第3話 都に・恋の・火花・舞う①

 九月もなかばになり、表面上は平穏な生活が続いている。


 さくらも兄弟との同居に慣れ、ふたりを叱咤しながら毎日を忙しく過ごしていた。新学期の開始とともに課題に追われていたが、クラスメイトはしっかりさくらのことを認識していた。


「禁断の、さくらおねえさん♡♡♡」

「ルイくんのお相手な」

「きょうだいで新婚さんって、どないな気持ちなんやねん」

「けど、お似合いとちゃうやろか。追加ちゃん、化け過ぎ。うち、テレビコマーシャルを初めて見たとき、リアルにお茶を吹いたで」

「これ、マスコミにばれたらええネタやん。『北澤ルイは近親相姦!』」

「うわー、高値で売れるできっと」


 人の気も知らないで、噂を楽しまれていた。


「やめて、お願いだから。類くんのイメージが」


 さくらは必死に訴えた。困惑するさくらを前に、クラスメイトは大いに笑う。遊ばれている。


「もちろん、そないなことするわけあらへん。うちらの追加ちゃんが、からかえなくなったら本末転倒や。ルイくんかて、ここへ通いづろうなるやろ。そういや最近、大学には来いへんな」


 類は、大学北門前にある古い喫茶店が気に入ったようで、そこでずっと受験勉強をしているらしい。相乗りの自転車も、店の前で降りてしまう。だから行き帰りはさくらと一緒なのだが、大学の構内まで堂々と入ってくることは減っている。

 しかし、延々と何時間も喫茶店で過ごしているはずもないので、途中どこかへ行っているはずだが、類はあまり語りたがらない。あれこれ詮索するとまたうるさいので、気になるけれど知らん顔すると決めている。


「いいじゃないか。さくらちゃんは、さくらちゃん。ルイくんは、ルイくんなんだから。ねえ、さくらちゃん?」


 さくらよりも、先に反論したのは橋本だった。

 すっかり『さくらちゃん』と呼んでくれるようになってしまった。夏休み明け、橋本はメガネを卒業してコンタクトレンズに切り替えていた。少し、おとなっぽく映る。


「ダメガネが、なんや吠えとる」

「もう、メガネじゃないし!」

「せやかて、根本的には変わっておらんで。中身はハシモのまんまやろ」


 夏休みを越えても、クラス内におけるさくらと橋本の扱いには変わりがなかった。さくらはため息をつきながら、視線を遠くに投げた。



「あ、憧れ様や」


 偶然、通りかかった祥子がさくらを嘲笑って通り過ぎる。長い黒髪を秋風にたなびかせ、まるでキャンパスのヒロインそのものだった。聞けば、祥子は入学以来ミスキャンパスを連覇し、記録更新を続けているらしい。


「はあ。うつくしゅうおすなあ」

「憧れ様は、我が大学のアイドルやで」


 クラスメイトの賞賛をよそに、さくらは閉口した。

 祥子の本性なんて、酔っ払いの男好き。玲と類、ふたりを誘ってものにするなんて、絶対に許せない。


「許せない」


 けれど、自分のしていることはどうなのか。身体どうしの深い関係ではないとはいえ、今は玲も類も選べない、なんて回答を出した自分も、相当ずるい。ふたりと、唇を重ねてしまった。肌を、触らせてしまった。


 さくらは息を飲む。文句を並べている自分は、祥子と大差はない。

 ただ、あけすけに関係を公言できる祥子の性格が羨ましいのだ。祥子を責めることはできない。


 さくらにできることは、ただひとつ。早く、答えを出すこと。



 授業のはじまる時間が迫り、クラスメイトがそれぞれ目的の教室へと散ってゆく。同じ学科だからといって、すべて同じ授業を受けるわけではない。

 三限目、さくらは橋本と同じ講義だった。


「いつもかばってくれてありがとう、橋本くん」


 さくらは礼を述べた。


「別に、お礼なんていいよ。それより、さっきの授業で寝ていたみたいだけど、寝不足なの?」


 しっかり見られていたらしい。


「まだ、暑くて。うち、クーラーがないから。二階に熱気が全部上がってきちゃうんだよね。クーラー設置禁止の賃貸物件で、勝手に置くわけにはいかないの。一階は兄弟部屋だし、窓を開けるのも防犯上どうなのかと」

「そうか。それは、つらいね。京都の夏は暑いと聞いていたけど、想像以上だよね」

「ご近所さんが、道路に打ち水とかしているのを見ると、涼しげなんだけど、厳しいね。私、マンション暮らししかしてこなかったから、一軒家って夢だったんだけどなあ」

「その後、きょうだいとはどう? 無理、されていない?」

「とりあえずの今の気持ちを告白したら、ふたりとも納得してくれて。類くんがおとなしくなったのは、意外だった。試験、近づいてきたせいかも」

「ルイくんは、うれしかったんじゃない? さくらちゃんは、お兄さんと相思相愛で諦めかけていたのに、真似事とはいえ花嫁役まで引き受けてくれたんだ。脈ありだと考えるほうが自然だよ」


 さくらは、胸もとに隠してあるマリッジリングに手を置いた。類はこれをいつも薬指に、はめている。自分もまた、指ではないにしても、チェーンに通して身につけていた。


「それに、あのモデル役。よく、バレていないね。インターネットの掲示板とかでは、話題になっているみたいなのに。あの花嫁は誰かって」

「類くんの事務所が隠し通しているから、表に出ないみたい。北澤ルイは活動休止中だし、ふたりとも京都にいるせいか、追跡をごまかせているんだ。東京の実家で同居していたら、すぐに分かっちゃったはず。といっても、知り合いにはバレバレだけど」

