2-2 2018年8月30日 - 今日は厄日だ

 今日の一時間目は体育。朝礼が終わったら更衣室に直行した。男同士で体操服に着替える。俺の身体って貧相だなあと思うなか、隣からにやにやと話しかけられた。

「楠木、今朝の持ち物検査で、美少女と名高い佐倉さんが何持ってきたか知ってるか?」

「俺、真後ろで現場を見たよ」

「女子でもスケベな人っているのかな?」

「さあな。見つかっても無表情だったから、ビデオ見てるときも無表情じゃないかと思えて気持ち悪いよ」

「案外楽しんでんじゃねえの?」

 話しかけてきた奴を見てると、ああ、思春期男子がにやついてるよ。俺だって普段だったら思春期男子としてにやついてるんだけど、佐倉さん本人を見てしまったら妄想は膨らませられないよ。

 着替えて校庭に出ると、体育教師(風紀指導担当とは別人)と先に校庭に出ていた男子生徒が険悪な空気になっている。

「先生、前の授業の時、次はサッカーだって言ってたじゃないですか。なんでランニングになるんですか?」

 生徒が先生をなじると、先生も強い剣幕で応える。

「サッカーボールが全部パンクしてるって言ってきたのはお前らだろ? ボールが無いならどうしようもないだろ。先生としては、誰がボールに傷をつけたか、生徒を調べなきゃいけないくらいなんだぞ」

「ナイフで切ったような跡じゃなくて、ぎざぎざなひび割れだったから、古くなってたんですよ」

「昨日の今日でひび割れるか?」

 サッカーボールが無いってどういうこと? 前にいる奴なら知ってるかな?

「サッカーボールがどうかしたの?」

 前の奴は後ろの俺を見て小声で。

「倉庫のサッカーボールが、全部ひび割れしてて、空気入れても膨らまないんだって」

「昨日、別のクラスがサッカーしてただろ」

「だから夜の間にみんなプシューって」

「なんで?」

「知るか!」

 男子の一人が注目を集めんと手を上げる。

「バスケットボールならありましたよ。それでサッカーしましょう。一個借りてくればいいじゃないですか」

 先生はおもむろに嫌そうな顔をする。

「バスケットボールは体育館で使うから、校庭で使って砂まみれにして体育館に持ち込むわけにはいかん」

「洗えばいいじゃないですか」

 男子生徒が一斉に「そうだ」「そうだ」と声を上げると、相手が子供とは言え多勢に無勢、先生は渋々認めた。俺たちは「やったー」と歓声を上げてバスケットボールを借りに行った。

 だけど「やったー」なんて話じゃないんだよ。バスケットボールって重いんだからさあ、蹴る度に足首と脛への衝撃がすごいのなんの。運動音痴が困るならともかく、サッカー部員が「痛ってぇ!」て叫んだんだから本気で危ないって。シュートもボテボテだから、10分ハーフで2試合やって1点も入らなかった。ひっどい体育だった。

 変なことはこりごりだ、と思って迎えた2時間目、数学で配られた小テストは、問題が全部英語だった。数学教師は自信たっぷりだ。

「今日は総合的な学力を確認するため、問題文を英語にした。日頃の勉強の成果を見せて欲しい」

 当然生徒からブーイングが上がる。

「先生、英語が分からなかったら問題解けません」

 女子生徒の至極真っ当な指摘に先生はくじけない。

「英語の時間にきちんと勉強していれば読めるはずだ」

「いいえ。英語の授業で習ってない単語があります」

 抗議した子はかなり成績がよく、5教科で80点平均はとっていた気がする。あの子が習ってないというと、本当に習ってないのかも。そうだよな。数学を解くために英語を習ってるわけじゃないんだから、数学用語なんて習ってないよな。その通り、他の生徒も同意して抗議の声を上げた。

 それでも先生はあきらめる様子がない。

「英和辞典には載ってる。数学の試験だから、英和辞典を見ることはカンニングと見なさない」

「なんでやめないんですか?」

「成績を計るために小テストをする必要があって、今日しないと2学期後半の負担が重くなるんだ」

「それ、理由になるんですか?」

 納得いかないけど、先生はそのまま押し切り、俺たちは英和辞典を引きながら数学のテストを解いた。英和辞典を家に置きっ放しの生徒はお手上げ。これ、成績を計るための小テストだろ? おかしな理由でいきなり0点っていいのか?

