第17話 ご報告につき(前)①

「た、ただいま……」


 さくらは控え目に声をかけたけれど、町家の室内からは盛大な声が返ってきた。


「類、さくら! おかえりやす。ああ、もう隅に置けへんなあ、熱々の新婚カップルはんは。この、距・離・感、この、空・気・感!」


 町家では、祥子が赤飯を炊いて待っていた。


「さくらの、処女喪失記念せなあかん。これで、ふたりは晴れて婚約やろ。どうやったん、夕べの首尾は。うちに、じーっくりと、聞かせなあかん。極上ののろけ話に、しらふは無理や、ビールビール!」


 祥子は缶ビールを開ける。ぷしゅっと、いい音がした。


「えー、聞きたいの? まあいいけど。昨日のさくらはね、すごくやる気でね。うふふっ。『類くん、だいすき』って、自分で服を脱いで抱きついてくるし。でもいざとなると、大声で叫ぶし、泣くし、乱れに乱れちゃってさー」

「うんうん。処女のさくらには、全部が初めてさかい、当然や」


「あの。多少は、嘘も誇大も混じっているから。ねえやめて、何度も恥ずかしいよ!」

「いいじゃん、ほんとうのことだから。馴れてきたら、『類くんがもっともっとほしい』って、貪欲なおねだりが激しくてさー」


「そのあとは?」

「さくらはねえ、うふふっ。それ以上は、祥子にもちょっと内緒。すごく気持ちよかったよね、さくら。あ、顔真っ赤。かわいいなあ、どうしよう?」

「あ、ずるい。類、逃げた」


「へへんだ。もう、ぼくのものだから、さくらは」

「こないにからかって面白う物件は、そうそうあらへんのに。独り占めか、類」


「さくらも女だからね。究極的には、やっぱり男……ぼくでしょ」


 類と祥子は幼稚な追いかけっこをはじめた。


 玲は、茶の間で黙々と本を読んでいた。我関せずといったオーラがにじみ出ていて、近寄れない。



 そのとき、玄関のチャイムが鳴った。


「あ、ゲスト来た。スペシャル残念ゲスト」


 祥子が橋本を呼んでいたらしい。聞いていなかったさくらは、驚いた。


「こんにちは。今日はお招きありがとうございます」

「今日は、ハシモには、残念なお知らせや。そこ、正座しはって」

「おお、素晴らしいごちそうですね。おいしそう!」


 指示通り、橋本は茶の間にちょこんと座った。ちゃぶ台の上を、埋め尽くすようにして並べられてた料理を見て、感激している。ひとり暮らしの身にとっては、まぶしいだろう。


「祥子さんの手作りですか?」

「そうえ、全部。まだ、たっぷりと用意しとるさかい、ぎょうさん食べておくれやす。残ったら包んで持たせたる」

「ありがとうございます、喜んで!」


「さあ、ところで。ここで、クイズを出すで~。町家の中の雰囲気が、いつもと違うことに気がつきはったか?」

「いつもと違う……ですか」


 橋本は首を傾げて、あたりを見渡した。


 台所に近い場所にいる、頭には三角巾をつけたエプロン姿の祥子。

 テレビを見ているような、本を読んでいるような、上下ジャージの玲。

 類の服装はシンプルだが、身にぴったり合ったブランドもの。

 さくらは甘めのよそ行きひらひらスカート。


「いや。おれには、なんにも分かりません。ごちそう、楽しみってことぐらいですかな」

「なんや。勘も働かへんの」

「橋本くんを試すようなことはやめましょうよ。いけずが過ぎます」


 さくらは祥子に反対したが、祥子はやめなかった。


「この料理は、お祝いや。さくらと類、くっついたで。昨日、ふたりでめでたく一泊旅行しはって。さぞかし激しゅう交わったんやろねえ、はーあ。類の大学合格祝いと、バレンタインデーやったもんねえ。さくらは類に命じられるまま、ねえ?」


 橋本は目を見開いた。そして、さくらと類を交互に見やる。何度も往復する。


「そんな。さくらちゃんの相手は、お兄さんの玲さんだよね。しまった。が、学食の回数券が……!」

「さくらも、金と容姿と権力には弱かった、ゆうことや。ま、ここには振られた男がもうひとりおるし、今夜は失恋残念大会ってことで」

「そんな言い方はやめてください。私、答えを真剣に選びました」


 懸命にさくらは否定したが、玲がさくらに振られる形になったので、祥子は表情が明るい。町家から、さくらがいなくなったらさみしいとか、しおらしいことを言っておきながら、本音はこれだ。

 勢いに乗って、祥子は二本目のビールを開けた。かんぱーい、と声高らかに宣言して、ごくごく飲んでいる。何本、開けるつもりだろうか。ちょっと怖い。


「自分の意志で、さくらはぼくに飛び込んできたんだ。ま、至極賢明な判断だと思うけどね。ハシモは永遠に、さくらの友人ポジションでよろしく」

「とにかく飲も飲も」

「祥子以外は、全員未成年だよ。それに、ぼくはダイエット中だから、水ね。水」


「類がダイエット。どこを」

「京都生活、三キロも太ったからさ。さくらの食事がおいしくて、三食きっちり食べていたせいかな。最低でも、来月中に戻しておかないと、事務所に怒られちゃう」

「ふん。これからもさくらの手料理が毎日食えるくせに、なに言っているんだ。無理だろ、到底無理」

「玲は、うちで食べて行きよし。毎日、豪華料理を作るで。そうそうハシモ、さくらは類と引っ越すで。市内の豪華マンションに。近々、ふたりは結婚するさかい」

「へ、けっこん? 血痕ですか? いや、結婚?」


 橋本は、目を白黒させている。挙動不審だ。


「教えちゃうの? やめてよ、祥子。失恋の腹いせに、ハシモがマスコミに情報を売ったりしたら、どうするのさ」

「あー。そないなことも、あるかもしれへんね。せやけど、ハシモならだいじょうぶやろ。さくらにべたボレさかい、極端には走らへんて」

「男の嫉妬は醜いから、油断できないよ……ねえ、ハシモ? よぉく、聞・い・て」


 甘ったるい声と、媚びるような濃厚な目つきで首を傾げつつ、類は橋本に向き合った。これをされると、性別問わず、地球上の全人間は、類にオトされてしまう。さくらも、何度陥落したことか。


「は、はい!」


 あわれ橋本は、背筋をピンと立て直し、大きく返事した。


「このことは、まだ内緒だからね。約束を破ったら、ぼくがハシモの将来を、全部潰してあげる。就職とか不利になるように、ブラックリストに載せてあ・げ・る」


 類は愛らしく笑いかけながら、橋本に怖いことばを投げつけた。橋本の怯えた様子を確認して満足すると、自分のお皿に料理を取りはじめた。

 すかさず、けれどヨボヨボと、橋本はさくらのとなりまで這ってきた。類から受けたダメージが大きいようだ。

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