「見る人が見たら、分かるけどね。また、やるの?」

「まさか! 頼まれたって、絶対にもうしたくない。街に、ポスターが壁一面貼り出されたり、コマーシャルを見るたびに怯えたりする生活は、無理。普通の大学生がいちばんだよ」

「よかったー。ルイくんや祥子さんのように、さくらちゃんまでスターになったら、どうしようかと思った。お兄さんも、インタビューとか受けているよね。やっぱり、顔がいいから絵になる」

「玲が?」

「そう。これなんだけど、読んでいない? よかったら、あげるよ。十日前ほど前に、地下鉄の駅のラックでもらったもので悪いんだけど」


 手渡されたのは、駅や街角で配られている雑誌型のフリーペーパーだった。

 伝統工芸に弟子入りした玲の半年が、写真付きの見開き二ページで掲載されていた。

 雑誌を手にする指先が、震えている。さくらの知らない玲がいる。

 工場での玲。笑顔の玲。糸染めの仕事について、熱っぽく語る玲。


 玲は、自分になにも言ってくれなかった。


「おれ、先に行くわ。ノート、取っておくからゆっくりおいで」

「あ、ありがとう!」


 始業を告げるチャイムとともに、橋本は走り出した。さくらは中庭のベンチに座り、しばし読みふけった。


***


 紅葉シーズンに、さくらは近所の神社で、巫女のアルバイトをすることにした。

 祭神はかつての大怨霊だが、学業成就で有名な神社。十二月初旬までの短期契約だが、巫女姿装束が着られるというだけでわくわくする。不謹慎な志望理由は隠しているものの、着物と袴を身につけるとなぜか、背筋がすっと伸びた。


「そこの、かわいい巫女さん。お守りをください」


 さくらは営業用の笑顔を作った。


「はい、どのお守りにしましょうか?」

「もちろん、学業成就のお守りでね」

「はい。って、ええ?」


 お客さんは、トレンチコート姿の類だった。さくらの真正面で、ポケットに両手を突っ込んだまま、にやにやと笑っている。


「どうしようかな。安産祈願のほうも、もらおうかな。実はね、だいすきな人がいるんだけど、思いがまだ果たせてなくて。いっそのこと、今夜襲っちゃおうかなって。彼女のこと、一生大切にしたいんだ。子どもは、五人ぐらいほしいなー。ねえ、かわいい巫女さんはどう思う?」

「私は神に仕える身ですので、なんとも。ただ、無理強いはよくないと思います!」

「さくら。きみは処女だから巫女にふさわしいけど、神の嫁より、ぼくの嫁になりなよ。たくさん楽しませて気持ちよくしてあげる」

「類くん。こんなところでさぼっていないで、勉強しなさい」

「は。また、年上気取りで上から目線か、さくらのくせに。アルバイト初日、せっかく様子を見に来てあげたのに」

「十八歳で、安産のお守りを欲しがる類くんの気が知れません」

「いいじゃん。なんだったら全部買い占めるから、早く仕事を終えてデートしようよ。おいしいごはんを食べて、そのあとは静かなホテルでふたりきり」

「お守りは、たくさん買えばいいってものでもありません。願掛けもよろしいですが、受験生さんは妄想ばかりではなく、努力もなさってくださいね、ほほほ」


 さくらは、お守りや御札を、着物の袖で隠そうとして両腕を広げた。類に奪われてなるものか、と。


「待ってって」


 手を伸ばした類は、さくらの手首をつかんだ。

 類がじっとさくらを見ている。この目に弱いのだ。

 つかまれている手から、類の熱い気持ちがさくらの身体中に流れ込んでくる。

 

「さくらがほしい。今夜、ぼくのものになって」


 類の左手薬指には、さくらとお揃いのマリッジリングがきらきらと光っている。あれ以来、一度も外したことがないという。


「放して。誰かに見られちゃう」

「ぼくは構わない。ていうか、むしろ大歓迎」


 こっちは困るのだ、参拝客とトラブルを起こす巫女なんて、解雇されしまう。誰かが来てしまう前に、北澤ルイだと知られてしまう前に、なんとかしなければ。騒ぎを起こしたくない。


「嫌がっているんだ。手を放せ」


 横から手を伸ばし、類の腕をはたいて落としたのは、玲だった。


「痛いなあ、もう。暴力反対」

「お前が働いている行為も立派な暴力だぞ、類」

「もしかして、玲もさくらの巫女姿を見に来たとか? 下心丸出しで、やーらしー」


 類の冷やかしに、玲は答えなかった。


「巫女さん、俺にも御札をください。家内安全。魔除けのほうがいいかな。うちにはひとり、アイドルモデルの面をかぶった『悪魔の性獣』が、いるんでね」

「悪魔の性獣、って。よく言うよ、かわいい弟に対してひどい」

「じゃあ、『万年発情期の悪霊』。さくら、仕事は何時までなんだ?」

「ご、五時」

「分かった。終わるころ、迎えに来る。社務所前で待っている」

「うん」


 玲はさくらが差し出した御札を受け取ると、抵抗する類を引っ張って行った。

 近所とはいえ、仕事で忙しいはずの玲が、わざわざさくらの様子を見に来てくれた。心配だったのかもしれない。ちょっと、うれしい……かも。

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