2-4 2018年8月30日 - これって現実?
誰かが俺の背中をつついた。誰かじゃない、隣にいた高加良だ。
「楠木、この後、空いてるだろ。今どうしてみんなが殺気立ってるか、楠木だけ知らないみたいだから、説明する。つきあってくれるだろ」
「高加良じゃなあ…… 嘘つかれるかもしれないし」
「じゃあ文佳を呼ぶ」
「相沢さん来るの?(汗)」
「文佳は嘘はつかないだろ」
「苦手なことを分かってくれよ」
「仲良くするならクラスの奴らより文佳の方がいいと思うけど」
「それは物好きの意見だ」
怖がる俺を見ているのに、高加良は平然とStringの無料通話をかけた。
俺と高加良と相沢さんは、あまり他人に話を聞かれない場所ということで、学校の近所の児童公園のベンチに座っていた。夕方になって、幼児はみな帰ってしまい、遊具が無人となった狭い公園のベンチに俺たち三人だけがいた。途中のコンビニで飲み物だけ買って、俺はダイエットコーラ、高加良は緑茶、相沢さんはミネラルウォーターだった。
「……それで楠木君は、みんなに脅されるままに一日で数十件のbocket友達申請を認めた訳ね」
相沢さんは呆れたように言い放つと、ミネラルウォーターを一口飲んだ。
「だってさあ。囲まれてみ? 男なのに『嬲る』とか言われてみ? それには刃向かえんだろ?」
「明日からどうなっても知らないけどね」
なじる気満々の相沢さんを高加良がなだめる。
「まあまあ。楠木は事情を知らないんだから、説明するために俺たちが来てるんだろ。文佳、説明してやってくれよ」
相沢さんは、ふう、と一息つくと俺の方に向き直った。
「楠木君。今日になってから、校内でいろいろおかしなことが起きてるの、知ってる?」
「知ってるけど」
「それが、bocketに書いたボケが現実になったからだとしたら、どうする?」
相沢さんの顔は真剣だった。いや、笑った表情を作れないだけかもしれない。何しろ相沢さんだもの。
「いやいやいや。それこそギャグでしょ。アプリで人に送ったボケが現実になったら、笑えないよ」
「笑えない現実があるのよ。これから背景を説明するわ」
相沢さんは俺の戸惑いを差し置いて語り始めた。
「日本時間の今日午前零時を過ぎてから、bocketの新規会員登録が止まったの。これでbocketを利用する人間は前日までに登録した人間に限られたわ。そして午前六時に今日のボケが公開されてから、ボケの内容が現実になるという事件が日本全国で発生し、各種SNSにその報告があふれたの。うちの校内でも、床ぞうきんで顔を拭いた女子いたって聞いてない?」
「それがbocketのボケが現実になったってこと?」
「その子、周囲にからかわれてて、そんな内容のボケを受け取ってたんですって。黒い下痢止めをかじった男子もいたわよね?」
「待て待て。その話、できすぎでしょ」
だって……
「ほら、相沢さんと高加良が俺にボケを送ってるのに、俺はなんともないじゃん。もしbocketで何かあったら、俺にも来てるはずじゃん」
「大事な条件があるの」
相沢さんは一呼吸置いて口を開いた。
「bocketで現実になるボケは、匿名で送られたボケなの。匿名で送られたボケは、各人には一日一件しか表示されない。その一件が必ず現実になり、そして誰が送ったのかは分からないわけ。悠一と私は名前を見せて送ってるから、今日のところは楠木君には何にも起きないわ」
いやいや、待てよ。脅しがきついだろ。
「そんなの、証拠ないのに信じられるか!」
「楠木、これ見るか?」
高加良がスマホを俺に見せた。bocket が開かれていて、俺や相沢さんや他の同級生のボケが並んでいる中に、一つ匿名で。
やべえ。現国の朗読、全校放送しちゃった
「俺の現国の時の朗読、全校に流れてたろ? 俺はこれ見てたから、多分くるなと思ってたんだ」
「高加良、お前、わざとやってないよな?」
高加良は申し訳なさそうなそぶりを見せた。
「一応さあ、避けようとはしたんだよ。授業が始まる前、机の中を調べてみたら、授業中に林が言ったとおり、確かに校内放送マイクが入ってた。それを放送室に返すんじゃなくて、電源を切って机に入れてみたんだ。そしたら朗読の時には電源が入っていた。俺が立ち上がるとき机が揺れたかもしれない。そこでたまたまマイクの電源が入った。そんな『たまたま』が必ず起きるらしいんだ。bocketに匿名でボケを書かれると」
