8-2 2018年9月13日 - 一人になった
翌朝にbocketを見たら8件ボケが届いていた。全部匿名。いつもより多い。俺を攻撃するボケが選別されず全部表に出たのだろう。
まず、母さんは「私がやってあげるから」と俺の朝食のパンにマーガリンではなくマスタードを塗りたくった。
「ハイッ」
と手渡す母さんの顔は慈悲に満ちていて、俺は全て食べざるを得なかった。俺がむせると「子どもねぇ」と笑う母さんに怒りを覚えたが、しょうがない、悪いのはbocketだ。
1時間目の体育では
「おーい、そっち行ったぞ」
サッカーでボールを持っている奴がなぜか俺に突進。
ドシン。
勢いよくぶつかり、しかも運悪く俺の短パンに引っかかって、俺のトランクスが丸出し。
「また見ちゃったよ、楠木のトランクス」
俺だって見せたくないわ。
替えはないから、あとは制服のズボンを履いて見学していた。
3時間目の英語では俺の教科書だけ誤植があった。
「titって何ですか?」
朗読中に分からない単語があったから質問したら、教師にすげぇ睨まれて、一部の頭が良い生徒に笑われた。「乳首」という意味らしい。
4時間目の古文ではプリントが回ってきたが、俺のだけ字がおかしい。
「先生、このプリント、読めません」
「それはくずし字だ。昔の手紙などは形を崩した字で書かれていた」
「そんなの授業でやるんですか?」
「これは古文の授業だぞ。読めなくてどうする。嫌がるようなら成績下げるぞ」
「他のみんなは現代の字じゃないですか!」
俺の抗議は無視され、俺の古文の成績は最低ランクになることが確定した。
こうなると周囲も気づく。みんな、bocketで現実になるボケは1つだけだと思っている。一日に何度もおかしなことがあると、bocketではないと考えてしまう。特にtitの件があったから、
「楠木が狂った」
という噂が校内を駆け巡った。
それを間近で見ていた高加良は、一つも笑わなかった。
昼休みに高加良が俺に声をかけた。
「楠木は、俺から見て、よくやってると思う」
「自尊心は削られるけどな。今日の分もまだ終わってないし、これが続くと思うとつらいよ」
高加良は少し悩んだ様子で言葉を選んだ。
「こういうこというと、負担になるかもしれないけど、楠木なら俺にできなかったことをやってくれるんじゃないかなと思ってる」
「高加良、一つ聞くけど、おまえ、今日、俺にボケを送ってないだろ? 相沢さんにも手を回したんじゃないか? おまえはそういうところに気を遣うから」
高加良は一つ、こくん、とうなずいた。
これからどうするか話し合うために、もう一度四人で集まろうという話になった。ただ、気がかりなことに、佐倉さんからの返事がない。俺が直接Stringで送っても既読スルー。授業が終わったとき、佐倉さんの教室に直接出向くことにした。教室の前で、相沢さんに会った。
「相沢さん、どうしたの?」
「ちょっと気になることがあって」
「佐倉さんのこと?」
「直接確認する方が早いわ」
俺と相沢さんが教室の扉を開けると、中には、絶世の美少女がいた。
それは佐倉さんだった。
もとの顔の良さに、心の凍りつきも、憂いもなく、穏やかな人格が表に出た、とても人好きをする表情をしていた。
佐倉さんが心ある表情をしているのは、とてもうれしい。でも、なぜ今このタイミングなんだ?
「佐倉さん」
佐倉さんは呼びかけに応じない。淡々と鞄に物を詰めて帰る準備をしている。
「これからのことを話したいから、今日も集まろうよ」
佐倉さんは呼びかけに応じない。鞄を持って帰ろうとする。
「佐倉さん、ちょっと待って!」
佐倉さんは俺たちの横を無言で通り過ぎようとした。
相沢さんが佐倉さんの左腕をがしっとつかむ。佐倉さんが驚いて相沢さんを見る。強引だったけど、男の俺がやったら痴漢扱いされるところだから、相沢さんがいてよかった。
佐倉さんが驚いて相沢さんを見た。
「何するんですか、急に」
相沢さんは佐倉さんを真正面から見据えた。
「佐倉さん、私たちのこと、覚えてる?」
え? どういうこと?
佐倉さんはとても自然に怪訝な表情を見せた。
「同級生だから知ってますけど、別に友達でもないですし、詳しくは知りません。あ、隣の楠木君はおかしくなったって噂になってましたね」
「どうして俺のこと知らないの?」
思わず口に出た。
「知らない、ちょっと変な男の子に声をかけられたら、そりゃあ無視しますよ」
佐倉さんは少し冷ややかに言い切った。
「なんで知らないの?」
「bocketに頭をいじられてるわね」
相沢さんの一言が、俺から思考を奪った。
なんだよ、それ。
知らないところから歩み寄って、誤解を解いて、仲良くなったのに、bocketに記憶を改変されて忘れた?
神様、あんた、何様だよ。
「相沢さん、頭をいじられたとか、そんな言い方、ひどいです。失礼な人とは関わりたくありません」
佐倉さんが相沢さんの手を振り払った。相沢さんもそれを許した。相沢さんは、もう佐倉さんとのつながりは切れたと思ったのだろう。佐倉さんが俺たちの横から立ち去る。
ちょっと待って!
追いかけようとしたとき、俺の右足の上履きが上下に裂けて、俺は派手にすっころんだ。
その音に振り向いた佐倉さんの顔が自然と緩む。
「プッ。プッ。アハハ。ごめんなさい、笑って。でも、楠木君、本当にそそっかしいんですね」
ちょっとそそっかしい人を見たときに、人なら自然と出てくる笑顔が、佐倉さんから出ていた。
俺は佐倉さんにそんな風に笑っていて欲しかった。俺の夢は叶った。bocketの暴力によって。
俺は佐倉さんを追いかける気力をなくした。
「そうだね。俺、馬鹿だよね」
俺は失敗して恥ずかしい男を演じた。佐倉さんはそれを見て笑い、笑い終わると前を向いて、俺たちのもとを去った。
終わった。俺は立ち上がれない。
転んだままの俺の右腕を相沢さんが引き上げた。
「なに倒れたままでいるの。起き上がりなさい。まだ事は終わっていないんだから」
俺たちは三人で児童公園に行き、もう俺にはボケを送らないことと、守る相手がいなくなった俺はもうボケを送らないことを確認した。
俺は、佐倉さんと切り離され、高加良と相沢さんからも離れて、一人になった。
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