第15話 運命の糸、結ばれた①

 類は、第一志望の大学に無事合格した。


「と・う・ぜ・ん、でしょ。このぼくを、誰だと思ってんの?」


 類本人はさりげなく自慢したが、京都生活と仕事の合間を縫って、陰でどれだけ努力したか、さくらは知っている。たくさん祝福したかったけれど、いちいちおおげさだと取り合ってもらえなかった。


「それより、さくら。先に行って、待っているよ」


 類の真の目的は、ふたりきりの一泊旅行。


 旅行の当日は、すぐに来てしまった。行き先は、京都郊外の宿だという。なぜか類は、宿まで別々の行動を選んだ。理由はあるようだったが、さくらには教えてもらえなかった。


 宿へ行くのか断るのか、当日になっても、さくらは答えを出せずにいた。


 午前中、玲に誘われていたせいもある。現状で、まずまず納得のゆく糸が仕上がったので、展示会に出品するという。それを、一緒に見に行く約束だった。



「若手職人の、仕事を紹介する企画なんだね」

「本来は、糸だけを展示なんてありえないんだけど、西陣織の工程がどれだけ細分化されているかを知ってもらえる、いい機会だから」


 初詣のとき、こっそりとさくらが借りた帯も展示されているそうだ。

 西陣織のほかにも、焼きもの、染めもの、扇子、表具、竹細工、仏像などもあるし、和菓子やお酒などの、食べもの・飲みものもあるらしい。



 企画展示会初日ということで、会場は人が多く、なかなかの賑わいを見せている。玲と、はぐれないように歩くのが大変だ。途中から、手をつないだ。

 知人に会うたびに『恋人か彼女だろ』と、からかわれていたが、玲はすべてを丁寧に『妹』、とまじめに訂正して歩いた。


「こっち。これ。俺が、染めた糸。見て」


 つややかな糸束が、高い天井近くから大胆に下りている。ゆるやかな滝のようにも見えた。

 圧巻だ。

 糸の色は、桜色をベースに、微妙なグラデーションを加えてある。白く霞んだようにも見えるし、濃い紅もある。


 それは、玲が染めた絹糸で表現された、一本の桜の木だった。

 満開間近の、しなやかな桜。風にも、雨にも負けない桜。


 どこか、懐かしい感じさえある。


 そしてさくらは、作品紹介のプレート文字に、目が釘づけになった。



『作品名 さくら    柴崎玲』



「玲、これは」

「修業一年の成果、かな。おい、さくら。なんで泣いているんだ!」


 作品が目に入るなり、さくらは涙が止まらなかった。タイトルが『さくら』だなんて、それだけでもう感激なのに。


「いろいろと思い出すことが鮮やか過ぎて、止まらないの。どうしよう、玲?」

「……とりあえず、移動しようか」


 女の子が泣いている、それだけで目立つ。


 人目を避け、ふたりは自販機コーナーまで動いたが、さくらはまだ涙が止まらなかった。肩を震わせ、ひくひくと涙を流している。


「ごめん、玲。こんな……号泣、するつもりじゃ、ない、のに。ひっく、ううっ」

「泣きたいだけ、泣け。ほら」


 玲は肩を貸してくれた。さくらは頭の重みを預ける。


 目を閉じる。

 とても心地よい。いつまでも、こうしていたい。うっかりしていると、寝てしまいそうになるほどだった。


「あの糸、お前のために作ったんだ。来年の、成人式用」

「西陣織なんて、一学生には高価で買えません」

「類に買わせる。俺が染めた糸で織った着物。ま、帯ぐらいになるかもしれないが」

「それでも……じゅうぶんお高いでしょ?」

「類次第、だな。この糸については、あいつも感心してくれたし」


「類くん、これをもう見たのね」

「ああ。昨日、搬入したときに。俺たち、勝負しているんだ。持ちかけたのは類だけど。展示会への出品、決まったのは去年の暮れで。ちょうど類の試験明けの日程になりそうだったから。今日、類に……旅行へ誘われているんだろ?」

「……うん。行くかどうかは、まだ決めていないけど」


「類は宿泊先で待つ。俺はお前に糸を見せる。選ぶのはお前だ。俺は、さくらにいてほしい。類は転居先のマンションもさっさと決めたらしいから、荷物をまとめて今月中にでも出て行くが、さくらには町家に残ってほしい。類が必要としている以上に、俺もさくらがほしい。質素で慎ましい生活になるだろうが、俺はお前を守り抜く。どんなときも一緒だ」



 玲との、穏やかな暮らし。

 類との、波乱に満ちた日々。

 


 さくらは、決めていた。



 新しい涙がこぼれてくる。それでも、言わなければならない。ぎゅっと、手のひらを握り締めた。



「私、類くんが好き。類くんのことが、好きなの。ごめんなさい、玲。ずっとずっと、待たせたのに、こんな答えで」



 さくらは激しく泣いた。玲はさくらの背中を撫でてやる。


「ほんとうに、ごめんね。私、玲を慕って京都へ来たはずなのに、類くんに惹かれてしまった。彼を、放っておけない。私をたたいて。なじって。ひどい女だと、非難して、大嫌いになって」


 答えを予期していたのか、玲は力なく笑った。苦い告白にも、玲はさくらの頬をやさしく撫でた。


「お前は、俺の大切な妹だ。たとえ、他の男を選んだとしても、ひどいことなんてできない。答えを、ありがとう。俺には、とてつもなく苦い答えだったけどな。よりによって、遺伝子が同じ、類なんて」

「玲、ごめん。ほんとうにごめんなさい」


「いいから、早くあいつのところに行ってやれ。類も、お前を必要としているんだ。すごく待っていると思う」

「うん」

「旅行、楽しんで来い。全部、あいつに任せればいいから」


 そう告げながら、玲は胸ポケットから小さな紙片を取り出した。


「これ。類から預かった。あいつを選んだら、さくらに渡せって。ちょっと遠いし、天気もあやしくなってきたから、急いだほうがいい。そのへん、バスの本数が少ないんだ」


 類の宿泊先の地図を、玲が持っていた。

 ゴールデンウィークに家族で泊まった宿ではない。京都郊外の住所が書いてある。さくらは、これからどこへ行けばいいのか、初めて知った。


『ぼくのすべてをあげるから、さくらのすべてをちょうだい』なんて、走り書きまでがついている。

 もちろん、玲も読んでしまったと思う。玲が、このメモを処分する可能性だってあったのに。類はあえて、玲に預けた。


「……ありがとう」


 なんて残酷なんだと感じつつも、さくらは受け取って類のメモを自分の胸に押し当てた。類が、自分を待ってくれている。早く、逢いたい。


 傷ついている玲の作り笑顔がつらくて、さくらは直視できなかった。

 玲、ごめん。いくら謝っても、きりがない。



 しかし、さくらは町家へ向かって息を弾ませて走った。

 戸を開けっぱなしで、泣きながら出かけるしたくをする。行くかどうか、はっきりと決めていなかったので、準備をまったくしていなかった。着替え、コスメ……地図のメモ。

 化粧品を取りに行って、洗面所の鏡をふと見たら、さくらの顔は涙やら洟やらでぐちゃぐちゃだった。ひどい。あきれるぐらいならいいけれど、嫌われたらどうしよう。

 

 雪が降ってきた。寒いはずだ。


 さくらは今からそちらに行くと伝えたくて、類に電話したが、類の携帯電話は居間で鳴った。置き忘れて行ったものらしい。さくらも電源を切って隣に並べた。

 さくらも、電話は置いて行く。


 今日だけは、誰にも邪魔されたくない。

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