第16話 運命の糸、結ばれた②
類が指定した京都郊外の宿へ、さくらは夕方に着いた。あたりは、もう暗い。
春に、家族で泊まった北野リゾートの宿かと思ったが、類は違う旅館を用意していたのだ。
類が先にチェックインしているはずだが、類はいまさら歓迎してくれるだろうか。拒否されたらどうしよう。とても怖い。
竹林に囲まれた静かなアプローチをひとり、不安に包まれながらさくらは歩く。
「柴崎です。連れの家族が、先に到着しているはずですが」
フロントで判明したのは、柴崎類で予約された部屋はひとつしかない、ということ。宿の従業員は内線電話で確認しようとしたが、類は出なかった。
さくらは、類の姉……家族であることを説明し、学生証を見せたりして、かなり手間取ったけれど、なんとか部屋に通してもらえることになった。
類が泊まっている部屋の前までは係の人に案内されたが、そこから先はさくらが同行を断った。
どうしよう、緊張する。
さくらは、ドアの前で戸惑った。笑われたり、冷たくされたらどうしよう。
でも、飛び込むしかない。
自分の気持ちに素直でいたい。さくらは息を止めた。
意を決して、戸をノックする。
「類くん、私です」
「……だれ」
ややあってから、浴衣姿の類が出てきた。だるそうに。機嫌も悪そう。かなりくつろいでいたらしく、帯を締めていなかった。今、急に羽織ったような感じさえする。髪も乱れていた。もしかしたら、寝ていたのかもしれない。
類は、目の前に立っているさくらを責めた。
「さくら、目が真っ赤! どうして、ここへ」
「どうしてって言われても、類くんに誘われたから来たんだけど……もしかして、迷惑だった? 電話も家に置きっぱなしだったし、連絡できなかったし」
「いいからとにかく、部屋へ入って。そこ、人が見ている」
左腕を、ぎゅっと強くつかまれた。たぶん、旅館のスタッフが確認のために立っていたのだろう。類……北澤ルイは有名人。粗相があっては旅館の名前に傷がつく。
「いたい、類くん。腕、痛いです」
抵抗したけれど、類は有無を言わせなかった。
「玲の作品、ちゃんと見なかったの? あいつが染めた糸。さくらのために作った、糸」
「見たよ。もちろん」
「あれを見て、きみの心は動かなかったの? 正直、負けたかもと思ったのに。ここには、来ないと思っていた」
「もちろん、動いた。すごくきれいだったし。でも、類くんが待っていたから、ここへ来た。それだけ。あのね、玲に伝えたの。類くんのことが好きって。ごめんなさいって」
類は、驚いていた。いつもならば、ここでさくらの身体に手を伸ばしてくるところだが、類は動かない。固まっている。
「あの、類くん。気を、悪くした、かな。今さら、なに言っているのってこと? 私、遅かった……?」
「遅くなんかない。けど」
類はさくらから視線を逸らして唇を噛み、涙をこぼしはじめていた。とてもうつくしい横顔で、さくらは思わず魅入ってしまった。
「類くんの涙。きれい」
「ぼく、泣いている……さくらの前で。いやだな、情けないな。でも、ほんとうに来てくれるなんて。わざと、携帯電話を町家に置いてきたんだよ。さくらから、『旅館には行けない』『玲を選ぶ』っていう、返事を聞きたくなくて。自信がなくて」
指摘されてから、類は手の甲で涙をこすった。
「そんなことないよ。類くんは、涙顔もかっこいい」
「いい年して泣いている男なんて、恥ずかしいだけ」
「そんなことない」
さくらは両手を広げて類を抱き締める。
「類くん、大好きだよ。一緒にいたい、ずっと」
類もさくらを抱き締めた。
「うれしい。さくらがとうとう、ぼくのところへ来た」
「うん。もう、逃げない」
「指先とか頬とか、すごく冷たいよ。きちんと告白できたご褒美に、ぼくがあたためてあげる。おふろかベッド、どっちを一緒にするか選んで」
いつもの調子を取り戻してきた類は、戸惑っているさくらの顔を覗き込んだ。
「もう一度、言ってあげる。おふろに入ってあたたまるか、ベッドの上で熱くなるか、どっち?」
「私が、選ぶの?」
「そう。今夜はどちらもするけど、順番を決めようか。ぼくは、ベッドを激しく推奨するけど。ねえ、ベッドの上で、とにかくめちゃくちゃに乱れちゃおうよ。やさしくするから」
「突然、そんなこと言われても」
考え込む、さくら。
おふろもまずいけど、いきなり真顔でベッド推奨とか、ない。あり得ない!
