6-1 2018年9月9日 - 二人の関係
土日も、生徒同士でのbocketの攻防は続く。高加良、相沢さん、佐倉さんと連絡を取り合っているけど、みんな守りのボケは役に立たず、恥ずかしい目に遭わされている。
俺の家は洗面台の湯沸かし器が50℃の設定に固定され電源を切ることもできなくなり、ボウルに張った湯に手を突っ込んだだけでめちゃくちゃ熱かった。まだ9月初旬、ほぼ夏。湯沸かし器の電源が切れてくれる方がよっぽどよかった。シャワーは直接かぶるのは無理だ。湯船に湯を張って冷ましてから入ろう。
もうなにもしたくないと日曜日のふて寝を決め込んでいたとき、スマホが鳴った。佐倉さんの着信音で。俺は慌てて飛び起きた。
佐倉さんからのStringのメッセージにはスマホのスクショが貼り付けられていた。匿名のボケは。
男に顔を舐めまわされた……
つらいボケを押しつけられたものだ。守れない俺が弱いのだけれど…… いや、弱い弱いと言っているのは自己を哀れんでいるだけだ。気を取り直さないと。
そのあとに、佐倉さんからのテキストが続いていた。
今日、
私の側にいてもらえませんか?
側に、と言うことは、守ってほしい、ということか。
俺の腕力じゃ喧嘩で勝てない。変態に襲われたら、ひとたまりもない。でも、女の子の前で逃げるわけにはいかないんだ。
いいよ。
と送ったところで、はたと気づいた。どこで会う? 二人きりになれる場所はどこだ?
そして一番の問題は、まだ俺と佐倉さんは、お互いの部屋に上がり込むような関係ではないこと。公衆の場では、二人きりになるのは難しい……
いい場所を思いつかない。とりあえず佐倉さんの希望を聞こう。
どこで会う?
学校がいいです
学校か…… 日曜日だから、人は少ないだろう。案外いいかもしれない。
じゃあ、12時に佐倉さんのクラスで
俺は母さんに「図書館に行く」と言い訳して、制服を着て通学カバンを持って家を出た。途中でコンビニに寄って、佐倉さんの好きな無糖紅茶と、おやつのポテチを買って。
日曜日の中学校は休日練習している運動部がいて、校門は開いていた。先生が入れるように昇降口も空いていた。俺は誰にも注意されず校舎に上がり込んだ。
12時の5分前に佐倉さんのクラスに入ると、佐倉さんはもう自席に座っていた。そういうところ、律儀だ。
「待たせたね」
佐倉さんは首を横に振った。
俺は佐倉さんの横の席に座ると、通学カバンからペットボトルとポテチを取り出した。
「佐倉さん、ポテチ食べる?」
佐倉さんはしばらく黙っていたけど、首を小さく縦に振った。
俺たちはポテチを食べながら雑談をした。窓の外の校庭から、運動部員のかけ声が聞こえる。正午過ぎだけど、人に見つからないように照明をつけない教室は、少し暗かった。二人で秘密を抱えたようで、少しドキドキした。
俺は、佐倉さんと、こんな風に雑談したかった。bocketで重苦しいムードだけど、周囲の嫌なことは忘れて、平凡な中学生生活を楽しみたかった。今、それが叶っている。俺、幸せかもしれない。
ふと、佐倉さんが驚いて俺の顔を見た。
「楠木君、男の子ですよね?」
「そうだけど……」
真意を測りかねているとき、下からドンと突き上げられて、左右に振り回された。
地震だ!
このあたりは地震が少ないのに。もしかしてbocketか? 天変地異まで起こせるのか?
目の前で佐倉さんが怯えている。「大丈夫だから」と両肩をつかもうとしたところで、俺の足がもつれて……
俺は教室の床に佐倉さんを押し倒していた。
同時に地震が終わった。
俺の身体は佐倉さんの身体にのしかかり、俺は舌を出していて、佐倉さんの頬を舐めていた。初めて舐めた女の子の頬は、ポテチの油と塩の味がした。
俺は慌てて佐倉さんから離れた。佐倉さんは俺から目を背けて、自席に座り直した。
「ごめん」
俺の呼びかけに、佐倉さんは応えない。
「ごめん」
俺は大きく頭を下げた。
しばらく頭を下げていると、佐倉さんが一言、小さな声で、つぶやいた。
「楠木君でよかったです」
ラッキー! と思った俺は一瞬で恥じた。迷惑をかけたのは確かなんだから。
「佐倉さんのボケは終わったよね。もう、帰る?」
佐倉さんは小さく「はい」と応えた。
もうボケは終わったんだから、これから遊ぼうよ。と踏み込めないのが、俺と佐倉さんの関係だった。
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