第19話 ご報告につき(後)

「ふあああああああああーっ!」


 一週間後、ふたりは帰京して両親に報告を入れたところ、涼一は床にのた打ち回って、かなり派手に、もがき苦しんだ。近所から苦情が来てもおかしくないレベルで。


「まさか、まさかまさかまさか! さくらが、類くんと。ああ、なんてことだ。夢であってくれ、夢で!」


 自分で頭をがんがんと壁に打ちつけている。よほど、現実を認めたくないらしい。


「大げさ、父さま」

「そうだよ。すでに手遅れだし。現実を認めなよ」

「もう、越えちゃったのよね。手の早い、類のことだもんね。観念して、涼一さん」


 やさしく、聡子が諭した。憔悴状態の涼一を、ソファに座らせてやっている。


「じゃ、まずはめでたく婚約成立ってことでぼく、さくらをもらいます。オトーサン、よろしくね。絶対、一生、しあわせにしますから」

「結婚はどうする? 二十歳になってからかしら。それとも、ふたりの大学卒業を待つ? となると四年後、か」

「ほんとうは卒業してからがいいけど、どうだろうね。状況によるかな。まだ、事務所には言ってないんだ。マネージャーの片倉さんにも。今回の件は、ちょっと急だったし、ね?」


 にやりと笑って、類はさくらを見てきたけれど、なにも言えなくて、つい視線を逸らしてしまう。


 涼一が、バンバンバンとソファをたたく。


「いいや、分かっている。頭では、分かっているんだ。珍しく、類くんから『実は、超重大な話があるんだよねー』と思わせぶりな電話を受けたときから、ある程度は、なんとなーく、覚悟していたつもりだった。しかし、しかし現実となると、ああ! 無理無理無理無理無理無理、むーりー!」


 壊れかけた涼一は、どっかの妖怪みたいになってしまった。


「さくらを愛してくれるのは構わない。うれしい。だが、大学を卒業するまでは、どうかさくらを妊娠させないでくれ、頼むよ類くん。これ、私からの婚約祝いだ。使ってくれ、頼む。お願いだから。足りないなら、言ってくれ。一晩に何個必要だい? 類くん、すぐに孕ませそう……!」


 全身全霊で、涼一は懇願した。

 類の手に、大量の避妊具を握らせている。もはや、親の威厳もなにもない。類はうんざりした顔で、婚約祝いを突き返す。


「ぼくとしては、早く赤ちゃんができたほうが、都合いいんだ。事務所やスポンサーの勝手な都合で、さくらと別れさせられたら困るし。子どもができたら、そうもいかないからさ。ねえさくら、今すぐ孕んで一年休学すれば、一緒の年に卒業できるよ、そうしようよ。ていうかぼく、こういうの使ったことないんで、返しますオトーサン。正直に言うと、すでに子作り、励んでいますって感じ?」

「うそ! あのとき、安全日だって!」

「あんなの、嘘も方便。さくらの生理日は毎回、手帳につけてるけど。ちなみに、同居してからずーっと、ね。将来の妻の体調管理は、夫の務め」


「へ、変態……まじ変態!」


 とんでもないことを言い出す、類。けれど、かなりの現実味を帯びている。

 このままでは、赤ちゃん、ないとは言い切れない。あるかもしれない!


「子持ちの大学生とか、ないよ。ありえない。十代だよ?」

「いいじゃん。ぼく、赤ちゃんをおんぶして講義を受ける。休み時間にミルクあげて、オムツ替えてあげる」


「都合いいように考えているようだけど、そんな簡単なものじゃないわよ、子育てって」


 二児の母・聡子も、あきれていた。涼一も強く頷いた。


「さわやかイメージのアイドルモデル・北澤ルイが、嬰児連れで通学か。想像するだけでも、衝撃的な構図だな」


 でも、かわいい赤ちゃんを乗せて、おしゃれベビーカーを押す類の姿は、アリかもしれない。CMに使えそう……ベビーカーも売れそう……と、一瞬考えたけれど、洗脳されはじめていることに気がついた。


 妄想、やめやめ。ないない。勉強するために、京都にいるのに。


「ふふ、もうできちゃっているかもね。ぼくたち、気持ちを通じ合わせてからは、毎日らぶらぶだから。男の子かな、女の子かな」


 涼一が、音を立ててソファから再び崩れ落ちた。完全に灰化している。


「父さま、しっかりして」

「娘が、奪われた……インチキエロモデルに、毎日種付けされているなんて」

「えー。オトーサン、ぼくのことを実はそんなふうに思っていたなんて、心外だなあ。確かに、さくらって見た目は純情そうなのに、ベッドの上では意外と貪欲で奔放だよ。オトーサンの目のほうが、曇っているかと」


「類。それ以上は、涼一さんが討死しちゃうわ」

「さくらも、さくらだ。類くんになぜ、はっきりと言わない。赤ちゃん、今できたら困ると! そんなにいいのか、類くんが!」


「あら。でも、さくらちゃんに赤ちゃんができたら、東京で引き取るってのもアリよ。女の子がうれしいけど、男の子でもいいわ。ふたりの子どもなら、とてもかわいいでしょうね。えっ、まさか私、おばあちゃん? どんな服、着せようかな。今度、下見に行かなきゃ!」

「聡子まで、なにを言い出すんだ。これ以上、類くんを焚きつけるのは、やめてくれ! かわいい我が娘と、天使な美青年のところに、ほんものの天使が生まれたら、目に入れてかわいがってしまうこと必定! おっと、つい本音が」


