作り物という言葉も足りないんじゃないかと言うくらい不自然で、こんなものに受付をさせようなんて大手企業が何を考えているんだと思った。

 現代の一流の科学者が集まっても無様な姿しかさらせないアンドロイドの前に、異世界から魔術師がやってきて、杖の一振りで魂を入れたような、魔法が、目の前で起きた。

 自分の笑い顔は汚いんだという囚われから抜け出した佐倉さんの安堵した顔は、俺が見てきた女性の中で一番、綺麗だった。

 俺はぽっかり開いてしまった口を慌てて押さえた。ペットボトルがぼとんと落ちた。地面にダイエットコークの水たまりが広がっていく。

 俺の様子を見た佐倉さんの顔が少し翳る。

「やっぱり、不気味ですか?」

 俺は両手を左右にオーバーリアクションで振って否定する。

「いや、そんなことないよ。大丈夫だから。ていうか、かわいいなって思って」

「かわいいですか?」

「かわいいって」

 俺は首がもげそうなほど上下に振った。

 佐倉さんは顔にうれしさを出した。

「笑い顔がかわいいって言われたの、初めてです」

 そうだよなあ。今まで表情が死んでたものなあ。笑ったことがなかったもんなあ。

 佐倉さんをいつまでも見ていたい。けど、今日の用事はそれじゃない。気持ちを切り替えようと、俺は咳払いする。

「で、本題だけど、bocketでウケたが欲しかったら、他の人に頼むこともできたじゃない。いじめっ子はいたかもしれないけど、関係ない子もいただろうし。そもそも、俺、男だから、女子の佐倉さんが頼み事をするのはハードルが高かったんじゃない? どうして俺に話を振ったの?」

 真剣な話になるから、佐倉さんの顔から少し光が減った。俺から視線を外し、正面を向いてうつむいて口を開く。

「女子でも、特に仲のいい人はいないんです。前に友達はいないって言いましたよね。それでも、男子に声をかけるのは、やっぱり怖くて。ただ……」

 佐倉さんは顔を上げて俺を見た。

「楠木君なら、優しそうだから、お願いできるかもしれないと思いました」

 俺、特に優しくした覚えないんだけど。何でそんなこと思うんだろう。

 ……顔か。やっぱし顔か。

 そこら辺の女子よりかわいいということになっている顔してるもんなあ。いい人に見られたんだろうなあ。

 こんなかわいい子に信用されて、俺は初めて俺をこの顔に産んでくれた母さんに感謝した。

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