 ああ…… 今日は厄日だ……

 だけど、おかしいのは教師だけじゃなかった。

 ある女子が床ぞうきんで顔を拭いてたそうだ。女子力マイナス?

 ある男子がミントタブレットのつもりであの黒い下痢止めをかじったそうだ。色で分からなかったのか?

 もう朝の佐倉さんの事件が単なる一コマに見えてしまうくらい、変なことばかり起きる。

 3時間目を終えて、もう嫌だ、と思っていたところに、高加良が俺の席にやってきた。高加良の顔がにやついている。

「楠木、俺たちの4時間目、現国だろ?」

「それが?」

「なんかさあ、俺さあ、朗読で当たりそうな気がするんだよね」

「勉強を真面目にやる気にでもなったのか?」

「当たったらさあ、一発かますから、ちゃんと聞いててくれよ」

 やばい。高加良はなにか企んでる。

「授業はコントじゃないんだから、先生に呆れられないように真面目にやれよ」

「潤滑油は必要だぞ」

 高加良のにやついた顔が不気味だ。頼む。まともに授業を受けてくれ。

 そこでチャイムが鳴り、先生が教室に入ってきた。

 高加良は無言で手だけ振って席に戻っていった。もう先生が来てるから、追加で釘を刺すことはできなかった。

 今日の現国は短編小説(作者も作品名も、教科書で読まなきゃ一生知らなかった売れてない一品)の読解。授業はお定まり通り、まず本文を朗読して概要を把握するところから始まる。先生が朗読する生徒を探す。

「そうだな。高加良、最初から64頁の2行目まで読め」

 高加良は、顔は涼しげに、小声で「はい」と言って立ち上がった。気のせいか、高加良が返事をしたタイミングで、校庭から「はい」と声が聞こえた気がした。

 高加良が小説を読み上げる。

「勇者は魔王に問うた。

 『お前の望みはなんだ? 俺には、世界を混乱に陥れることに意味を感じていないように見える』

 魔王は答えた。

 『逆に聞くが、勇者が勇者たるゆえんはなんだ? 魔王がいることか? お主が我に問う理由、我にはよく分かる。お主、勇者でなかった頃の記憶がないのであろう? 我もだ。気づけば洞窟の奥のこの座に座り、魔物に人里をおそわせていた。その前に何があった? それを知るものがおらぬ』

 そのとき、勇者の側にいたマッパーが心を悟られないように表情を抑えていた。

 『しまったなあ。NPCが自我持っちゃったよ。AIで自動で動いてくれるのは楽なんだけど、ゲームシナリオから外れてもらっちゃ困るんだよね』」

 なんだこれ? 教科書と全然違うぞ。高加良、なに読んでる?

 そして、恐ろしいことに、高加良の声が校庭に響いていた。校内放送の、体育祭などで校庭に響かせるスピーカーから、高加良が読み上げるくっだらねえ勇者と魔王の話が校庭から校外へとがんがんと響いていた。

 皆が異常を感じ、先生もおかしいことに気づいた。

「高加良、今すぐやめろ。放送を悪さしたのはお前か?」

 高加良は席に座ると机の中をごそごそあさりだし「あったあった」と、放送用ワイヤレスマイクを取り出した。

「俺の席にマイク仕込んだの、誰です?」

 高加良の、まるで人ごとのような態度。先生は逆上する。

「高加良が仕組んだに決まってるだろうが」

「俺、放送部じゃないから、マイクは持ってこれませんよ」

 そのとき、高加良の隣に座る放送部の林がおずおずと手を上げた。

「すいません。間違えてマイク持ってきて、昼休みに返すまで机にしまっとこうと思ったんですけど、慌ててて、隣に入れちゃいました」

 正直な申し出に、先生は荒げた態度はやめようと声のトーンを落とした。

「マイクの電源が入ってたじゃないか。わざとか?」

「そんなつもりないんです。どっか引っかかって、電源が入ったんだと思います」

「そうか。今回のこと、あまり厳しくは言わん。それより高加良、なぜ教科書を読まない!」

「ちょっと楽しくしてみようと思いました」

「成績にも内申点にも響くぞ」

「明るさは感じ取ってください」

「それは教師の仕事じゃない」

 先生のいうこと、もっともだ。

 この件は皆が「高加良だからしょうがない」と納得して終わった。

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