「フォローはうれしいけど、自分たちで育てるよ。ね、さくら」

「……う、うん。そのとき、は」


「さくらが、変わってしまった……私の、さくらが……! そもそも、さくらは玲くんと両想いで、いずれ将来は結ばれるものと覚悟して、私は京都へ送り出したんだ。このこと、玲くんは承知しているのかい?」


 痛い質問が飛んできた。たぶん、玲のことを指摘されるとは思っていたけれど、はっきりと口にするのは、厳しい。完全には、気持ちに整理がついていないでいる。


「うん、一応は……謝ったし、説明もしたけど」


 たぶん、わだかまりは消えないだろう。どれだけ謝っても、きっと届かない。傷つけてしまった。二度と、さくらには笑いかけてくれないかもしれない。

 でも、類を選んだことに後悔はない。


「してないよ。あいつが、納得するわけ、ないじゃん。でも、さくらはぼくを選んだんだ。そろそろ、さくらを解放してあげて、ねえオトーサン?」

「ごほん! こう言っては類くんに失礼だが、さくらは類くんの容姿や才能、持っているモノに、目がくらんでいるだけじゃないのかい? 日本中の女の子が騒いでいる類くんに、耳もとで『かわいいね』『すきだよ』なんて、毎日のように甘くささやかれたら、経験のないさくらなんて、すぐだすぐ。乙女ゲームのチョロインだ。そういう恋は、醒めるのも早いものだ」


「でも、類くんは、京都まで私を追いかけてきてくれた! 父さまとの約束を守って、私の答えを待って、ずっと我慢してくれた。仕事をしながら、勉強もしていた。恵まれたものをたくさん持っている人だけど、努力も重ねてきた! 私は、ずっと見ていたから知っている。そんな類くんだから、好きなの! ちょっと変態だけど、いつも楽しいから、一緒にいたいの!」

「なんて、残酷な女なんだ。これが、自分の娘とは。玲くんに申し訳ない」


 涼一は、玲に思いっきり感情移入している。自分と玲を、重ね合わせているのだろう。ずっと一緒にいるだろうと思っていた人間……さくらが、ほかの人を選んでするりと通り抜けていったのだ。いたたまれない。


「なんとでも言って。私は、類くんを選んだ! 玲に嫌われても、自分の気持ちに嘘はつけない」


 しっかり、さくらは父の目を見て言った。

 先に視線を外したのは、涼一のほうだった。


 さくらの意思が固いと見た涼一は、攻撃の矛先を類に向けた。


「類くんも、類くんだ!」


 あまりの大声に、類はきれいな顔をしかめる。


「確かに、きみは抜群に容姿がよくて、頭もいいし、明るい性格で、若いのに仕事を持っていて、社会的にも成功しているし……しかも、社長の息子だし……非の打ちどころかなくて……くっ」


 ことばにしていて、涼一はイヤになったらしい。


「けれど! スペックが高いとはいえ、さくらをしあわせにできるかどうかは、別問題だ。世の中に、男は三十五億もいるんだろう? 平凡なさくらには、身の丈に合った男がきっといるはずだ。こんなゴージャスな男と結婚したら、二十四時間ジェットコースターに乗っているような、波乱ばかりの毎日になるぞ。類くん、手近なさくらを利用しないでくれ。家政婦代わりにしないでほしい!」


 とうとう、涼一は類につかみかかった。聡子が腰を浮かせた。さくらも近寄る。なにか起きたら、すぐに対応できるように。


 さくらには、分かる。父は、さくらの結婚相手が誰であろうと、絶対に文句をつけた。

 歯をくいしばりながら、涼一は類の腕をつかみ、前後に引っ張って大きく揺らしている。身長差があるので、涼一が類の顔を見上げて。


「さくらはこんな子じゃなかった。他人を気遣える、やさしい子だったのに」


 余裕の類は、涼一の手を止めるでもなく、されるがままになっている。


「オトーサン。さくらはやさしいよ。ちゃんと答えを見つけて、苦しいけど告白できたんだ。待たせたまま、放置するほうが残酷だよ。どうにもならなくて、ぼくも玲も受け入れたり、どちらも選べなくて失踪、なんてことにならなくてよかった。さくらはえらいよ、さすがオトーサンの娘」


「な……!」


「この章をもう一度、読み直してみてよ、オトーサンは。ぼく、かわいいさくらをしあわせにするって言ったよ? 家政婦じゃないよ、妻にするって決めているよ? これだけ丁寧に説明しても理解できないなら、赤ちゃんが生まれてもオトーサンには見せてあげないんだからね!」


『赤ちゃんが生まれても見せない』と言われたことが、ひどくこたえたらしい。涼一は、類をつかんでいた手を離した。


「……おとなに、なっていたんだな……父さまを置いて……くっ」


 本音を吐露したさくらと類の姿に、涼一は目を細めた。


「子離れ、涼一さん。さくらちゃんは、涼一さんを支えるために、ずっとがんばったんだから。家政婦じゃなくて、主婦レベルで。玲はかわいそうだけど、時間が解決してくれるはず」


 聡子の胸で泣きはじめた涼一を見続けるのは、つらかった。


「い、行こう。類くん、部屋移動」


 耐え切れず、さくらは類の袖を引っ張った。


「うん、今夜はさくらの部屋で寝させて。ぼくの部屋、片づいていないから、横になる隙もないんだ。さくら、今夜も存分に乱れちゃっていいよ。ぼくをおねだりする声、かわいいんだよなあ。想像しただけで、胸がきゅんってしちゃう。まずは、いつものように、おふろ一緒に入ろっか♪」


「さくら……類くん……!」


 憐れ、とどめを刺された涼一は、立ち上がれなかった。

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