「おふろ、かな。さっぱりしたい。ここまで来るのに緊張して、汗をかいたし」
「ふうん、いいよ。よく洗ってあげようね」
「いやいや、ひとりで入れますってば!」
そのとき、ぐるる~。
さくらのおなかが、盛大に鳴った。雰囲気ある場面で、もっともしてはならないことをしてしまった。類は大笑いである。
「さっすが、さくら! おなか、空いたんだね。いいよ、今夜のぼくは寛大だからね。冬の夜は長いし」
「ごめん。こんな色気のない私で、ほんとうにごめんね、類くん」
「正直なさくらも、かわいくて大好き。我慢しなくていいよ、まずは、ごはんだね」
類はフロントに電話をして、食事時間を繰り上げてもらえるように連絡した。申し訳なくて、視線も合わせらせられない。
さくらは、お風呂場に逃げた。
食事の席でいつになく、類はよく食べた。ごはんをお代わりするところ、はじめて見た。
「今夜は、体力を使いそうだからね。ちゃんと食べておかないと♪」
意味ありげな目配せにも、さくらは全身が痺れたようになって動けなくなる。
……類に、どうにかなっている。
操られるように類の胸に吸い込まれ、息を止める。玲に対する罪悪感でいっぱいのはずなのに、類にいっそう惹かれてしまう自分が怖い。
「そもそも、ぼくの好みはもっと落ち着いた年上の豊満な女性だったのに。さくらのような、騒々しいお節介説教タイプではなかったことだけは確かだよ。なのに、こんなに好きになってしまったなんて、不覚。ある意味、失態だよね」
類の手のひらは、さくらの頬から耳をやさしく撫でていた。陶酔しながらも、さくらは反論に出る。
「ひどい言い方」
「ぼく、さくらがはじめての恋だから」
「嘘。はじめてだなんて」
「嘘じゃないよ。ぼく、女の子と付き合ったことなんてないもん。場数は踏んだけど、その日限りの関係ばっかりだったし。誰かひとりと付き合うなんて、面倒じゃん。適当に遊んでいるほうが、ラク」
遊んでいても、おつきあい経験はゼロだと、舌足らずの声で甘く主張する類が、かわいくて仕方がない。
「でも、さくらとずっと一緒にいたい、誰にも渡したくないって思った。どうしてだろう。ねえ、一緒に母さんの会社を継ごうよ。さくらは自分の事務所を経営するかたわら、少し手伝ってくれればいい。モデルは大学卒業まででやめる。もう、やれることはほとんどやったし」
「もったいない。類くんの天職だと思うよ、モデルは」
「これからは、さくらとの将来のために生きたいんだ。あと四年ある。ぼくのわがまま、聞いて」
そうささやきながら、類はさくらの右胸に触れた。
「ここ、瑕になっちゃったね。ぼくが前に噛んだところ。せっかくのきれいな肌なのに」
だいぶ薄くはなったけれど、類の指が撫でている古傷は消えそうにない。
「あのときは、私が優柔不断だったから。もう、迷わない。類くんだけだって、決めたし」
「ごめん。一生をかけて償うよ。さくらは絶対に離さない。ぼくのもの。逃がさないよ」
「うん」
さくらは目を閉じた。
外は静かだった。
しんしんと、雪が降り積もっている。
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