「高加良、作り話にもほどがあるだろ」
隣で相沢さんが額に手を当てて首を横に振った。
「世間では、もうニュースになってるのよ」
相沢さんはスマホの画面を見せた。ニュースサイトには、通勤電車暴走のニ
ュースが記されていた。
埼玉・東京・神奈川を走る京浜東北線大船行きの電車が、走行中にブレーキ
がきかなくなり、西に時速80kmで暴走した。急な制止による人身事故を避けるため、ポイント操作で東海道本線に案内し、信号を全解放で電車が走り続けられるようにしたという。まるでハリウッド映画だ。最後には付近の他の列車を全て静止させ、架線への電源供給を停電させて自然減速で停止させたという。電車を停止させたときには名古屋を過ぎていた。
「このニュースがどうしたの?」
相沢さんはスマホの画面を、単文を公開するtickに切り替えた。
そこは阿鼻叫喚の大炎上絵巻だった。
通勤電車が止まらなくなるという不幸にあった乗客の一人がつぶやいた。
「俺のbocketに『通勤電車なのに東京から名古屋までノンストップってどういうこと?』って入ってるんだけど、マジ?」
助けを求めた一言へのネット民の答えは罵倒・責任転嫁だった。「おまえの
せいだ」「おまえが轢かれて、死んで電車を止めろ」「鉄道会社への賠償金はお前持ちな」etc……。
「冗談だろ? 今日急に流行ったテンプレだろ?」
「そりゃあ、たまたまかもしれない。日本の鉄道史上まれに見る事故と、一利用者のスマホアプリが偶然一致しただけかもしれない。でも、これだけじゃないから」
相沢さんが見せたのは、SNSで拡散した、笑うためのボケが引き起こした笑えない現実の数々。コンビニで釣り銭強盗の濡れ衣を着せられたニート。美容院で丸坊主にされた女性。カプサイシン粉末入りスープを飲んだ高校生。それら全員が、事前にbocketで内容を示唆するボケを受け取っていた。
「なんでスマホアプリの内容が現実になるんだよ? あり得ないだろ?」
「そのあり得ないことが起きてるから、日本中で騒ぎになっているのよ。なぜかは分からない。でも、これが現実。bocketは既存の利用者を巻き込んだ呪いのアプリになったの」
「じゃあさあ、俺が今日いっせいに友達承認したのって?」
「明日からあなたは学校のみんなのオモチャよ。私と高加良は以前から友達が多かったから、これで同じ立場に立ったのだけれど」
俺は思わずペットボトルを手から落とした。俺のスニーカーがダイエットコーラに染まっていく。俺が慌ててペットボトルを脇にのけると、それを見た相沢さんはミネラルウォーターを一口飲んで間をとって、俺を突き放した。
「どう? 事の重大さが分かった?」
「分かりました…… それにしても、相沢さんって、登校中にニュースとか読んだりするんだ。勉強だけかと思ってた」
「2時間目が終わった後に悠一から連絡あったから」
「ソースは高加良かよ! というかさあ、高加良、なんで俺に言わない?」
高加良は頭をかく。
「楠木は友達が俺と文佳しかいなかったから、後でいいかなと思ったんだ。まあ、失敗だったわ」
「知ってれば友達申請を拒否できたぞ」
相沢さんが冷ややかな視線で。
「囲まれたり、男なのに『嬲るぞ』と言われたら、どうせ受けたんでしょ」
「そりゃ、俺がそう言ったけどさぁ……」
みんなが殺気立っていたのは、生け贄にならずにすんだ人間が憎らしかったからだ。集団の圧力で、無関係だった人間を一人地獄に引きずり込むことに成功したわけだ。そりゃ、みんな必死になるよ。
「ところで高加良、朗読で読んでたの、教科書じゃないだろ。あれ、bocketの影響か?」
「いや。きっとボケが現実になると思ったから、どうせ笑われるんだったら、もっと笑って欲しくて、小説投稿サイトから引っ張ってきた」
「分かってて被害を拡大させんな!」
「俺はどこでもうけを狙うぜ」
「笑えない状況をさらに笑えなくするな!」
まったく、笑いも時と場所を考えろ。
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